2話 追放
あれから二年、八歳を迎えた私は何が変わることもなく、今まで通りほのぼのした生活を送っていた。
聖女の力を使いこなすために魔法の練習をしたので、今では魔法を使った狩りをしているし、魔法を使った戦闘の技術も身に着けている。
倫理観的な問題で狩りが出来るようになるまで時間はかかったが、慣れてしまえば案外どうにかなるものだ。もちろん、無駄な殺生はしない。
ママが言っていたレベルの魔法は使える気配すらないが、生活に困らない程度の魔法は習得できたので、今では完全に剣と魔法の世界に住む村娘だ。
しかし、聖女の娘で力を引き継いだなんて事情があればそれに目を付ける貴族というのもいるもので——
「あなたがアリサ嬢か」
狩りから帰ったある日、家の前に騎士数名と貴族のような恰好の男が来ていた。
身なりはしっかりしているが、顔はまだ少し幼く、前世の私と同世代くらいに見える。
「……へルネス公爵家の……何か用ですか?」
眉を顰め、警戒しながらママが問う。
「いやいや、ただアリサ嬢に会いに来たのです。その年で数々の魔法を習得し、使いこなしているという噂を聞いて気になったものでしてね」
「そうですか。それは魔法の先生の教え方がうまかったのとアリサちゃんに才能があったからでしょう。さ、理由は分かったのでお引き取りを」
いつになくママが警戒している。
早々に帰そうとしているあたり、危険人物なのかもしれない。
「相変わらず聖女様は我々には手厳しいですね」
「ええ、優しくする理由もありませんから。で、何が目的ですか?」
「単刀直入に、アリサ嬢と婚約いたしたく」
……婚約?
私これでも中身居は男子高校生だが、まあそんなこと知るわけないか。
「アリサちゃん、どうしたい?」
「え、嫌です」
確かに私は今や言い間違えそうになることもなく一人称を私としているし、自分でもたまに女の子らしくなったと思う程度にはこの身体に馴染んでいるが、それでも誰と恋をしたいかと言われれば当然相手は女性がいい。
「僕と結婚すれば金には困らないし地位も手に入る。それに王都で暮らせるし望むものは何でも手に入りますよ」
「いらないです……」
しいて言うなら、欲しい物というよりもこの平穏な生活を奪わないで欲しい。
それに、この公爵からは嫌な気配がする。
私やママを利用しようとしている雰囲気だけでなく、なにか悪い物が憑いているような気配だ。
「そういえば、私が王都にいた頃隣国との戦争計画がありましたね」
ママの指摘に引っかかるところがあったのか、公爵の青年は眉を顰める。
「娘の前であまりあれこれ言いたくはないですが……何やら利用しようとする計画があったとか」
あまり聞きたくない話だな。
今まではただただ平凡に暮らしていたから気にしなかったけど、確かに聖女の力は貴重なのだろう。なんせママは「神の恩恵のような力」と言っていたのだから、欲しがるのも当然だ。
こういう闇のあるような話を聞かされると、異世界だということを実感させられる。
「しかし——」
「そもそも私、男の人と結婚したくないです」
何を言っても引き下がらなさそうなので、言葉を遮ってそもそも結婚という選択肢自体がないと主張する。
「なら、僕が男の良さを——」
「そういうのはいらないです。それ以上に女の子のほうがいいって知ってるので」
満面の笑みで断る。
ママの前でとんでもないことを言ってしまったせいで目を丸くして驚いているが、まあ嘘は言っていない。なんせ前世で色々していたのだから。
「そういうわけですので、お引き取りください。公爵家との繋がりは貴重なものですが、母としてアリサちゃんのやりたいことを最大限尊重するつもりなので」
ママは私に何か聞こうとしていたが、すぐに切り替えて公爵を帰らせようとしている。
「もし居座るというのなら……わかりますね?」
「ちっ、仕方ない。また来るからな」
ママの放った殺気に気圧されたのか、公爵は怒りを隠しながら家から出て行った。
また来ると言っていたが、迷惑極まりないので正直やめてほしい。
近くにいるだけで妙な気配がするせいで落ち着かない、変な言い訳が出てしまう。
「ねえアリサちゃん、もしかし女の子と何かしたの?」
ほら言わんこっちゃない。
「その、ぱっと思いついた言い訳と言いますか……」
「よくあんな言い訳思いついたね」
「まあ、その、如何に逃げるかってことばかり考えてたので……」
「八歳とは思えない発言でびっくりしたよ。ちなみに、ほんとに女の子がいいの?」
「はい、女の子がいいです!」
「そっかー。それだったらまずは街のほうに行かなきゃ出会いがないかもね」
「街ってどんな感じなんですか?」
「人も店もいっぱいですごいよー。そのうち連れて行ってあげたいな」
「もっと大きくなったらいけますか?」
「うーん、さっきみたいな人がいっぱいいるから難しいかなー」
「そうですか……」
田舎暮らしも楽しいが、やはり異世界の都会も見て見たかったから残念だ。
力があれば色々便利なこともあるが、こういう圧倒的に不都合すぎることがあるから正直力なんていらないからもっと平穏に暮らしたい。
——そんな願いも、たった数日で砕かれた。
「女王陛下から貴様らを国外追放にするとのお達しだ」
「ああ、女王様が……そうですか」
突然の追放と言い渡されて正直どういうことだか理解できないが、ママは納得しているようで、そうそうに荷物をまとめ始めた。
「ま、ママ……?」
「大丈夫だよ。公爵から逃げるだけ」
逃げる? 追放ではないのか?
