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⑸『松屋狂い』・・・終わりに
⑸『松屋狂い』
・・・終わりに
㈠
松屋について、また、その狂い様について述べてきたが、ここで終了しようと思う。多分これからも、最大でも一日一回だが、松屋には通うことだろう。しかし、当然、当たり前、そう言った規定文句に惑わされる程、自身の狂いは主観的ではない。松屋狂いを、客観視できているのだ。
㈡
松屋の牛めしは、美味しい、もうその一言に尽きるのだが、どうしてその連鎖反応とやらを、頭で考える必要があるだろうか。食感が馴染む、ということで、頭を使わずに、自然に狂っていることが、この上なく上質な狂いだと、思っているからである。
㈢
つまり、松屋狂いとは、日常における、一つの狂いである、そう言えよう。そしてそれが、悪いことでも何でもない。不自然は、空位の彼方に消失し、当たり前の幸福的日常的食事が、まさに、其処にあるだけで、松屋狂いは終始する、その文言でもって、松屋狂いの終わりとしようと思う。