第10話 帰還
王都ガルディナの中心にそびえ立つ、白亜の王城。
その最上階にある大広間は、今宵、王国史上最大の熱狂と歓喜に包まれていた。
天井から吊るされた巨大な魔石のシャンデリアが、色とりどりのドレスや煌びやかな軍服を照らし出している。テーブルには最高級のワインと豪勢な料理が並び、王国の重鎮や貴族たちが、ただ一組の男女を取り囲んで熱烈な賛辞を送っていた。
「いやはや、レオン殿! 大厄災の迷宮の最深部に到達し、四天王を退けるとは! まさに建国神話の再来ですぞ!」
「セリア様の祈りの力あってこそですわ。お二人は王国の誇り、いや、世界の希望です!」
純白の礼装に身を包んだ勇者レオンと、女神のように微笑む聖女セリア。
彼らは貴族たちの媚びへつらうような称賛を浴びながら、謙遜するふりをして優雅にグラスを傾けていた。
「皆様、どうかお気になさらず。我々はただ、友の犠牲という悲しみを乗り越え、己の使命を果たしたに過ぎません」
レオンが悲痛な顔を作ってそう語ると、広間はまたしても「おお……なんという……」「真の英雄だ…」と感嘆の溜息に包まれる。
セリアもまた、ドレスの裾を摘みながら伏し目がちに涙を拭うような仕草を見せ、周囲の同情と感心を一身に集めていた。
(ちょろい。本当に、馬鹿な連中だ)
レオンは心中で下劣な笑いを噛み殺していた。
自分たちは四天王から逃げ帰ってきただけだ。死んだアレスのことなど、迷宮を出た瞬間に綺麗さっぱり忘れていた。
だが、結果として彼らは今、この国の頂点に立っている。国王すらも彼らに頭が上がらない状態だ。
やがて、広間の奥の玉座から国王が立ち上がり、よく通る声で宣言した。
「皆の者、静まれ! 今宵の祝賀会の目玉はこれからである! 勇者レオンよ、迷宮の最深部より持ち帰ったという『神話級』の至宝、ここに披露するがよい!」
おおおっ!と、広間が地鳴りのような歓声に揺れた。
レオンは恭しく一礼すると、広間の中央に用意された大理石の台座へと歩み寄った。そこには、豪奢なベルベットの布が掛けられた巨大な箱が鎮座している。
レオンが布を勢いよく引き払うと、その全貌が露わになった。
漆黒の未知の金属で打たれた、重厚で禍々しくも美しい宝箱。表面には複雑な古代のルーン文字が刻まれ、ただそこに存在しているだけで、周囲の空気がビリビリと震えるほどの莫大な魔力を放っていた。
「これぞ、我が友アレスの命と引き換えに開かれた扉の先で、我々が四天王から奪い取った神話級の宝箱です!」
レオンが両手を広げて高らかに宣言すると、貴族たちは熱狂した。
神話級の宝箱。中には国を丸ごと買えるほどの財宝か、あるいは神々の武器が眠っているとされている。
「さあ、勇者殿! どうかその手で開けてくだされ!」
「我々に、神話の輝きを拝ませてほしい!」
周囲からの期待と熱狂の眼差し。
レオンは優越感に浸りながら、宝箱の正面に立ち、その重厚な蓋に両手をかけた。
(さて、どんな強力な武器が入っているか……俺の伝説はここからが本番だ!)
レオンは口角を吊り上げ、蓋を持ち上げようと力を込めた。
——しかし。
「……ん?」
蓋は、まるで台座の岩と完全に一体化しているかのように、微動だにしなかった。
レオンは眉をひそめ、さらに腕の筋肉を隆起させて全体重をかける。
だが、やはり数ミリたりとも動かない。鍵穴すらないその箱は、彼がどれだけ力を込めても、物理的に完全に固定されていた。
「レ、レオン様? どうなさいましたの?」
背後からセリアが不思議そうに声をかける。
周囲の貴族たちも、開かない宝箱を前に顔を赤くしてプルプルと震えている勇者の姿に、ざわざわとどよめき始めた。
「くそっ、ただの封印だ! 俺の力でこじ開けてやる!」
焦ったレオンは、勇者の証である闘気を全身から噴出させ、宝箱の蓋に強引に魔力を流し込んだ。
その瞬間だった。
『————ビィィィィィィィィンッ!!!!』
宝箱の表面に刻まれていた古代ルーン文字が、突如として不吉な「真っ赤な光」を放ち始めたのだ。
同時に、広間全体の空気が一瞬にして凍りつくような、圧倒的な殺気が空間を支配した。
【WARNING:Unauthorized Access(警告:不正アクセス)】
【Authentication : FAILED(認証失敗)】
本来であれば目に見えないそのシステムコードが、赤い魔力の奔流となって宝箱から溢れ出した。
「な、なんだこれは!?」
「熱い! 箱が燃えているぞ!」
レオンが悲鳴を上げて手を離す。彼の両手は、宝箱から発せられた防犯システムの熱によって酷く火傷を負っていた。
だが、異常はそれだけでは終わらなかった。
ズズズズズ……ッ!
宝箱を中心に、床の大理石がひび割れ、赤い魔力の渦が竜巻のように膨れ上がり始めたのだ。
城全体が地震のように揺れ、シャンデリアのガラスが次々と砕け散る。
【Deploy : Self_Destruct_Sequence(自爆シークエンス起動)】
【Radius : 3000m(半径3000メートルを消去します)】
「ひぃぃぃっ! ば、爆発するぞォォォッ!」
「逃げろ! 誰か、誰か結界を張れッ!」
貴族たちがパニックに陥り、我先にと出口へ向かって殺到する。
国王すらも玉座から転げ落ち、近衛騎士に守られながら悲鳴を上げていた。
「レオン様! 早くなんとかして! このままじゃ王城が吹き飛ぶわ!」
セリアが顔面を蒼白にしてレオンの腕にすがりつく。
だが、レオンは尻餅をついたまま、後ずさりすることしかできなかった。四天王から逃げ出した時と同じ、無様な恐怖の顔。神話級のトラップの前に、彼らは全くの無力だった。
赤い光が臨界点に達し、全てが吹き飛ぶ——誰もが死を覚悟し、目を閉じた、まさにその時。
ドゴォォォォォォォンッ!!!!!
