月曜日の放課後
明けた月曜日も、先週と同じように過ごした。
つまり、放課後部室で僕は海藤の練習に付き合っていた。本番は今週の金曜日だ。
竹下と桐川もいた。よって僕たちは1年生4人で寒い部室にこもっていた。
「やっぱり、どんどんテンポが早くなってるよ。もう少し保たないと」
「そっか。本番は緊張してさらに早くなるだろうから、意識しとかないとな」
「うん。メトロノーム持ってるけど使ってみる?」
「おう、ありがとう」
僕らは向かい合って座って真剣に話し合う。
海藤の左手の指には絆創膏が貼られていた。彼はとても努力しているのだ。
そんな僕らの会話を少し離れたところからニコニコしながら桐川が見ていた。彼女は椅子の背もたれを前にして、前後逆さまに座っていた。そのややブラウンの瞳と一瞬目が合って僕はドギマギしてしまう。
「そういや桐川が部活来るの久しぶりだな」
海藤はギターをスタンドに立ててから言った。少しの休憩と雑談の時間だ。
「うん、海藤くんの応援しようと思って……。それに」
彼女は僕と海藤を交互に見やる。
「なんか最近、雰囲気良いじゃん? 一緒にいて楽しいんだよねー」
そう言ってにこりと微笑む。子供のように小さな顔がくしゃりと歪んでとても可愛らしい。
「あ、それ私も思う。なんか明るくなったよね」
竹下が同調する。
「そうか?」
海藤が言う。
「そうだよー。それに土曜日は3人で練習してたんでしょ? 私も行きたかったなー」
「あーわりい。あんま俺のことに付き合わせるのも悪いかなって思ったんだ」
「そんなことないよー、私だって部員なんだから」
「そうだよな、じゃあまた今度4人でどっか行こうぜ。なあ赤月?」
「う、うん。そうだね」
「私もさんせーい」
「わーい、約束だよー」
えへへと少し照れ臭そうに桐川は笑う。
僕は送る会の打ち上げにと言おうと思ったが、慌てて飲み込む。ここには、海藤にも竹下にも複雑な事情が絡んでいるのだからそれはあまりに能天気な提案だ。
確かに、4人でどこかに遊びにでも行けたらいいな。何事もなくただ平和に、誰も傷つくことなく友達と過ごす。そんな日常が良い。僕はふと、そう思った。
「おー、頑張ってるねー……いてっ」
勢いよく扉を開けて、そしてドアの縁に勢いよくおでこをぶつけたのは藤原先生だった。彼女は僕より背が高い。
僕らは痛がる先生を見て、顔を見合わせる。
「せ、先生も練習付き合ってください」
クククと笑いをこらえながら海藤が言う。
「おい、先生をバカにする生徒にアドバイスなんてないぞっ」
先生はおでこを抑えながら頬を膨らませてプンプンと怒るポーズをしている。
ぷっと思わず僕が吹き出してしまう。それを見て海藤と竹下も笑い出す。
そして、桐川も手を口元にやりふふと慎ましげに笑う。
僕はなぜだか横目でそんな彼女をチラチラと見てしまっていた。
部室を出た時には外は真っ暗で、冷たい風が僕らを打ち付けた。部室棟に面した大きなグラウンドからはまだ練習をしているサッカー部の声出しが聞こえる。僕らは寒い寒いと言いながらぞろぞろと職員室へ鍵を返しに向かった。先生との別れ際、なにやら桐川と小声で話し合っていたのが少し気にかかった。
そうして自転車通学の海藤・竹下と別れると、僕は桐川と二人きりになった。駅までは歩いて15分。当然、女子と二人きりで帰ることなんて初めてだ。
桐川とは教室とかで話すことはあるけれど、こうやって一緒に帰るとなると意識してしまう。彼女の方を伺ってみると、鼻の下にまで巻いたもこもこのマフラーに寒そうに顔を埋めている。
「ぼ、僕たちも帰ろっか……」
「うん、そうだね」