疑問に思いながらママに手を引かれ、馬車に乗り込む。
この馬車で国外に追いやられるのだろうが、手錠を付けられる気配もない。なんなら、馬車に乗り込むときに優しく抱きかかえて乗せてくれた。
理解の追い付かないまま馬車は出発し、村人たちに見送られながら村を出る。
「ママ、どういうことですか?」
「公爵が何かしてくる前にって王女様が手配してくれたんだと思う。不敬罪って名目でならこの国から逃げられるしね」
正直、ママの説明でも理解できない。
公爵から逃げられるというのはわかるのだが、どうもそれだけではなさそうだ。
そもそもこんなに早く公爵との一件が伝わり、そして処遇が伝えられるまでが早すぎるような気がするが、きっと私の知らない何かがあるのだろう。
というか、聖女の肩書だけでこんなことになるとは思わなかった。
まあ婚約を受けていればよかったのかもしれないが、ママの反応からしてそれはそれで大変なことになっていただろうし、正直この先不安しかない。
果たして、私は平穏に暮らすことができるのだろうか。
第二話 異世界サバイバル
馬車で数日かけて、私たちは国境の外に出た。
八歳の私がいるからかあまり詳しくは話してくれなかったけど、あの公爵家には色々と問題があるようで、理由はともかく婚約を断ったのは正解なのだとか。
そんな感じで無事私とママの平和な生活は終わりをつげ、サバイバル生活が始まった。
「さーて、どうしよっか? 近くの村まで歩いて三日くらいだけど……」
三日間歩き続けるわけではないだろうが、さすがに気力が持たない気がする。
これでも私の心は今でも現代人。田舎の穏やかな空気は好きだが、長距離移動は車か電車がないと無理だ。
「馬とかいないのですか?」
「いないねー。この辺りならスライムに浸かって操れば楽に移動できるけど」
「さすがにそれは……」
スライムに浸かるって操るのはたぶん私でも出来るけど、スライムの中は何というか、水回りのぬめりのような感触で気持ち悪いからやりたくない。
「……歩きます」
ママと手を繋ぎ、村がある方へと向かう。
「この辺の村って言ったら確かエレンちゃんのとこのだ。懐かしいなぁ」
「エレンちゃん?」
「うん。ママのお友達だよ」
ママにも友達がいたのか。
まあ昔は聖女として各地を巡ったり、魔法の先生として学校に勤めていたりしたらしいし、友達の一人や二人いるくらい当たり前だろう。
ちなみに、私に友達はいない。
「あっちの村で私にもお友達出来ますかね?」
「きっとできるよ。アリサちゃん、いい子だもん」
友達、楽しみだな。
前世じゃ彼女はいたのに友達はほとんどいなかったし、現世でも友達はいないから遊び相手はママか魔物だけだった。
なんともあほくさい理由で追放されてしまったが、あの村じゃ年の近い子はいなかったし、正直飽きて来ていたところだったしちょうどいいかもしれない。
「どんな子がいるかなー」
「うーん、でもあそこも田舎だから……今子供いるかな?」
「いないかもなのですか?」
「いないかもだねぇ」
まあいなければ最悪別の大きな村や街に行くという手もあるだろうし、きっと大丈夫だ。
そんな、友達のことを考えながら歩いていると、少し嫌な空気の場所に入った。
ごく普通の道も整備された森だが、魔物が警戒しながらこちらを見ている。
「ひっ、あれ、気持ち悪い……」
森だから仕方ないのだが、大型の無視の魔物がいるのは本当に最悪だ。特に、蜘蛛の魔物は見たくもない。前世の子供の頃から苦手だったんだよな、蜘蛛は。
あの蜘蛛がいる限りはママの手から離れられなさそうだ。
「襲ってこないから大丈夫だよ」
「でも……」
前世でも親に何度も言われたセリフだ。襲ってこないのはわかるが、あの足や動き、巣を見ているとどうしても拒絶反応が出てしまう。
「うーん、まあ素材が売れるし倒しちゃおっか」
そう言うと、ママはもらった剣を抜いて蜘蛛に向かって全力で跳躍した。
右側の足をすべて切り落とすと、魔力を固めた壁を蹴って反転し、反対側の足も切り落とし、さらに同じように壁を作ってまた蜘蛛のほうに飛ぶ。
「せいやっ!」
最後は前体と後体を切り裂き、華麗に魔物を倒してのけた。
「おー……お、うへぇ」
