第4話
ダンフォード邸では家人が忙しそうにお菓子や食器を並べている。そんな慌ただしい様子の中、エティナは二階へと案内された。
「リオールを呼んできてくれ」
「かしこまりました」
大きな屋敷の中にあって二階のやや小さめのこの部屋はプライベートな空間のようだった。棚に並んだお酒の瓶やグラス、サイドテーブルの上に無造作に置かれた数冊の本など男性の部屋らしい馴染みのない雰囲気にエティナは緊張してしまう。ソワソワしながら、彼にうながされソファーに腰を下ろした。
「リオールは十歳下の私の弟なんだが、とてもかわいくてね。普通の服では彼の良さが半減してしまうんだ」
そう言いながら彼はエティナの横に座る。狭い馬車ならともかく、ここで隣に座らなくてもとエティナは思いながらも口には出せず、彼の話に耳を傾けた。
彼はかわいい弟に似合う服を着せたいと考えていて、いろいろと服を作らせているのだが、なかなか満足な出来に仕上がらず困っていた。そんな時、エティナのドレスに目をとめ、意見を聞きたいとエティナと話す機会を待っていたらしい。パーティーに参加している美しい女性達のドレスではなく、地味なエティナのドレスに興味を持ったのはそういう理由だったのである。
エティナは色々と勘違いしていたことを恥ずかしく思った。デザインがどうとか言われて不相応な自信をもってしまったり、彼は自分に気があるのではと思ってしまったり。上位貴族家の女性達に負けないドレスをなんて張り切ってしまったけれど、そんなドレスに彼が興味を示すはずもない。彼が欲しているのは胸元を露わにして腰を強調するような女性ならではのデザインではないのだから。
せめてもっと大人しいデザインにしていればよかったのに、まるで過剰な虚栄心を見透かされてしまいそうな自分のドレスにエティナは肩をすくめ視線を落とした。そんなことをしても何も隠せはしないのだけれども。
「そんなに緊張しなくても大丈夫だよ。ほら、手を離して。綺麗なドレスがしわになってしまう」
エティナの右手を彼の大きな手が包み込んだ。エティナは膝の上に置いた手でドレスを握りしめてしまっていたらしい。エティナは思わず息を飲む。息も止まっていたかもしれない。手を触れられたくらい、何でも……。
すぐ横にいる彼がエティナの反応に驚いているのを感じるものの、だからといってエティナに気の利いた反応ができるわけもなく。
息もし辛い沈黙に緊張感が増し、エティナのドレスを握る手にはより力が込められる。その手に触れる他人の熱を意識しすぎ、そればかりか目に入る彼の腕や足、向けられている胸、エティナは自分の右側が気になって気になって。エティナは黙ったまま。
「エティナ……」
自分の手を包む彼の手を見つめるエティナの耳に、彼の少し抑えた声が届いた。勘違いしてはいけないと必死で否定してはみても、ドクドクと胸が大きく脈打つのを息苦しく感じる沈黙は変わりなく。エティナを見ているだろう彼の方を見ることも、視線を上げることもできず。
気まずい沈黙が続く。
けれども、それはそう長くは続かず、唐突に破られた。
「何用ですか、兄上?」
そう言いながら美少年が部屋へ入ってきたからである。
ようやく沈黙の呪縛から解放されたエティナが戸口へ顔を向けると、驚くほど綺麗な顔の少年が不機嫌そうな表情で近づいてきていた。マクオルが立ち上がるのに続き、エティナも腰をあげる。
美少年はマクオルによく似た顔立ちだが、マクオルとは違い濃いブラウンの髪と瞳を持っていた。そのはっきりした色が少年の端正さをより際立たせる。
目の前で立ち止まった少年の容姿にエティナは思わず目を見張った。この彼に『かわいい』という表現は似合わない。十三歳くらいだろうからかわいいという表現も大人の男性には許容されるのかもしれないが。しかし、エティナの前に立つ少年は凛々しくこれから先どれほど素敵な男性になるのだろうという容姿なのだ。そんな素晴らしい容姿にもかかわらず薄紅色のレースで派手に飾った服を着ていることに、エティナは怒りを覚えた。素材をここまで台無しにする服を着るなんて正気じゃないわ、と。
「リオール、こちらは私の友人のエティナ・ビスコーテ嬢。エティナ、彼が私の弟リオールだ」
「リオール・ダンフォードです。お目にかかれて光栄です、エティナ・ビスコーテ嬢」
目の前で挨拶するリオールにエティナは反応が遅れた。男性二人から向けられる視線に、慌てて腰を落とす。
「エティナ・ビスコーテです、リオール・ダンフォード様」
