休日のカラオケ
土曜日の朝、僕はちょっと早起きして部屋から出るとシャワーを浴びに行く。
ユミミの部屋のドアは開いており、そこからはベッドでだらしなく寝息を立てる彼女の姿が見えた。僕はドアを閉めてやり、駆け足になりながら階段を降りる。
シャワーを軽く浴び、用意していた服を着る。歯磨き粉をたっぷりと出して歯を磨く。アディダスの白パーカーに、下は黒いタイトめのパンツを履く。そこからは濡れた髪を乾かしながら形を作る。ドライヤーの音に任せて、軽く鼻歌を歌う。少しだけワックスをつけて、スプレーで固定する。
時間もちょうどいいので、分厚めの黒いMA-1を着てリュックを背負い、最後は玄関の姿見で全身をチェックする。
高校に入ってからは初めてのような気がする、こういう休日。ゆっくりとスニーカーを履く。僕はリビングの母に向かって行ってきますと声をかけると、勢いよく家を飛び出した。
駅前に行くとすでに二人は先に着いていたようだった。
海藤は、白い無地のシャツの上に紺色のジャケット、下はスキニーパンツに浅めのブーツ。すらっとした彼の体型によく合っている。シャツの上に光る銀色のネックレスが特徴的だった。そして隣にはギターケースを下ろしていた。
竹下は、ニットのセーターの上にクリーム色のブルゾンを着ており、下は長いフリルスカートにややヒールの入った靴を履いていた。可愛さとかっこよさのハイブリッドという感じだ。普段はしていないイヤリングが下ろした黒髪の隙間からちらりと見える。
なんだか、こうして私服を見るのも新鮮だな。
「おっ、よう」
「赤月くんおはよー」
「お、おはよう二人とも」
「うしっ。じゃあまずはちょっとエフェクター見たいから楽器屋行こうぜ」
「わかった」
「赤月くん私服はそんな感じなんだねー」
「変かな」
「ううん、今時って感じ。私はどう?」
「よ、よく似合ってると思うよ」
「ほんとにー? わーい、おい蓮、赤月くんは褒めてくれるぞ」
「うっせーな。はいはい似合ってるよ」
「心がこもってないんだよー、もっと気を遣えー」
「何年一緒にいると思ってんだよ」
「うー、それでもだよー」
そんな話をしながら、僕らは楽器屋さんに行き、昼食を食べ、そしてカラオケに行った。
「まずはやっぱ適当に歌おうぜ」という海藤の提案で、皆歌うことになった。
海藤が歌うのは、ワンオクや9mmといったロックだった。彼の歌は特別上手という訳ではなかったけれど、声量があって、なかなか格好よかった。
竹下はmiwaやYUIを歌ったが、なるほど、確かにとてもうまい。まず、一曲を通じて全く音程も量もずれない。それなのに抑揚はしっかりと効いており、何よりその透き通った歌声がとても心地よかった。
竹下からマイクを渡された僕はというと、ドキドキしながら曲を入れた。
「洋楽かよ、おもしれえな」
『let it be』。兄貴とよく一緒に歌った歌だった。
僕は昨日確認した通りの音程で、歌い上げる。
「……なんかしんみりしちゃったね」
竹下が言う。
「あ、ご、ごめんっ」
「ううんっ、なんか、赤月くんっぽかったよ」
「それわかるわ」
海藤が楽しそうに言う。僕っぽい、か。僕らしいとは、なんだろうか。
「まだまだ歌おうぜ!」
その後もそれぞれが好きな歌を好きなように歌った。
僕も途中からは楽しくなって、次第に歌う声量も大きくなっていった。
「すまん、俺ちょっとトイレ」
途中、海藤が部屋を出てトイレに行ったため、僕は竹下と二人きりになる。こうなるとお互い会話もせず、曲も入れない。
これは、かなり気まずいな……。僕の向かいに座っている竹下は黙ってスマホをいじっている。隣の部屋からは男数人の叫び声が聞こえてくる。
僕はなんとなく中学の頃を思い出す。
