星を拾うため
『............誰............?』
小さくてか細い声が、その場に響いた。
少し高めの幼い少女のような声だ。
星に性別はないから、あくまで僕の主観だけれど。
……いや、うん。
まぁ、予想はつくだろうけれど、一応確認のために言っておこう。
......気づかれた......。
『ねぇ、誰......?誰か......いるの?』
......こうなったら隠れていても仕方がない。
シリウスが黙っているということは、僕に任せるということだろう。
この星から生まれた星影にはさんざん攻撃を受けたけれど、彼女の声からは攻撃の意志を感じなかった。
もしかしたら......話ができるかもしれない。
短く息を吐き出して、僕は覚悟を決めた。
心の中でカウントダウン。
三、二、一。
零、のタイミングで気の陰から飛び出し、その星の前に姿をさらす。
「......!」
真正面に立ってみて、改めて気がついた。
予想していたよりも邪気の威力が凄まじい。
よどんだ空気は重く僕にのしかかり、息苦しさを感じさせる。
向かい風など吹いていないのに、足を一歩出すのも 難しかった。
見えない大きな力が僕をはじきだそうとしているようだ。
圧倒されて後ずさりそうになるけれど、なんとかこらえて彼女と向き合う。
からからに乾いた唇を一度なめてから、僕は口を開 いた。
「......今晩は」
そう言って浮かべた笑顔は、敵意がないことを示すため。
それでも......僕に返ってきた彼女の答えは、
『いっ......やあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!』
拒絶、だった。
突然の彼女の叫びが僕の耳に突き刺さる。
反射で両耳を塞いだが、なんの意味も為さなかった。
脳に直接響いているかのようだ。
一瞬遅れて、爆風がやってきた。
彼女の拒絶の感情につられ、星の力が暴発したんだ。
人間の能力が精神に影響を受けるのと同じく、星の力も彼らの感情に左右される。
彼女の悲鳴にペースを崩されていた僕は、すぐに反応できなかった。
まずい、と思った時には、もう遅い。
地面にふりつもった雪と、さらには土までもを巻き上げて、強風が僕を襲う。
「う......わっ......!?」
直撃したそれは僕の体を浮かせたが、僕の腕は反射的にすぐ傍の木の幹にしがみついてくれた。
おかげで遠くまで吹き飛ばされることは免れる。
その木の陰に身を滑り込ませて、僕は一つ息をつい た。
星の力を近距離で浴びて弱ってはいたけれど、それ でも木は根を張って僕を強風から護ってくれる。
『......耳が......がんがんする......』
シリウスはというと僕の手元で早くも音を上げている。
あれだけ大音量の悲鳴を近距離で食らったら、そう言いたくなる気持ちは分からなくもないけれ ど......。
「......君に耳なんてないだろう」
僕は独り言をこぼすように突っ込んだ。
この返しは予測済みだったのか、シリウスの答えは早い。
『揚げ足とんな。そう言う気分だってことだよ』
......揚げ足をとれる足もない訳だけれど。
いや、 これ以上の口論は無意味だな。
僕はすぐにもう一度彼女の前に出ようと試みたかっ た......けれど、とても無理だ。
今いる木影から吹き飛ばされないようにするだけでせいいっぱい。
吹き荒れる暴風は、木の葉も、雪も、僕も、彼女に 近づくものすべてを追い出そうとしていた。
森の中に響くのは、風の音なのか、彼女の悲鳴なの か、判断が付かないほどに混じってしまっている。
彼女は......苦しそうだった。
そして、泣いているように見えた。
顔も表情もない星のどこを見て判断しているのかと 言われるとうまい説明はできない。
でも......僕にはわかる。
彼女はなにかに苦しんで、哀しんで......泣いてい る。
星の身体からぽたぽたとこぼれる闇が......涙にしか 見えなかった。
彼女自身はとても辛そうなのに、彼女の力の暴走はおさまらない。
『このままじゃまずい......!』
僕と同じく彼女の様子を見ていたシリウスが叫ぶ。
人間に体力の限界があるように、星も永遠と力を行使することができるわけではない。
ましてや、自らの意志で制御できていない使い方......まさに今の彼女の使い方をすれば、すぐに限界が来てしまう。
最悪......星である身体がこなごなになって砕ける。
なんとか止めなければ、と思っていたら......急に風と悲鳴がやんだ。
直後、彼女の身体がぐらりと揺らぐ。
「......!」
星が地に落ちて闇に溶けてしまうという最悪の状況が頭をよぎり、僕は慌てて木の陰から飛び出した。
飛び出したが......
