異世界に転移した元社畜OLですが、なぜか最強の竜騎士様たちの『メンタルケア担当』に任命されました。
カタカタ、と終電間際の駅のホームに、私のヒールの音が空しく響いた。
私の名前は結城栞。二十七歳。中堅の商社で働く、いわゆる中間管理職のOLだ。今日も上司からの無茶振りと、後輩のミスの尻拭いに追われ、気がつけば日付が変わろうとしていた。
(……はあ。疲れた。この冷めた缶コーヒーを飲んで目を覚ましたら、早く電車に乗って帰って寝よう)
ため息とともにプルタブに指を掛けた、その時だった。
「え……?」
「きゃあああっ!?」
すぐ隣に立っていた、華やかな雰囲気の女子大生が悲鳴を上げた。
見れば、私たちの足元のアスファルトが、あり得ないほどの眩い幾何学模様――まるでゲームで見るような『魔法陣』となって発光していたのだ。
逃げる間もなかった。視界が真っ白に染まり、内臓がフワリと浮き上がるような強烈な浮遊感に襲われる。
「う、く……っ」
次に目を開けた時、肺を満たした空気は、都会の排気ガスではなく、どこか古めかしいカビと乳香の匂いが混ざったものだった。
冷たい大理石の床。見上げるほど高い天井には、美しい神々の画。
そして私たちの目の前には、仰々しいローブを着た老人たちや、きらびやかな鎧を身にまとった騎士たちが立ち並んでいた。
「おお、召喚の儀は成功か!……ん?なぜ二人もいるのだ?」
一番前に立っていた司祭らしき老人が、私たちを見て目を丸くした。
「ど、どこですかここ!?誘拐ですか!?私、明日ゼミの発表があるのに!」
「おっと、すまない。恐がらせるつもりはなかったんだ」
パニックになって泣き出す女子大生を宥めるように、集団の中から王子様のような金髪の美青年が一歩前に出た。
「すまない。突然で驚いていると思うから説明させて欲しい。ここは君たちの世界とは違う異世界……ルミナス王国だ」
王太子だと名乗った彼は、呆然とする私たちに事の経緯を説明し始めた。現在、この国は魔王軍の脅威に晒されており、空間を越えて『最も光属性の適性が高い魂』をピンポイントで引き寄せる召喚の儀式を行ったのだという。
「次元の壁を越えた者には、世界から恩恵として特別な異能が与えられる。だが、手違いで二人も召喚されるとは想定外だった。おそらく、聖女の魂が召喚される瞬間に物理的な距離が近すぎたため、巻き込まれてしまったのだろう」
どちらが本物の聖女か、念のため魔力測定の水晶で確かめさせてもらおう――と、促されるまま、先に女子大生が祭壇の上の水晶に触れた。
瞬間、彼女の全身と水晶から、目を開けていられないほどの神々しい黄金の光が溢れ出した。
「おおおっ!この凄まじい光属性の魔力……間違いありません、こちらが本物の聖女様です!」
歓喜に沸く司祭たち。王太子も甘い声で彼女を労い、最高級の絹のガウンを羽織らせて手厚く保護していく。まるで腫れ物に触れるような、至れり尽くせりのVIP待遇だ。
一方、巻き添えを食らっただけの私はというと。
私が水晶に触れても、ビー玉のように微かに光っただけだった。
「……光属性の魔力はゼロ。次元を渡った恩恵として固有異能は得たようだが、【安らぎの箱庭】……?対象の精神を鎮めるだけの、戦闘には一切使えぬ微弱な生活魔法だと?」
