2章 世界最強女軍人はかつての師と死んでから再会をはたす
――朦朧とした意識の中で真っ暗闇の空間が広がっていた。臭覚から、風や湿度の感覚すらなく、舌を濡らす唾液の味すらない。そこは視覚から感覚すら感じない完全な無の世界だった。
そうか……私は死んだのかと、マキナは思い返して感じた。同時にマキナは思った。やはり死んだ後の世界は天国も地獄も無く、魂の拠り所もなく、無の世界をさまよい続けるのだと。
そのマキナの思考を打ち消すかのように何処からか懐かしい聞き覚えのある自分を呼ぶ声が聞こえてくる。
『……マキナ……マキナ……マキナ……』
それは大人の男性の声で、マキナが子供の頃から慕う者のように思えた。
(……誰だ? お前は死んだはずではなかったのか? 22年も行方をくらましていたというのに……)
『……マキナ……マキナ……マキナ!』
触覚が急に蘇ったかのように肩に暖かさと力強い指の感触が感じられ、マキナは思わずベッドから飛び起きていた。
「……貴様!」
マキナは思わず何者かの肩を掴む手の関節をきめようとしたが、読まれたかのようにすぐに解かれてしまう。
「やめろ! マキナ! お、俺だ! ヨルムだ! 油断した……てっきり魂まで死んだものかと心配したら、これだ」
ファイティングポーズのマキナにバンダナを巻いた不精髭の中年は降参といった風に両手を上げた。
やはり声の通りの容姿だが、ガーター騎士団風のマントと胸の勲章が彼に似合わなかった。
「お前……本当にヨルムか? 確かに顔や声はヨルムだが……その似合わないコスプレじみた格好といい、鬼教官と言われた殺伐とした雰囲気が無い。まるで平和ボケした中年オヤジじゃないか!」
頭を掻くヨルムにマキナは偽物か本物かを見極めるためか、真っ直ぐに視線を向け続ける。鋭い眼光、蛇のような独特な金茶の瞳は間違えないように思えたが……
「しばらく見ないうちにお前はさらに口が悪くなったな。警戒するのも分かるが、その前に服を着たらどうだ? 目のやり場に困る」
ヨルムと思われる者に言われて、真っ裸になっている事に気付き、慌てて胸を両手で隠し、股間を隠す為に冷たい石床に片膝を突いた。
「き、貴様!? 私に手当する口実に服を脱がせたのか!?」
「勘違いするな。ここはエデンと呼ばれる精神世界だ。貴様の普段の寝姿が服装に影響しているのだろう。まさか普段、裸で寝ているとは思わなかったが……」
ヨルムは少し頬を染めて、マントをマキナに向けて投げると、後ろを向いて葉巻を吸い始めた。
ヨルムのマントの下は軍服風の詰襟にショルダーハーネスにホルスターには拳銃がちらりと見えた。心なしか、後ろを向いても隙を見せず、何かあれば背面射撃でもしてきそうな雰囲気があった。
やはりこの男は伝説の最強軍人、ヨルム・ガンドなのだ。元アメリカ陸軍特殊部隊グリーンベレーに所属。テロ対策に貢献し、階級は少佐まで上り詰め、アフリカの紛争地域でPKO(国連平和維持活動組織)にも派遣されていた。マキナが幼少の頃、自衛隊の母、七支と在日米軍の父のカリバーと共に同じPKO(国連平和維持活動組織)としてアフリカに派遣されていた時には、この男がサバイバルやら護身術、射撃訓練の講師であった。
――ちなみに紛争地帯の幼少の私がアフリカに居たかはまあ、察しの通りに七支とカリバーが出会い、現地で結婚したからであるが。そしてこのヨルムが七支とカリバーの仲人になったとも言われている。つまりこの男がいなければ私は生まれなかったという事にもなる。
「き、貴様こそ勘違いするな! 普段はナイトウェアだが、夏場は暑いから裸で寝ている時がある……待て!? ここが精神世界だと!?」
マキナはヨルムが投げたマントを羽織り、周囲を見回した。
広い部屋と思われた場所はまるで古代の神殿を思わせるような石造り、電気照明は無く、石壁にアンティークのようなカンテラが幾つか取り付けられ、怪しい光を放って灯っているだけだ。後は窓の無い吹きぬけの窓から光が差し込んでいる。その他には棚に飾られているのは壺や油絵、本棚には見た事のない文字が書かれた背表紙の本が並んでいる。
「お前の想像通りの世界。ここは死後の世界だ。試しにお前の身に着けたいものを想像してみろ、望んだ衣服になるはずだ」
「……なるほど」
マキナがマントをヨルムに投げ返し、衣服を想像すると、まるでアニメの変身シーンのようにバスローブが光と共に装着されていた。
「なぜバスローブなんだ?」
振り向いたヨルムが思わず咥えていた葉巻を落とし、呆れ顔になる。
「裸の次に想像してしまったのはこれだからな。構わんだろ? それよりも……ここは何処だ?」
マキナは思わず窓を覗き込んだ。吹きぬけの窓から見えるのは雲一つない青空と太陽、下は地面の代わりに雲海が広がっていて、上空は見えても周囲や地面は濃い霧のように厚い雲に覆われて見えない。まるで雲の上にいるかのような不思議な景色であった。
「文字通りの雲の上だ。エデン(精神世界)と呼ばれる特殊な世界で、死後の人間の魂……つまりは精神のみが行き付く世界らしい。正確には雲の上というよりも、地球の大気圏の中間に存在する世界だ」
「なんだ……ここはまだ地球か? アニメやら漫画、小説の展開だったら、勇者や魔法使いに転生して他の世界を救ってくれだの、魔王を倒せとか、異世界のスローライフを堪能しろだの言われるのかと思ったが。ふふ、さすがにそんな展開は無いか?」
マキナは微笑んで言うと、ヨルムの顔はなぜか青ざめた。
「実はお前に頼み事がある。その……私の知り合いの神様がお前の力を見込んで、依頼したいミッションがある」
「話だけなら聞くが……私では力になれないと思うがね」
マキナは溜息をつき、呆れ顔になると、ヨルムは申し訳なさそうに扉を指し示した。
「こっちだ」
石造りの廊下もやはり古代遺跡の神殿のようであった。横が吹きぬけの陸橋のような廊下は風に流れる薄い雲が通り過ぎていた。長い廊下は古いわけでも粗末な物でもなく、手すりや石柱には細かい細工が施され、まるで廊下の全てが美術品のようであった。