人付き合いの中ではこういった気まずい思いは不可避的に生じるのだ。何を話せばいいのか、そもそも話しかけていいのかもわからない時間。僕はドギマギして、焦って、そして一人で勝手に落ち込んでしまう。
僕のせいで、相手にも気まずい思いをさせているのだという罪に苛まれる。
海藤はまだ帰ってこない。
「……赤月くんってさ」
そんな僕を見かねたのかわからないが、彼女の方から助け舟を出してくれる。
僕はホッとしながら彼女の方を向いて続きを待った。
「赤月くんって、好きな人いるの?」
彼女はスマホを見たまま顔を上げずに言った。
「好きな人は……いないかな……」
真っ先に僕の頭に浮かんだのは、ユミミだった。わからない。僕は彼女のことが好きなんだろうか。
「ふーん、唯は?」
「き、桐川のこと? いや、別に……」
彼女とは先週に少し話したくらいで、あれ以降は特に会話もしていない。
僕は一応気にはかけているものの、それは単に彼女の『異常』を知っているからだ。
「そっか……。まあいても言わないよねー、私たちまだそこまでだし」
そこまで仲が良くないということだろうか。確かにそうなのかもしれない。
再び、沈黙。
昨日のユミミの言葉を思い出す。
僕はここで勇気を振り絞る。
お互いが歩み寄るコミュニケーション。
「ぼ、僕は竹下とも仲良くなりたいって思ってるっ」
マイクの電源を切り忘れていたためか、キィィィンという金切り音が響く。
竹下は驚いたように顔を上げて僕を見た。
僕は今、どんな表情をしていただろうか。
「なにそれ告白〜?」
冗談めかして彼女は言う。
「え、い、いや、ちがっ」
「なんか、やっぱり変わってるね、赤月くんは」
「そ、そうかな」
「うん」
そういって彼女は再びスマホをいじり出す。
「でも」
彼女は言う。
「ありがとう、私も友達になれたらいいなって思うよ、せっかく同じ部活なんだし」
「う、うん……」
僕は少しほっとした。彼女も、僕の思いに応えてくれたような気がしたからだ。
「竹下は、その、好きな人っているの?」
僕は同じ質問を聞き返す。キャッチボールができているだろうか、それとも流石に図々しかっただろうか……。
「うーん……」
再び彼女は顔を上げて思案する。何かを考えているようだった。
そして、「まぁ、いっか」と呟いてから僕に向き直る。
「私はね、いるよ。……蓮、海藤蓮。片想いだけどね」
彼女は少し頬を赤く染め、それでも口を結んで真面目な表情をしている。
「え……でもそれじゃあ」
僕は驚く。
「うん、ずーと好き。好きだから同じ高校選んだし、あいつがギター部入るっていうから私も入った。あいつは気づいてないみたいだけど」
「そうなんだ……」
幼馴染に片想い。僕には全くわからない世界だ。わからないけど……。
「なんか、素敵だね」
思わず口に出す。
「ありがとう、唯にも莉子さんにも言われた」
テヘッと彼女は舌を出す。
あれ、待てよ、それなら……。
「もしかして今日って……」
「うん、元々は私が練習付き合ってやるって言ってあいつを誘ったの。これでも結構勇気出して」
僕は彼女の邪魔をしてしまっていたのか。高校に入って初めて少し話せる友達ができて、そんなことにまで全く気が回っていなかった。
「ご、ごめん、本当に邪魔しちゃって……」
「えへへ、ほんとだよー。……なんてね。全然いいんだよ、赤月くんと少し仲良くなれて嬉しかったし」
「そ、そっか……」
「うん、でもこれからはちゃんと応援してねっ、できるだけ部活の輪も乱さないようにするから」
彼女は笑顔で言う。そうか。彼女は、竹下雪はとても強い子なんだ。
自分の想いはしっかり持って、それでも周りへの配慮も決して忘れない。そんな風に、懸命に生きているんだ。
「おっしゃ、そろそろ弾くか」
部屋に帰ってくるなり、海藤は言った。
僕は何も知らない彼をどこか憎らしく感じていた。