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ザッピング  作者: 青井星二
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ザッピング



        第三章 三人目の冬人夏草感染者




         1


 自転車を漕いで、校門の前まで行く。私のボーイフレンドである舜くんこと海江田(かいえだ)舜が待っていた。

 舜くんは、高一の新学期に私に一目惚れして、アタックしてきた子だ。お父さんは商社マンで、かなりのエリートらしい。

 イケメンで生物部の部長。身長は百七十五センチでスラリとしていて、やや面長の顔にサラサラの髪。

 はっきりした二重に透き通るような黒い瞳。

 やや彫りが深く、筋が通った鼻。意志が強そうな薄い唇。まるで男性向けファッション雑誌のモデルから抜け出したかのような風貌。

 学校の制服であるネイビー・ブルーのブレザーとブリティッシュ・グリーンのネクタイがよく似合っている。

 ネクタイには、いつも金魚柄のネクタイピンをつけている。

 舜くんとは、いつも部活が終わると校門で待ち合わせをする約束をしていた。

「ごめ~ん! 遅くなって!」

 アタシは息を切らせながら自転車を止めた。

 いつもなら、こういうとき、舜くんは文句たらたらのはずだった。

「遅いよ! もう。いつまで待たせるのさ」

 そんなセリフで怒られるものとばかり思っていた。

 ところが舜くんは、(うつ)ろな表情で私を眺めているばかりだった。

 瞬くんは、空気が抜けたような力のない声で(つぶや)いた。

「はうっ、詩織ちゃんだ~! 詩織ちゃんは、か、わ、い、い、なぁ~~!」

 な、なんなのよ。その、おかしな反応は。舜くんが壊れている。

 一体全体、なにがあったんだろう?!

 自転車を押しながら駅まで一緒に歩く。

 舜くんは、子供のときに金魚すくいで金魚を一杯取ったのに味をしめて、金魚を飼っている。

 舜くんによると、赤い色の鮒である緋鮒(ひぶな)や、鮒のような紡錘形(ぼうすいけい)で赤と白の(まだら)和金(わきん)は丈夫だそうだ。

 上手く飼うと、十年以上も生きるそうだ。

 それに比べて胴体が丸っこい琉金(りゅうきん)蘭鋳(らんちゅう)は割と弱くて、三年か四年で死んじゃうんだとか。

 舜くんは学校でも家でも和金と同じ水槽で鮒を飼っている。どっかの川で捕まえてきたものらしい。

 和金と鮒が自然交配すると、鉄魚(てつぎょ)ができることがあるそうだ。

鉄魚とは、和金のように尾鰭(おびれ)背鰭(せびれ)がヒラヒラと長くて、色だけが鮒そっくりの、鉛色をした魚だ。

 もちろん、金魚が卵を生むと水槽を別にして、ちゃんと孵化(ふか)させて育てるそうだ。金魚を養殖している大和郡山(やまとこおりやま)の専門家からの指導も、しっかり受けて。

 将来は水産大学に進んで魚類の養殖と遺伝子改良の研究をしたいそうだ。

 もう、どんだけ金魚好きなんだろうね。さかなクンなんか、目じゃないかも。

 普段なら学校帰りのこの時間、舜くんの金魚話に付き合わされるのだが、今日は様子がおかしい。

「おっぱい、おっぱい、はうっ! 詩織ちゃんは、か、わ、い、い、なぁ~~!」

 蚊の鳴くような声で奇妙な戯言(ざれごと)を繰り返しながら歩いているだけだ。

 どうも妙だな。

 私は舜くんの目を見た。

 あ、死んだ魚のような目。

 ダディーとマミーがゾンビに変身する少し前の状態と、そっくりだった。

 ザーラが探していた三人目の冬人夏草の感染者って、まさか、舜くん!?

 そいつは、シャレにならないだろう!