「ここだ。ここにあの方がいる」
辿り着いたのはまるで金庫のような分厚い石扉、その石扉には金の装飾に二頭の獅子が描かれていた。
「あの方だと? お前らしからぬ口調だな。上官も変わると、性格まで変わるのか?」
ヨルムが無言で分厚い石扉に触れると、重そうな扉が機械仕掛けの扉のように石を引きずるような音と共に簡単に開かれた。
開かれた石扉の先は天井から壁までガラス張りと石柱で周囲が囲まれた温室のような部屋だった。見たことのない国々の花と木々が覆い茂る空間、そうそれはまるで植物園であった。
石畳を歩いていくと、石造りで造られたドーム状の屋根の建物があった。ドームの建物は周囲が吹き抜けで、凝ったデザインの石柱、中央には長テーブルと椅子、ソファ、本棚、絵画、壺、食器が飾られた棚まであった。
そこのソファに座るのは紅茶を飲みながら片手で分厚い本を読む中性的な青年であった。髪は蒼く、上着は中世風の紺色のケープマント、下は貴族風の白のチュニックを着ており、見ようによっては三銃士や十字軍の指揮官のコスプレのようでもある。
「やぁ。待ってたよ。こちらに来て話をしよう」
青年に数メートル先まで近付くと、気付いたように本を閉じて、こちらを見て手招きした。まるでゴールデンレトリバーのような人懐っこい瞳で視線を送り、ヨルムの知り合いとは思えない人物であった。
「なんなのだこいつは?」
ゴールデンレトリバーな青年を胡散臭そうに見た後、ヨルムに話しかけると、迷惑そうな顔になる。
「その方は一応は神なのだぞ」
「僕はカムロス……君達の世界で言う軍神、つまりは戦争の神になるのかな?」
笑って言う軍神に警戒せずにマキナはソファに対面するアンティークのような椅子に腰かける。
「カムロス? 確かケルト神話にそのような神がいたな。確かブリテンとガリアの神だったか? 私はこれでもアメリカ国籍のアフリカ育ち……仕事上は日本が長いし、死んだ場所は日本だと記憶していたのだがな。先祖もヨーロッパ系の血も引いていない。純粋なアメリカ人と日本人のクォーターだ。なぜ関係ないヨーロッパの神が関与する?」
話し中にヨルムがカムロスに軽く会釈する。まだ胡散臭そうにカムロスを見続けるマキナの隣にヨルムが座る。
「今はヨーロッパの神様はやっていなくてね。訳あって異世界つまり、ミドルアースという世界で軍神をしている」
「異世界? まさか本当に異世界の神にお目通りになるとはな……アマテラスとイエスはどうした? 日本やアメリカの天国や地獄は人が飽和している訳ではあるまい」
「もちろん日本やアメリカの神様にどちらの関与になるのか、君の魂の保管を争ったぐらいだ。だけど、これは異世界事案になってね。なんせ君を殺害した相手がミドルアース(異世界)人になる。君に復讐する機会を設けても罰は当たらないと思った」
カムロスは人懐っこい犬のような笑顔から、急に狼のような険しい表情になる。
「ミドルアース(異世界)人? 復讐の機会だと? モロー・ドクターの事か? つまりはその私を殺害した相手がミドルアース(異世界)人で、私の殺害を指示した奴がいるという事か?」
マキナは首を傾げながらも考え、何かを察したかのように発言した。
「さすがマキナ、ヨルムに聞いた通り、察しが良いね。多少の私情はあっただろうが、君の仲間を殺したミドルアース(異世界)人、モロー・ドクターは指示を受けて動いている。ヘル帝国を作り上げた魔王と呼ばれる指揮官の元凶がいる。その元凶がいるミドルアース(異世界)に君を送り出し、協力すると言ったらどうする?」
カムロスはまた犬のような笑顔になる。
「テロの報復の判断は私の管轄ではない。その判断を下すのは大統領だ。例えテロの首謀者が他国の陰謀、宇宙外からの侵略であってもだ! 外国人、宇宙人、異世界人が起こしたテロや侵略に指揮官補佐の個人の私が一存で決める問題ではない!」
仲間の仇をとりたい、復讐したいという気持ちはあったのだろう。下を向くマキナは思わず拳を握り締めていた。だが、軍人という立場のマキナは死んでもなお、一個人で動く事に躊躇いがあった。
「なら、私と勝負をしよう。君が勝ったのならアメリカの天国、日本の天国でも好きに行くと良い。ただし、私が勝ったのなら私の指示に従ってもらう」
カムロスが指を鳴らすと、テーブルから幾何学模様の魔法陣が幾つか形成され、チェス盤と駒、洋菓子が乗ったケーキスタンド、紅茶が入ったソーサ付きカップが人数分の物が現れた。
「賭けはやらない。神様であってもお前の指示に従わない……だいたいなぜ神である貴様が動かない? 神と呼ばれるのだ。私より充分に強いのだろ?」
「契約上、動けないのさ。簡単に言えば停戦条約みたいなものでね。僕達、神をミドルアース(異世界)ではテオスや聖神と呼んでいるが、その対をなす存在がいる。君達の世界で悪魔や魔神と呼ばれている存在、ミドルアース(異世界)ではディアブロと呼ばれている者達がいる。」
「神と悪魔も関わっているのか? ミドルアース(異世界)とは厄介な世界だな」
マキナは呆れたように言う。
「僕達、テオス(聖神)とディアブロ(魔神)が動いたら一つの世界や大陸どころか、星そのものが滅ぶ。そうしない為の条約でもある。仮に滅ぼさないように加減ができたとしても、テオス(聖神)とディアブロ(魔神)が支配する世界になってしまう。これでも僕達はミドルアース(異世界)の種族や民族の文化や自主性を壊したくはない」
「テオス(聖神)とディアブロ(魔神)はミドルアース(異世界)の主導権を握る領土争いでもしてるのか?」
「簡単に言えば、領土より食料や資材を欲している。テオス(聖神)とディアブロ(魔神)はプラーナ、つまりは精神エネルギーを欲している。プラーナ(精神エネルギー)はテオス(聖神)とディアブロ(魔神)の原動力でもあり、生物から物を生成する力でもある。多くのプラーナ(精神エネルギー)を集められれば、世界そのものを造る事さえできるだろう。そのプラーナ(精神エネルギー)を僕達は肉体を持つ生物からしか摂取できないんだ」
