ザッピング
第二章 宇宙キノコを退治せよ
1
辺りが明るくなったと思ったら、いきなり、黒と白の市松模様のリノリウム張りの床に投げ出された。
「キャッ、いったぁい。あ、うちの喫茶店だ!」
見慣れた、いつもの風景。古風な床は、やはりダディの拘りで昭和風だと自慢していたやつだ。
壁に掛かったボンボン時計に目をやる。
このボンボン時計も、昭和初期の古いやつだから、って、ダディーがえらく自慢していたやつだ。
調度品も見事にレトロだ。
時計を見ると七時半だった。これで、ホントに八月十五日にタイム・リープできたのだろうか。
カウンターには、まだ新聞が見当たらない。
ダディとマミーは頭に紫色の染みを付けて、ぼうっとした表情のまま、朝の仕込みをしている。
家の玄関に回って、新聞を取ってこないとな。
奥の部屋に通じるドアを開けて、玄関に出て、外の郵便受けを見る。
新聞は入っていた。恐る恐る新聞を取り出して、日付を見る。
二〇一八年八月十五日。
やった! タイム・リープ、成功だ。
次は、ダディとマミーの頭の染みを消すミッションの実行だ。
どうせ、ぼうっとしているから、気が付くはずもない。
それでも私は、抜き足差し足でお店に戻った。
ダディとマミーは、まだ私に気が付かずに、仕込みをしていた。
二人とも死んだ魚のような虚ろな目をしていた。
ダディは、ブレンドのコーヒー豆を電動コーヒー・ミルで挽いている。
ブーンというモーターの音が鳴りやまず、いつまでも挽きっぱなし。
あ~あ、コーヒーが粉を通り越して、咳止めの漢方の粉薬のような、微粒子になっているって。
マミーはランチのカツサンド用に豚カツを揚げている。だけど、肉は真っ黒に焦げている。
何してんのよ、もう!
早く何とかしないと。
ダディは水虫なんかなったことないから、水虫薬なんて、ないし。ドラッグストアは、十時が開店だ。
とっさに流しの上の漂白剤が目に留まった。あれで行くか。
霧吹きの水を捨てて、漂白剤を入れた。
普段は入口の観葉植物に葉水をあげるのに使っているヤツだった。
ダディに近付き、頭の染みに向かってプシュッ! マミーの頭にもプシュッ!
頭の染みが、見るみる消えていく。
同時に目に光が戻って、ダディがハッと気が付いた。
「あああああ! オメエ、何やってんの?」
ダディは驚いて右手で頭に触った。
「何で濡れているんだ?」
着いた液体の臭いを、クンクン嗅ぐいだ。
「バカ野郎! 漂白剤だっ! なんで、こんな酷いイタズラをしやがるんだ!」
ダディは顔を真っ赤にして怒った。
「頭に、宇宙キノコの胞子がついていたんだよ! それで、ぼうっとしていたの! 宇宙キノコの胞子がつくと、脳味噌に菌糸が回って、ゾンビになっちゃうんだよ!」
必死で冬人夏草の説明をしたけど、全く信じてくれない。
「でたらめをいうのも大概にしろよ! ああ、お、俺のお気に入りの嘉利吉が白い点だらけ! これ、高かったんだぞ! 二万円。ブランド品。オメエ、沖縄に行って買ってこいよな!」
「弁償しろってこと? ブランド品ならば、ネットでも買えるじゃん。それに私が漂白剤を掛けるまでぼうっとして、コーヒー豆を挽いて煙みたいに細かくしてたじゃん。ふぁ、ふぁ、ヘークショイ!」
コーヒー・ミルから漏れたメチャクチャに細かい煙のようなコーヒー豆で、思わず嚔が出た。
ちょうどダディがコーヒー・ミルを開けた瞬間に嚔が出たから、堪らない。
ダディの顔に、コーヒー豆が煙のように、ぼわっと掛かった。
「うわ、豆が! 顔中がコーヒー臭えぞ! バカ野郎! あ、そうだ、嘉利吉の販売サイト探すんだった」
ダディは、スマホを取り出した。中年の人に特有の、画面を指で激しく叩くようにして検索をする。
しばらくして同じ型の嘉利吉を売っているサイトを見つけた。
