聖女の騎士
「おい、エリック! 大変だ!」
部屋にいた俺の元に、一人の男がやってきた。
こいつはスラム街で情報屋として仕事をしていたケイナンだ。
俺もそうだがスラムで暮らしているだけあり、彼はあまりきれいな格好ではない。
ま、スラム街の中で言えば、俺やケイナンは比較的マシなほうだ。
「どうしたんだよ、うっせーな」
俺は拾ってきたパンを食いながらケイナンを見ていた。どうせまたろくでもない情報を掴んできたのだろう。
適当に聞いてあしらおうと思っていると、
「新しくスラムに入ってきた殺人犯の丸坊主兄弟が聖女様を誘拐しやがった!!」
「ハァァァ!? おまえそれ本気か!?」
「あ、ああ本気だ! あいつら、手を出したらダメな相手ってのをまるで理解してねぇんだよ! どうする!?」
ケイナンの言葉に頬が引きつる。
……スラムというのは社会的に見れば弱者の集まりだ。俺たちがこうして生活できているのは、国を管理する貴族たちに不利益を与えていないからだ。
だから俺たちスラムの人間には、暗黙のルールがある。それは、貴族たちには何があっても手を出さないというものだ。
金や物を奪うのなら、平民を狙え。俺がここで真っ先に覚えたルールだった。
……新しく入ってきた馬鹿どもはそれを破った。
それに相手が最悪だ。聖女といえば国のトップクラスの人間だ。
聖女は特殊な立場にいるため、場合によっては王の命令でさえも突っぱねることができると聞いたことがある。
……それほど、ヤバい立場の人間を誘拐だと? スラム街ごと潰されかねない!
住めば都とはいったもので、スラム街というのは俺にとっては居心地が良かった。
というか、ここ以外での生き方を知らないので、スラム街がつぶされたら俺は野垂れ死ぬ可能性がある。
「ど、どうするエリック!?」
「……丸坊主兄弟から聖女を連れ戻して、何事もないうちに事件を片付けるぞ。案内しろ、ケイナン」
「あ、ああ!」
スラム街を守るにはこれしかない。
聖女が気を失ってくれているのが一番だな。それか、話の分かる相手ならいいんだが。
ケイナンとともに俺はある建物へと来た。
雨風がしのげる程度の家だ。ここを確保しているということは、丸坊主兄弟はそれなりに実力があるのだろう。
スラム街では力がすべてだ。住む場所はもちろん、食事も奪って手に入れる。
スラム街にある無事な建物は少ないため、そこで暮らすには力が必要だった。
「こ、ここだぜエリック。頼むぜ!」
「……おう、分かったよ」
俺は鍵の壊れた玄関を押し開け、中へと入る。
と、そこには聖女と思われる美しい女性と二人の男がいた。
二人の男は……どちらも丸坊主だ。だから、丸坊主兄弟と呼ばれている。
こちらに気づいた彼らと、厳しい目でこちらを見てくる聖女を一瞥する。
……聖女は目を覚ましていて、現状をよく理解しているようだな。
「あぁ? なんだぁ?」
「ガキじゃねぇか……ここが誰の家かわかってんのか? あぁ?」
とりあえず、説得するためにも……この丸坊主兄弟を叩き潰す必要があるだろう。
丸坊主兄弟が苛立った様子で拳を鳴らしながら近づいてくる。
「その女は聖女だそうだ」
「はっ、それがどうした? 良い金になりそうだな?」
「……スラムにはスラムのルールがある。貴族には手を出すな。今すぐその人を解放しろ。そうすれば、今回は見逃してやるよ」
「見逃す? はは、ガキが何を言ってんだよ!」
丸坊主兄弟がげらげらと笑う。それから一人がナイフを取り出した。
「ぶっ殺してやるよ!」
「ああ、オレたちはこれでもすでに二人やってんだぜ? へへ、スラムのガキごときにどうにかできると思ってんのか!?」
叫んだ丸坊主兄弟の一人の胸に拳を叩きこんだ。
その一撃で白目をむいて倒れた。
もう一人の方が一瞬ためらうように固まったあと、しかしすぐにナイフを振りぬいてきた。
遅すぎる。
その手首をつかみ、思い切り捻り上げる。こぼしたナイフを拾い上げ、男の胸に突き刺した。
痛みによって床を転がる男を無視して、俺はすぐに聖女を拘束していた縄をほどく。
「おい、乱暴はされていないか?」
「されました」
「はぁ!? お、おいどのくらいだ!? ま、まさか犯さ――」
そうだったら最悪だ。今更責任なんてとれない。
ひとまず丸坊主兄弟を殺すのは当然としても、それだけでは足りないだろう。
どうあってもスラム街がつぶされる。
