第1章 青い髑髏
雨上がりのアスファルトには、ぼんやりとした街灯の光がにじんでいた。
夜のシカゴはいつも通り不機嫌で、警察車両の赤と青のランプが静かに廃ビルの前を照らしていた。立入禁止の黄色いテープが風に揺れ、巡査たちは口数少なく、建物の中を見つめている。
「マクレガン刑事……これは、少し変です」
若い巡査が声をひそめて言った。彼はまだ二十代だろう。眼鏡の奥の目が怯えていた。
マクレガンは答えず、濡れたコートの裾を払って警察線をまたいだ。何もかもが重かった。体も、呼吸も、思考も。いや、人生そのものが、もうずっと重荷だった。
かつては違った。
ユーモアのある明るい男だったと、誰もが言う。笑いながら犯人を追い、同僚たちとも冗談を飛ばし合い、家に帰れば愛する妻と娘が笑顔で迎えてくれた。
だが、今は違う。
あの夜、釈放されたばかりの“あの男”が家に侵入し、妻と娘を無惨に殺した。マクレガンが捜査していた事件の加害者。証拠不十分で解放されたその男は、マクレガンに復讐したのだ。
すべて、自分のせいだった。
あれから──彼は、笑わなくなった。
老朽化した雑居ビルの階段を踏みしめるたび、足元が軋んだ。コンクリートの壁には黒ずんだカビとヒビが走り、空気には湿気と……それに混じって、血と死の匂いが漂っていた。
3階。開け放たれた金属扉の向こう。
マクレガンは一歩足を踏み入れた瞬間、息を飲んだ。
部屋の中には、整然と並べられた二十数人の死体。
円形に座り込んだ姿勢のまま、誰一人倒れておらず、崩れてもいない。まるで──儀式の途中で、時間が止まったようだった。
「死因は全員一致、致死量の薬物摂取による中毒死。現場に注射器も残されていました」
鑑識の男が淡々と告げたが、マクレガンは耳を貸さなかった。彼の視線は、部屋の中央にある“椅子”に釘付けだった。
そこには、一体の髑髏が置かれていた。
それはただの骨ではなかった。
深く、澄んだ、青。
暗闇の中でもほのかに輝きを放ち、まるで自らを主張するかのように、そこに「在った」。
視線が吸い寄せられる。
体が自然と歩き出す。
気づけば、彼はその椅子の前に立っていた。
「マクレガン刑事! 触らない方が……!」
誰かの制止の声。だが、遅かった。
彼の指先は、青い髑髏に触れてしまっていた。
──瞬間、世界が、止まった。
鼓膜の奥で何かがささやいた。
(……ようやく見つけた……)
静かな、低い、どこか喜びを含んだ声だった。耳で聞いたのではなく、脳に直接語りかけてくるような──それは明らかに、“人間”のものではなかった。
マクレガンは手を引き、肩で息をしながら一歩下がった。冷や汗が首筋を伝う。
周囲の音が、色が、戻ってきた。鑑識の男がまだ何か話していたが、言葉の意味が入ってこない。
髑髏はそこにあった。ただ、じっと黙って。
──しかし、マクレガンにはわかっていた。
それは、生きている。
目はないはずなのに、見られている気がする。触れた瞬間、彼の奥底にあるもの──
「死にたい」という気持ちを、見透かされたようだった。
彼は何も言わずにその場を離れた。外に出ると、空はすでに雨になっていた。冷たい雨粒が顔を打つ。
それでも、彼はしばらくの間、動けずにいた。
どこか遠くで、パトカーのサイレンが鳴っていた。