こうして二人で肩を並べて夜の通学路を歩いた。他に下校途中の生徒は見当たらない。
片側に歩道がついている通学路。やや下り坂。左側には車道、そして右側は小さな林になっている。この時期はまだ、その林からの落ち葉があちらこちらにある。僕は早足になりすぎないように、ゆっくり歩いた。ギターの演奏と同じ。緊張するとテンポが早くなる。
「赤月くんってさー」
彼女が口を開く。
「うん」
僕は相槌を打つ。
「最近、変わったよねー」
「そうかな……」
「えー変わったよー」
「か、海藤と仲良くなったからかな」
「そうだねー。雪ちゃんともね、最近部活いい感じって話してたの」
「そ、そうなんだ」
「うん、なんかさー、こういうのっていいよね」
「こういうの?」
「うん、放課後楽しくみんなでおしゃべりして、ギターも練習して、発表とかする時にはちゃんと準備してって。今度は私もみんなと舞台立ちたいなって思うの」
「うん、僕も最近楽しいよ」
「ほんとにー?」
彼女はニヤニヤと僕の方を覗き込んで来る。その上目遣いがなんとも可愛らしい。
「う、うん」
「なんかねー、赤月くんはそういうの興味ないと思ってたんだー」
「そ、そんなことないよ」
僕は立ち止まって言う。昨日、ユミミに言われたこと。布団の中で考えたこと。それが頭を巡る。
「ぼ、僕だって、みんなと仲良くしたいって、思うんだ」
僕はそれを言い終えてふうと息をつく。簡単なようで、認めてこなかったこと。今まで決して口に出さなかったこと。正直な思い。素直な思い。それが、思わず言葉になった。彼女なら、桐川唯なら受け入れてくれそうな気がしたから。
「そうなんだね」
彼女は真っ直ぐな瞳で僕を見つめて微笑む。少し顔を傾けて髪が揺れる。ちょうど真上にある街灯に僕たちは照らされていた。街灯は半径1メートルほどの円をアスファルトに作り出す。僕たち二人は、その光の円に立っていた。そこで見つめ合った時間はおそらく一瞬だった。僕は照れてすぐうつむいてしまったから。それでも、その瞬間だけは、この夜の闇は僕と彼女の二人だけのセカイだった……。
「そういえばさあ」
僕たち二人は再び歩き出していた。彼女が口を開く。
「雪ちゃんから聞いたんだって?」
「何を?」
「雪ちゃんの好きな人のこと」
「う、うん……。海藤だって……」
「ロマンチックだよねー、幼馴染がずっと好きな人だなんて」
「僕もそう思う」
本当にそう思う。
「雪ちゃんには叶ってほしいなー。海藤くんの好きな人とか聞いてないの?」
「き、聞いたよ……」
「え、聞いたの? だれだれー?」
僕は言うべきか逡巡する。いや、言うべきではないだろう。
「なんてね、うそうそ。私もそこまで無粋じゃないよー」
僕が口を開く前に彼女がそう言ってえへへと笑う。
「き、桐川はさ。それを聞いて……だからその、竹下が海藤を好きって聞いて、何かしようと思った?」
「えーもちろんだよー」
僕は少し驚く。彼女でもそういうお節介をするのだろうか。
「一緒に雪ちゃんに似合う髪型考えたりー、それとなく二人きりになる方法とかも考えた。私は雪ちゃんの友達だし、応援したいって思うし、それに、女の子のそういう些細な努力ってめちゃくちゃ可愛いの」
楽しそうに彼女は言う。
そうか、こういうことが友達なのか。僕はなんだか思い違いをしていたようだった。友達としてできることは、その友達の努力を手伝い、想いを尊重することだったのだ。
「そ、そうなんだ」
「うん、だからね、もし海藤くんの好きな人が雪ちゃんでもそうでなくても、赤月くんは赤月くんで海藤くんの応援をしてあげてほしいって思うよ」
彼女はにこりと微笑む。
「わかった」
僕も少し微笑んで彼女に応じる。