カムロスは何も無い掌からクリスタルのパズルのような物が生成され、それが自然に組み合わされていき、ヘラジカの置物のような物が瞬時に生成されていた。
どうやらこの物を造る力がプラーナ(精神エネルギー)の力らしい。
「モローが使ったような魔法の力とは違うのか?」
「恐らくはミドルアース(異世界)人でも、生きている肉体でプラーナ(精神エネルギー)の吸収や使用は無理だろうね。魔法は自然に存在する目に見える光や水なんかをエネルギーを吸収して使用するけど、プラーナ(精神エネルギー)は生物から感情で生じるエネルギーなんだ。ミドルアース(異世界)人でも目に見えず、プラーナ(精神エネルギー)を使った術は無から何かを生成しているように見えるだろう。例えば魔法で剣を造ろうとすれば金属がいるが、プラーナ(精神エネルギー)さえあれば、テオス(聖神)とディアブロ(魔神)は金属無しで剣を造る事ができる」
「つまり魔法は太陽光や水などを存在する自然物を利用した力だが、プラーナ(精神エネルギー)とは目に見えない力で、人間の感情などから発するエネルギーなのか? その神や悪魔を構成している物もプラーナ(精神エネルギー)と」
「そう。プラーナ(精神エネルギー)は相手に向ける感情で得られる。例えば僕達、テオス(聖神)は愛、感謝の念、夢への希望、信頼といった感情から出るエネルギー吸収を主食にし、そのエネルギーを肉にして、存在を維持している。逆にディアブロ(魔神)は恨み、渇望、哀しみ、恐怖などをエネルギー吸収を主食とする悪食といったところかな。ミドルアース(異世界)ではテオス(聖神)とディアブロ(魔神)はその真逆のプラーナ(精神エネルギー)の奪い合いで何度か戦争になっている」
不揃いのチェスを弄り、並べていくカムロス。
「そのプラーナ(精神エネルギー)の奪い合いは今でもしてるのか?」
「今は停戦し、テオス(聖神)側がディアブロ(魔神)をエデン(精神世界)から追放し、別の世界にいる。ディアブロ(魔神)達が作り上げた魔界という下位精神世界だが、不可侵条約もある。ヘル帝国がらみの今回の事件には踏み込まないだろう」
テオスは子供のような笑みでキングの黒い駒を指で倒し、また立て直した。
「なぜそう言える? テオス(聖神)のお前が私に援助しているのなら、グレーゾーンの範囲で援助や支援になるのだったら……ディアブロ(魔神)も密かにに魔王やモローに支援している可能性があるだろ?」
「旧バルザス帝国……つまりは今のヘル帝国の魔王ノブナガの野望はディアブロ(魔神)以上に狂気に染まっている。ミドルアース(異世界)では魔大陸のヘル帝国と聖魔大陸の聖魔連合と争っているが……ヘル帝国のノブナガの要求は聖魔大陸を明け渡さなければ、ミドルアース(異世界)の星そのものを破壊すると言っている」
カムロスからノブナガの名前が出て、ヨルムはなぜか怯むような反応をした。
「ノブナガという奴は大それた事を言うな。核をちらつかせて脅す独裁者のようだ。魔法とかで、そんな事ができるのか?」
「テオス(聖神)やディアブロ(魔神)の力を使えば、ミドルアース(異世界)を消滅させるのは簡単だけれどね。そんな事をすればプラーナ(精神エネルギー)すらミドルアース(異世界)人から奪えなくなる。そんな思想の持ち主にディアブロ(魔神)が支援するとは思えない。一部のディアブロ(魔神)からは奴を抹殺しろと急かされるぐらいさ」
チェス盤が目につき、マキナは思わず視線を逸らす。
「それではテオス(聖神)やディアブロ(魔神)の意見が一致し、ミドルアース(異世界)に干渉が許されるという事か……そんな世界を賭けた戦争に私は干渉しないぞ。負け知らずのマッチョなスーパーマンか、超能力を持ったスーパーヒーローに依頼した方が良いだろう」
カムロスは笑顔でチェス盤を押し付けるようにマキナに向ける。
「ふふ、それではチェスをしよう。只のゲームだ。仮に私に負けても指示に従わなくても良い」
「何をしたい? ゲームをして、私の気が変わるとでも?」
やれやれといった風にマキナは溜息をつく。
「そうだね。このゲームで、君の気が変わる事を祈っているよ。確か……君の得意なゲームではなかったかな?」
「悪いが……チェスに関しては得意ではない。どちらかといえば将棋だ。軍の指揮官の職業柄か、多くの駒を使う方が慣れている。チェスだったら私の知り合いのゲームオタクのアリスの方が得意だ。少人数を動かし、指示するFPSが得意だった。それこそオンラインRPGのような少数のテロリスト組織なら、小隊規模の人数で魔王を攻略するならアリス・ハートが適任だろう。ある程度の人数がいる小国規模で、1人の魔王だけの暗殺を狙うなら、それこそゲリラ戦や斬首作戦が得意な我が師のヨルム・ガンドが適任だろうな」
ヨルムがやれやれといった風に両手を上げると、カムロスが口を押えてくすりと笑う。
「何が可笑しい? まさか……アリスも関わっているのか? あいつもミドルアース(異世界)に転生しているのか?」
少し不機嫌そうに言うマキナ。
「思った以上に地球という世界は狭いと思ってね。けれど、君の推薦するヨルム・ガンドもアリス・ハートも作戦に参加し、一時はバルザス帝国軍に勝ったが……旧バルザス帝国の残党軍にヨルムは暗殺されてしまった」
「馬鹿な!? お前がいながら負けたというのか!?」
思わず椅子から立ち上がり、ヨルムに視線を送る。
「油断というか……裏切られたといったところだ。このエデン(精神世界)にいるのは、暗殺されたからだ。一時は魔王を倒した影響で、英霊からカムロスと同じ軍神に昇格した」
「お前が暗殺されるレベルだ。腕の立つ優秀なスナイパーか、策略的な爆破テロもしくはハニートラップからの毒殺か刺殺だろうな」
「どれも違うが……近いもので言うなら爆破テロだ」
ヨルムはあまり聞かれたくないのか、マキナから目を逸らすように言う。