『い......やだ!!来ないで!』
彼女の絶叫で、足を止める。
星はまだ地面には落ちずに......鈍く、とても鈍く、かろうじて輝いていた。
彼女に拒絶される理由は......わからなくもなかった。
人間が星を恐れているように、星も人間を恐れている。
悲しいことだけれど、星たちを地上に落とした人間が憎い、という星もたくさんいる。
人に拾われるということを......触られるということを頑なに拒否する星には、拾い人という仕事をする中で何度も関わってきた。
仕方のないこと、なのかもしれない。
彼女の『来ないで』という叫び声は、明らかに怯えている声だ。
おそらくは......人間の僕に対する怯えだろう。
僕はまっすぐ彼女を見て、はっきりと言った。
「僕は君を傷つけないよ」
僕を怖がらないでとは言わない。
僕を憎まないで とも言わない。
でも......僕は君を恐れてない。
ましてや憎いなん て思ってもいない。
だから、君を傷つけるつもりはない。
それだけはわかってほしかった。
そして、もう一歩近づこうと足を出すが、
『来ないでって言ってるでしょう!』
彼女から返ってきたのは、変わらない拒絶の感情。
その叫び声に呼応して、彼女の下に広がっていた闇が波打った。
跳ねた闇は空中で形を変え、何本もの鋭い槍になる。
そのすべての矛先が僕に向けられた。
......目で確認できたのはそこまでだ。
「.........!?」
次の瞬間には、どの槍も僕の身体すれすれで止まっ ていた。
しかもそのうち一本は僕の喉元。
どう動いても闇の尖端がどこかに刺さる、身動き一 つとれない状況。
もし無理やりにもう一歩踏み出そうとすれば、確実 に彼女の力に貫かれるだろう。
僕の頬を冷たい汗が流れた。
......これでは星を拾うどころか、触れることもでき ない。
身動きがとれぬまま彼女の拒絶を溶かす方法を考える。
けれど、喉元の槍を気にしてしまって集中できなか った。
『......彗』
焦る僕の耳に、シリウスの冷静な声が届く。
『星の俺が、話してみる』
彼は頼もしい声でそう続けた。
確かに......人間の僕が近づいて不安にさせるより、星であるシリウスのほうが、彼女も安心できるだろう。
任せた、という意味を込めて、僕は小さくうなずく。
僕が動いたことにより、彼女の身体がびくっと震え たが......
