ザッピング
2
「間に合った。怪我はないかね? あ、膝小僧を擦り剥いているな」
五メートルぐらい離れて、髭の生えた白人男性が、銀色の全身タイツを着て、立っていた。
背丈は百八十センチぐらいで、体重は七十キロぐらい、ってところかしら。
体形は、細身のアメリカ人風だ。
なんだか薄笑いを浮かべている。ゾンビに代わって襲い掛かってくるかも。
へらへらしている奴に限って、実は怖い、とかね。
でも、本当は救助に成功してホッとしていただけだったのかもしれない。
それでもニヤニヤしていたら、不気味で堪らないよねぇ。
「ハロー! マイ・イングリッシュ・ベリー・プーアー! オンリー・ジャパニーズ! ユー、OK?」
どぎまぎしまがら、なんとか英語で返そうとした。しかし、全身タイツは薄笑いを浮かべたまま、口も動かさないで喋った。
「日本語なら、わかるよ。言いたいことを頭の中で考えたまえ」
「ねぇ、どうして口を、動かさないの?」
「テレパシーで話しているからね」
「私を窓のない部屋になんか連れ込んで、どうする気? 近寄らないでよ!」
「やれやれ。せっかく助けてやったのに」
「私、ガイジンさんには興味ないの。初体験は舜くんって決めてるの。肌なんか許さないんだからね!」
せっかくゾンビを撒いたのに、次は白人の変態オヤジかよ。
ピンチの次はピンチか?
怒りと恐怖で襲い懸かる全身タイツを想像したら、ヤツは顔をサーモンピンクにして、透明感のある青い目を吊り上げた。
「そ、れ、だ、で、頭の悪い子は嫌いだがね! アタシはね、全身テャーツじゃのうて、ザーラ! ザーラ・アイロニー。プレアデス星人の科学者だがね!」
ええ~!? 名古屋弁で怒鳴るかよ。
どうも、ザーラとか名乗る宇宙人は、キレると名古屋弁になる癖があるらしい。
「宇宙人なのに、何で名古屋弁を喋るわけ? いったいどうなっているのよ!」
素直に疑問に思ったから、思わず聞いちゃった。
だけど、ザーラの怒りは収まらない。
「プレアデス星から地球に来て最初に調査に降り立った場所が、日本の名古屋だっただけだがね。怪しまれんように苦労して覚えたんだで。悪かったなも!」
「ふ~ん。そうなの。名古屋人に紛れ込むために名古屋弁かぁ」
「それにしても、あんた、でゃーてゃー助けてもらって、ありがとうも言わんわけ? 躾のできとらん子だこと」
「ごめんなさい。突然のことだったし。改めて、お礼をいいます。どうも、ありがとうございました」
「わかればいいの。とにかく、気を落ち着けな」
ザーラは、深呼吸を一つすると、抽斗から携帯用の歯磨きぐらいの細長い箱を取り出した。
中から焦げ茶色の物体を出して、むしゃむしゃ食べ始める。
「なんですか? それ」
食べ物らしいけど、正体不明なので、一応は聞いてみる。
「これは一口サイズの名古屋ういろうだよ。新幹線の駅でも売っているものだ。
「名古屋土産のういろう? 名古屋が好きだねぇ」
「名古屋に宇宙船でこっそり降り立ったとき、名古屋の人たちが美味しそうに食べている様子を見てね。釣られて買ってみたけど、なかなか美味い。以来、すっかり、病みつきになってね」
ザーラの肌がサーモンピンクから博多人形のような白に戻ると共に、口調も学者っぽくなっていった。
「せっかくだもん。お土産の名古屋ういろう、一口ぐらい、ちょうだいよ」
「残念ながら君に、今は触るわけにいかない。半径三メートル以内に近づくのも危険なのだよ」
「そんなに私は汚いの? 毎日お風呂に入っているわよ」
「君は冬人夏草に感染しているのだよ。鏡で自分の顔を、よく観察したまえ」
ザーラは青紫色の光を出す懐中電灯でそこいらを照らしながら、霧吹きで液体を撒いていた。
コンパクトをミニスカートのポケットから出して、顔を見た。頭に蛍光紫の点々が無数に付いていた。
「その液体は何? なんか、漂白剤臭いんだけど」
「君の髪の毛の紫の染みは、冬人夏草の胞子だ! 動かないで! 消毒しなくちゃならないんだから。あ、これ? 百均で税込百八円のキッチン・ブリーチだよ!」
ザーラはモップを出して掃除をしていた。
「で、アタシは、どうすればいいわけ?」
「すぐにシャワーを浴びたまえ」
