君のきざはし
どうすれば満たされる。
この飢えと渇き、焦燥感は何なのか。
大人は、僕の満足出来る答えを提示しない。
自分の正解を持たず、誰かの答えを振りかざす。
それのどこが大人だ。
用意された物をひけらかすのは、豪華な玩具を見せびらかす幼児と変わらないさ。
今日も無駄な授業を聞き流す。中学の国語教師なんて、大学いってりゃ誰でもなれるんじゃないのか。
教科書に書かれた事や誰かの言葉を借りているだけの、空っぽな大人に教わる事は無い。
僕は授業を受けるふりをして、隠しているノートへ文字を綴る。
いつも通り夢中で書いていると、チャイムが鳴った。慌ててノートを閉じる。
「はい、後ろから集めて下さい」
えっ?
思わず手を止めた隙に、後ろの女子が僕のノートを持って行く。
「ちょっと、待っ」
腰を浮かしかけた時には、もう前へ行った後だ。
くそっ! いつもノートを集めたりしないのに!
真っ白なノートを見て、何と言われるだろう。
その時は、貴方から教わる事なんてありません、とでも言ってやろう。
気にせず、次の授業の用意をした。
僕は今、職員室に呼び出されている。
放課後の職員室は、緩い空気で先生達が各々やる事をやっていた。
僕の目の前には、国語教師。担任で影の薄い、生徒にも人気が無い地味な先生。
呼び出した担任の手には、僕のノート。真っ白なノート。
やっぱりお説教くらうのか。職員室で他の先生もいる前だと噛み付くような事も言いにくいな。
不貞腐れた表情の僕に、担任はダサい眼鏡を押し上げて、嬉しそうに笑っていた。
なんだよ、コイツ、やっぱり馬鹿な大人は嫌いだ。
「やあ、呼び出してしまって、悪いね。どうしても一度話しておきたくて」
そう言って、僕に僕のノートを差し出す。
そんなに叱りつけたかったんですか。自分の授業は聞くに値しないと、反省はしないんですか。
「いや、素晴らしい。まずは、そうだ。素晴らしかった」
「え?」
思いがけない言葉に、僕は馬鹿みたいに間抜けな声を上げるしか出来なかった。
「次は、こうだ。君のこれからがとても楽しみだ。僕は、君の中に輝く原石を見たよ」
何を言ってるんだ? こいつは。
「そして……だめだな、陳腐な言葉しか浮かばない。君の綴った物語への賛辞には、似つかわしくないな」
少し照れ臭そうに目を細める。何を言っているのか、僕には理解出来なかった。
「君がいつも熱心に書いていたのは、気付いていたよ。君だけが、ノートに何かをぎっしり書いていると、教壇から遠目に見ていた」
気付いていたの?
「今日の授業で、羅生門の感想文を最後に書いてもらっただろう? 皆あまり書けていなかったが、君のノートには驚かされた」
まさか。知らず力がこもった手でノートを開く。
やっぱり! 僕の創作を書き連ねた、秘密のノートの方じゃないか!
茫然とする僕に、担任は穏やかな口調で続ける。
「僕の授業をBGMに、それほど素晴らしい作品を書いたのは、君が初めてだ。君は、そのままでいい。君のきざはしを進むと良い」
「怒らないんですか?」
「何故怒る必要がある? ああ、授業は出来れば聞いて欲しいな。赤点を取らない程度にはね。だが、君はその必要もないしな」
確かに赤点取った事は無い。
「人はね、みな、自分の人生を自分で見出して生きていく。君は、それが少し早いのかもしれないな。悩み、挫折しながら成長して、唯一の席を取り合う競争だってある。だが結局、一人一人、自分のきざはしは自分のしかないんだよ。それをただ、自分の足で登っていく」
「自分のきざはし、ですか」
「ああ。君はそれをもう見つけたんだ。僕は、君のファンとして、それを応援したい」
穏やかな声音に、僕は、僕の常識が覆ったのを感じた。
馬鹿だなんだと勝手にみくびっていた大人は、やはり大人だったんだ。僕を理解して、僕を育てようとしてくれている。それを、僕も理解した。
担任の墓前へ、僕の最高傑作を置く。
先生、僕の階、今も登り続けています。
貴方の言葉を、追い風にして。