星拾い人
僕の背中で列車の扉が閉まる音がした。
僕が歩き出すと同時に、同じ方向へ列車も動き出す。
最初は僕より遅かった列車は、すぐに僕と同じ速度になって、僕より早くなって、走り去っていく。
小さくなっていく列車を見送りながら、僕は手袋をした両手をこすりあわせた。
身につけているキーホルダーのシリウスも、僕の手の動きとともに小さく揺れる。
「......寒いな」
そう呟いた僕の言葉が、白く染まって空へ上っていく。
月の落下以来、力の弱まっている星は、もちろん太陽も例外でない。
今まで太陽の力で暖められていた地上の気温は、太陽の輝きが失われていくにつれて下がる一方だ。
古い本を読むと、一面の銀世界を大はしゃぎで駆け回る子どもたちがよく記述されているが、今の子どもたちにとって雪の降り積もった世界は当たり前だ。
むしろ、白くない地上を見たほうが、駆け回るだろう。
星たちが落ちてくるまでは、海で泳ぐ海水浴という余暇があったらしいけれど、 あんなに冷たい海でそんなことをしたら凍死するんじゃないだろうか。
太陽の力は年々弱まるばかりで、地上の平均温度は五年前に比べると十度も下がっているらしい。
今はまだ、空で輝いてくれている太陽が、もし月のように落下してきてしまったら...... そんな不安を世界中の人々が抱いている。
太陽がなくなったら......この地上は、僕らは、どうなってしまうんだろう。
寒さに身を縮こまらせながら、僕は駅から出る階段を降りた。
駅員もいなければ、屋根もない、小さくて素朴な駅の階段には、薄く雪が積もっている。
『これからどうすんだよ?』
階段を降りている僕にシリウスが尋ねてきた。
少し考えてから、僕は口を開いて、
『あ、休憩するとかそういう答えは受け付けねーからな』
「う」
シリウスに先を越される。
図星だったために、階段の最後の一段を踏み外しそうになった。
なんとかバランスを立て直し、恨みがましくシリウスを睨む。
キーホルダーの君と違って、生身の人間である僕は電車での移動で疲れているんだぞ、と目で訴えた。
少しくらい休憩したって、きっと罰は当たらない。
呆れきった様子のシリウスがやれやれというようにため息をついた。
『お前がここに来たのは“仕事”のため、だろ。仕事しろよ、仕事』
「そりゃ、そうだけど......。でもね、シリウス、世の中には休憩することも仕事のうちと いう言葉があってね」
『働け』
僕の穏やかな諭しは身も蓋もなく一蹴された。
なんて手厳しい相棒なんだ。
わかったよ、と渋々呟いて僕はあたりを見回す。
駅から降りたったその場は、前を見ても右を見ても左を見ても、木々しか目に写らなかった。
針葉樹......といっただろうか。
とがった葉をつけているその木々は冬でも葉を散ら さない木なのだろう。
寒さに震える僕の周りを、ほんのり雪をかぶった緑の木々が囲んで いた。
僕の目的地は森の中にあるこの小さな駅。
夜の森なのだから、当然といえば当然なのだけれど......人気がまったくない。
線路に沿って、細い小道が伸びてはいるが、人っ子一人見あたらなかった。
小道の脇には等間隔に設置された電灯がぽつぽつと淡い光を放っていて、頼りなくも夜の世界に明かりを灯している。
この電灯がなければ、足の先も見えないくらいに真っ暗に なるだろう。
そんな暗闇の中でもシリウスは明るく輝いていて、僕の行く手を照らしてくれている。
姿かたちはキーホルダーでも、その輝きは星のもの。
ちかちかと瞬きながら、シリウスもあたりの様子を窺っているようだ。
「シリウス、状況はどうだい?」
『“奴”の気配は特に感じねぇな。ただ、油断はするなよ。とりあえず、誰か話を聞ける人間を探して......』
「だ、だだ、誰だっ!お前は!?」
突然、闇の中から飛んできた怒鳴り声がシリウスの話を遮った。
驚いたシリウスが押し黙り、僕は反射的に声がした方向を振り返る。