「チッ。神聖な召喚の儀式に、ただの不純物が混ざったか」
あからさまな舌打ちと、ゴミでも見るような冷ややかな視線。これが、異世界での『シオリ』としての人生の始まりだった。
本物の聖女様が王宮の特室へ案内される中、私は冷たく薄暗い石室に押し込められた。与えられたのは硬いパンと水だけ。元の世界に帰る方法はないと冷酷に告げられ、ただ放置される日々が三日続いた。
そして四日目。
宰相と呼ばれる神経質そうな男の執務室に呼び出された私は、厄介払いのようにこう宣告されたのだ。
「……というわけで、シオリ殿には明日から北の国境にある『竜騎士団』の拠点へ赴き、彼らのメンタルケアを担当していただきます」
「……はい?」
豪奢な王城の一室で、私は思わず気の抜けた声を漏らしてしまった。
「前線で戦う者たちの心のケアをしてほしいのです。軍の士気に関わる深刻な問題でありましてな。……大人しく従えば、衣食住だけは保障してやろう」
後半言い方に悪意を感じる。その目は「無能はさっさと王都から出ていけ」と語っていた。
異世界に来てまで、左遷とブラック労働の強要とは。
しかし、文句を言って追い出されれば、私はこの見知らぬ世界で野垂れ死ぬしかない。私は前世の社畜根性を総動員し、無表情で「承知いたしました」とだけ頭を下げた。
―・―・―
王都から馬車に揺られること数日。
竜騎士団の砦は、華やかな王都とはまるで別世界の、冷たい石造りの無骨な要塞だった。
ここにいるのは、空を舞う巨大な飛竜を操り、国境を脅かす魔物と日夜死闘を繰り広げている猛者たちばかり。すれ違う騎士たちは皆、鋭い目つきで、ピリピリとした殺気を漂わせている。
私が案内されたのは、砦の片隅にある、元は物置だったと思われる日当たりの悪い小さな部屋だった。
「今日からここが、シオリ殿の『相談室』です。……まあ、誰も来ないとは思いますけどね」
案内してくれた副官の男は、鼻で笑うように私を見下ろした。
「竜騎士は誇り高い。女子供に泣きつき、弱音を吐くような軟弱者は、我が団にはおりません。王宮の連中も、無駄な人員をよこしたものだ。……せいぜい、邪魔にならないよう大人しくしていることですね」
副官はそれだけ言い捨てると、足音荒く去っていった。
残されたのは、ホコリまみれの机と、古びたソファが一つだけ。
(なるほど。どこに行っても、メンタルヘルスへの理解がない職場は同じね)
厄介者扱いされるのには慣れている。
私は小さくため息をつきながらも、持参したエプロンを身につけ、腕をまくった。
「さて。与えられた仕事は、きっちりこなさせてもらうわよ」
ホコリを被った机を拭き、窓を開けて風を通す。持参したハーブの束を窓辺に吊るし、お湯を沸かして、心を落ち着かせるカモミールとラベンダーをブレンドした特製のお茶を淹れる。
私のスキル【安らぎの箱庭】は、私が「くつろいでほしい」と願って整えた空間や飲み物に、わずかながら癒やしの魔力を付与してくれるらしい。
準備を終え、「相談室」という手書きの木札をドアに掛けたものの。
……副官の言葉通り、三日が過ぎても、ここを訪れる者は一人もいなかった。
四日目の夕方。
私が一人で冷めたお茶を飲みながら、白紙の報告書を眺めていた、その時だった。
――バンッ!!!