終わった。さらば、俺の故郷。
「思い切り腕を引っ張られました!」
「はぁぁ!? それだけかよ!?」
「それだけとはなんですか! とても痛かったんですよ! ほら! あざになっています!」
そういって彼女はすっとあざを見せてきた。
……どうやら、その程度ではあるようだ。
「そうみたいだな。まあ、良かった。まだそれくらいで済んで」
「だから、それくらいでは――」
「ここはスラム街だぞ? スラムの連中は何を考えているかわからない。もっと酷いことをされた可能性だってある。……とにかく、無事でよかったよ」
俺が微笑みかけると、彼女は顔を真っ赤にしてそっぽを向いた。
「そ、そうですか」
「ああ。とにかく、スラムの外までは案内する。歩けるか?」
「……は、はい。大丈夫です」
顔を真っ赤にしたまま、聖女は立ち上がる。
……それにしても、本当に綺麗だな。これが聖女様って奴なんだな。
そんなことを考えながら、部屋を出てスラム街を歩いていく。
周囲からこちらを伺うような視線がいくつかあったが、聖女、と知れば誰も手出しはしてこない。
それが、このスラムでのルールなんだからな。
スラム街の外まで無事聖女を送り届けた俺はそこでようやく胸をなでおろした。
「……ありがとうございました。でも、あなたはどうして助けてくれたのですか? あなたも、スラムの人ですよね?」
「スラムを守るためのルールがあってな。スラムの人間は決してお偉いさんには手を出さないんだよ」
「……なるほど。スラム街をつぶされたくはないということですね?」
「理解が早くて助かる。そういうわけで、出来れば今回のことはあまり大ごとにはしないでくれないか?」
「……」
聖女様は考えるように顎に手をやる。それから、じーっとこちらを見てきた。
「あなた、名前はなんですか?」
「エリックだ」
なぜ名前を聞かれた? 疑問に思ったが素直に答える。
「エリックさんですね、私はアーニャと申します。今後ともよろしくお願いします」
「……アーニャね。ん? 今後とも? どういうことだ?」
スラムの人間が継続的に聖女と会うような機会はない。
つまり、今後なんてものは確実にないのだが――。
「あなたに、一つお願いがあります」
かしこまった雰囲気でアーニャがこちらを見てきた。
それに嫌な予感を覚えた俺だったが、無下にするわけにもいかない。
「なんだ?」
「エリックさんには、私の守護騎士になってもらいます」
「……しゅご、騎士……? なんだそれ?」
「私の専属の騎士です。常に私と行動し、身の回りを守る守護騎士です」
「……いや、意味が分からない。俺はスラムの人間で騎士の心得も何もないが」
「通常の騎士とは違いますからご安心を。強ければ大丈夫ですから」
「いや、だとしてもだ。そんなの別に俺はやりたく――」
「あー、私なんだか誘拐されたことポロっと王様の前で口を滑らせてしまいそうですねぇ」
「……!?」
アーニャはそういってこちらをちらと見てきた。
……こ、こいつ! 俺を脅しているのか!?
ここでアーニャの頼みを断れば、アーニャはスラム街をつぶすために動くといっているのだ。
そうなれば俺のスラムは消えてしまう。
「て、てめぇ……っ」
「どうしますか、エリックさん?」
「……」
そんなもの、選択は一つしかない。
「わかったよ。引き受けてやる」
「本当ですか!? しゅ、守護騎士になってくれるんですね!?」
「ああ、そうだよ」
「ふ、ふつつかものですが、よ、よろしくお願いします!」
「……ああ? よろしくな」
顔を真っ赤に嬉しそうにしていた彼女に違和感を覚えながら、俺は差し出された手を握った。
アーニャは俺の手を一度握った後、肘に腕を回してきた。
「おい、なんだよこれ?」
「守護騎士なんですから、このくらいの距離は当然ですよ?」
「いや、おかしいだろ? これって恋人同士がやるやつじゃねぇか」
「ですから、守護騎士は恋人なんですよ?」
「は?」
「守護騎士は常に聖女とともに行動します。将来、聖女の伴侶となる者にのみ与えられるんです」
「ちょ、ちょっと待て。つまり、俺はおまえと結婚するってことか!?」
「そういうことですね、よろしくお願いします」
「……」
だ、騙された! ただの騎士じゃねぇのかよ!
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