『おい』
『!』
直後に響いたシリウスの声に驚いたようで、何もしてこなかった。
明らかに困惑した様子で、彼女は声の主を探している。
『......え?だ、誰?どこにいるの?』
『ここ。目の前にいる人間の右手』
『手......?......あ......』
僕の右手にぶら下がっているキーホルダーに、彼女も気づいたらしい。
それと同時に、僕への攻撃の意志が少し緩んだ気がした。
......気がしただけで、身動きの取れないこの状況はなんら好転していないのだけれど。
それでも身を刺すような敵意が緩んだのは、この場の空気が変わった証拠。
『よぉ』
シリウスはちかちかと瞬きながら、彼女に親しげに声をかける。
優しく、暖かい声だ。
『......あ、あなたは......星、よね?』
対する彼女の声は驚きと混乱を感じさせるもの。
でも、僕に対しての声とは違い、怯えた響きはま ったくない。
『そ。人間たちからはシリウスって呼ばれてるぜ』 『シリウス......』
『辛かっただろ。こんなところに落ちてきて......ずっと一人で。来るのが遅くなって、ごめんな』
そう彼女に告げるシリウスの声は、最初から最後まで優しさを帯びていた。
いつもは生意気なことばかりいうシリウスだけれど......空から落ちてきてしまった星たちに対しての思いやりはとても深い。
それは自分と同じ境遇だから、という理由だけではないだろう。
シリウス自身の心の強さと、優しさだと僕は思って いる。
『どうして、人間といっしょにいるの......?』
落ちてきて輝きを失いつつある星から、落ちてきても輝き続けている星への疑問。
シリウスは黒く染まって苦しんでいる星と対面すると、いつもこの問いをぶつけられている。
この問いに含まれる思いは、主に二つ。
一つ目はどうして自分たちを地上に落とした人間と馴れ合っているのか、というものだ。
つまり、星を地に落とす原因を作った人間が憎くな いのかどうかを尋ねているわけだ。
落ちてきた直後の星からすれば、その思いを抱くのは仕方がないように思う。
二つ目は、どうして人間といっしょにいても、輝い ていられるのか、というもの。
人間は多かれ少なかれ必ず悪意を持っている。
星を黒く染めてしまう悪意を持った人間の身近にいても大丈夫なのか、と星であるシリウスを心配する 思いから生まれるのがこの問いだ。
シリウスは、一つ目に関しては『彗は憎む対象に値 しねぇよ』と、信頼されているんだか、けなされて いるんだかよくわからない答えを返し、二つ目に関 しては『彗の悪意はたかが知れてる』と、なんだか 馬鹿にされているように聞こえる答えを返している。
僕のことを無害だと明確に示してくれるのは助かる が、もう少し素直に褒めてほしい。
......と、いつもならば、いろいろな理由も含めてはっきりと説明するシリウスだけれど......今回はあまりゆっくりしている時間はない。
彼女の輝く力は、もうほとんど消えかけているのだから。
『とりあえず、俺のことはいい。まず、お前だよ』
そのことは、今までずっと彼女の様子を確かめていたシリウスが一番わかっていた。
早急にこの話題を切り上げて、彼女の現状を突きつ ける。
『お前......このままだと消えちまうぞ』
『............』
シリウスの言葉に、彼女は何も反応しなかった。
驚いた様子もない。
あれだけ苦しそうなんだ。
消えるかもしれないということはわかっていたのかもしれない。
『なんとかできるのは、彗だけだ。だから......こいつの話、聞いてやってくれねーか?悪い奴じゃねーからさ』
優しいけれど、相手を思う厳しさを含んだ声色でシリウスは彼女に語り掛ける。
『頼むよ』
最後のその一言は、心からの懇願だった。
シリウスはじっと彼女を見つめていた。
彼女もシリウスをじっと見つめていた。
星の身体に顔はないから、実際に向き合っている のかはわからない。
でも、僕には彼らが見つめあっているように見えたんだ。
シリウスは真剣な思いを彼女に伝えるために。
彼女はシリウスの思いを確かめるために。
お互いが、見つめあっていた。
どれくらいの時間、彼らはそうしていたのだろう。
しばらく静かな時間が続いていたが、急に張りつめ ていた空気がふっと緩んだ。
同時に、僕に突き付けられていた闇の槍も夜に溶け てなくなる。
いつの間にか僕は呼吸を止めていたらしい。
ふっと息を吐き出してから、新たな空気を吸い込んだ。
硬くなっていた 身体の力が抜ける。
『何を、しにきたの......?』
まだ少し、おびえが残っている声で、彼女が問いかけてきた。
攻撃の意思は感じられない。
僕の話を聞く気になってくれたんだろう。
彼女に、シリウスの思いが届いた。
彼女は、受け取ってくれた。
シリウスの思いに、僕の願いを繋がなければ。
「僕は......」