「確かに爆破テロなら仕方ないか。大規模な爆発に巻き込まれたのなら、避けようがない……ん? これは?」
マキナは席に座り、何気なくケーキスタンドのカップケーキを手に取り、頬張っていた。
「お気に召したかな?」
カムロスが笑って言う。
「カップケーキに味がする……それに食感もだ。こっちは……温かさもある」
マキナはカップケーキを食べ、紅茶を飲む。もちろん現実では当たり前の事であるが、このエデン(精神世界)では、肉体が無い状態では当たり前でないように思えた。
「この洋菓子と紅茶はプラーナ(精神エネルギー)でエッセンスを固めたものだ。正確には匂いの持つ霧状のスライムを固めた物かな? 正確な食感と味は君の記憶を頼りに再現しているにすぎないが」
「プラーナ(精神エネルギー)か……要するに貴様という神の身体から肉を削ぎ取って、提供しているのだろ? アン〇ンマンか? やっぱり不気味な世界だ。元の世界の方が落ち着く」
「プラーナ(精神エネルギー)はお金の役割もあるし、プラーナ(精神エネルギー)はこうやって分け与える事もできる。神じゃなくても、霊体の君の身体の維持もプラーナ(精神エネルギー)が必要になる。人々から忘れ去られたら君のプラーナ(精神エネルギー)は無くなり、魂は消滅する。エデン(精神世界)は平和と安寧はあるが、神のように存在の維持は難しい。有名人でもなければ、人々から忘れ去られる前……そうだね、最低でも死んでから50年後には転生をお勧めする」
「歴史に名を残す事がどれだけ重要か思い知らされるな。人間の平均寿命よりも短いとは。名を残せない凡人は天国や地獄にも長居はできないという事か」
「ふふ、すぐに転生したいのなら、君の望む世界に転移させてあげるよ。もちろん肉体付きでね」
微笑んで言うと、マキナは首を横に振った。
「ゲームをやりたいんだったな? オンラインゲームのチェス世界2位の実力で良ければ、相手になるぞ」
「それじゃあ、堅苦しいのは無しにしよう。静寂マナーは取り払い、持ち時間は10分で、インクリメント(一手後に時間プラス)3秒。3本勝負でどうかな? 審判はヨルムがやってくれる」
そう言ってカムロスはアンティークな秒針時計を置いた。
「静寂無し? 私語厳禁のチェスで会話での揺さぶり有りか? 神というのは腹黒い生き物なのだな」
「ふふ、できれば会話を楽しみたいだろう」
「時間制限付きで会話を楽しめるか? まぁいい」
こうしてマキナとカムロスのチェス勝負が始まった。最初の1本目の勝負はマキナが全ての持ち時間を使い切り、カムロスにほとんどの手駒を取られ、圧勝されていた。
そして2戦目は……
「驚いた……最初の1戦目が嘘のようだ。ここまで拮抗するとはね。2戦目からは戦術がまったく違う。強固な防御線を意識したポーンチェーン主体で、サクリファイス(捨て駒)を避ける戦術だったのに……君は負けそうになれば、駒を犠牲にするように仲間を見捨てる戦術をとる非情な人間という事なのかな?」
冗談のような笑顔を向けるカムロスに対して、マキナはその揺さぶりに無表情のままだった。
「ふん、最近では無人機という兵器がある。駒が人とは限らんだろ? 遠隔操縦の自爆ドローンから、爆弾を仕掛ければ無人の戦車や車両、ちょっと細工や工夫さえすれば銃でさえブービートラップになる。自爆テロを推奨するテロリストや旧日本軍の特攻兵と一緒にするな……これでチェックメイトだ!」
マキナはチェス盤にビショップの駒を動かし、カムロスのキングの駒を取れる位置に持ってきていた。
「ルアーリングのナイトの誘い出しから、ポーンのポジショナル(どかし)から、クィーンのサクリファイス。見事と言っていい。さらに2つの駒を巧みに使ってのディスカバリーアタックか……まるで時間を稼いで、わざと負けて、こちらの動きを一度見ただけで、覚えられたようだ。2戦目は私の負けだ」
笑って言うカムロスにマキナは嫌な顔をし、かつての師、ヨルムを見る。ヨルムは目を逸らし、口笛を吹く真似をする。
「すまない。ヨルムから話を聞いていてね。やはり君には地球つまり、この世界で言うエルダーアース(地球世界)の神に与えられし、ギフテッドを持っているようだ。瞬間記憶能力だったかな? 一瞬で見たものを記憶し、忘れずに覚えられる」
「それなら神様らしく、私の心を読めばよかった。モローのようにテレパシーを使ってな」
「あの魔法のテレパシー(思念通信)対策は良いように立ち回ってできていたように思える。君の思考はプランA~Gまで作り、それを瞬時にアレンジしたHに切り替える。科学にも似たような思考を読む技術があったという事か……興味深い。魔法を使ってもいいが、私にも卑怯な手を使いたくないプライドがある」
そう言いつつ、カムロスは3戦目ではわずか10分でマキナに敗北してしまった。
「負けた……まさかアクセラレイテッド・ドラゴンをかまされるとはね」
またしてもマキナのビショップの駒がカムロスのキングの駒をチェックメイトしていた。
「確か……勝ったら私の好きにして良いと言ったな?」
頭を掻くカムロスにマキナは笑って言う。
「確かに好きにして良いと言ったが……これは君の問題でもある。モロー・ドクターの目的が君の暗殺だと言ったらどうする? エルダーアース(異世界)には君に恨みをもった者は多くいる。モロー・ドクターもその1人だ」
「直接、見たわけではないが……確実に初対面の相手だ。恐らくは電話、メール、インターネットのチャットすらやり取りは無いだろう。テレパシーであっても声、口調、行動心理から導き出しても、思い当たる人間はいない。奴がテロリストどもが勝手にかけた懸賞金目当てで、別の人間に依頼されたのなら納得はいくが。奴が異世界人なら、尚更だ」
マキナが口調を強めて言う。
「確かに君はやり取りをした事がない男だ。だが、未来の話でなら別だ。未来では君が異世界に行く事を選択し、モロー・ドクターを追い詰めた」
「馬鹿げた話だ。異世界、神の次は未来? 今度はSFの話か? その異世界とやらは魔法でどこまでの事ができるんだ?」
