7覚醒
巨大な虎の化け物は容赦なく雷撃を放ち続ける。そんな中、少女はただ一人、化け物へと立ち向かって行った。ヒカルが少女を呼び止めると、少女は振り返ってヒカルに言った。
「今は見逃してやる! なるべくあれから離れろ!」
「りょっす!」
自分の身を呈して守ってくれようとした少女に対し、ヒカルは元気よく返事をするとポケットからスマホを取り出し、録画を開始した。
「何をしている!?」
「動画撮ってます!」
「なんて!?」
繰り返すが、さっきからヒカルは足がすくんで動けない。だったら動画を撮るしかないではないか。少女は理解できないといった表情でヒカルを見た後、気を取り直すように虎の方へと向き直った。
「よりによって雷の魔物か……」
少女は声に戸惑いを滲ませそう呟くと、自分に向かって威嚇する虎に狙いを定めた。人差し指を虎へ向け、精神を集中させる。少しずつ、少女の周りを電気が帯びていく。
「雷よ」
少女の声とともに、輝く幾何学模様が展開される。模様はアルフレッドの時とは違い、羽ではなく宝石で構成されていた。幾何学模様は強い電流を帯び、バチバチと派手な音をさせながら少女の周りを取り囲む。見るからにとてつもないエネルギーだ。
「彼の者を貫け!!」
直後、天の怒りのような雷撃が虎に叩き込まれ、割れんばかりの雷鳴が轟いた。耳がキーンとしている。スマホは無事だろうか?
「死にたくなかったら早く逃げろ!!」
「で……、でも」
ヒカルはちらりと虎の方に目をやった。あれほどの雷撃を浴びせかけられたというのに、虎はなぜかピンピンしていた。それどころか牙をむき出しにし、こちらに殺意のこもった目を向けている。今にも頭から食いつかれそうだ。
「いや、こっっっっわ」
率直な感想である。
ヒカルはゆっくり右足を一歩踏み出してみた。動く。これなら何とか逃げられそうだ。しかし。
(一人で置いてったらあの子死んじゃうんじゃ……)
少女は懸命に雷撃を放ち続けている。自分と同い年くらいの子が一人で戦っているのに、置き去りにするのはどうにも気が引けた。
(助けないと。でもどうやって?)
さっきまであれ程うろうろしていた軍服姿の大人たちは、一向に助けに来る気配がない。大きな音での威嚇も効きそうにない。クマ撃退スプレーも持っていない。そもそも相手は虎の化け物だ、落ち着け。
「魔法を使えばいい」
ふとヒカルの脳裏にアルフレッドの言葉がリフレインした。
(魔法、俺にも使えたら……)
そう思った瞬間、自分の手元がキラリと光るのをヒカルはその目ではっきりと見た。今度は普通の光ではなく、模様のようなものまでくっきりと見えた。
(やっぱり気のせいじゃない……)
ヒカルはそう確信しスマホをポケットに仕舞うと、右手にぐっと力を込めた。
「風……じゃない気がする。雷よ……?」
人差し指を見つめながら唱えてみたが、何も起こらない。光ったということは風ではなく、少女と同じ雷のパワーではないかと推測したが、違ったようだ。他に光るもの……、自分の名前。
「光よ」
大当たり!と思わせる、とびきりきらびやかな円陣がヒカルの足元に出現した。星々の光に彩られた魔法の幾何学模様だ。
「当たり!?」
ヒカルは己の両手を見つめ歓喜の声を上げた。魔法の輝きは包みこまれるような、なんとも温かな光だった。心の底から勇気が湧いてきて、今ならなんでもできそうな気さえする。強気の表情で唇を一舐めするヒカル。
「よーし、じゃあ……」
ヒカルは虎を指さし、思いを込めて力一杯呪文を唱えた。
「光よ!あのでかいの、やっつけろ!!」
辺り一面を閃光が覆った。どこからともなく現れた無数の輝く剣が虎へ目掛けて一斉に突き刺さる。虎は苦しむ間もなく光の粒子となり、キラキラと魚の鱗が剥がれ落ちるかのように崩壊していった。
