第5話
部屋に残されたマクオルとエティナには再び沈黙が訪れたが、リオールが現れる前の沈黙とは違っていて息苦しさはない。
マクオルはふうっと息を吐くと。
「エティナ、声を荒げてしまってすまない。私にエスコートさせてくれるかい?」
「は、はい。誠に申し訳ありません、マクオル・ダンフォード様。無礼な物言いを」
「いや、謝らないでくれないか? 貴女の率直な意見を聞けて、私は嬉しいくらいなのだから」
にっこりと微笑み手を差し出すマクオルに、エティナはドギマギしてしまう。少し前には怒った顔を見せていたというのに、突然のこの笑顔。どこか気を許したようなマクオルの表情に、どんな顔をすればいいのかとエティナはとても困った。
結局、エティナは何も言わず視線を落とした。そのエティナの反応に、マクオルの顔が苦笑に変わるのを知ることなく。
エティナはマクオルに連れられ階下へと降りた。
すでに何人かは到着していたようで、談笑している男女がエティナの目に止まる。そこでやっとエティナは自分の姿を思い出した。花飾りとリボンで首元を飾って、高価なレースもなく流行りでないドレス、小さな宝石を頭飾りにしているだけの場違いな自分の姿に恐怖する。こんな姿で大丈夫だと思うなんて。
「マクオル・ダンフォード様、私……私……申し訳ありません」
「エティナ!?」
エティナは屋敷の廊下を人のいない方へと走った。招待客に会わないように。しかし、マクオルが追わないはずがなく、いくらもせず彼女の腕を掴んだ。
「エティナ! 一体、どうしたっていうんだ?」
マクオルはエティナの腕を引き振り向かせる。しかし、エティナは答えず顔も上げられない。恥ずかしさや悔しさや、いろんな感情がこみあげてきて何か言える状態ではなく、歪んでいるだろう顔を見られたくなくて顔を背ける。
そんなエティナをマクオルはゆっくりと胸元へ引き寄せ、背中に腕を回した。突然のそれにエティナの頭の中は真っ白になる。マクオルは何も言わず、その状態でどれほどの時間が流れたのか。
音楽が流れてきて、やっとエティナは我に返る。そして、自分が彼の胸に顔を寄せていて、彼に包まれていることに気づいた。不思議と心地よい窮屈さだけれど、意識してしまえば自然なふるまいを見失う。わずかに身じろいだエティナに、マクオルは腕を解いた。
「エティナ、大丈夫かい?」
「はい……取り乱してしまい申し訳ありませんでした」
「何があったのか、聞かせてくれないか?」
「あの、あの……ここに招待されている方々のようなドレスではないので、恥ずかしくなったんです」
「恥ずかしく? 魅力的なドレスだと思うが、エティナは自分のドレスが気に入らないのかい?」
「……いいえ……」
エティナはマクオルの問いに答えながら、どうして逃げてしまったかという理由を知った。他の女性のドレスと比べて自分のドレスがいかに見劣りするかということをマクオルに知られたくなかったから。逃げたからといってどうなるものでもないけれど、ただ……。
「マクオル・ダンフォード様、私、自信があったんです。自分のドレスアレンジの腕に。ですが、他の方々のドレスを見て、自惚れていたとわかって……とても恥ずかしくて」
「自惚れてもいいんじゃないか? そのドレスはとても綺麗だ。他の女性のドレスと比べて何が見劣りするというのか私にはわからないが、今日のエティナはとても綺麗だし、そんな貴女を従兄弟に紹介できるのが嬉しいよ」
「マクオル・ダンフォード様の、従兄弟?」
「貴女の姉ルフォナ・ビスコーテ嬢が付き合っているのは私の従兄弟なんだ」
「そうでしたか…………。ほんとうに、私のドレスは変じゃないでしょうか?」
「とても魅力的だと思うよ。ただ、魅力的すぎて……エティナを見ていると抱き締めたくなってしまうのが、困るかな」
「まあ……」
エティナは笑って目を伏せた。彼の言葉が誇大に褒めるためのものだったとしても、エティナには嬉しくて。でも、自分の思いを悟られたくなかった。笑顔の彼がとても魅力的すぎて、自分もまた抱き締められたいと思ったのだとは。嬉しそうな顔は隠せてはいなかったが。