マキナはお手上げといった風に両手を上げ、ダルそうにカムロスを見る。
「やろうと思えば、未来に行く事も過去に行く事もできる。けれど、時間の世界は複雑でね。恐らくは魔法を使える者ですらよく理解していない。未来でも過去でも枝分かれした似たような世界に行くだけで、未来改編も過去改変もできないようになっている。本で言うならば、初版本に第二版があるようなものだ。既に存在している初版本には情報は書き加えられない。書き加えようとしても第二版という別の本の世界に新たな情報や修正が加えられるだけにすぎない」
「では、モローのやった事は無駄だった事になるな……未来改編も過去改変もできないのに奴は空振りをし、私を殺す為に兵士や民間人が無駄に犠牲になったというのか!」
思わずマキナは拳を強く握り締める。父、カリバーからマクドナルド少佐、和民2等空佐。そして墜落戦闘機による駅や民家に墜落し、火の海になった。この多くの死者は何の為に死んでいった。
「そう……君が死んで異世界に行くのが早くなるか、遅くなるかの違いしかないだろう。そして未来から来たエルダーアース(地球世界)に来たモローは死んでも、過去と現在のモローはエルダーアース(異世界)で今も生き続けている」
「なるほど……私は未来のモローを殺したにすぎないか。では、未来では私が異世界に行く事を選ぶというのか?」
「そうだね。どの時空世界でも君は異世界に行く事を選んだはずだ」
「ふざけるな! 神だが何だか知らないが、全てを見透かしたように言うな! 1人のテロリストの為に私個人が復讐の為に戦争をするというのか! 何も知らない世界で! 何も知らない国で! 何も知らない人種に対して!」
マキナは感情に任せて、文字通りにチェスの盤面をひっくり返していた。
「おい! マキナやめろ! カムロスはお前の事を考えてだな」
殴るとでも思われたのか、ヨルムがその豪腕でマキナの肩を掴んで押し、カムロスから距離を離した。
「ふざけている! 私が協力するという事は……異世界という他国にアメリカ軍の軍事技術から戦術を提供しろという事だろ? 私のギフテッドを知っておきながら、違うとは言わせないぞヨルム!」
「……それは」
戸惑うヨルムにマキナは肩を押し返した。
「だいたいリスクを考えているのかヨルム・ガンド元少佐殿。モローのような異世界人に私が教えた軍事技術が漏れ、侵略の為に地球世界に攻められたら第三次世界大戦どころではない。それこそ地球世界の終わりだ!」
「すまない……君に愛国心がある事は分かっていた。けれど、君達の世界の兵士や民間人が死んだようにモローのような輩達、ヘル帝国は今もミドルアース(異世界)の罪のない人々を殺し続けている。そんな奴らを野放しにし、君はここで見守り続けるだけなのかい? 自ら行動して仇をとりたいとは思わないのかい?」
「私に売国奴になれと言うのか? 一人が起こしたテロの為に多くの人種を殺し、テロの首謀者の国家を破壊し、支配しろと? 戦争を決めるのは軍人ではない! 国家元首だ! 私の独断で人殺しなどまっぴらごめんだ!」
「だが、このままではミドルアース(異世界)は無くなってしまうんだ! 君の力があれば……」
「魔法で核戦争でも起こるというのか? ミドルアースだったか? その異世界というのはどのくらい技術がある? 魔法にどのくらい力があるか分からないが、銃1つで民間人でもわずか数秒で殺せる力がある。人を殺した事が無い人間に貴様は人殺しをさせろと言っているのだぞ。私が教えた科学技術で暴走したモローみたいな奴が多く現れ、地球世界に攻め込まれたら……それこそ地球の終わりだ! なんせモローはあの戦闘機を一人で改造して横田基地に攻め込んでみせたのだからな!」
カムロスは何かを言いかけたが、マキナの発言に虚をつかれたかのように黙ってしまった。
「…………」
「頼むマキナ! あの世界には俺の友人だっているんだ。……そう! お前のゲーム仲間のアリスもあの世界にいる!」
「アリスはFPSゲーマーで、民間企業で働くプログラマー、只の民間人だぞ! にわかの軍事知識でなぜ戦わせようとする! 正気の沙汰とは思えんな。ヨルムもアリスも同じ時期に行方不明になっていたが……まさか貴様が巻き込んだのではあるまいな?」
「違う! 只の偶然だ! アリスは偶然に異世界転移に巻き込まれた」
睨むマキナにヨルムは強い口調で反論する。
「貴様には神のカムロスが付いている。偶然を装った運命操作だろ? まぁ、事後の事件や過ぎた事にグダグダ言っても何も変わりはしないが。異世界のウォーゲームには私は参加しない。約束通りに天国に連れて行ってもらうからな。24時間後に準備してくれ」
「考えを変える気はないかマキナ? 君の力があれば戦況を覆す可能性は充分にある」
「無いな。そもそも私に対しての報酬もメリットも無い」
マキナは踵を返すと、振り返らずに歩き、もう何も答える気はないと言った意思表示かカムロスとヨルムに手を振っていた。
――エデン(精神世界)では眠気は生まれないが、眠ろうと思えば眠ることはできるようだった。
――世界を救う……それは誰しもが夢見た物語だろう。現在も地球の世界の国々では絶え間なく紛争が起き、罪のない民間人が虐殺され続けている。
――地球世界では魔王と呼ばれる者も多くいるだろう。独裁国家やテロ組織、あげればキリがない国家と組織。それを正義感という偏見と独断で国家や組織を壊滅させ、罪の無い民間人を救い続けるのはPKO(国連平和維持活動組織)でもNGO(民間国際協力組織)でも無理だろう。
――アメリカと日本を守るのが限界の在日米軍の私が……地球ではない他国を守れるとでも言うのか? バカバカしい。
(ヨルム、ヒーローになるにはどうすれば良い?)
(がはははっ! お前は可笑しな事を聞くな)
記憶の中で若い頃のヨルムの声が聞こえた。
(ヨルムはヒーローなんだろ? テロリストから人質を救出したり、大統領を守ったりするんだろ? 私もそれになれるか?)