「あったよ! ネットだと、安いんだな。一万八千円だ。今月のオメエのバイト代、なし! 弁償してもらうからな!」
「ああん、酷い! バイト代なしなの?」
ダディと同じく正気を取り戻したマミーが口を挟んだ。
「あたしにも漂白剤を掛けたでしょ! ああ、もう! お気に入りのエプロンが、台無しよ」
「ごめんなさい! でも、マミーの頭にだって、宇宙キノコの胞子が付いていたんだよ! ほっとけないじゃん!」
「あんたって子は! もう! ハマムラで、千九百八十円で買ったやつだけど、なかなか素敵だったのに、アンタの雑誌モデル代から払ってもらいますからね!」
あっちゃー! またまた、弁償話かよ。
「マミーも怖いゾンビキノコの胞子で頭をやられて、ぼうっとしていたのよ! 見てよ! この焦げっ焦げの豚カツを!」
マミーも眉間に皺を寄せて目を吊り上げている。
「あ~あ、お父さんを怒らせて。あの人、一度、臍を曲げると一日コーヒーが不味くなるのよ。どうするのよ」
やれやれ。二人とも、腕組みしてるよ。
こういうときは、お説教一時間モードなんだよね。一言でいって諄々(くどくど)うるさい。
「そんなに怒らないで! 宇宙キノコの胞子を取り除くのに仕方なかったのよ」
そんな言い訳が、もはや通るはずもない。
修羅場になりそうなところに、救いの神様が現れた。開店前のお店に、メカ・オヤジがやってきた。
「お~い、寛! 昨日、話したゲーム基板を持ってきたぞ! スペース・インベーダーはなかったけど、テトリスとギャラクシアンとパックマンな!」
ダディの幼馴染の布刈巧。
近所で布刈電気をやっている。いつもボサボサ頭で、ちょび髭を生やし、ドブネズミ色の作業着を着ている。
昔は単なる街の電気屋だったけど、家電量販店にお客を取られて、今は主に電気工事を請け負っている人だ。
プラス、ほぼ趣味で、古いゲーム機のレストアをやっている。
メカ・オヤジの顔を見るやダディは急に顔を綻ばせた。
さっきまで「自慢の嘉利吉が漂白剤で台無しだ」って、ひどく不機嫌そうな顔してたのにな。
「お、悪いね。先週は俺がジャンクで買ってきたテーブル筐体の配線を直してくれてさ。そうか。いよいよ基板を繋ぐか。喫茶店のテーブルがついにゲーム機に変身だな」
平成生まれの私にはゲーム機の話は珍紛漢紛だ。
一つだけ、はっきりしているのは、うちの昭和レトロっぷりに磨きが掛かる、ってことかな。既に古道具屋で買ってきたルーレット式御神籤マシンが、テーブルには載っかっている。
占いたい星座の描かれたコイン投入口に百円玉を入れてレバーを引くと、その星座の御神籤が出てくるやつ。
昔は、どこの喫茶店にもあったそうだ。
メカ・オヤジはテーブルの蓋を開けて緑色をした板状の基板を取り付け始めた。
「いくらしたんだ? それ」
ダディが手に入れてもらったゲーム機基板の値段を聞く。
「テトリスは五千円、パックマンとギャラクシアンは二万円ずつだったよ」
「そりゃ、安く手に入ったな。合計四万五千円か」
値段を聞いて、マミーは一瞬、口をヘの字に結ぶ。
まるで、私がお茶っ葉をグラグラ煮て作った渋いお茶を飲んだときのようだった。
「お前んとこのコーヒー、毎日ただで御馳走してくれたら、お金はいいよ」
メカ・オヤジの一言に、マミーが急にニコニコし始めた。
「あ~ら、そうですの? でしたら私が、コーヒー無料パスポートをお作りして差し上げますわよ!」
マミーの豹変ぶりに、中年女性のセコさを実感せずにはいられなかった。
「奥さん、ありがとう! せいぜい毎日、コーヒー飲ませてもらいますよ」
大人たちは古臭いゲームの話ですっかり盛り上がっている。
チャンスだった。こっそりバックレちゃえ! お説教脱出、成功だ!
私は、話に夢中になっている大人たち三人に気が付かれないように、そおっと自宅へ繋がるドアを開けて、店から脱出した。