蝶番が悲鳴を上げるほどの勢いで、相談室の重い木の扉が蹴り開けられた。
「ひっ!?」
驚いて立ち上がった私の前に立っていたのは、身の丈二メートルはあろうかという大男だった。
月明かりのような銀色の髪に、獲物を狙う鷹のように鋭い金色の瞳。
纏っている漆黒の軍服には、乾いた血と泥、それに魔物のものと思われる体液がこびりついている。何より恐ろしいのは、その全身から立ち上る、息もできないほどの重く、刺すような殺気だった。
「貴様が、王都から来たという『相談役』か」
地を這うような低い声。
彼こそが、この砦の最高責任者であり、王国最強の竜騎士と謳われる団長、レオンハルト・ヴァン・アークライトその人だった。
「は、はい。シオリと申します。あの、レオンハルト団長……ですよね?」
「ふん。宰相殿もとんだお荷物をよこしてくれたものだ。こんな小娘の淹れる茶で、死線に立つ我々の何が救えるというのだ」
レオンハルト団長は、ズカズカと部屋に踏み込んでくると、私を威圧するように見下ろした。
目の下には濃い隈が刻まれ、その金色の瞳には、隠しきれない苛立ちと、張り詰めた糸のような危うさが宿っていた。
「私の部下たちは、今日も三人が飛竜の炎に焼かれ、重傷を負った。癒やしの魔法すら使えない貴様に、焼け焦げた彼らの腕が治せるのか?失われた仲間の命が戻るのか!」
「……っ」
怒鳴り声が、狭い部屋にビリビリと響く。
普通なら、怯えて泣き出してしまうような迫力だ。彼から発せられる魔力だけで、空気が重くのしかかってくるのがわかる。
けれど、私は無意識に小さく息を吐いていた。
(……ああ。この人、限界なんだな)
前世で、何度も見てきた目だった。
膨大なノルマ、終わらない残業、部下のミス、上司からの重圧。すべてを一人で抱え込み、誰にも頼れず、心が折れる寸前まで張り詰めている人間の、悲鳴のような怒り。
彼が怒っているのは私に対してではない。救えない命と、何もできない自分自身への怒りなのだ。
私は静かに立ち上がると、彼から視線を逸らさず、真っ直ぐに見つめ返した。
「……治せません。私には、傷を塞ぐ魔法も、死者を蘇らせる奇跡もありません」
「ならば、さっさと王都へ帰れ!ここは貴様のような甘ったれた女が来る場所では――」
「ですが、温かいお茶を淹れることならできます」
「……は?」
言葉を遮られたレオンハルト団長は、ぽかんと口を開けた。
私は手早く新しいカップを用意し、温め直したハーブティーを注いだ。湯気とともに、ふわりと甘く爽やかな香りが部屋に広がる。
私のスキル【安らぎの箱庭】が、静かに発動したのを感じた。
「どうぞ。お疲れのようですね。まずは座って、喉を潤してください。話はそれからです」
「……貴様、私が誰だか分かっているのか。竜騎士団長に向かって――」
「ここでは、私は相談役で、あなたは来室者です。階級は関係ありません。それに、そんなに立ったまま怒鳴り続けていたら、血圧が上がって倒れてしまいますよ。部下の方々も、団長が倒れたら悲しむでしょう?」
「な……っ」
私はにっこりと(前世で培った営業スマイルで)微笑み、ソファを手で示した。
毒気を抜かれたのか、それとも私の得体の知れない落ち着きに戸惑ったのか。レオンハルト団長は渋い顔をしながらも、ドカッとソファに腰を下ろした。
「……毒でも入っているのか」
「蜂蜜とカモミールしか入っていませんよ。眠れない夜にぴったりのブレンドです」
レオンハルト団長は、私の言葉にわずかに肩をビクッと揺らした。図星だったらしい。あのひどい隈を見れば、まともに睡眠が取れていないことなど一目瞭然だ。
彼は警戒するようにカップを手に取り、少しだけ口をつけた。
「……甘いな」
「甘いものは、緊張をほぐしてくれますから」
一口、また一口と飲むうちに。彼の眉間から、少しずつ険しさが消えていく。
ピンと張り詰めていた空気が、春の陽だまりのように柔らかく解けていくのがわかった。スキルの効果もあるだろうが、何より彼自身が「休む理由」を求めていたのだ。
