第6話
「ごめんなさいね、エティナ。パーティー用のドレスは、破れてしまったの。王宮の食事はほんとうに美味しいものばかりだから、ちょっと太ってしまって」
ほほほと笑う姉に、エティナは眉根を寄せる。
「ちょっとではなくて、かなり太ったでしょう、お姉様? そのドレスはどうなさったの?」
「あの方のお母様が私に古いドレスを譲ってくださるの。あの方もお母様もとても親切な方なのよ」
エティナは姉と一緒に侍女待合室に向かいながら溜息を吐いた。殿下の前ではちょっとできない反応だ。
姉の言う『あの方』が殿下の事なら、その母は王妃様を指すはずで。姉は王妃様にドレスを譲ってもらっている? とても親切? 殿下はずっと険しい表情だった。姉は何かしら誤解しているのでは? 姉のドレスは確かに豪華なドレスだけれど、流行の未婚の娘用のデザインだ。王妃様から譲られるにしては若いデザインだし、古いドレスでもない。だいたい王妃様からドレスを譲ってもらうなんて、普通にあることなのだろうか?
「姉様、あの方とはどういう関係」
エティナが姉に問いただそうとしたところで。
「ルフォナ姉様っ」
姉ルフォナが豪快に床に転がってしまった。そばに駆け寄ったエティナの視界の端に、ニヤニヤと笑っている女性達の姿が映る。いつぞやの侍女達である。
「姉様、大丈夫?」
「大丈夫よ、エティナ」
廊下で座り込んでいるわけにもいかず、エティナは笑う侍女達のいる待合室へと入った。クスクスと笑い声、視線がエティナ達に向けられる。
「ごめんなさい、姉様」
「まあ、どうして貴女が謝るの? 私が転んだだけなのに」
「それは……」
「あら、まぁ、裾のレースが破れてしまったみたいだわ」
「それならすぐに直すわ」
「構わないわ、エティナ。貴女は今、ダンフォード様のパートナーとしてパーティーに出席しているのだから、お待たせするわけにはいかないでしょう?」
「でも、王妃様からお譲りいただいたドレスをこんな風にしてしまっては、お姉様がお叱りを受けるのではないの?」
「王妃様は私が転んでドレスを破いたからといってお叱りになるような方ではないわ。きっと私の身を案じてくださるでしょう。とてもお優しい方なの。トルドィウク殿下と同じで。貴女もお会いすればわかるわ」
「私が王妃様にお会いする機会なんて、あるわけないでしょう、お姉様ったら」
エティナは呆れた口調で答えた。ほんとうにお姉様は相変わらずなんだからと大きな溜息を吐いたエティナだったが。ふと、周りが静かなことに気づいた。
侍女達はエティナと姉の会話を聞いて驚いているらしい。侍女になるような娘の姉が殿下だの王妃様だのといった高い身分の方々と縁があるとは思わなかったのだろう。エティナもそれについては全く理解できていないくらいなのだから無理もない。
「お姉様、廊下で何に躓いたの?」
「何か足に引っかけてしまったみたいで……何か落ちていたのかしら」
「そう。後で、ダンフォード家の方に廊下を調べるよう伝えておくわ。他の人が転んではいけないから。皆様、そこの廊下に何やら足が引っかかるものがあったようですの。姉は転んでしまいましたが、皆様のご主人様も同じようにならないようお気をつけあそばせ」
エティナは姉の髪を整えながら侍女達に向けて忠告を放った。中には青ざめる女性もいて、エティナは小さく嘆息する。自分が嫌われていると知るのはいい気分ではない。
「お姉様、この髪を直すのはとても無理だわ」
姉ルフォナの髪は転んだ拍子に大きく崩れてしまっていて直せないほどになっていた。とりあえず少しはマシになったものの……。
「まあ……これではクロンザッテ家の方にご挨拶するのは無理かしらね。また殿下にお願いするわ」
「姉様がお一人でクロンザッテ家にいらっしゃればいいのに」
「それが……そうしようとして迷子になって、本当に殿下には心配をかけてしまったから、殿下と一緒でないと王宮からは出ないと約束したの」
「それなら、早く殿下のもとに戻った方がいいわ」
「そうね」
エティナは姉と一緒に待合室を出て、広間へと戻った。自分に向けられる視線は全く気にならなかった。悔しさや羨望が入り混じる多くの視線がエティナに向けられていたのだが。
広間に戻ると、殿下が足早に近づいてきた。極めて険しい表情で。
「何があった?」
姉ルフォナの姿を確認すると短く重い声で尋ねた。前より髪が乱れていることに気がついたのだろう。姉に向けられる殿下の厳しい目に、エティナの身体は硬直した。しかし、姉が咎められるべきではなく何とかしなくてはと、恐いながらもエティナは殿下に説明しようとして。
「転んでしまいましたの。久しぶりに妹に会えて、興奮しすぎたのでしょうね」
ほわほわと緩い口調で姉が喋る方が先だった。
姉は険しい表情で見下ろす殿下の腕に手をのせ、穏やかに笑いかけている。殿下の険しい様子に、姉は嬉しそうにも見える笑みを浮かべている。殿下の咎めを笑って誤魔化そうというのではなく。
「怪我はないのか?」
「ありませんわ」
「なら、いいが。気をつけろ」
「はい。でも髪が乱れてしまいましたので、クロンザッテ家の方への挨拶は別の機会にしたいのです」
「わかった。また機会を作ろう。貴女も妹に会いたいだろう」
「ありがとうございます」
殿下は姉の肩を引き寄せ、乱れた髪に唇を落とした。それを当然のように受ける姉。
殿下は険しい表情のままで、姉は豪華なドレスを着ていても美人でもなく垢抜けない女性のままだけれど、二人は恋人らしいとエティナはようやく納得した。姉はこの機嫌の悪そうな親切な殿下のそばにいたいらしい。そして、姉の勘違いなどではなく、殿下は姉をとても大事にしている。だから、王妃様からドレスを賜ることにも……。
「エティナ、会えてよかったわ。貴女のことだから大丈夫だとは思っていたけれど、いつも頑張りすぎてしまうから心配だったの。でも、私が行くと貴女にさらに頑張らせてしまうでしょう?」
姉は少しだけ困った顔をしてエティナに告げた。よく姉はエティナを手伝おうとしてくれるのだが、たいていそれはエティナの手を煩わせる結果にしかならず。姉はそれを気にしていたらしい。エティナが「お姉様は手を出さないで」と怒った過去は多いので。
「私も元気そうなお姉様に会えて嬉しかったわ。でも、お食事は控えめになさってね。チェルナに叱られるわよ?」
「……気をつけるわ」
エティナの言葉に目を泳がせる姉に笑ってしまった。王宮で暮らしても殿下の恋人になっても、姉は変わらないらしい。
姉と殿下は広間を後にした。その後ろ姿はエティナが羨ましいと思うほどとても仲睦まじいものだった。