 外灯が明るいところを見つけて立ち止まると、私は舜くんの頭をじっとよく、見て紫色の染みがないかどうか確かめた。

 あ、あった。

 紫色の染みか顳顬(こめかみ)の上辺りの髪についていた。三人目の冬人夏草感染者は舜くんだったか。

 さて、どうしよう。

 放っておけば舜くんも遠からずゾンビになる。

 私との校門待ち合わせを忘れていなかったから、まだ菌糸が完全に脳を覆っているわけではなさそうだ。

 私のカバンの中にはダディーとマミーに使った漂白剤入り霧吹きが、まだある。

 ここは一つ、掛けるか。

 覚悟を決めて霧吹きをカバンから取り出して、舜くんに漂白剤を掛けた。

 プシュッ、プシュッ、プシュッ!

 顳顬(こめかみ)の上の髪の毛についた紫色の染みがスーっと消えていき、舜くんの瞳に光が戻ってきた。

 すると、舜くんは、いきなり鼻をヒクヒクさせた。

「あれ? なんか漂白剤臭いぞ。今、何を掛けたんだ?」

 舜くんは肩に目をやると、急に目を剥いて怒った。

「あ! 今、漂白剤を掛けたろ? 何すんだよ!」

 瞬くんの目が見るみる吊り上がっていった。

「いや、あのね、舜くんの頭にゾンビに変身しちゃう宇宙キノコの胞子がついていたから、漂白剤で取ったの。怒らないで!」

 狼狽(ろうばい)しながら、必死で説明する私に舜くんは追い討ちを懸けた。

「見え透いた出鱈目(でたらめ)な言い訳するなよ。(ひど)い嫌がらせだ。学生服のブレザーが染みだらけじゃん!」

「いいわけじゃないもん。本当に瞬くんは、すっごく悪い宇宙キノコに感染していたんだってば!」

「要するに新しいカレシができたんだろ? 変なイタズラしないで、正直に他に好きな人ができました。ごめんなさい! ってハッキリ打ち明けろよ」

「新しいカレシなんか、いないもん! アタシには瞬くんだけなんだってば!」

「バカ野郎。もうお前には会わねェよ!」

 涙ぐんだまま、それ以上は私の話も聞かず、走って行ってしまった。

「待ってよ! 舜くん!」

 舜くんの後ろ姿に声を掛けたが、無駄だった。

 翌日も、翌々日も、舜くんは校門の前で待っていなかった。


         2


 三日目の朝、情報室に行くと、スーちゃんが声を掛けてきた。

「ねぇ、神崎さん、海江田先輩と別れたんですか? 一年生の間で神崎さんと別れて新しいカノジョ募集しているって、もっぱらの噂ですよ!」

「え! うそっ! アタシ、瞬くんと別れた覚えなんて、ないわ!」

 驚いた私は、パソコンの席から立ち上がった。舜くんのいる理科室へ、一散に走って行った。

 うそだ! うそだ! うそだ!

 アタシは瞬くんに本当に振られたのだろうか?

 心臓が、どきどきしていた。

 走っているからじゃない。どうか冗談でありますように!

 不安な気持ちが心臓をバクバクさせているのだ。

 理科室のドアを開けると奥に舜くんが座っていて、生物部の女子部員に囲まれて親しそうに話をしていた。

 アタシは理科室の入口に立った。

 アタシの姿を見るや、舜くんは顔を(しか)めた。

 瞬君は一人の女子部員にひそひそ耳打ちをした。

 耳打ちをされた女子部員は小さく頷いた。

 疫病神が来たかのように一瞬、むーっと顔を顰めた。

 知らない顔だが、どうも後輩らしい。

 髪は、パッツン・ロング。

 身長は百六十五センチぐらいで、背は高いほうだ。

 顔はといえば、いかにも似顔絵に描きにくそうな、特徴のない面構えだ。

 興味がないから、そう思えるのかもしれない。

 私には、女子部員の顔がへのへのもへじに見えた。

 へのへのもへじのやつは、やおら立ち上がると私にツカツカ歩いてきた。

 平静を装うようにへのへのもへじは、強張(こわば)った表情をしていた。

 へのへのもへじは前に立つと、冷たい口振りで事務的に告げた

「あなたが、いけ図々しいので、学校中で有名な、神崎さんですか?」

「なんですか? 突然に。だいたい、あなたは誰なのよ!」

 私の質問には一切、へのへのもへじは答えず、事務的な態度を貫いた。

「海江田先輩が『新しいカレシができているのに、付きまとうのは、やめてくれないか』って言ってましたけど」

 その言葉を聞いて私は、がっくり肩を落とした。

「あっそう」

 それだけ答えるので精一杯だった。

 だって、それ以上、何か口にすると、どばーっと、壊れた噴水みたいに、涙が出そうだったから。

 アタシは、とぼとぼと理科室を出た。


         3


 情報室に戻ると、ぽろぽろ涙が(こぼ)れてきた。振られちゃった!