「……団長は、ずっと眠れていないのですか?」
私が静かに問いかけると、彼は空になったカップを見つめたまま、ポツリと呟いた。
「……目を閉じると、聞こえるのだ」
「聞こえる?」
「ああ。魔物に引き裂かれた部下たちの悲鳴が。私が下した命令のせいで、帰らぬ人となった彼らの声が……毎夜、私を責め立てる。どれだけ酒を飲んでも、どれだけ身体を酷使しても、その声が消えることはない」
強く握りしめられた大きな手が、かすかに震えていた。
最強と謳われる男が抱える、誰にも言えない弱音。
彼らは誇り高いからこそ、「怖い」「辛い」という言葉を飲み込み、心の奥底に分厚い鍵をかけてしまう。
「……私は、冷酷な指揮官だ。彼らを死地に追いやっているのは、他でもないこの私なのだから。平然と眠り、休む資格など、あるはずがない」
自嘲するように笑う彼の声は、ひどく掠れていた。
私は彼からカップを受け取ると、テーブルに置き、彼の前にゆっくりと膝をついた。
「レオンハルト様。あなたは、冷酷なんかじゃありません」
「……気休めはよせ」
「気休めではありません。本当に冷酷な人間なら、部下の死にこれほど傷つき、眠れなくなるほど苦しんだりしません」
私は、彼の震える大きな手を、両手でそっと包み込んだ。
戦うためだけに鍛え上げられた、分厚く、氷のように冷たい手だった。
「あなたは、部下の方々の命を背負いすぎているんです。彼らが戦場に立つのは、あなたの命令だからではなく、この国を守るという彼ら自身の誇りがあるからです。……その責任を、あなた一人がすべて背負って、壊れてしまう必要はないんですよ」
「……っ」
「泣いてもいいんです。苦しいと、吐き出してもいいんです。ここは、そのための場所ですから」
私の言葉が、彼の心の奥底に張り巡らされていた分厚い氷を、コツンと叩いてヒビを入れたようだった。
レオンハルト団長の金色の瞳が大きく見開かれ、そこから、ポロリと大粒の涙がこぼれ落ちた。
「あ……ああ……っ」
王国最強の竜騎士団長は、大きな両手で顔を覆い、まるで迷子になった子供のように声を殺して泣き始めた。
今までどれほどの悲しみを、どれほどの重圧を、この広い背中でたった一人で堪えてきたのだろう。
私は何も言わず、ただ静かに彼の隣に寄り添い、その背中を一定のリズムで優しく撫で続けた。
どれくらい、そうしていただろうか。
やがて彼の嗚咽が静まり、静かな寝息へと変わっていった。
私の淹れたハーブティーと、張り詰めていた糸が切れたことによる深い安堵感が、彼を久しぶりの深い眠りへと誘ったのだ。
私はそっと立ち上がると、ソファで丸くなるようにして眠る彼の大きな体に、毛布を掛けた。
「……おやすみなさい、レオンハルト様。明日、目が覚めたら、少しでも心が軽くなっていますように」
窓から差し込む夕日が、憑き物が落ちたように穏やかな寝顔になった彼を優しく照らしていた。
私のスキルは、傷を治すことも、敵を倒すこともできない。
けれど、こうして誰かの凍えた心を温め、明日を生きるための小さな活力を与えることができるなら。
(……この世界に来た意味も、少しはあるのかもしれないな)
私は冷めたお茶の道具を片付けながら、静かに微笑んだ。
―・―・―
レオンハルト団長が初めてこの部屋で涙を流し、深い眠りについてから数ヶ月。
私の「相談室」は、現在ちょっとした異常事態に陥っていた。
「シオリ先生!俺の愚痴も聞いてくださいよぉ!実家の母親から早く結婚しろって手紙が来て、胃が痛くて……」
「馬鹿野郎、順番を守れ!俺なんか昨日、愛竜(相棒)に機嫌を損ねられて尻尾で吹っ飛ばされたんだぞ!シオリ先生、俺の傷ついた心に特製カモミールティーを……っ!」
「お前ら騒がしいぞ!シオリ殿が困っておられるだろうが!」
最初は「女子供に弱音など吐けるか」と息巻いていた屈強な竜騎士たちが、今や私の淹れるお茶と【安らぎの箱庭】のスキルの虜になり、相談室の前には毎日長蛇の列ができるようになっていた。