見事な剣裁きと身体能力に関心していると、巨大な身体から私のほうに血が飛んできた。それも、サイズがサイズだったので、今すぐにでも着替えたくなる程度には。
「あー、ごめんね、血がかかっちゃったね。確かこの辺に湖があったし、水浴びしよっか」
「したいです……」
流石に血まみれの状態で歩くのは嫌だし、せっかくの綺麗な黒髪なのだから、早いところ綺麗にしたい。
「ああ、魔物の素材集めるからちょっと待っててね」
「はーい」
水魔法で髪についた水だけを洗い流しながら、ママの作業を眺める。
素材を売って金になるのは眼、足、鋏角と腹部からはぎ取れる魔石だ。それらの値が下がらないよう丁寧に解体し、何でも入るという便利な魔法の袋に仲に詰め込む。
穏やかに見えてとんでもなく身体能力が高いし、元聖女兼魔法教師というだけあってすさまじい集中力で動きながらでも魔法は正確だし、魔物の解体は綺麗だし、いろいろとハイスペックなママだ。
「おまたせー。お、水魔法ちゃんと使えたんだ?」
「はい。いっぱい練習したので!」
「偉い偉い。浄化魔法は?」
「使えるけど水浴びがいいから」
「あっはは、そうだね。じゃあ行こっか」
ママに手を引かれ、近くの湖に行った。
前世では超インドアで基本家から出なかった私は当然森に入ったことなどなく、湖も見たことがない。
「おー、神秘的……」
「ここは神様が遊びに来るところだからねー。人もいないし、早く入っちゃお」
ママは何のためらいもなく服を脱ぎ、湖に浸かった。
流石に外で裸になることには躊躇いはあるが……体くらい綺麗にしたいので、私も服を脱いで湖に浸かる。
「そうそう、ここの湖は神聖な湖だから服を浸けたら綺麗になるよ」
「そんな便利な水が!」
「ここでしか効果はないけどね」
「そうですか……」
持っていけば洗濯が楽になると思ったが、そこまで都合のいいものではないようだ。
まあ頻繁に来ることはないだろうし、冷たくて気持ちいい上に体は綺麗になるし服も一瞬浸けただけで綺麗になる泉を今のうちに堪能しておこう。
「ママ、なんか綺麗な鳥がいます!」
光が当たって青く煌めいている小鳥が水を飲みに湖に来ていた。
日光で煌めく小鳥以外にも見た目がいたって普通の少し大きい動物やスライムが湖に集まっている光景はとても輝いて見える。まさに神域だ。
「あれはシルフバードだね。自然を司る女神の眷属で、なかなか見られないんだよ。人懐っこいから……ほら!」
ママがシルフバードにそっと近づくと、全く警戒せずに近づき、差し出した手にちょこんと乗った。
「おー! 私もやってみたいです!」
「おいで。アリサちゃんのとこにも来てくれるよ」
ママのほうに行って、同じようにシルフバードに手を差し出すと、上に飛び乗って来た。
動物園にすら行ったことがないので、これほど間近で鳥を見るのは初めてだ。
撫でてやると可愛らしい声で鳴き、それにつられて別の鳥も寄ってくる。
「ママ、すごいです!」
「アリサちゃん、モテモテだね」
「ママのところのほうがいっぱいです」
ママなんて、シルフバードどころかほかの魔物まで集まってきている。
「はわぁ~……動物がいっぱいで最高です……」
魔物とは言え見た目は普通に可愛い動物なので、こうして触れ合えると普通に癒される。
けど、さすがにずっと全裸で湖に浸かっているのは日が当たっていても寒くなるので、風魔法で服と体を乾かして湖から離れた。
懐いてくれたシルフバードと別れるのは惜しいが、あの湖の周囲の魔力やその影響を受けた木の実が主食で、あそこから離れられないらしいので仕方ない。
それから日が暮れるまで歩き、ひとまず森を抜けることはできた。
ママという話し相手がいるので暇にはならないのだが、さすがに一日中歩き続けるのは飽きるし疲れたので、夕食を食べて早々にママに抱かれて眠ってしまった。
テントを張って、さらにママの魔法でテントと気配を隠蔽しているらしいので、おそらく襲われることはないだろう。そもそも、この辺りの魔物は攻撃魔法を習得したばかりの子供だけでも倒せる程度なので、襲われても問題はなさそうだ。
振り方が悪かったとは思っているが、まさかあれが理由で国外追放されるなんて思わなかった。
この世界での身の振り方……主に、人とのかかわり方は考えたほうがいいかもしれない。
私も小鳥になってアリサちゃんと水浴びしたいです