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1-1迷子

 終わった。

 さっきから知らない道をぐるぐる回ってしまっており、全く病院にたどり着ける気がしない。

 

 兄が子供をかばってトラックに跳ねられたと聞いた時、ヒカルは肝を冷やしたが、幸い脳や神経に異常はなく骨折だけで済んだらしい。

 今日はパートの母親の代わりにヒカルが兄のお見舞いに行くことになっていた。入院に必要なものを鞄に詰め、兄の好きなドーナツも色々買ってきてやった。きっと喜びにむせび泣くに違いない。病院にたどり着ければの話だが。 

 ヒカルは昔からよく迷子になる子供だった。

 高校生になってからもそれは変わらず、遊びの待ち合わせ場所にたどり着けないヒカルの元に、「お前はもうそこを動くな」と友達が迎えに来てくれることも度々あった。

 

 今もスマホの地図アプリは明確に目的地を示しているが、いくら睨みつけても自分がどこにいるのか分からない。

 

「やべー、完全に迷ったわ」


 さっきまで春らしく淡い水色の空が広がっていたはずだが、そこら中から突き出た煙突が吐く黒煙のせいか、いつの間にか空はどんよりと灰色に覆われていた。

 

 ここは一体どこなんだ。

 地図のとおりに進んだつもりだったが、いつの間にかヒカルは見たこともない古めかしいレンガの建物に囲まれていた。その建物の屋根には無数の煙突が備え付けられている。まるで教科書で見た産業革命時代の工業地帯のようだった。

 こんな環境に悪そうな工場、八王子にあっただろうか?煙は悪臭を放っており、マスクをしていてもなお息苦しい。完全に条例違反である。

 見たことが無いのは建物だけではない。行きかう人々の格好にも違和感があった。誰も彼もが白黒映画の世界から飛び出してきたような姿をしていたのだ。ハンチング帽と作業着姿の男性に、ボンネットを被ったエプロンドレス姿の老婆、おまけにチャップリンのような格好の人が馬車に乗っていた。

 

「てかマジここどこ!? 馬車とか初めて見たんだけど!」

 

 ヒカルは地図アプリをカメラに切り替えると、自分が今迷子であることも忘れ、ウキウキと馬車にスマホを向けた。

 

「撮っちゃおー」


 馬に良くないだろうから、フラッシュは焚かずにシャッターを切る。「カシャッ」と音がすると同時に、通りを歩く人たちも馬もギョッとした顔でヒカルの方を振り向いた。

 

「おい!! そこのお前!!」

 

 怒鳴り声に驚いてヒカルが振り返ると、昔の軍人のような格好をした男性が二人並んで近づいてきた。


「見ない格好だな。何をしている」


 こちらの台詞である。

 グレーの髭をたくわえたシニアな兵士が厳しい口調で尋ねてきた。もう一人の若くて背の高い方の兵士は何も言わず、ただヒカルを睨みつけている。


「あ、すみません。写真ダメでしたか?」


 怒られているのを察し、バツが悪そうに頭に手をやり謝るヒカル。髭の兵士はさらに一歩近付き、険しい顔で尚も尋ねる。


「どこへ行く気だ?」

「え……いや、兄のお見舞いに。骨折で」

「名前は?」

世渡光(せとひかる)です」

「家は?」


 人生初の職質だった。


「八王子ですけど……」

「ハチョージィ?」


 聞いたこともないとでも言うような様子で、二人の兵士は口を揃えた。そんなことがあるだろうか?ここは八王子である。つまりヒカルは地元で盛大に迷子になっていた訳だが……。


「怪しいやつめ! まずその覆面を取れ!」

「ちょっ……は!?」


 髭の兵士は引ったくるようにしてヒカルからマスクを剥ぎ取った。ヒカルの驚いた顔があらわになる。


「いやいや勘弁してくださいよ。マスク取りたくないんすけど」

「なぜだ」


 さっきから続く距離感の無さにヒカルはうんざりしていた。そこまで悪いことを自分はしただろうか? 煙突から吐き出され続ける黒煙が息苦しい。


「なぜって……。俺これから病院だし」

コロナもあるしと小声で付け足す。


「コロナ? そんなものはない!!」


 髭の兵士は力強く言い切った。


 あー……。まずは笑顔を作っておく。さあどう答えるべきか。ここは慎重にいこう。

 まれに他者と著しく見解が食い違うことがある。こういう時ヒカルはいつもやんわりと自分の意見を伝えてみるとこにしていた。話し合って互いの立場を擦り合わせることができたなら、それに越したことはない。しかし、それがいかに難しいかということも経験上知っていた。では目の前の男性はどうだろうか?


「そっすね! じゃっ俺はこれで!」


 ヒカルは話し合いを放棄した。このまま話し続けてもきっとろくなことにならない。ヒカルの勘がそう告げていた。

 笑顔をへばりつけたまま、くるりと踵を返す。さっさとこの場を離れよう。


「待て!」

「もー、なんすか」


 呼び止められてしまった。これは面倒なことになった。まだ何かあるというのか。

 二人の兵士はヒカルを挟み込むように並び立つ。すると背の高い方の兵士が、なぜかドーナツの箱をヒカルからひょいと取り上げた。それと同時に髭の兵士がヒカルの腕を掴む。

 

 ガチャッ。


 冷たい金属音と、腕にずしりとした嫌な重みが伝わってきた。ヒカルは手錠をかけられていた。


「貴様を連行する」

「え!?」


 視線の先には、さっきとは別の馬車が停まっていた。さっきのより大きく、窓の中が見えないようになっている。まるで警察の護送車のようだった。


「さあ早く乗れ!!」


 全く意味が分からない。あまりに突然の事にヒカルは完全に混乱していた。背中を押すように馬車に誘導されているが、もしかしてこれは誘拐ではなかろうか?


「ちょっ、ムリムリムリムリ!! 何これ何これ!?」


 連れ去られそうになりパニックを起こすヒカルを、街の人々は遠巻きに見ていた。

 気の毒そうな表情を浮かべる身なりの良い若い女性たち。この場を離れるよう幼い我が子を促す母親。一人の男性が助けに入ろうと手を伸ばすが、横にいた男性に止められた。ここにいる誰一人、国家権力には逆らえないようだった。


 ヒカルは暗い車内に無理やり押し込められた。二人の兵士も共に乗り込むと、護送車の重い鉄の扉が厳重に閉じられた。

 犯罪に加担させられたり、臓器を売られたりするのだろうか?家族は身代金を払ってくれるだろうか?薄暗い車内で、不安や恐怖をかきたてるような想像ばかりが、ヒカルの頭を巡っていた。

 

 終わった。


 御者がわずかに手綱をしならせたのを合図に、護送車はガタゴトと車体を揺らしながらゆっくりと前進した。

 どこに向かっているかは分からない。ここがどこかも分からない。

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