「私を慰みものにしたいから、そんなこというのね」
こんな、わけのわからない全身タイツの白人に肌なんか許したくない――と思ったら、涙が零れてきた。
「泣くんじゃにゃーわ! この、たわけ娘。それに、また全身テャーツっていう! ええころかげんにしなせゃーよ、もう」
なんなの? 冬人夏草って。訳が分からないわ。
アタシは、べそを掻きながら尋ねた。
「くすん。ひっく。それで何なんですか? 冬人夏草って」
「冬人夏草は、宇宙の寄生キノコだがね! 冬虫夏草って、聞いたことにゃーの?」
またザーラに怒られた。この宇宙人、すぐにキレて名古屋弁になるのな。
でも、とりあえず質問に答えた。
「中華街の漢方薬局で見たことがあるわ。セミの頭にキノコが寄生しているやつでしょ。なんか、キモいやつ」
私は漢方薬局のショーケースの中で見たものを思い出していた。
駱駝色のセミの幼虫の頭から、棍棒状のキノコが長々と伸びている。
セミの幼虫だけじゃなかったな。芋虫からキノコが生えているやつも、あった。
どっちみち、カワイイなんて、とても褒められない見た目だ。
「宇宙にはね、セミではのうて、人間に寄生するキノコがあるんだわ。それが宇宙キノコの冬人夏草だがね。そのキノコのせいで滅びかけた星もあるがね。
「人間に寄生するキノコ? 水虫みたいな? そんなので人類が滅ぶなんて、想像もつかないわ」
「その胞子をそのままに放置しとくと、アンタのご両親みてゃーに、最後は胞子を撒き散らいながら暴れるゾンビになってまうんだでね!」
「ウソっ! 私、あんなキモいゾンビになんか、なりたくないわよ!」
一瞬で涙も血の気も引いて、背中に汗が滲んだ。
「後のドアを開けると、シャワー室だわ。一番右の部屋に着とるものを全部ちゃっちゃと掛けて、ボタンを押すこと。紫外線ランプで消毒してくれるでね」
ザーラはちょっとイライラしたように早口で捲し立てた。
そんなに煽らなくたって、いいじゃん。別に、冬人夏草の胞子が掛かったからって一分でゾンビになるわけでもないでしょ。
アタシまでイライラしても、しかたないか。
ここは、手順を冷静に聞こうっと。
「服を消毒したら、どうすればいいの?」
「次にキッチン・ブリーチを全身に掛けて、シャワーを浴びなせゃー!」
「え~? 漂白剤なんか掛けたら、髪の毛が脱色しちゃうじゃん。学校で怒られるよ」
うちの学校は茶髪禁止だ。アブナイ、アブナイ。
「じゃあ、水虫軟膏を擦り込むんだね。ドラッグ・ストアのセールで一本、九百八十円もしたのを、洗顔クリーム用の容器に、十本も入れたんだでね。ったく、どえりゃー贅沢な小娘だがね」
「百均とかドラッグ・ストア、随分好きね! 貧乏臭い宇宙人!」
全身タイツ白人がドラッグ・ストアで買い物籠を下げてレジに並んでいる姿を想像したら、笑いが込み上げてきた。
スッピンのときで良かった。
化粧していたら、泣いて笑ってだから、目の周りがすごい事態になるところだった。
「うるさいわ、このバカ娘。さっさとシャワー浴びて消毒しておいで」
「ホント、全身タイツって小言ばっか。これじゃ名古屋の姑だってぇの」
「全身テャーツ、全身テャーツって、しつこいんだわ。この、たわけ娘。そもそも、そもそも、これは、テャーツではのうて、簡易宇宙服だ。
「それが宇宙服? でも、地球にだって酸素ぐらいあるわよ。アタシだって、こうやって息をしているんだから」
「プレアデス星と地球は、気圧も酸素濃度も変わらんで、ボンベは要らんが、危険な雑菌だらけだでな。ちゃっちゃとシャワー浴びて消毒しといで!」
ザーラめ! まだ怒りが収まらないらしい。相変わらず名古屋弁のままだった。
「シャワー・ルームって、どこなの? 壁しかないけど」
宇宙船の中はメタリック・ホワイトというか、パール・シルバーというか、銀白色の壁ばかりで、ドアなど見当たらなかった。
「そのオレンジのボタンを押してごらん。ドアが開くで。一番右の部屋が紫外線ルーム。ハンガーに脱いだ服を全部ちゃっちゃと掛けて。下着も」
「いいじゃないの。そんなに煽らなくたって。ハイハイやりますって。もう!」
ザーラに言われるままボタンを押すと、いきなり壁が消えて、入口が現れた。
右の部屋?
