空を見上げて
空を見上げて、渡り行く鳥たち、見ていたんだ
命尽きるまで、きっと翼広げて、羽ばたくんだね
問いかけても、答えてくれないこと、繰り返して
見つからない、答えばかりの道を、歩いているよ
何も出来なくても、何かしようとする
気持ちを持っていれば、いつか出来るかもね
ねえ、教えてよ、ボクがここにいる意味を
ねえ、教えてよ、ボクがボクである意味を
人は生きて、そして、やがて死んでいく
残されるものは、一体、何だろう?
空を見上げて、流れ行く雲たち、見送っていた
消えてゆくまで、その白い輝きを、瞳に映し
呟いても、誰にも聞こえないこと、繰り返して
言葉だけが、ボクの背中にずっと、積まれていく
何もわからなくても、何かわかろうとする
気持ちを持っていれば、いつかわかるかもね
ねえ、答えてよ、ボクが生きている意味を
ねえ、答えてよ、ボクが生まれてきた意味を
人は愛し、だけど、愛を壊しあう
手に入れるものは、一体、何だろう?
空を見上げて、吹き抜ける風たち、触れていたんだ
見えなくなるまで、両手を差し伸べて、鼓動感じて
想ってみても、誰にも届かないこと、繰り返して
想いだけが、ここに取り残されて、泣いているよ
何も見えなくても、何か見ようとする
気持ち持っていれば、いつか見えるかもね
ねえ、教えてよ、キミがそばにいる意味を
ねえ、教えてよ、キミがキミである意味を
ボクら手を取り、そして、探し続ける
見つけるものは、一体、何だろう?
ねえ、答えてよ、ボクらが生きている意味を
ねえ、答えてよ、ボクらが生きていく意味を
ボクらは愛し、そして、愛し続ける
ボクらの未来は、一体、何だろう?
(-simplex.269g.net-、2005年5月2日公開)
公開日が2005年5月2日ですから、もう17年も前になります。
これを読んだ人の中には、生まれていない人たちもいるかも知れませんね。
2005年ごろから2010年頃までは、歌詞をイメージした作品作りに取り組んでいました。
読み返すと、良くこんな言葉の組み合わせが思いついたなと。
何となく哲学っぽい書き方をしているなと思います。
今ではもう歌詞作品制作は止めてしまいましたから、こんな言葉の使い方は出来ませんね。
当時の作品を読み返すと、今とは全く違った書き方をしているものがたくさん見つかりました。
その頃の生活状況や、心の状態を反映していたのかも知れません。
三十代前半頃になりますけれど、その頃って日本中、ぶらりと旅に出てみたいという気持ちが強くありました。
それが歌詞に現れているのだろうと思います。
また当時は殆どアニメを見ていなかったのですが、こうして改めて読み返すと、アニメのEDっぽい作りなんじゃないかなと。
主人公がいて、独白しているような感じです。
あと、この頃ってやたら『ボク』というカタカタ表記が多いのです。
今だったら漢字で『僕』と書きますが、その頃は特に考えることもなく、カタカナ表記を使っていました。
これですと、女性キャラが使う『ボク』ですよね。
どちらかと言うと、この頃は少年の旅人をイメージして書いていました。
自分を投影していたのだろうと思います。
今回、改めて掲載するにあたりどうするか考えましたが、手を加えないことにしました。
今後掲載する作品も『ボク』が多くなりますが、特に女性キャラを意識しているわけではありません。




