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世界言語の簒奪者〜無能と追放された【解読士】は、奈落の底で神のソースコードを書き換える〜  作者: 時山 悟


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第8話 空を駆ける暴風

崩落した大厄災の迷宮を背に、アレスとミラは王都ガルディナへと続く荒野の街道を歩き始めた。

時刻は昼過ぎ。荒涼とした風が、ミラの銀色の髪を揺らす。


「おにいちゃん、王都までは大人の足でも三日はかかるよ……? 」

ミラが不安そうに見上げてくる。


アレスは立ち止まり、彼女の全身を改めて見下ろした。

先ほどのハッキングで傷や栄養失調は治したが、彼女が身に纏っているのは、泥と擦り切れでボロボロになった薄い麻布の服だけだ。靴すら履いておらず、小さな足は土に汚れている。


(こんな格好で歩かせられるわけがない)


「少しじっとしてろ」

アレスはミラの肩にそっと手を置き、彼女が着ている『服』と『靴』の物質コードにアクセスした。


【Equipment : Dirty_Hemp_Clothes(汚れた麻の服)】

【Equipment : None(裸足)】


アレスはその文字列を指でなぞり、文字を消しては新しいコードを次々と打ち込んでいく。


【Material : Silk_and_Mithril_Thread(絹とミスリルの魔糸)】

【Condition : Auto_Clean(自動洗浄)/Auto_Fit(自動サイズ調整)】

【Equipment : Leather_Shoes_of_Feather(羽毛の革靴)】


直後。

ミラの体を包んでいたボロボロの麻布が、淡い光と共にサラサラと形を変え始めた。

泥の汚れが光の粒子となって消え去り、最高級の絹のように滑らかで、かつ刃物すら通さない純白と群青色の美しいワンピースへと一瞬にして変貌する。

裸足だった小さな足には、どれだけ歩いても疲れない、柔らかく上質な革靴が編み上げられていた。


「えっ……? わぁっ……!」

ミラは自分の服をつまみ、信じられないものを見るように目を輝かせた。

「すごい、すごい! お姫様みたい……おにいちゃん、これ本当に魔法なの!?」


「まあ、そんなところだ。似合ってるぞ」

アレスが微笑むと、ミラは嬉しそうにくるくるとその場で回った。十二万回の死のループで凍りついていたアレスの心が、その無邪気な笑顔によってほんの少しだけ溶かされる。


ぐぅぅぅ……。

だが、感動も束の間。ミラの小さなお腹から、可愛らしい音が鳴った。

「あ、う……ごめんなさい……」

顔を真っ赤にして俯くミラ。栄養状態を【健康】に書き換えたとはいえ、物理的な「空腹感」までは消していなかったらしい。


「謝るな。俺も腹が減った」

アレスは周囲を見渡した。荒野の街道沿いに、魔力を帯びた赤い果実をつける『苦痛の果実』の木が生えているのが見えた。

本来は一口かじっただけで舌が麻痺し、腹痛でのたうち回る猛毒の果実だ。


アレスはその実を一つもぎ取ると、再びステータスコードを書き換える。

【Taste : Bitter(猛毒の苦味)】を【Sweet_and_Rich(極上の甘味)】へ。

【Effect : Poison(毒)】を【Full_Recovery(完全回復)】へ。


「ほら、食ってみろ。美味いぞ」

「えっ、でもそれ、毒があるって教会の人が……」

おずおずと受け取ったミラが、恐る恐る一口かじる。

途端に、彼女の瞳が真ん丸に見開かれた。

「あまっ……! すっごく甘い! ケーキみたい!」


ミラが幸せそうに果実を頬張るのを見つめながら、アレスは自身の『移動』について思考を巡らせた。

空間転移のコードを自分たちに適用して、一瞬で王都へ飛ぶことも可能だ。だが、王都の結界システムにエラーログを残して警戒されるのは避けたい。何より、ミラを突然の空間転移で驚かせたくはなかった。