光の粒子は、雪のように柔らかく街中に降り注ぐ。命からがら逃げおおせた街の人々は、驚きとも安堵ともつかない表情で、空から落ちてくるかつて化け物だった光の粒子を見守っていた。
「光魔法……?」
少女もまた街の人々と同じように空を見上げながら、小さく呟いた。軍帽のつばを手で押し上げ、特異な現象でも発見したかのように、じっとヒカルの魔法を見つめている。
「俺がやったの?」
ヒカルもまた信じられない気持ちで光の降り注ぐ空を見つめていた。まさに奇跡を体験した瞬間だった。頬が上気し、心臓がドキドキと高鳴っている。
「おいあんた! 光魔法が使えたのか?」
「ちょっとよく分かんないです!」
「なんで分からないんだ!」
少女の問いかけにヒカルは正直に答えた。なんでと聞かれても、分からないものは分からない。
「だって魔法と……か……」
この世にある訳がないと言おうとして、猛烈な目眩に襲われた。目が回り、とても立っていられない。ダメだ、と思った瞬間、バタン!と派手な音を立ててヒカルはそのまま地面に倒れ込んでしまった。人生初の貧血だった。
「おい大丈夫か? しっかりしろ!」
心配する少女の呼びかけがだんだん遠くなっていき、目の前が真っ暗になった。ヒカルの意識はここで途絶えた。
――
次に意識を取り戻した時、ヒカルは馬車に乗っていた。道路事情があまりよろしくないのか、ガタゴトと不快な揺れが体に響く。もたれかかっていた誰かの肩から体を起こすと、その肩の持ち主がヒカルに声をかけてきた。
「起きたか」
声の方に目を向けた瞬間、グレーのひげを蓄えた中年男性の顔面ドアップがヒカルの目に飛び込んできた。さっきヒカルを留置場送りにしたあの兵士だ。
「出たーーーー!!」
空飛ぶ虎を見た時よりもでかい声が出た。
「あの時のおじ!!」
「誰がおじだ!」
ヒカルの失礼な物言いに憤慨する兵士であったが、ヒカルにだって恨みがあるのだ。無実の罪で捕まえられて、愛想良くなどしていられるものか。しかしこの男がいるということは……と、ヒカルに嫌な予感が走る。
「待って……。てことは俺また牢屋行き?」
本当に今日はとんでもない厄日だ。奮闘虚しく、結局あの牢屋に戻されるのだ。ヒカルは己の不運に頭を抱えた。
「いや。我々は今、モノリス城に向かっている」
絶望に打ちひしがれるヒカルへ、少女による訂正が入った。
「お姉さん」
馬車には髭の兵士だけでなく、先ほどの少女も乗っていた。自分を助けてくれようとした恩人の顔を見て、ヒカルは少しホッとした表情を浮かべた。
「貴様、光の魔法で魔物を倒したそうだな」
「だ……だったらなんですか?」
髭の兵士にそう質問され、ヒカルは警戒しつつも肯定した。
「貴様は伝説の勇者の可能性がある!!」
「なんて??」
髭の兵士はカッと目を見開き、真っ直ぐヒカルを見据えながら意味不明の宣告をした。
異世界、魔法、化け物……おまけに伝説の勇者?いい加減にしてほしかった。
「そういうのいいんで! 俺ゲームとかアニメとか分かんないんで!」
そう言い捨てて馬車の窓を開けると、ヒカルは窓枠に手をかけ身を乗り出した。
「降ります!」
「危ない!」
少女はヒカルの服を掴んで引き留めた。しかしヒカルの意思は固い。こんな所にいつまでもいられるか。「やめろ」という少女の制止も聞かず、ヒカルはなんとか窓から降りようと身を乗り出し続ける。馬車はそんなヒカルのことなどお構い無しに目的地へと快調に進んでいく。
「降りまーす!!」
ヒカルの宣言は聞き入れられることなく虚空へ消えた。
行き先は八王子駅ではなくモノリス城だ。
帰れなかったというお話でした。最後までご覧いただきありがとうございました。