 瞬くん! アンタ、本当にゾンビになる宇宙キノコに感染したんだよ!

 アタシがそのピンチを救ったのを、どうしてわかってくれないのさ。

 いやがらせなんかじゃない!

 ましてや、新しいカレシなんか作ったりしないし。

 目の前のパソコンの画面が滲んできた。

 両頬に涙が伝うのが皮膚感覚で感じられた。

 席で泣いていると、彩芽が声を掛けてきた。

 口元に笑みが溢れていた。惨めなアタシを、からかいたいの?

 それとも、慰めに来たの?

 アタシには冷静に判断する心の余裕はなかった。

「舜くんに振られちゃったの?」

「そうよ! 悪い?」

 イラっときて、ちょっと彩芽に突っかかった。

「まさか、あんた、舜くんに宇宙キノコがついたとか与太いって、漂白剤をぶっ掛けちゃったンでしょ!」

「そうよ。でも宇宙キノコに感染したのはホントなんだから!」

「そりゃ、振られるわ! あんたが悪い! お汁粉を作る時に、砂糖と間違えて塩を入れたくらい悪い!」

 彩芽のきつい一言で、私はパソコン・テーブルに突っ伏して大泣きした。

 なんかパソコン部の連中の視線を感じる。恥ずかしい!

 スーちゃんは席をそっと立って、私に近付いた。

 背後に回ると優しく私の背中を(さす)った。

「神崎さん、もう泣かないでくださいよ」

「泣きたくなんかないんだけどね。涙が止まらないの」

「宇宙キノコの話、あまりに唐突(とうとつ)過ぎて、今でも信じられないですけど、もし、タイムリープできる話が嘘じゃないんなら、何でやらないんですか?」

「え? どういうこと?」

 私は顔を上げた。

「私に、まだやるべきことが、あるのかしら?」

 真剣なまなざしでアタシをじっと見て、スーちゃんは続けた。

「海江田先輩を怒らせた原因は、ヘアスプレーみたいに漂白剤を掛けたから、なんですよね?」

「そうよ。制服に染みを付けた。他に好きな人ができたから、嫌がらせをして別れる気なんだろう、って」

 からかうような表情や口振ではなかった。

 アタシは涙を手で拭いながらスーちゃんをじっと見た。

「宇宙キノコを退治できる薬って、漂白剤だけなんですか?」

 スーちゃんは率直(そっちょく)な疑問を投げ掛けた。

「いいえ、まだあるわ。水虫薬も同じ効果があるわ」

「だったら、時間を巻き戻して、水虫薬を海江田先輩に塗ってみたら、どうですか? もちろん、スプレー式じゃないヤツ」

 なんというアイディア。

 私はガバッと立ち上がった。

「まだ、その手があった! スーちゃん、ありがとう! じゃあ、やってみる!」

 私は目を閉じて両手をクロスさせて叫んだ。

「ザッピング・オープン!」

 パッとモニター画面が現れた。

 舜くんに水虫薬をつけるには、パラレルワールドに移行しないといけないわね。

 指でドラッグ? スクロールするわけね。

 上から下にスクロールしてみたが、画面は変わらない。

 そこで右から左にスクロールしてみた。

 カシャン!