幼少の頃のマキナの声が聞こえた。それはマキナの記憶だった。
草原の中で対峙する幼少のマキナと若いヨルム。マキナがゴム製のナイフで連続の突きを放つが、全てを軽々とヨルムに避けられる。
「そりゃあ、アクション映画の見すぎだ。実際に大統領の護衛任務なんざ、シークレットサービスか警察の範疇だ」
腕を掴まれ、ヨルムに投げられるマキナだったが、受け身を取り、すぐにゴム製ナイフを構えた。
「けど、ヨルム・ガンドは人質救出作戦に参加して、多くの人を救ったヒーローだってマイク・ジャーナリストが言ってたぞ」
思わず頭を掻くヨルムはそれが隙になったのか、幼少マキナのゴム製ナイフが脇腹に当たりそうになり、それを腕で弾く。弾かれた衝撃でゴム製ナイフが飛んだが、マキナは後ろに飛んでキャッチする。
「マイクか……あのバカは引退してからろくな事を言わないな。軍の特殊部隊に入れば確かに人質救出作戦もあるが、そんなもんヒーロー劇のような生易しいものじゃない。実際には人質の半数は死ぬし、武力衝突よりも交渉次第で人質は助かる。そもそも大統領や将校に突撃の命令が下ったら、助けるどころか人質を撃ち殺す可能性だって充分にあり得る」
ゴム製ナイフを投げるマキナ。
「なら、交渉術と戦術次第という事だな? 私ならアメコミヒーロー並の活躍で人質全てを救ってみせる」
マキナが投げたゴム製ナイフを軽々と避けるヨルム。だが、マキナは背の高いイネ科植物に紛れ、移動を始めた。湿った草を踏む音だけが聞こえ、ヨルムはゴム製ナイフを構えて、周囲を警戒する。
低姿勢のマキナが駆け、ヨルムの真横から太股にローキックを喰らわし、態勢が崩れた。ヨルムのゴム製ナイフが脳天に近付くが、マキナの頭には届かなかった。代わりにマキナは予備に隠し持っていたゴム製ナイフを脇腹に押し当てた。
「くそ……予備のナイフを隠し持ってやがったのか!? だいたい軍人が低身長の小さい女の子と戦うなんて想定していないからな!」
「それでもプロの軍人か? 少年兵や少女兵でも同じことが言えるのか?」
「お前がアメコミヒーローになるのは無理だ! 大統領や上官の命令を破り、作戦以外の行動や交渉なんてしてみろ! ヒーローどころか裏切り者扱い、良くて軍法会議、最悪はその場で射殺されても文句は言えんぞ!」
「なら! 私が上官より偉くなればいいことだ! もちろん大統領でも文句を言えないような多くの勲章持ちになる!」
八重歯を見せて笑って言う幼少の頃のマキナにまだ少し若かったヨルムは苦笑いするだけだった。
――私の子供の時の夢は多くの人々を救えるヒーロー(英雄)だったのかもしれない。
「気が変わっただと?」
仮眠をとって数時間後にまた植物園のような元の部屋に戻って、異世界に行っても良いとヨルムに話したら、目を丸くしていた。
カムロスはマキナにチェスで負けた事に納得できなかったのか、真剣な表情で一人チェスの駒を動かし続け、羊皮紙のような紙に何かを書き留めていた。
「……君ならそう言うと思ってたよ」
カムロスは笑って言うが、少し疲れ気味の様子であった。
「どうして心変わりした?」
ヨルムが不思議そうに聞く。
「私の夢でもあっただろ?」
「異世界がか?」
さすがにヨルムもヒーローになるというマキナの夢を覚えていないのだろう。ヨルムは首を傾げるのみだった。
「どうせ貴様の事だ。異世界に最低でも整備のしやすいハンドガン(拳銃)やライフル(猟銃)ぐらいは作るか、持ち込んではいるのだろ? 遅かれ早かれ、こっちの地球世界の銃が異世界とやらに普及するのも時間の問題だ。それにモローが戦闘機を魔改造したぐらいだ。地球世界の軍事兵器技術が持ち込まれていないか、監視する必要がある」
「さすがに銃は普及してないと思うが……なんせ異世界は大砲すらない。科学技術だけなら中世レベルだ。兵器があってもクロスボウ、カタパルト(投石機)、バリスタ(大型弩砲)ぐらいだろう。そのぶん魔法が地球の軍兵器並の制圧力はあるがな」
「モローの奴はまるで構造を知っていたかのように戦闘機を改造していたが……それは何かの魔法の技術なのか?」
「それは未来の君が戦闘機を異世界で戦闘機を作った影響だろう。もちろん同じような魔法技術で、空を飛ぶ物があれば、乗り物としてマジックカーペット(魔法の絨毯)マジックブルーム(魔法箒)、エアシップ(飛空艇)、自立型の物であればガーゴイル、鳥型のスカイゴーレムぐらいだろう。どちらも地球世界の鳥類ぐらいのスピードしか出ない。モローの技術はゴーレムの技術を利用したものだ。もちろん君の影響がなければ、戦闘機を改造し、ゴーレム化するなんていう発想もなかったのも事実だ」
「未来の私の影響か……」
うつむくマキナにヨルムは心配そうに肩を叩く。
「無理に強要はしない。候補はお前だけじゃない」
「どうせその役割は私に似た誰かになるだけだろ? 勇者でも英雄でも……依頼を受けるならば元軍人として職務は果たすさ。それで……私をどうやって転生する? 死んだ誰かか? 悪人か死ぬ運命の誰かに乗り移るのか? まさか、一から赤ん坊からではあるまいな?」
「それなんだが……お前に幾つか謝らなければいけない」
本当に申し訳なさそうに言うヨルムと顔を曇らせるカムロスにマキナは嫌な予感が過る。
「何だこれは!?」
思わず声を上げたのはまるで学生時代の真っ裸のマキナの姿を鏡で投影したかのような人間がそこに居たからだ。正確には巨大試験管に緑っぽい炭酸のような培養液に漬かり、プカプカと浮いている自分だった。
室内は機械的な物は無く、無数の薬品が入ったガラス瓶が置かれた長テーブル。背表紙に謎の文字が書かれた本が並ぶ本棚。火にくべられ続ける煮えたぎる薬品が入った壺しか無い中世時代のような部屋。そこに自分の身体を再現した肉体を発見するSFチックな現象が起こっていた。
「お前の全盛期のクローンだ。過去の時代にお前の血液検査の際に廃棄されるものを拝借した。成長期の15歳ぐらいの頃がベストだと思ってな」
背丈が低いのを気にしていたが、こうして見ると……小学生ですか? と奥様方に気にして声をかけられるレベルである。いや、そもそもこれは男2人がいる時点で公開処刑である。
「学生時代の身体は良いとして……そもそもなぜ裸なんだ? 貴様ら2人は私の若い時代の裸を美術品のように鑑賞会でもする趣味でもあるのか!」
頬を染めて声を上げるマキナはその試験官に浮かぶ女体を隠すように立つ。その巨大試験官に浮かぶのは真っ裸の女子学生時代のマキナなのだ。
「それも含めて謝ろうと思う」