振り返った先には一つの影があった。
夜の森の中、ぽつんとたたずむ人間の影。
僕はシリウスを顔の近くまでもってくると、思い切り不満を込めて小さく呟く。
「......なんの気配もないって言ったじゃないか」
『“奴”の気配はない、って言ったんだ。人間の気配は薄くてよくわからねーんだって。そもそもお前が気づけよ。星のせいにすんな』
......少し不満をこぼせば、これだ。
三倍くらいになって返ってきた文句を聞き流しながら、僕は夜の闇の中に目を凝らした。
その人物の持ち物であるらしいランプの炎が、数メートル先でゆらゆら揺れている。
闇が深いため、声の主の細かい特徴までははっきりとわからない。輪郭が見える程度だ。
ランプの明かりとともに、草木を踏みしめる音もゆっくりと近づいてくる。
そして、
「こ、ここは関係者以外立ち入り禁止だぞ!お前は誰だ!密猟者か?強盗か!?」
そう叫びながら闇の中から姿を現したのは、一人の青年。
年齢は二十歳くらいだろうか。
正確にはわからないが、明らかに十五の僕よりは年上だろう。
帽子を深くかぶり、暗い色のジャケットに、それと似たようなデザインのパンツを身につけている。
闇の中で見えたランプは腰のベルトに取り付けていたようだ。
ランプの傍で赤く照らさ れているのは......ホルスター、だろうか?
身なりからして警備隊のようだが......。
僕を問いつめる声が震えていて、少々頼りない。
なんだか腰も引けている。
......僕という侵入者の出現にパニック状態といった感じだ。
警備服もまだ着慣れていないようだし、ひょっとしたら新米なのかもしれない。
『............なんか、すっげぇめんどくさそうなのが出てきたぞ。彗』
「シリウス。君はもう少し言い方ってものを選べないのかい?」
シリウスが僕にだけ聞こえる小さな声でささやいてきた。
失礼極まりない物言いだが、 対応が面倒という点では間違ってもいないので強く言い返せない。
声は届くが手は届かない距離を保って、青年は僕の様子を窺っている。
僕のことを完全 に危険人物だと位置づけているようだ。
......勘違いで逮捕、なんて冗談じゃないな。
「あの、すみません。僕は......」
「このエリアは“星の落下”の影響で厳重警戒地域になっている!」
あわてて誤解を解こうと口を開いた僕の言葉に、青年の言葉が重なった。
......彼に僕の話を聞く精神的余裕はないらしい。
そう......この地区には三日前、星が落ちてきた。
星の落下地点はあたりに広がるこの森のどこか。
森の中に落ちたこともあり、死傷者が出るほどの被害ではなかったようだ。
そんなことくらい、もうわかっている。
なぜなら僕は、“その星のため”にはるばる電車に乗ってここまでやって来たのだから。
遮られた会話をなんとか続けようと、あきらめずに僕は口を挟む。
「えぇ。だから」
「星が落ちてきた地域はとても危険な状態だということくらい、知っているだろう!一般人の立ち入りは禁止されている!」
「その、僕は」
「いいか!本当に危ないんだ!」
「わかっています。ですから」
「興味本位で入れば命を失う可能性だってあるんだぞ!」
......頼むから少しは話を聞いてほしい。
『彗。こいつ、マジでめんどくせぇぞ』
「だから、シリウス。もう少し言い方を......」
再びシリウスが僕にだけ聞こえる声でささやいた。
同意したいのはやまやまなのだが、人間の社会には礼儀というものがある。
どうしたものかと途方にくれていると、さらに状況が悪くなった。
なんの弁明もしない......いや、実際はさせてもらえないだけなのだが、なんの弁明もしない僕に業を煮やしたらしい青年は、ついにホルスターに手を伸ばす。
さすがの僕も、体が強ばった。
「誤って入り込んだのならすぐに出て行くんだ!」
もたつきながらも銃を取り出し、構える青年。
