シミュラクラ
昼のチャイムがなると同時にそれまで息を潜めてじっと機を伺っていた生徒たちは一斉に立ち上がり、動き出す。
そのほとんどがスマホを取り出していた。スマホは、彼ら自身なのだと改めて思った。
僕はポケットからミュージックプレーヤーのイヤホンを取り出してつける。
今朝適当にコンビニで買ったパンを食べる。
肘をついて窓の外を眺める。
教室は3階で学校そのものが丘の上にあるため、視界は広い。それでも見えるのは、何が植えられているのかもよくわからない小さな畑、ポツポツと立つ木々と幅の広い道路くらいだ。展望台のように街が一望できるわけではない。
その道路を挟んだところに大きなグラウンドがある。高校サッカーの試合ができるほどの大きさで、観客用のスタンドや大きな掲示板もある。体育を終えて体操着のままサッカーに興じる生徒たちがぼんやりと見えた。
僕はいつもの通り、ビートルズを聴きながらそれらを眺める。時々、パンを食べる。視覚も聴覚も教室からは隔離される。楽しそうに笑うクラスメイトの顔も声も僕には届かない。一方で僕自身が彼らに認知されることもなくなる。隔離。
入学してから八ヶ月が経っていたが、僕には友人ができなかった。それでも、それを気にしたことなんかなかった。必要としていないから。
確かに、入学したての頃は友人を作ろうとも思った。しかし、僕にはやはり、インスタグラムにもツイッターにもモンストにも時間を割こうとは思えなかったし、そんな話は退屈でならなかった。
その分僕は本を読んで、ギターを弾いた。
最近読んだ本で印象に残ったのは、フィリップ・K・ディックの『シミュラクラ』という小説。あれは痺れたね。
なぜって、近未来が舞台の物語の中で、ゲーリング元帥が過去から連れてこられる。これはどうなるんだと読み進めていったら、結局ゲーリングは本当に何もしないまま殺されてしまうんだ。うまく扱いきれなくなった作者のプロットの破綻とか言われてるけど、そうじゃあない。
畢竟、無理に引っ張ってきても時代遅れに用は無いってことさ。僕も同じ。スマホ時代に取り残されたのなら、もう周りに馴染むことは諦めるしかない。
僕はもう一度、窓の外を眺める。
……あれ。なんだあれ。
僕が見たものは大きな建造物。塔、タワー。
東京タワーやスカイツリーは見たことがある。天に向かって三角形に伸びていく。
でもあれはそういう類では無い。
円柱なのだ。頂点、先端が見えない。色は、グレーが近いかな。スカイツリーよりもさらに濃いグレー。そんなグレーの円柱が、雲一つない青空に向かって伸びている。
ついさっきまで、あんなのはなかったじゃないか。
流石の僕もかなり驚いたので、椅子からずり落ちそうになる。ガガガッと大きな音が立ったためか、周囲の人が少しこちらを見る。僕は慌てて教室の中を振り返る。
いつもの教室。各々が数人で固まり、話して、スマホをいじって、食事をとっている。
僕はイヤホンを外すと一つ前の席に座っている男子生徒に話しかけた。
「ね、ねえ、あ、あの、ま、窓の外……」
これは僕が今日学校で初めて発した言葉だったので少しどもってしまった。
「あ、何? なんか言った?」
屈強な体をした彼はやや大きな声で僕にそう返す。
僕は黙って窓の外のグレーの塔を指差した。
「あ、宇宙塔がどうかした?」
「う、宇宙塔……?」
僕のそうした呟きを最後に、彼はまたグループ内での会話に戻った。
「あいつ、ほんとに何言ってんだろな」
彼がそういうと同時に、そのグループ内で笑いが起こった。
隣の女子グループにもクスクスと笑われていた。
僕はそれを気にしていないかのような素振りで、再び窓の外の塔を眺めた。
後から聞いた話だが、その時教室の中央付近にいた桐川唯はそんな僕を見ていたらしい。
机の上に置かれたイヤホンからは、ポールの歌声が静かに漏れ出ていた。