 画面が動いたが、目の前の映像は今の情報室だ。

 しかし、直ぐに黄色い文字が現れた。

「パラレルワールドが選択されました」

 文字が消えると今度は別の文字が現れた。

「画面を二回タップすると地図が現れます。移動先を選択してください」

 指示通り二回タップする。すると、横浜市の地図が出てきた。

 画面の大きさは液晶テレビぐらいに大きいけど、スマホの画面を横にした感じだから、指で地図を広げると拡大されるんだろうな。

 画面が大きいので、両手の人差し指で画面を広げる。すると、地図が学校周辺のものになった。

 舜くんに水虫薬をつけるなら、水虫薬を買わなくっちゃね。すると、場所はうちの前。時間はダディとマミーから怒られて家を飛び出したあたりの時間がいいわね。

 地図を指でスクロールしてウチの近くにセットした。

 場所は、うちの前を指定する。

 地図をさらに拡大して、玄関の前をタップした。

 赤い×がウチの玄関に着いた。

 これで良しっと。

 次に時間だね。

 二〇一八年八月一五日朝七時三十分に移動したら、ダディとマミーがぼうっとしていたのよね。

 漂白剤を掛けて、怒られた。

 そこにメカオヤジが現れて脱走、と。

 すると、家を出るのは八時四十分ごろかなぁ。

 よし、2018:8:15:08:40にセット。

 すると、画面がクルクル変わって、家の玄関の近くが映し出され、画面の下あたりに何か自転車のハンドルらしきものがちらりと見えた。

「よし、飛び込むぞ! ヤー!」

 ブーンという音とともに私は、パラレルワールドの過去の空間に入り込んだ。


         4


 気が付くと私は、自転車に(また)がって家の玄関のすぐ前に立っていた。

 コンビニでサンドイッチを買ったら、学校に行く途中の道で薬局を探さないと。

 自転車を漕ぎ出した。

 最初に現れたコンビニで、ハムサンドを買った。

 ええっと、水虫薬って、ないかなぁ。

 念のため、ビタミン剤や胃薬が置いてあるコーナーを物色(ぶっしょく)した。

 胃腸薬と二日酔いの薬と風邪薬ならあった。だけど、水虫薬は見当たらない。

 やっぱ、ないかぁ。仕方ない。薬局に寄ろう!

 学校までの道を走りながら、開いてそうな薬局を探した。

 朝早めだから、シャッターが閉まってる店が多いんだよなぁ。

 学校の近くまでかなり近付いたところで、シャッターの開いている店を見付けた。

 ちょっと古ぼけていて店頭にカエルのマスコット人形がある、木造二階建ての薬局だった。

 やってるかなぁ。朝早めだし。でも、シャッターは開いているな。

 硝子戸をガラリと開けて、中に入ってみた。

「いらっしゃ~い! 何をお探しですかぁ? あっは~」

 胡麻塩頭をオールバックに撫で付けた、白いガウン姿のおっさんが出てきた。

 小柄で、彫刻刀の丸刀で突っついたような小さな目。

 タラコ唇で、なんだか脂っこそうな雰囲気のおっさんだ。

「あのぉ、水虫薬をください」

 気ばかり急いた私が、早口で告げると、おっさんが口を開いた。

「最近は、ブーツを履いて水虫になった若いお嬢さんが、よく来るんですよねぇ。あっは~!」

 おっさんは小さな目で、私を舐め回すように見る。

 わ、なんか、やだ!

「水虫薬はあるんですか? 早くください。急いでいるんです」

「軟膏にしますか? 液状タイプにしますか? まぁ、強力なの、ソフトなのと色々種類がありますけどね。あっは~!」

 なんだか、キモい喋り方だ。

 でも、何か答えないと、肝心の薬は、出てこなさそうだ。

「じゃあ、安くてよく効くやつを、お願いします」

「では、セール中のカユノンCをどうぞ。八百円です」

「はいはい、八百円ね。お釣りは、あるかしら?」

 お財布から千円札を出した。

「二百円のお釣りですね。最近は若いお嬢さんが、ちょっとした過ちで妊娠することが、あるんですよ。コンドームをお付けしましょうか? あっは~!」

 大きなお世話だ、馬鹿!

 私は舜くんと、そこまで行ってねぇし!

 吠えたい衝動を抑えて、水虫薬を引ったくるように取った。

「結構です。お釣りを早く、くださいよ」

 苛立って、ちょっと口調が尖った。

「またのお越しを! あっは~!」

 なんなんだ、あのエロオヤジ風の薬屋は!

 ああ、ムカつく。

 私は自転車を漕ぎ出しながら、なんだかいやな予感がした。



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