爆発音ではない。
大広間の入り口にある、厚さ数十センチの重厚な樫の木の扉が、外側からの凄まじい衝撃によって「粉々」に吹き飛ばされた音だった。
砕け散る木片と、もうもうと舞い上がる土煙。
悲鳴を上げて逃げ惑っていた貴族たちの動きが、その異常な乱入者の登場によってピタリと止まった。
「——他人の所有物を、勝手に開けようとするな。泥棒」
土煙の中から現れたのは、一人の青年だった。
血と泥と魔物の体液にまみれた、ボロボロの服。だが、その瞳は氷のように冷たく、圧倒的なまでの強者の余裕を纏っていた。
その後ろには、純白のドレスに身を包んだ銀髪の少女が、青年の服の裾をしっかりと握って隠れている。
「……は?」
レオンの喉から、間の抜けた声が漏れた。
セリアも、国王も、その場にいた全員が、突然現れたその青年の顔を見て完全に硬直した。
半年前に、奈落の底へ落ちて死んだはずの男。
役立たずの荷物持ち、【解読士】のアレス。
「あ……アレス、なのか……? ば、馬鹿な、お前はあの時確実に——」
レオンが幽霊でも見るように後ずさる。
だが、アレスは彼を一瞥すらしない。
彼は、今まさに臨界点に達し、王城を吹き飛ばそうと真っ赤に膨れ上がっている宝箱の爆発エネルギーの中心に向かって、真っ直ぐに歩みを進めた。
「ひっ、死ぬ気か!? 近づくな!」
誰かが叫んだが、アレスの歩みは止まらない。
彼は荒れ狂う赤い魔力の渦の真正面に立つと、ゆっくりと右手を持ち上げた。
彼にだけ見えている、爆発を司る赤いシステムコード。
【Action : Self_Destruct(自爆)】
【Timer : 0.03 seconds(残り0.03秒)】
アレスはその【Self_Destruct】の文字列を、まるで空中に浮かぶ虫を払うかのように、無造作に指先で弾き飛ばした。
そして、たった一言だけ、新たなコードを上書きする。
【Action : Sleep(休眠)】
——スゥッ。
その瞬間。
大広間を吹き飛ばそうとしていた強大な赤い魔力の渦が、嘘のように一瞬で消え去った。
暴風も、熱気も、地響きも。全てが幻だったかのように静まり返り、後には静かに鎮座する漆黒の宝箱だけが残された。
絶対的な静寂。
アレスが何をしたのか、誰一人として理解できなかった。ただ、絶望的な爆発の危機が、泥まみれの青年の「指鳴らし一つ」で完全に消滅したという事実だけがそこにあった。
「さて」
アレスはゆっくりと振り返り、尻餅をついたまま呆然としているレオンとセリアを見下ろした。
その瞳は、ゴミを見るよりも冷酷だった。
「お前ら、さっき『アレスの命と引き換えに奪い取った』とか抜かしてたな」
「あ、アレス……お前、生きて……いや、そんなはずは……」
レオンの歯の根が合わず、ガチガチと鳴っている。
「安心しろ。死んださ。十二万回くらいな」
アレスは宝箱の側面に手を置いた。
「お前らが俺を突き落として開けた扉。その先で生成されたこの宝箱の【所有権】は、迷宮のシステム上、生贄となった俺の魂に完全にロックされている。……お前らみたいな、魔王軍の幹部から逃げ出しただけの無能な泥棒が開けられるわけがないだろうが」
「なっ……!?」
「ひっ……!」
広間の空気が凍りついた。
逃げ出した? 無能な泥棒?
英雄として崇められていたレオンとセリアの最大の秘密が、白日の下に晒されたのだ。貴族たちがざわめき始め、国王の顔色が変わる。
「ち、違う! 嘘だ、そいつは狂っている! そいつが生きているはずがない、悪魔の変装だッ!」
レオンが顔を真っ赤にして叫び、腰の聖剣を抜こうとした。
だが、アレスは宝箱の蓋にポンと手を乗せ、虚空のコードにアクセスした。
【Authentication_Lock : Ares_001】
【Input : Owner_Access(所有者アクセス)】
『——カチャリ』
レオンの全力のオーラでも、微動だにしなかった神話級の宝箱。
それが、アレスが軽く触れただけで、まるで主人の帰りを待っていた忠犬のように、極めて滑らかに、そして厳かにその蓋を開いた。
中から溢れ出したのは、先ほどの赤い光とは対極の、息を呑むほどに美しく神聖な、黄金の輝き。
広間にいた全員が、その圧倒的な光に言葉を失い、ただ見つめることしかできなかった。
アレスは宝箱の中から、圧倒的な魔力を放つ一つの腕輪を取り出し、それを無造作に自分の腕にはめた。
「……さて。勝手に俺の孤児院から金を抜き取って、子ども達を奴隷にしていた件について」
アレスはゆっくりと、怯えきったレオンとセリアに向かって歩みを進める。
王城の広間に、最強のハッカーによる、圧倒的な蹂躙の足音が響き渡った。
「たっぷり利子をつけて、精算させてもらおうか」
恐らくあとちょっとで終わります