頭を下げるカムロスに慌ててヨルムも頭を下げる。
「私の少女時代の女体を晒す以外にまだ何かあるのか? 勝手に私のクローンを作った事か?」
「それもあるが……もっと複雑な事だ」
ヨルムが下を向いて言う。
「正確には君達はこれをクローンと言うが……僕達の異世界ではホムンクルス(人造生命体)と呼んでいる。君達の地球世界で実験的に造ったクローンは短命だと聞いている。残念ながらこのホムンクルス(人造生命体)も短命だ。正確には君のギフテッド(瞬間記憶能力)の脳を再現するものが、寿命が短いこれしか造れなかった。君を造った神は偉大だよ。僕にはこの再現は無理だ」
「なるほど……異世界転生というのも、フィクションのようにはいかないという事か。いつまで生きられる?」
「およそ2年。それまでにヘル帝国軍の魔王と呼ばれるノブナガを暗殺して欲しい」
「2年で斬首作戦を成功させろと? 無理難題なミッションだな。それにノブナガ? 相手は元地球世界の日本人か?」
お手上げといった風にマキナは両手を上げるが、さすがに2人が妥協案を出してくるといったニュアンスはさすがになかった。
「それも謝らなければいけない一つだ。そいつは元、俺のかつての仲間でもあり、俺の暗殺を依頼した張本人でもある」
「貴様は相変わらず、人望が無いのにも程があるだろう。かつての仲間に裏切られるとは……どういった心変わりでそうなる?」
「切っ掛けは俺にも分からん。ミレニアムウォー時代のバルザフ魔王国の元魔王バルザスを倒した後の10年後の話だからな。だが、俺は2000年続いたミレニアムウォーに終止符を討った。俺がミドルアース(異世界)に転移してからわずか3年で魔王バルザスを倒し、集結させた。俺の弟子のお前なら2年で終わらせる事は可能なはずだ」
「無茶を言う……貴様の攻略記録を2年に塗り替えろと? 貴様も無茶ばかり言うな。軍の規模は? 領土の規模はどれくらいだ?」
計算しようとするヨルムにカムロスが口を開く。
「ヘル帝国軍の魔大陸だけでなら3027万キロが奴らの領地さ。兵員は17万5千……今じゃ領土は世界の半分近くが占領され、その倍以上になるだろう」
「いきなり我が軍は絶望的ではないか……なんせソ連の領土の倍近くある国家だ。さらに世界の半分が占領されているときた。これは新たなギフテッドか、チート能力が必要だな」
「そう言うと思ったぞ……そこは俺がテレパシー(思念通信魔法)でアドバイザーに入る。さらにトランス(憑依魔法)でお前の身体を操り、補助をしよう。どうだ? 嬉しいだろ?」
マキナは残念そうというか、ハズレでも引いたかのような顔になる。
「たったそれだけか? アドバイザーはともかく……貴様は私より強いのか? 子供時代の私に負けるぐらいだからな」
「それでも今のお前よりは強い。異世界の魔法の対処の仕方やモンスターの殺し方までは知らないだろ? これでもブレイブオフェンサー(勇者)のジョブで魔法だって使える」
「ん? 君はブレイブオフェンサー(勇者)だが、サポートジョブ(副職)はファイター(拳闘士)、シーフ(盗賊)、アサシン(暗殺者)だったはずだけれど……魔法はサポートや強化系の魔法しか使えなかったはずだけどね」
首を傾げて言うカムロスにヨルムはしまったという顔をする。
「まあ……一応は……そのジョブ(職業)でも魔法はあるだろ?」
マキナの呆れたような眼差しからヨルムは目を逸らす。
「貴様らしい職業選択だな……しかし、ブレイブオフェンサー(勇者)やらサポートジョブ(副職)は全く見当がつかない。ジョブ(職業)は一つしか選べないものじゃないのか? 確かにTRPGやテレビゲーム的なRPGものではジョブ2つは選べた記憶はあるが」
「異世界ではジョブ(職業)というものが存在する。魔法での犯罪、暗殺、他国からのスパイを防ぐ為にジョブ(職業)にはカース(呪い)が施されている。地球世界で言う職業の資格や免許みたいなものだ。ジョブによっては使える魔法が限られる」
「つまりは普通自動車免許では大型トラックには乗れないのと同じように。ジョブ(職業)にはそれぞれの特色の魔法があるという事か。それを破れば処罰されると?」
「無理に他のジョブ(職業)の魔法を使おうとすれば、その場で刑が執行される。カース(呪い)石化か、悪ければ即死になるかな」
「それは恐ろしいな。サポートジョブ(副職)を選べばそのジョブの魔法が使えるという事か?」
「メインのジョブ(職業)からさらにもう1つのサポートジョブ(副職)を選べる。ただし、ヨルムのようにブレイブオフェンサー(勇者)なら、さらに3つのサポートジョブ(副職)が選択できる。本来なら神殿でジョブ(職業)の選択はできるが……神の僕がここにいるんだ。ここでジョブ(職業)を選択しても良いだろう」
カムロスはそう言って、透明なカードをマキナに投げ渡す。
「これは? 最新のスマートフォンではなさそうだな」
マキナが透明なカードを指で触れていくと、妙な文字、数字、グラフ、ピクトグラムのようなイラストらしきものが表示される。
「異世界の錬金術で造られたステータスカードだ。それは君の能力や体調の状態までを表示を続ける魔法のカードといったところだよ。本来は物心付いた時には神殿で配られ、14歳からジョブ(職業)の選択ができる。僕が若干の改造を施しているから、そのステータスカードでジョブ(職業)を決められる」
「お、日本語表記から英語表記にもできるのか。正規の物を改造とはそっちの方はカース(呪い)に引っかからないのか?」
「問題ない。神殿の神官がやる事を君に操作してもらうだけだからね。本来なら君の実力を見て、神官に適性のジョブ(職業)を決めてもらう。今回は君がジョブ(職業)を決めて良いというだけだよ」
「グレーゾーンの違法性はありそうだが……私が決めて良いと言うのであれば……そうだなメインのジョブ(職業)ブレイブオフェンサー(勇者)。サポートジョブ(副業)アルケミスト(錬金術師)、サモナー(召喚士)、マーチャント(商人)だろうな。しかし、ブレイブオフェンサー(勇者)とは名ばかりで、サポートジョブ(副業)が多く選べるだけの特権しかないのか」
「本来、ブレイブオフェンサー(勇者)は、選ばれた代表の王族か、王国の騎士団長クラスか、町や村で選ばれた代表の自警団の団長がなるものだからね。多くのジョブ(職業)の特権が使える者の方が指示役としては臨機応変に対応できる」
「マキナお前……サモナー(召喚士)はともかく、アルケミスト(錬金術師)や、マーチャント(商人)なんかの生産職ばかり選ぶ!?」