『キシャアアアアアアッ!!』


その時、上空から鼓膜を(つんざ)くような鋭い咆哮が轟いた。

巨大な影が、太陽の光を遮って二人の頭上に舞い降りる。

獅子の巨体に、鷲の頭と巨大な翼。大厄災の迷宮周辺を縄張りとするBランク指定の凶悪な魔物、ストーム・グリフォンだ。


「ひぃっ……!」

ミラが果実を落としそうになり、アレスの背中にしがみつく。


『グルルルルッ……!』

グリフォンは二人の獲物を見下ろし、その鋭い嘴からよだれを垂らしながら、暴風を巻き起こして襲い掛かろうと身構えた。

だが、アレスは全く動じず、ただ虚空に浮かぶグリフォンのステータスコードに右手を伸ばした。


【Entity : Storm_Griffon_Lv45】

【Status : Hostile(敵対)/Target : Ares & Milla】


「ちょうどいい。馬車よりずっと速そうだ」


アレスは【Hostile(敵対)】の文字を指で弾き飛ばし、そこに新たなコードを上書きした。


【Status : Tamed(完全従属)/Master : Ares】


「——伏せろ」


アレスが静かに命じた瞬間。

襲い掛かろうとしていたグリフォンの巨体が、ビクンッ!と雷に打たれたように硬直した。

そして、猛禽類の凶暴な瞳からスッと殺意が消え失せ、まるで飼い主に叱られた子犬のように、アレスの足元にぺたりと腹をつけて平伏したのだ。

クゥーン、と喉を鳴らすその姿に、背中に隠れていたミラがぽかんと口を開ける。


「お、おにいちゃん……魔物を手懐けちゃったの……?」

「ああ。歩くより、こっちの方が早いだろう。乗れ」


アレスはグリフォンの背に飛び乗ると、手を差し伸べてミラを前に乗せた。

「落ちないように、俺の腕にしがみついていろ。……飛べ」


バサァッ!!

グリフォンが巨大な翼を広げ、一気に天空へと舞い上がる。

凄まじい加速。だが、アレスが風圧や空気抵抗のコードを【Null(無効)】に書き換えているため、背に乗る二人の髪はそよ風に吹かれる程度にしか揺れていない。


「わぁぁ……! 空を飛んでる! 雲がこんなに近い!」

ミラは最初こそ怖がっていたが、すぐに眼下に広がるミニチュアのような景色に目を奪われ、歓声を上げた。


グリフォンは荒野を抜け、豊かな森の上空を矢のような速度で進んでいく。

その背中で、アレスはミラに静かに尋ねた。


「ミラ。俺がいない間のこと、少し教えてくれないか。……セリアが孤児院に来たのか?」


その名前を出した瞬間、ミラの小さな肩がビクッと跳ねた。

「……うん。おにいちゃんが死んだって聞かされて、みんなで泣いてたの。そうしたら、綺麗な白い服を着たセリア様が、たくさんの騎士さんを連れてきて……」


ミラの声が、震え始める。


「セリア様、最初はすごく優しい顔をしてたの。『アレスの借金は教会が肩代わりするから、あなたたちは私たちが守ります』って。……でも、教会の建物に連れて行かれた後、誰もいない部屋で、セリア様は私を蹴ったの」

「……蹴った?」

「うん。『汚いガキ。アレスの残した金庫の暗証番号を教えなさい』って。知らないって言ったら、笑いながら隷属の印をつけられて……お前たちは今日から王都のゴミ拾いよって……」


アレスの腕の中で、ミラがギュッと目を閉じる。

怒りで、アレスの視界の端のシステムコードが一瞬、ノイズのように乱れた。

孤児院の運営資金として、自分が残していた金庫。それすらも奪い取り、何の価値もないと分かった途端に子供たちを奴隷として最前線に放り出したのか。あの女は。


「セリア様、帰り際に言ってたの。『あんな役立たずの貧乏人に懐いてるから、こんな目に遭うのよ。アレスは迷宮で泣き叫びながら死んだわ』って……」


「……そうか。よく教えてくれたな、ミラ」

アレスは震えるミラの頭を優しく撫でた。

彼の声は、どこまでも凪いでいた。だが、その瞳の奥には、十二万回の死のループで培われた、最も純粋で濃密な殺意の渦が巻いていた。


(レオン。セリア。……お前たちは、絶対にただでは殺さない)


彼らが積み上げた名声も、財産も、ちやほやしてくれる取り巻きも、すべてを目の前で【削除(Delete)】し、絶望のどん底に叩き落としてやる。


やがて、グリフォンが高度を下げ始めた。

「おにいちゃん、見て!」


ミラの指差す先。

豊かな平野の中心に、巨大な城壁に囲まれた白亜の都市が姿を現した。

王国最大の都市であり、偽りの英雄たちがふんぞり返る場所——王都ガルディナ。


アレスは王都から数キロ離れた森の中にグリフォンを降ろした。

「ここまででいい。お前はもう自由だ。森へ帰れ」

アレスが【Tamed】のコードを解除すると、グリフォンは深く頭を下げてから、大空へと飛び去っていった。


二人は森を抜け、王都の巨大な正門へと続く街道に出た。

門の周辺には、重武装の衛兵たちが立ち並び、入市する者たちの身分証を厳しくチェックしている。


「おにいちゃん……私、身分証なんて持ってないよ。教会の許可がないと、王都には入れない……」

ミラが不安そうにアレスの袖を引く。


「気にするな。そんなもの、三秒で作れる」


アレスは虚空に指を走らせた。

王都の『市民登録データベース』のシステムに外部から直接アクセスし、自分とミラの【Citizen_ID(市民ID)】を新規に書き込み、さらに【Authority_Level(権限レベル)】を『最上位の貴族と同等』に設定する。

エラーも警告も出ない。世界は今、アレスの手の中にあるのだから。


「堂々と歩けばいい。俺の隣から離れるなよ」


アレスはミラの小さな手を引き、衛兵たちが立ち塞がる王都ガルディナの正門へと、悠然と歩みを進めた。

復讐の幕が、いよいよ開かれようとしていた。

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