壁だけだけど、紫色のボタンがあったので押してみた。
サッと幅一メートル弱の壁が消えた。銀色のバーがあって、針金の安っぽいハンガーが掛かっていた。
「何これ。クリーニング屋さんの〝ご自由にお持ち帰りください〟のハンガーばっかり。貧乏臭いなぁ」
「貧乏な訳ではのうて、経済観念が発達しとるといって欲しいな」
「あら、聞こえたのね! よほど耳が良いのかしら」
「テレパシーで会話いとるで、すべてわかるがね」
「呆れた。まるで人間盗聴器ね」
やれやれ。独り言もいえないな。
とりあえず服を脱いで、ハンガーに掛けた。ふと見ると壁の隅に紫色のボタンがある。押すと部屋全体が青紫色に光り出した。
「部屋が青紫に光ったら、紫外線消毒の始まりだ。すぐに隣の部屋に移って、水虫軟膏を体中によく擦り込んで、三分待ってから、さらに隣にあるシャワー・ブースで、よく流しなさい」
ザーラの名古屋弁が少しずつ消えて冷静な口調になるのが感じられた。もう、オコじゃないんだ。
「紫外線ランプ、消えたわよ。次は水虫軟膏ね!」
紫外線部屋の隣は全身鏡のある小部屋で、棚にクレンジング・クリームのような瓶と、バスタオルが、ぽつんと置いてあった。
広さは二メートル四方というところだろうか。
このクリームが水虫軟膏なんだわ。塗って、ふと気がついた。
腕時計、さっき、外して、紫外線消毒してるじゃん。
「水虫軟膏は塗ったね。三分間を計る時計がないのだろう? 壁に内蔵タイマーがある」
「え? 宇宙語の文字なんて分からないよ。どうするわけ?」
「しょうがないな。百均で買っといた砂時計が三分間だから、それでも使ってくれ給え」
「砂時計ね。そこはハイテクじゃないんだ。ハイテクだと宇宙人の文字が読めないから、しかたないわね」
ドアの外に何かが置かれる音がした。
咄嗟に開けた。
水色の砂の入った砂時計が置かれていた。
高さは十センチぐらいだった。
直ぐに引っくり返して、中の砂が全て落ちるのを待って、隣のシャワー・ブースに入った。
ここには、シャンプーとリンスとボディーソープが、置いてあった。これも、ドラッグストアか百均で買ったような安物だ。
とことん経済観念が発達しているわけか。
よく軟膏を洗い流してからバスタオルで拭いた。
紫外線ルームから服を出してそそくさと着替えた。
「紫色の染みが残っていないかどうか、よく確認しなさい。残っていたら、クリームを塗るところからやり直しだ」
「紫の染みね。見てみるわね」
全身鏡で頭の先から爪先までよく確認した。
うん、大丈夫だ。あと後か。コンパクトを出して合わせ鏡の代わりにする。紫の点々は付いていない。安心して外に出た。