第2話 『サラワレタ姫』
「姫が、また逃げ出しました!」
「すぐに探し出せ!」
北の大陸と南の大陸の、ちょうど境目に位置する洞窟ダンジョン《大地のくびれ》。北を王国、南を魔王軍領に、そして東西を海に囲まれたこの洞窟は、古くより大陸間の移動に使われてきた。
しかし王国と魔王軍の争いが続く昨今では、魔王軍によって占拠、要塞化されその一大防衛拠点となっている。
そんな、重要地がいつになく騒がしくなっていた。それもこれも、ダンジョン主である大銀龍ペディランサスが姫をさらってきてからだ。
◆
姫の脱獄が発覚したのは、朝日がようやく昇りきった頃のことであった。
さっそくに捜索隊が編成され、ペディランサス指揮の下、姫の捜索が始まったが事件は意外に早く解決に至った。
ペディランサスはその巨体によって、自由にダンジョン内を動き回ることができない故に、捜索の指揮は必然、その巨体が収まる自身の居室《竜の間》にて行われることとなる。その《竜の間》にて、側近のトックリとあーだこーだと捜索指揮を執る中、突然その巨大な赤扉がぎぃっと開かれたのだ。
「あっ」
扉を開け、思わず声をあげたのはサンデリアーナ=ドラセナ。本日未明、牢獄を破って脱走中の王国第一皇女だ。麗しいドレスを脱ぎ捨て、いまは先日購入したばかりの綿のスウェットを着込んでいる。
「あああああ!! トックリ、捕まえろ!!!」
「承知!」
主の命令に、すぐさま反応したオークのトックリが姫へと躍りかかる。いくら、姫が優れた身体能力を持っていようとも、魔物が相手では如何ともしがたい。抵抗する間もなく、あっさりと捕らえられてしまった。
「くっ……不覚」
「まさか、迷った挙句にダンジョン最奥のこの《竜の間》まで辿り着くとは」
「まあ、探す手間もはぶけて良かったですね」
トックリが、伝達魔法でダンジョン内に姫発見の報せを伝える。ペディランサスは、ほうっと安堵の混じった溜息をもらした。
「して、今度はどうやって逃げ出した? 金切りノコを含め、やばそうな道具は全部没収したはずだが」
ペディランサスの問いかけに、サンデリアーナはそっぽを向いた。応えるつもりは無いという精いっぱいの意思表示である。
「答えぬか。トックリよ、牢獄はどういう状況であったのか?」
「私は今日は非番でしたので。担当だった者を呼んでまいりましょうか」
「うむ、そうしてくれ」
トックリが扉の奥へと消え、すぐに妖艶な美女を伴い戻ってきた。そのあまりの美しさに思わず、ペディランサスが唾を呑みこんだ。
豊満な胸と尻に、締まったくびれ、俗にいう《ボン キュッ ボン》。魔王軍で支給される、ワイシャツにベスト、ひざ丈のスカートという地味な事務服を身に纏いながらも、その溢れ出るセクシーさには誰もが魅了されるであろう。
一見、人間と違わぬ姿であるが、その頭に生えた二本の巻いた角と、腰から伸びる翼。矢じり型の尻尾とくれば彼女が魔族、それも、その美しさで男どもを魅了するサキュバスであることは明白だ。
たとえ、ドラゴンだろうがオークだろうがスライムだろうが関係ない。サキュバスの魅了は種族の垣根を超えるのだ。
彼女、サキュバスの《パキラ》は、ペディランサスの申請によって魔王城より派遣されてきた魔王軍数少ない女魔族であった。
「遅くなり申し訳ありません。ペディランサス様」
パキラが、片膝をつき頭を下げる。
「そうか、今日はパキラ君の当番であったか。早速で悪いが、姫に逃げられた時の状況を教えてくれ」
「はい。―――私が最後に姫を見たのは昨晩。夕食の膳を下げる時でした」
「ということは、その時までは確かに牢獄にいたということだな」
「その通りです。それで今朝、朝食を持って行った際には既に姿が無く……」
パキラの肩が微かに揺れているのを、ペディランサスは見逃さなかった。
「責めているわけでは無い。ただ話を聞きたいだけだ。牢の格子や、扉は壊されていなかったのだな?」
「はい。特に、そういったことはありませんでした。ただ、姫だけが忽然と姿を消していたのです」
「ふむ、最後に姫を見た時、何か変わったことはなかったか?」
「たいしたことではないのですが……」
「よい、申してみよ」
「姫が、盛大にすっころんで夕食の皿を大量に割りました」
「なに? 料理長が、張り切って作ったコース料理をぶちまけたのか!?」
その日の料理は、姫がダンジョン内に攫われてきてから初めての夕食であった。日頃より、ダンジョン内の魔物たちに食事を提供しているサイクロプスの料理長は、王家に供する食事とあっては普段の何倍も気合が入っていた。
まして、ペディランサスの計らいで姫の食事に関する予算が青天井ともなればなおさらだ。
その結果、生み出されたのが牢獄に運ばれるには似つかわしくない立派なコース料理だったのである。
「いえ、食事の後でしたので割れたのは空の皿だけです」
パキラの言葉に、ペディランサスがほっと胸を撫でおろす。料理長の自慢の品々は、無駄になることなく姫の胃袋へと収まったのだ。よかったよかったと。
「ペディランサス様。姫は皿を割りましたが、自ら率先して片づけを手伝ってくれましたよ」
「ほう、王侯貴族というのは落としたスプーンすら、自ら拾わんと聞くが……姫はえらいな。しかし、この話は脱獄とは関係なさそうだな。さて、そうすると参ったぞ」
一晩のうちに、牢を傷つけることなく忽然と姿を消した姫。その謎に、3体の魔物が挑むも、どうにも埒があきそうにもなかった。
事件は迷宮入りか。そんな、嫌な空気を破ったのは、まさに牢を破った姫自身であった。
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