ぎこちない挨拶を述べながら、エティナはどうしてもリオールの服から視線が外せない。この方には薄紅色のレースが全く似合わないわけではないかもとか、組み合わせ方に問題があるのかもとか、エティナの頭の中は忙しない。
「エティナ?」
さすがにおかしいと感じたマクオルはエティナに呼びかけた。その呼びかけに、エティナはゆっくりとマクオルを見上げる。その顔に笑みはない。少し前のおどおどと緊張していたエティナの姿は消えていた。
「マクオル・ダンフォード様、リオール様のご衣装は、まさかマクオル・ダンフォード様がお選びになっておられるわけではありませんわよね?」
エティナはその表情同様に冷たい響きでマクオルに問いかけた。
彼女の豹変に言葉を詰まらせるマクオルの前で、エティナの質問の意味を正確に把握したリオールが答える。
「僕は不肖の兄が作らせた衣装を着せられております、エティナ嬢。弟という立場では拒否権がないのですよ」
「リオール様、なんてお気の毒な」
「……」
「わかっていただけますか、エティナ嬢。僕は日々をこの兄の作らせた醜悪な衣装で過ごさねばならないのです」
「まぁ、なんて酷い……マクオル・ダンフォード様、本当ですか?」
弟の言葉はいつものこととしても、思いっきり同意するエティナにマクオルは表情を曇らせる。
しかし、エティナはマクオルの気分を害しているとわかっているだろうに少しも怯んだ様子はなく、対峙するかのようにピタリとマクオルに目線を合わせた。そして、さらに言い募る。
「リオール様に本当にこのような服を強要しているのですか?」
「このような服はないだろう? このレースはその辺で手に入るやつとはわけが違うんだ。この絶妙な色合い、なかなか出せるものでは」
「このレースがとても美しくて素晴らしいのはわかりますわ。ですが、レースでごてごてと飾りすぎです! リオール様の端正な雰囲気を台無しにしてしまっていることくらいおわかりになるでしょう?」
「多少……私もデザインが気に入らないのだが、リオールは何を着せても着こなせる」
「着こなしているのではなく、服が主張しているだけです! リオール様はその良さを半減してもなお素晴らしい容姿をしていらっしゃるから何とかなっていますけれど、これではあんまりですわ」
「なら、貴女ならどうすると? このレースをもっと生かせるとでも?」
「ですから、」
不機嫌そうなマクオルに対して強気で力説するエティナにリオールは驚いていた。小さなエティナに噛みつかれている兄の姿を面白く眺める。
兄マクオルがリオールに女性を引き合わせるのはこれがはじめてではない。弟をダシにしないと女性を口説けないのかと思ったこともあるが、女性の反応はマクオルに同意し、弟をそれほど気にかけるなんて素晴らしい方と褒め称えるものばかり。そうでないとしても上位貴族家の次期当主の機嫌を損ねてはいけないと思うのか、無難に言葉を濁して終わる。それらの反応にマクオルは女性への興味を失い、付き合いを深めるには至っていない。兄と結婚したい娘は多く言い寄られることも多いので、ふるいをかけるにはちょうどいいらしい。弟を利用するのはどうかと思うが、兄というものはそういうものだ。
兄は一体どのような返事を求めているのか、リオールなりに興味があった。そうして、今。兄の機嫌など全く考えてなさそうなエティナ・ビスコーテという女性。兄は自分の意見を思いっきり否定され不機嫌ではあるのだろうが、言い合いを止めないところを見ると面白いと感じているらしい。
そろそろ弟の存在を思い出して欲しいものだと思いながら、リオールは二人を眺めていた。
「いや、しかしだ、それでは豪華さがなくなってしまうだろう」
「ボリュームだけが豪華さを決めるだなんてお思いになってらっしゃるの?」
「貧相な量では豪華さは実現できない」
「適量という言葉がありますの」
「では、大粒の宝石を合わせてはどうだろうか? 家のどこかに赤い大粒の宝石があったはずだから、それを金細工で」
「マクオル・ダンフォード様、ごてごてと盛るだけではダメなんです!」
「兄上、そろそろエティナ嬢をパーティーの開かれる広間へ案内なさってはいかがです? もう支度も整う頃でしょう」
リオールは言い合う二人の間に口を挟んだ。放っておけばいつまでも終わりそうになかったので。
「あ……あぁ、そうだな」
「それでは、僕はこれで。エティナ嬢、我が家のパーティーをごゆっくりお楽しみください」
リオールはエティナへ優雅な礼をしてみせると踵を返し、戸口へと歩き出す。
エティナは呆気にとられた顔でそれを見送った。