第6話:想定内と想定外
戦闘開始から数十分後、戦闘は終了した。襲い掛かるアジャイルリザードの最後の一体をサフィーアが切り捨て、その後増援が来ることは無かった。
一見するとそれで全て討伐し切ったように見えるが、今回の討伐数は少々数が多くもしかすると特異個体で統率する奴が出現している可能性もあった。その場合あの場は一旦退いて、彼女達が居なくなるか油断するのを待つと言う指示を出している可能性も捨てきれない。
なので今日のところはこの森の中で一泊し、何の変化も見られなければ依頼達成として街に戻ろうと言う事になった。
アジャイルリザードの残党や他の危険なモンスターが出現しないとも限らないので、森の中を警戒しつつ夜が来るのを待つ。結局、何も現れることなく夜の帳が降り、徐々に森の中が暗くなったので彼女達は野営の準備に取り掛かった。適当に開けた場所で火を起こし、それの周囲に腰を下ろす。
「あむ…………」
ウィンディがガスバーナーコンロでポットを火に掛けているのを横目に、サフィーアは持参した携帯食料を口にした。
この携帯食料、安価で腹持ちも良くしかも栄養価も高いと言う長期で街から離れる際には手放せない代物なのだが、ただ一点味が少々微妙であった。兎に角徹底的に水分を飛ばしているので非常にパサパサとしており、味自体もとても安っぽく正直食欲はあまりそそられない。故に人気自体は低く傭兵の多くは野外での食事は最低でもレトルト食品で済ませることが多かった。携帯食料は、本当に食べるものが無くなった時の為の所謂保険だ。
しかし、サフィーアはこれが嫌いではなかった。味はともかくとして、これを野外で食べると如何にも『野営している』と言った雰囲気になり、それが彼女は好きなのだ。流石に街に居る時にスナック感覚で食べようなどとは思わないが。
あとこの携帯食料には保存性を更に上げたバージョンの物も存在しているが、そちらは味関係を完全に捨て純粋に保存性のみを追求しているので味もへったくれも存在しない。食感もまるで硬いゴムのようであり、嚙み切るのに結構力が要る。こちらは流石のサフィーアも受け入れ難く、食べたのは好奇心で最初に食べたきりであった。
「くぅん!」
「ん? 分かってるって。ほら」
空腹を訴えて鳴き声を上げるウォールに、サフィーアは砕いた携帯食料の欠片をグローブの上に乗せて与えた。前述した通り味は安っぽくパサパサしている為この携帯食料を好まない者は少なくないのだが、ウォールは全く不満な素振りを見せることなく彼女の掌に乗った欠片を食べた。彼も存外これが気に入ったようだ。その事にサフィーアは笑みを浮かべる。
「――――ッ!?」
その時だ。サフィーアは突然鋭い視線を周囲に向ける。表情を険しくし、辺りに警戒する視線を向けつつ残りの携帯食料を口に放り込む。
「どうした、そんな顔して?」
「ん?…………ううん、何でもないわ」
彼女が表情を険しくしていることに気付いたグリフが首を傾げるが、一瞬間を置いてから表情を元に戻しつつ何て事は無い風を装った。
そんな彼女に、ウィンディがポットで沸かした茶をコップに入れ差し出した。
「そんなに心配しなくても、どうせ何も来やしないって。これでも飲んでリラックスしな」
携帯食料の包みを左手でポーチの中に突っ込みながら差し出されたコップを受け取り、火傷しないようそっと息を吹きかけ軽く冷ましてから口をつけるサフィーア。暖かな茶が彼女を体の芯から温める。
その様子を男達は人の良さそうな笑みを浮かべてみている。よく見ると、バートも珍しく口角を釣り上げて笑っているようだ。出会ってからずっとしかめっ面しか見ていないサフィーアには、彼の笑みはとても新鮮なものだ。
「ん、ふぁ…………」
食後の茶を飲んでから数分後、満腹から眠気が襲ってきたのかサフィーアが大きく欠伸をする。傍らに居るウォールはとっくの昔に丸くなって夢の中だ。
「眠いなら先に寝ちまいな。見張りは1人居れば十分だ」
「んじゃ、俺らも一足先に寝かせてもらうぜ」
「言い出しっぺだ。見張りは、1人でな」
「お前ら…………」
バートが睨む前で、グリフとウィンディは早々に寝袋に入って寝てしまった。仲間2人の薄情な様子に溜め息を溢しつつ、彼はサフィーアを見る。
「全く…………お前も寝とけよ。昼間一番動いたのお前なんだからな」
「うん…………それじゃ、任せるふぁ」
お言葉に甘えて、その場で横になるとサフィーアは肩マントを毛布代わりに眠りについた。物の数秒で意識を手放したのか、彼女からも規則正しい寝息が聞こえ始める。
次の瞬間、それまで寝袋に入っていた筈の剣士2人が起き上がった。彼らはバートとお互いに目配せすると、小さく頷き合いゆっくりとサフィーアに近付いていく。その表情は、つい先程までの親しみやすい物から一変して、不敵で怪しげなものへと豹変していた。
グリフがそっとサフィーアに向け手を伸ばす。その手がマントに掛かり…………
突然、彼女の足が彼の手を思いっきり蹴り上げた。
「あだ、なっ?!」