初日に私を鼻で笑った副官殿に至っては、列の整理券を配る係を自主的に買って出ている始末だ。
「はいはい、皆さん順番に聞きますからね。喧嘩しないでください」
私は前世の「部下の愚痴を聞く飲み会」で鍛えた傾聴力をフル稼働させ、彼らの悩み――戦場の恐怖から、恋人の悩み、ペット(飛竜)の愚痴まで――に耳を傾け、お茶を振る舞った。
戦うことしか知らなかった不器用な男たちは、ここで弱音を吐き出すことで心の重荷を下ろし、見違えるように清々しい顔で再び空へと飛び立っていくようになった。
竜騎士団の士気は劇的に向上し、怪我人の数も目に見えて減っていた。
「……また騒がしくしているのか、お前たちは」
その時、地を這うような低い声が響き、騒いでいた騎士たちが「だ、団長!」、「お疲れ様です!」と弾かれたように道を開けた。
現れたのは、レオンハルト団長だ。
出会った頃の亡霊のような隈はすっかり消え去り、金色の瞳には力強い光が宿っている。彼は私の前に歩み寄ると、ゴツゴツとした手で、可愛らしいリボンの掛かった小箱を差し出した。
「王都へ遠征に行った部下に買ってこさせた。……貴様は、甘いものが好きだろう」
「わあ、王都で人気の焼き菓子ですね!ありがとうございます、レオンハルト様」
私が喜んで受け取ると、彼は「ふん」とそっぽを向いたが、その耳の先がほんのりと赤くなっているのを私は見逃さなかった。
最近の団長は、こうして何かと理由をつけては私に差し入れを持ってきてくれる。周囲の騎士たちが「団長が完全にシオリ先生に餌付けされている……」「いや、あれは囲い込もうとしている顔だ」とヒソヒソ囁いているが、あえて聞こえないふりをした。
そんな、穏やかで騒がしい日常がずっと続くと思っていた。
あの日、王宮からの使者がこの砦にやってくるまでは。
「久しいな、シオリ殿。いや、素晴らしい働きぶりだと聞いているぞ」
応接室でふんぞり返っていたのは、私を厄介払いしたあの神経質な宰相だった。
彼の背後には、武装した王宮近衛兵が数人控えている。
「本日はどのようなご用件でしょうか?」
「うむ。実は君に朗報があってな。明日から王宮へ戻り、我々直属の『特級聖女補佐』として働くよう、国王陛下からの直々の命令が出たのだ」
宰相は、さもありがたいことだろうと恩着せがましく笑った。
彼が語った内情は、呆れるほど身勝手なものだった。
私と一緒に召喚された本物の聖女(女子大生)の力は、確かに絶大だったらしい。どんな致命傷も瞬時に治してしまうため、王宮の騎士たちは「死なないから」と休む間もなく戦場へ駆り出されるようになった。
結果としてどうなったか。肉体は無事でも、絶え間ない死の恐怖と痛みに『精神』が耐えきれず、心を壊して廃人になる騎士が続出したのだ。
そこで王宮は、竜騎士団の士気を劇的に回復させたという私の【安らぎの箱庭】の噂を聞きつけ、私を王都に連れ戻して不眠不休のメンタルケア要員としてこき使おうと考えたらしい。
「あの聖女の治癒魔法と、お前の精神安定スキル。この二つが揃えば、我が国の軍隊は永遠に戦い続けることができる無敵の駒となる!さあ、喜べ。特別に給金も弾んでやろう」
宰相の言葉に、私は静かに冷たいお茶をテーブルに置いた。
(……ああ、やっぱり。あの王宮は、典型的な『ブラック企業』だ)
人を人間としてではなく、使い潰す歯車としてしか見ていない。
そんな場所に、私の大切なスキルを使うつもりは毛頭なかった。
「……お断りいたします」
「なんだと?」
「私は現在、竜騎士団専属の相談役です。これ以上、王宮の皆様のお役に立てることはございません。どうぞお引き取りください」
私がきっぱりと告げると、宰相の顔が怒りで朱に染まった。
「ふざけるな!魔力もない無能の分際で、王命に逆らう気か!おい、この女を引っ立てろ!」
宰相が近衛兵たちに顎でしゃくった、その瞬間だった。
――ドォォォォンッ!!!
