ストラトキャスター
結局僕はユミミと別れた後、ほかの有象無象の生徒に混じって通学路を歩いた。
道に落ちた銀杏が異臭を放ち、寒さが体の先々に染み渡る。いつも通り、僕はビートルズを聴きながら一人で歩いている。
「おい、待てよ!!」
前を走る三人の友達に声をかけながら、少し遅れてもう一人がふざけながら小走りでやってくる。
全員黒のボストンバッグ。これはバスケ部。そのカバンが追い抜きざまに僕にぶつかる。
「あっ」
カバンの持ち主は、そのニキビだらけの面を僕に向けた。
この光景は、知っている。昨日と同じじゃないか。彼は少しバツの悪そうな顔をした後、すぐに走って行く。昨日となんら変わらない、いつもの通学路だった。
一つだけ、違うとすれば、僕は今ギターを背負っていない。
学校に着くと僕は教室に行く前に部室棟まで行った。ギターがそこにあるか確かめるためだ。
当然鍵は閉まっているだろうと思いながら念のため扉を引いてみると、開いた。中を覗くと、そこには桐川が座ってエレキのギターを引いていた。
ストラト。
アンプに繋いでいないため、カチャカチャと小さい音が鳴っている。
「赤月くん、おはよう」
いつも通りの上品な口調で彼女は僕に言った。
「う、うん。桐川はなんで……?」
「早く着いちゃったから、練習しとこうと思って」
えへへと笑いながら彼女は言う。
なんだか僕は照れ臭くなって通路側の窓の方に目を向ける。
やはり、ここに僕のギターが置いてある。
昨日のことは夢ではないのだ。
それなのに、同じ今日が繰り返されている。
「僕はこのギターとりに来たんだ」
僕はケースの中のギターを確認する。
「あれ……?」
「どうしたの?」
彼女が尋ねる。
「六弦が、切れてる……」
昼のチャイムがなると同時に、それまで息を潜めてじっと機を伺っていた生徒たちは一斉に立ち上がり、動き出す。そのほとんどがスマホを取り出していた。スマホは、彼ら自身なのだと改めて、さらに改めて思った。
黒板にはやはり、アレクサンドロス大王とマケドニアの衰退について書かれていた。
僕はパンをかじりながら窓の外をじっと見つめた。
そろそろ12時13分だ。
そうして瞬きをして目を開けた瞬間、やはり何もなかったはずのところにあのグレーの塔が現前している。
昨日と全く同じ。
当然のように、その円柱は天高くまで伸び切っていた。
二度目な上、覚悟はしていたが、やはり少し驚いてしまう。
宇宙塔……。
そんな中、クラスメイトは普段と何一つ変わることなく、各々の昼休みを過ごしていた。
僕は気になって桐川を探した。
僕の三つ隣に座っている彼女もまた、僕を見つめていた。
すぐに目をそらす。
「最近このユーチューバーにはまっててさー」
「あー、俺その動画見たわ」
「まじ企画力半端なくね?」
僕の前で固まっている男たちが呑気に会話をしている。
「ねーねーTik Tok撮ろうよー」
「いいねー曲は何にするー?」
「男子も入れるー?」
「えーやめとーよー」
隣の女子生徒たちも楽しげに盛り上がっている。
桐川も、ユミミも、そしてあの塔も。わからないことだらけだった。
それでも、他の連中は日常の中で何も知らずに阿呆のように暮らしている。
6時間目はやはり体育であった。雲ひとつない青空。冬晴れ。
僕は昨日と同じように、最低限のみ走ってサッカーの試合に参加した。
試合が終わったら水道水をガブガブと飲んで、グラウンドの隅に座りぼうっとする。陸上レーンでは女子たちが楽しそうにきゃっきゃっと走っている。その後ろには、冬の澄んだ空気の中、宇宙塔がはっきりと直立している。
ふと、僕は隣に気配を感じる。隣をみると、桐川が座ろうとしていた。
「き、桐川、どうしたの」
今度は僕の方から話しかける。
「赤月くん暇そうだったから。私も暇だし来ちゃった」
ペロリと舌を出して彼女は座った。瞬間、甘い香りが漂う。
僕たちは二人で並んで、男子たちのサッカーの試合を眺めていた。みんなこれでもかと言うくらい声を出して、汗をかいて、走り回っている。そんな中、僕の前の席に座っている男、黒田が巧みなドリブルと強烈なシュートを決めた。それを見ていた女子たちから黄色い歓声が上がる。
黒田か……。きっと、僕ではない。かっこよくて、運動ができて、女の子に人気で……。
僕はそうはなれない。羨ましいとは思わない。僕はこの僕でいい。
けど、もし、思い通りに生まれ変わることができるなら、あんな風になって見たいと思う。
「あの人、上手だね」
「うん、上手だ。僕は運動は苦手だから、すごいなって思う」
「そうなんだ。でも、赤月くんはギター上手じゃん」
「そんなことないよ、全然」
「えー、少なくとも私からしたら上手だよー」
「桐川はまず一通りコード覚えないとね」
「あーひどーい。これでも結構真面目に練習してるんだよー?」
「山田先輩や竹下さんとおしゃべりするのが?」
「うー、それを言われると……」
そう言って彼女は口をつぐむ。
その顔がおかしかったので、僕はクスッと笑った。
それに応じるように、彼女もえへへと笑う。
「そういえば、同じクラスで同じ部活なのに、あんまりこんな風に話したことなかったよね」
彼女が切り出した。
「そうだね」
「赤月くん、結構近寄んなオーラ出してるからねー。実は今ここに座るのも結構勇気出したんだよー」
明るい調子で彼女は言う。その横顔は、とても愛嬌があって可愛らしかった。
昨日見た真顔に血の涙を流す彼女は嘘のようであった。
「それは、どうもありがとう」
「もっと感謝しなさい」
「ははは、その勇気を称えてやろう」
「なんで上から目線!?」
「こんなぼっちの僕なんかに話しかけてくださり、本当にありがとうございます、桐川様、このご恩はいつか必ず」
「今度は卑屈すぎる!?」
こうして少し雑談した後、僕はとある質問を彼女に投げかけた。
「桐川は、あの塔、宇宙塔のことどう思う?」
彼女は一瞬真顔になったが、すぐに取り繕った表情に戻して答えた。
「なにー急に。そうだなあ……。子供にしか見えないって素敵だと思う。でも、どうせだったら、子供の間は、雲はふわふわの綿菓子で、サンタクロースは本物が実在して、お化けも妖怪も全部いればいいのにって、思う」
「お化けは勘弁してほしいかな……」
僕は相槌を打つ。
やはり、彼女は昨日と全く同じことを答えた。昨日と今日。同じ金曜日だけど少し違う。けれど、同じ部分も確かにある。
「……あれ? なんか私、今みたいな会話を赤月くんとしたことがある気がするんだけど……。これがデジャヴってやつなのかな!?」
少し楽しそうに彼女は言った。
「どうなんだろうね」
僕はぼんやりと目の前を見ながら答えた。黒田がまた、痛烈なシュートをゴールに叩き込んでいた。
女子の黄色い歓声。
青空にはやはり、飛行機雲が一筋、途切れながらも伸びていた。