8月1日 一
8月1日(土)
昨晩書き続けていたら寝ていてしまったらしく、既にもう朝だ。まずい。昨日は少しノリノリで書いていたこともあって端折っていいところも気取った風に書いている。
最初のくだり絶対にいらないだろ。もう出発まで二日なのに、書いておかなければならないことを書ききれなくなってしまう。
書くこと・・・そう、まずは、私はキアナ公国へと手紙を送付し、サマクンラの上陸許可を申請した。
キアナ公国の公用語はイタリア語とメァ語だったのだが、英語が精一杯であった。
メンバーやOBに文面のチェックをしてもらい、探索を行うだけであって公国に一切面倒ごとは起こさないというような趣旨を書き連ねた。
有名な探検家のノンフィクションの探検記を読んでいると、なかなか返信が返ってこなく煮立った思いをするのが関の山のようだが、一週間後に豪勢な包みが大学宛に届いた。中にはサマクンラへの上陸許可の手紙と資料、写真、チケットなどが入っていて一つ一つを確認するたびにみんなで驚いた。一大学生たちの探検に過ぎないというのにキアナ公国はここまでよくしてくれるのかと、感動というより怪しさが含まれた驚きを感じた。
でも、これでなんの不安もなくキアナ公国、そして、サマクンラへと立ち入る許可を私たちはもらったのだ。
それと同時に、キアナ公国と関係のある人が日本にいないか調べまわった。いくら無茶苦茶な仕事をしているOBたちにもキアナ公国と接点を持っている人はいなかった。数珠つなぎ形式でそれらしき人を知っている人はいるかと尋ねても誰一人現れなかった。
国連加盟国という繋がりしかキアナと日本には無いようだ。別に助っ人は最悪いなくてもいいのだが。心持ちがいるといないとじゃ遥かに違う。
日本人から数珠つなぎをするのがいけないんだと思い立った私は、高田馬場へと向かった。
朝から晩まで人でごった返している場所だが、ここには外国人が経営している店が多い。
ヨーロッパ系の店をしらみつぶしに探したら最終的にキアナ公国へとつながるのではないかと予想したのだ。結果として、この作戦が功をさす事になった。それは最初に入ったイタリア料理店でだった。
まだ開店したばかりで、客は私だけだったから話を聞くのには好都合であった。店主は目は青く、鼻も高い日本人が想像するだろうまんまのヨーロッパ系の白人であった。
店主にキアナ公国の知り合いはいないかと聞いたら、なんと店主はイタリア人ではなくキアナ人だった。
クイードという名前の店主は片言の日本語で祖国にはこれといってパスタやピザのような代表的料理がないためにイタリア料理店を開くことが多いらしい。あんなに自分の持てる限りの人脈を使って一人も探し出すことができなかったのに、まさかこんなにあっさり見つかるとは思わなかった。
しかも、クイードにはキアナに妻と息子がいるというではないか。
交渉するにはもってこいだと思ったが、私はここで大いに悩んだ。
サマクンラのことをキアナ公国の人々はどう思っているのだろうかと。下手をしたら、サマクンラに行くつもりなのだが協力してくれないかと尋ねて、機嫌を著しく悪化させる場合もあるかもしれない。だからと言って、下手な嘘をついて協力してもらうのは、なんだが気が引けてしまった。
初めての交渉で、頭が真っ白になりそうだったが、深く考えることはやめて単刀直入に、サマクンラに行くから協力してほしいと言った。
「サマクンラ?言って何をするの?」
私は思いがけない言葉に言葉を失ってしまった。
自国の領有している島で現在世紀の大発見が起きようとしているのに、当の本人たちは無関心であった。
サマクンラがどのような場所か知っていないわけではない。アルヴァスの書のこともちゃんと知っていた。
それでもサマクンラには何もないという。
どうしてそこまで言い切れるのか気がかりであったが、日本人がキアナ公国に来てくれるという事がとても嬉しいらしく、できる限りの協力はしてくれると言ってくれた。
クイードはさらにすごいことを口にした。父親がキアナ公国のお偉いさんという自慢話をしてきたのだ。
すかさずクイードに手紙の話をしたら、父親に掛け合ってみるとのこと。しらみつぶしに捜し回ろうとした一軒めで、物事が大きく動いた。
すごいぞクイード。すごいぞ高田馬場。