応接室の重厚な扉が、蹴り破られるように吹き飛んだ。
「な、なんだ!?」
砂煙の中から現れたのは、抜刀した竜騎士たちを引き連れた、レオンハルト団長だった。
彼の全身からは、かつて私が出会った時よりも遥かに重く、鋭利な殺気が立ち上り、室内の空気が凍りついたように冷たくなる。
「レ、レオンハルト団長……っ!?貴様、王宮の使者に対してなんという態度だ!」
「王命だと?笑わせるな」
レオンハルト団長は、腰を抜かしそうになっている宰相を一瞥すると、私の前に庇うように立ち塞がった。
「かつてこのシオリを『不純物』、『無能』と蔑み、この最前線へ厄介払いしたのは貴様らだろう。……いや、偉そうなことは言えんな。俺自身も、赴任してきたばかりの彼女を『お荷物』だと見下していた愚か者の一人だったからな」
レオンハルト団長は自戒を込めるように目を伏せ、そして再び、射抜くような鋭い視線を宰相へと向けた。
「だが、俺たちは知った。彼女の淹れる一杯の茶が、彼女の紡ぐ言葉が、どれだけ我々のすり減った命を繋ぎ止めてくれたかを。……シオリは我々竜騎士団の誇りであり、かけがえのない大切な『家族』だ。王宮の都合で使い潰すための道具になど、絶対にさせん!」
その力強い宣言に、背後の竜騎士たちも一斉に剣の柄に手を掛けた。
「そうだ!俺たちだって最初はシオリ先生を馬鹿にしてた。だけど今は違う!」
「俺たちの恩人に指一本でも触れてみろ、王宮ごと焼き尽くすぞ!」
彼らから放たれる凄まじい怒気に、空の覇者である竜騎士団全員を敵に回す恐怖を悟った宰相と近衛兵たちは、完全に顔面を蒼白にしていた。
「シオリ。お前はどうしたい」
レオンハルト団長が、肩越しに私を振り返る。
その金色の瞳には、私を尊重する優しさと、「絶対に手放さない」という強い意志が込められていた。
私は迷うことなく、彼の隣に並び立った。
「私は、ここに残ります。レオンハルト様と、皆さんの淹れるお茶の好みを、ようやく全員分覚えきったところですから」
「……ふっ。そうか」
レオンハルト団長は獰猛な笑みを浮かべ、再び宰相を睨み据えた。
「聞いたな、宰相殿。彼女の意志は固い。これ以上我が団の専属相談役に手出しをするというなら……竜騎士団は総意をもって、王宮からの独立も辞さない構えだと上に伝えろ」
「ひぃっ……っ!お、覚えておれぇっ!!」
反逆の意志すらチラつかせた最強の騎士の脅しに、宰相たちは転がるようにして砦から逃げ出していった。
おそらく、王宮の騎士たちは今後もブラックな環境で疲弊し続けてしまうだろう。今は王宮や宰相の都合の良い手のひら返しに思わず断ってしまったが、流石に王宮の騎士の方達も可哀想ではあるので、今度出張という名目で手助けしよう。
「……あーあ。団長、あんなこと言っちゃってよかったんですか?」
「構わん。いざとなれば、お前一人くらい俺の飛竜に乗せて他国へ逃げてやる」
呆れる私の頭に、ゴツリと大きな手が乗せられた。
不器用だけれど、とても温かい手のひら。
「……残ってくれて、感謝する。シオリ」
「ふふ。私の方こそ、守ってくれてありがとうございました。でも流石に王宮の騎士の方たちの状況は放っておけないので、今度様子を見てこようと思っていますが……まあ、それはさておき、さあ、皆さんも!お茶の時間にしましょうか!」
「シオリは優しいな…」
「「「うおおおおっ!シオリ先生、一生ついていきます!!」」」
歓声を上げる騎士たちを見て、私は心から笑い声を上げた。
前世では、誰かに心から必要とされることなんてなかった。
でも、異世界に巻き込まれた先で見つけたこの不器用で温かい場所は、間違いなく私の「本当の居場所」だ。
「シオリ。今日のお茶は、少し甘めにしてくれ」
「はいはい、蜂蜜たっぷりですね。レオンハルト様」
最強で不器用な騎士たちの心を癒やす、私の甘くて忙しい日々は、これからもずっと続いていく。
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