エティナはマクオルに連れられ、パーティーの会場である広間へと戻った。すでに音楽に合わせて踊っている男女も多い。そんな中、遠目にもひときわ目立つ人集りとなっている場所があった。
マクオルの足はそちらへと向かう。一緒に歩きながらエティナは招待客の女性の中に姉の姿を探した。そうして流す目に入るドレスに逐一目をとめながら。
姉は向かおうとする人集りの中心にいた。美しく豪華なドレスを着て。エティナのアレンジしたドレスではないことに、落胆する。もうすっかり王都での生活にも慣れているだろうから当然とエティナは自分をなぐさめるが。しかし、近づいてよく見ると。
「まあ、エティナ、貴女はほんとうにドレスを素敵に着こなすわねぇ」
にこにこと笑顔の姉は以前に比べてとてもふくよかになっており、エティナのアレンジしたドレスでは厳しいとはエティナにもわかった。それほど姉の体型が変わっていたのだ。その姉の横でエスコートしているのはエティナの隣に立つマクオルよりさらに豪華な衣装を着た男性で。むっつりと険しい顔が、エティナを見据える。
エティナはさっと腰を下げ、礼の姿勢をとった。姉の隣に立つ男性は、そうさせるだけの威圧感を放っていたのである。姉は全く気にしてない風でエティナに話しかけているけれど、そうしたくだけた姉妹の会話ができる雰囲気ではない。
「トルドィウク殿下、こちらはルフォナ・ビスコーテ嬢の妹エティナ・ビスコーテ嬢です」
「エティナ・ビスコーテと申します」
エティナはマクオルの紹介にあわせて挨拶の言葉を述べた。
殿下? この方がマクオル様の従兄弟……で、姉が付き合っている男性? 本当に殿下と姉が? エティナの頭の中は疑問でいっぱいで目の前の状況に戸惑っていた。聞いてはいたけれども目の前にすると理解不能で。
「貴女がルフォナの妹か、話には聞いている。会えて嬉しい」
殿下は淡々とした口調に笑みのかけらもない表情でエティナに言葉をかけた。とても嬉しいと思っている様子ではない。冷たい視線にエティナは身体が強張る。
「お……お言葉ありがたく存じます」
「エティナ、今、クロンザッテ家にいるのですって?」
おっとりした口調で姉が口を挟み、エティナは冷やりとする。もともと姉は周囲の空気に鈍感ではあったが、殿下を前にしたこの場でとエティナの心臓が縮む。
「ご挨拶したいのだけれど、こちらに来てらっしゃるかしら? 以前、訪ねて行こうとしたら迷子になってしまって辿りつけなかったの。次からは殿下がご一緒してくださるって約束してくださったのだけど、殿下もお忙しい方だから」
殿下の許しも得ずに発言する姉に殿下から咎めはない。だとしても、朗らかな空気には程遠い。
こんな場面で、クロンザッテ家の方に挨拶? 殿下と一緒の今? そうでなければ殿下と一緒にクロンザッテ家を訪ねるつもりで? クロンザッテ家は中位貴族家で王族の方を迎えるような家格ではなく……。殿下の表情は動かず否定の言葉はないとはいえ、姉の言葉を肯定しているとも言いがたい。姉が殿下の前でも姉であるのは安心するものの、この状況が恐くもあって。殿下の手前、エティナは緊張から姉にどんな風に接すればいいのかわからず、間の悪い沈黙が続く。
それを見かねたのかマクオルがエティナに声をかけた。
「エティナ、姉君を控えの間に案内してはどうかな? 少し髪飾りが歪んでいるようだから」
「は、はい。では、ルフォナ姉様、」
マクオルの言葉に頷き、姉に話しかけようとしたエティナに殿下の冷たい視線が突き刺さり、言葉が途切れる。しかし、姉は全く気づかないらしい。
「それではマクオル・ダンフォード様、エティナをお借りしますわね。殿下、すぐ戻りますわ」
「あぁ」
不機嫌そうな殿下の声にエティナは躊躇したが、マクオルに背中を押され、姉とともに控えの間、つまり侍女待合室へと向かった。