一目で持ち慣れていないのがわかってしまう危なっかしい手つきだ。
申し訳ないけれど、撃たれる心配より誤射の心配をしてしまう。
「この忠告が聞けないのなら......今すぐここで発砲する!」
銃を持つ手が少々おぼつかないが、その銃口はしっかりと僕に向けられていた。
僕は、とりあえずホールドアップ。
「えっと、その。これは面倒だな......」
『......結局、お前も面倒って言ってんじゃねぇか』
俺にだけ注意してんじゃねぇよ、とシリウスが不服そうにぼやいているが、今は彼に構っている場合じゃない。
僕が抵抗を見せなかったので、青年にも幾分余裕ができたようだ。
銃を向けつつも、問いかけてきてくれた。
「......こ、答えろ!何をしにきた!」
どうやらようやく話を聞く気になってくれたらしい。
僕は少し肩をすくめてから、
「何って、星を“拾い”に来ました」
一足す一の解を答える時のように淡々と言う。
「.............................................へ?」
対して僕への返答は間の抜けた声だった。
一足す一の答えは三です、と生徒に言われた教師も、こんな感じだろう。
僕の答えがあまりにも予想外だったらしい青年は、いわゆる......鳩が豆鉄砲食った顔をして固まっている。
警備員が口をぽかんと開けて呆然としている様は、なかなかお目にかかることはできない貴重な機会だけれど......できれば目にしたくはなかったな。
発砲する気はなくなっているようでも、銃口は僕に向けられたままだ。
......落ち着かないからやめてほしい。
やれやれと思いつつ、僕は右手に取り付けた皮の手袋を外して、掲げるようにして手の甲を彼の方へ向ける。
その手の甲には、細い直線で六芒星の紋様が描かれていた。
暗い夜でも淡く光る、不思議な紋章。
青年は僕の手の甲を見て、僕の顔を見て、もう一度僕の手の甲を見てから、
「えっ?」
再び僕の顔を見て、そう言った。
例えるなら、鳩が豆鉄砲食った上に、追い討ちで水鉄砲まで食った時の顔だろうか。
僕はさらにやれやれと思いながらも佇まいを正して、青年に向き直る。
右の拳を左胸にあて、直立の姿勢から、一礼した。
「お初にお目にかかります。“星拾い人”の、彗と申します」
星拾い人、とは。
その名の通り、“星”を“拾う”人のことだ。
世界中で次々と星が落ちて来る事態が起こった時、人間は地上に落ちてきてしまった星たちを放っておくことはできなかった。
......何故かって?
空に星が輝いていないという事実が虚しかったから......そんな理由で あればよかったのだけれどね。
実際の理由は簡単。
落ちてきた星々が、人間にとって害のある存在だったから、だ。
僕らの手の届かない遙か天空から来た星は、計り知れない大きな力を持っていた。
そして、落ちてきた星たちは地上でもその力を放ってしまった。
星の未知なる力は、人間......人間どころか、生き物が耐えられるものではなかったんだ。
星が落下した地点では湧き水は止まり、植物は枯れ、動物すら姿を消し、不調を訴える人々が続出した。
そんな様々な異常事態が次々と起こる中、全ての原因が星の力のためだと判明したんだ。
当然、政府には早急な問題解決が求められた。
そうして生み出されたのが“星拾い人”という職業。
拾い人は強大な星の力にも、ある程度耐えることのできる体質をした人々が選出され、 地上におちた星を回収することを主な業務としている。
拾い人が星を拾い、しかるべき場所で保管することで、星の力が生物に悪い影響を及ぼ すことがなくなるんだ。
拾い人は星を手にすることを許可された“選ばれたもの”である証を、手の甲に刻むことが義務づけられている。
......もう、気づいたかな?
僕の手の甲にあるのは、その証。
......そう。僕も“星拾い人”の一人だったりする。