呆れたような表情をするヨルムにマキナは呆れた表情を返す。
「便利だからだ。アルケミスト(錬金術師)なら兵器や車両の多量生産もできるし、サモナー(召喚士)なら重い兵器類も簡単に召喚できそうだ。マーチャント(商人)はランゲージパス(下位言語通訳魔法)やサーチ(中位分析探知魔法)が便利そうだ。金策にも便利そうだしな」
「魔法を使うには魔術書が必要だ。それに全盛期のお前のホムンクルス(人造体)の身体でも、エルダーアース(地球世界)の肉体じゃ魔力(MF)もマナ(MP)もあまり備わっていない。数回の下位のランゲージパス(下位言語通訳魔法)が限界だろ」
「魔力(MF)はなんとなく分かるが、マナ(MP)は何だ?」
「魔力(MF)はMFなんて略される事もある。まあ、いわゆる魔法を使う為に使うエンジンみたいなものだ。これが弱いと強い魔法が発動できない。魔力(MF)が強ければ強いほど強い魔法が使え、魔法発動の効果も高くなる。マナ(MP)はMPなんて略されるが、魔法を使う為の燃料みたいなもんだ。魔法を使えば使うほどマナ(MP)は無くなっていき、マナ(MP)がガス欠になれば、魔法が使用できなくなる」
「マナ(MP)の消費はこのステータスカードで確認するのか?」
マキナは指でステータスカードのメニューを操作すると、魔力(MF)とマナ(MP)数値の覧を見つける。初期の数値で強いか弱いか分からないが、魔力(MF)18、マナ(MP)15ぐらいしかない。
「確かにステータスカードに表示されるが、マナ(MP)消費は感覚的に分かる。フルマラソンをした時に感じる疲労感とか、そんな感じだ。時間経過で回復する程度のものだ」
魔法を知っているというプライドからか、カムロスに聞いたはずなのになぜかヨルムが説明する。
「魔法とはいろいろと厄介だな……疲れを感じるなら全力疾走できないではないか」
「マナ(MP)の消費はスタミナを消費するというよりも、精神的な疲れに近いものだ。興奮状態や極度の緊張状態に感じるあれだ。マナを消費して走れなくなるという事は経験的にないぞ」
「魔力(MF)とマナ(MP)を上げるにはどうすれば良い?」
「魔法を使い続けるしかないな。上位魔法を使えるようになるのに俺は1年はかかったが」
「私には2年しか時間が無いのだぞ」
マキナが睨むようにヨルムを見ると、お手上げといった風に両手を上げる。
「たいした魔法は授けられないが、マキナにこれをあげよう」
カムロスが掌を開いて見せたのはイヤリングのような装飾品だった。よく見ればその装飾品にはルーン文字のようなものが刻まれ、耳を傷つけないイヤーカフのようになっている。
「何だそれは?」
「これはランゲージリング(言語通訳魔法機)といって、ランゲージパス(下位言語通訳魔法)と同じ効果で魔力(MF)とマナ(MP)を使わず、呪文詠唱もいらない」
「魔法を使うには呪文詠唱もいるのか……ますます厄介だな」
カムロスがなぜか笑みを浮かべたまま、指を鳴らすと、掌のランゲージリングが光る幾何学模様の魔法陣を描いて消え、巨大試験管の中のホムンクルス(人造体)のマキナの耳に一瞬で装着されていた。
「何だ今のは?」
「今のが、召喚魔法の1つ。テレポート(中位召喚魔法)だ」
またしても偉そうにヨルムが答える。
「あれが魔法だと、呪文詠唱が必要ではなかったのか? 指を鳴らしたようにしか……」
「あれはショートカット詠唱だ。あれを取得するには俺も苦労したな」
ヨルムがニヤニヤとした表情でマキナを見る。
「これでは私の瞬間記憶能力がまるで役に立たないではないか!?」
少し怒った口調のマキナにカムロスは微笑む。
「こんなものが無くても、君はこの技術の上をゆくものを開発できるはずだ」
神様らしくまるで未来を予知した発言であったが、その未来の事実があっても、今の魔法がまともに使えないという事実の悔しさは拭えない。
「チートを期待したのに……ここまで自分の無力を痛感させられるとは!」
「がははっ! 魔法に関しては先輩上司の俺がカバーする。安心して身を任せろ」
笑顔で調子に乗ってマキナの肩を叩くヨルム。それを悔しそうにマキナは見ることしかできない。どうあがいても初期で魔法が使えない状況は努力でカバーするか、ヨルムに頼るしかなさそうであった。
「どうやら時間がきたようだ」
カムロスが言うと、巨大試験管のホムンクルス(人造体)のマキナの身体の足下に先ほどよりも大きい幾何学模様の光の魔法陣が描かれていた。
「ちょっと待て!? これでは転生ではなく、転移ではないのか!?」
「そうだな……いわゆる勇者召喚という奴だ。蘇生した肉体で魂を憑依させ、召喚に応じるというのは初めての試みだがな」
「ふざけるな! こっちには準備が……」
慌てるマキナに対し、ヨルムは余裕な表情で葉巻を吸い始める。
「召喚主のフランシス・ヴァーニ侯爵にはお前の召喚の事をもう伝えてある。あれでも……俺の元パーティーの六英雄の一人でもある。少し頼りないが、充分に頼って良い。お前の必要な物もだいたいは揃えてくれるだろう。ただし、元バルサス魔王国軍の侯爵でもあるから、あまり信用はするな」
「ミドルアース(異世界)に行く準備ではない! ホムンクルス(人造体)の素っ裸から服に着替えさせる準備と言っているのだ!」
「あっ!?」
思い出したかのように思わず葉巻を落とすヨルム。強烈な光と共にマキナのホムンクルス(人造体)とマキナの本体(霊体)は消えていた。
「ははっ……僕もうっかりしていたよ。ホムンクルス(人造体)の憑依テストも兼ねて、服ぐらいは着せるべきだった。あれでは原始人だ」
苦笑いするカムロスにヨルムも苦笑いを返す。
「あれは怒るぞ……まあ、そもそもあいつが最初に断ること自体が未来のシナリオになかった。そこに数時間のズレが生じた」
「彼女は経験から僕達のパターンを読んで、断るという選択肢を一度したんだろうね。確かにマキナやノブナガ君の言う通り……ミドルアース(異世界)がエルダーアース(地球世界)に攻め込む可能性は充分にある」
「それはあいつの……ノブナガの陰謀論だ! その未来はマキナの寿命が尽きずに生き残った場合だ! マキナが逆に戦争の火種になるなど、そんな未来などあり得るか! そもそもマキナがいなければ、ミドルアース(異世界)が消えて無くなる!」
思わず壁を叩くヨルム。
「君は本当にノブナガ君以上に信用してるんだねマキナを……」
ヨルムに微笑むカムロスであったが、その表情は無意識に不安そうに歪んでいた。