予想外の事態だったのか、グリフは蹴られた手を押さえながら驚愕の表情を浮かべる。ウィンディも驚いてその場で固まっている。
そんな中でただ1人、バートだけはライフルを構え彼女に向けていた。
彼らの様子を見て、サフィーアは同じく飛び起きたウォールを伴い3人から距離を取りつつ剣を抜いて構えながら口を開いた。
「ふん! そんな事だろうと思ったわ!」
「お前、ぐっすり寝てた筈じゃ!?」
「大方、さっき飲ませた茶に睡眠薬でも入れてたんでしょうけどね。残念だけど、そう来るだろうと思って一緒に解毒薬飲んどいたのよ。お高い奴をね」
先程携帯食料の包みをポーチに突っ込んだ時。あの時同時にポーチの中に入れておいた解毒薬を取り出し、茶を飲む時こっそり口に入れて一緒に飲んでおいたのだ。
この解毒薬、購入できる薬品としてはかなり高価な部類であり、これより安価な物に比べて分解できる成分の種類が多い。それこそ、風邪の時に飲む薬などの成分も分解してしまうほどだ。薬も過ぎれば毒となるとは言うが、この解毒薬は正しく人体に入る薬学的な異物を全て除去してしまうのである。
「そこまで用意してたってことは、俺らがお前を狙ってるって分かってたって事か? 何時から気付いたんだ?」
「ギルドであんた達が声を掛けてくる直前からよ」
「そ、そんな時から!?」
「ごめんね、あたし他人から向けられる悪意とかにすごく敏感なの。だからあんた達が時々あたしに気持ちの悪い視線を向けてたことにもすぐ気付いたわ」
サフィーアの種明かしを聞いた男達は、暫しその場で固まっていた。サフィーアの方も、彼等がどんなアクションを見せるのか待っている。
その沈黙を破ったのはバートだった。
「ハァ…………」
バートは突然大きな溜め息を吐くと、2人の剣士の男をじろりと睨み付けた。
「何処のどいつだ、この女が楽な仕事だなんて抜かした奴は?」
「いや、だって…………なぁ?」
「そうそう。今までだってこのやり方で何とかなってきたんだし」
怒気の籠った視線を向けられた2人は、明らかに萎縮した様子を見せながら必死に弁解する。今まで鳴りを潜めていた様だが、彼等の力関係はバートが圧倒的に高いらしい。
「全く…………所でお前、一つ訊かせろ」
「何を?」
「お前、俺達が悪巧みしてるって気付いてたなら、何で一緒に行動したんだ? 最初の時点なら、抜けることも容易だった筈だ」
彼からの問い掛けに対し、サフィーアは鼻で笑いながら答えを口にした。
「あら、分かんない? あんた達程度なら上手くあしらえそうだったし、言い逃れできないタイミングでコテンパンにしてギルドに引き渡してやろうかと思って」
不敵な笑みを浮かべながらのこのセリフに、3人は一瞬唖然となる。が、直ぐに全員俯いて肩を震わせた。普通に考えればこれは馬鹿にされて憤っていると捉えるべきなのだが、彼女は彼らの様子に笑みを引っ込め剣を構え直す。
彼女が構えを取ったタイミングで、彼らは一斉に顔を上げた。その表情は憤るどころか、心底おかしいと言いたげに笑みを浮かべていた。
「アッハッハッハッハッ! こりゃ傑作だぜ、なぁ?」
「全くだ。調子に乗ってるのはどっちだよって話」
「ま、痛い目に遭わせる理由にはちょうどいい」
一頻り笑い落ち着いたバートが、徐に手を上げてフィンガースナップで指を鳴らした。
すると周囲の木の陰から、複数人の人影が姿を現した。その数、総勢8人。サフィーアはその姿を現した一団を見て驚愕に目を見開いた。
「3人なら上手くあしらえる? ならこれならどうだ?」
「流石にこの人数は予想外だったんじゃないの?」
バートとグリフがそう言うが、伏兵の存在自体はサフィーアはとっくに気付いていた。
彼女が驚いたのは、伏兵の存在ではなく伏兵そのものだ。その存在に気付いた時、彼女は精々伏兵も男たちと同レベルかチンピラ程度だろうと高をくくっていた。
しかし…………
「帝国兵!? 何でこいつらが?」
現れた伏兵は、全員がムーロア帝国正規軍の装甲服を身に纏っていたのだ。フルフェイスヘルメットのバイザー部分には単眼のカメラアイが搭載されており、無機質な視線を彼女に向けている。
「ここがグリーンラインの中だってことは分かってるわよね? 何でここに帝国軍が居る訳?」
「それをお前に教える必要はないな」
「自分の心配した方が良いんじゃない?」
「くそ舐めた態度取ってくれたんだ。まさか単にボコられるだけで済むだなんて思ってないよね」
サフィーアは男達に嫌悪の視線を向けつつ、この状況をどうやって打開するかを必死に考えた。
本当は、事前に用意しておいた煙玉や閃光玉で上手いことやり過ごすつもりであった。しかし、相手が帝国正規軍となるとそう簡単にいくかどうか怪しいものだ。煙玉はともかく、閃光玉はあのヘルメット相手に効果は薄いだろう。そうなると、彼女は訓練を受けた帝国軍兵士8人と、恐らくはBランク以上の傭兵3人を纏めて相手にしなくてはならない。
ちょっとどころかかなり厳しい状況に、サフィーアは冷や汗を流した。降伏など有り得ないし、したとしてもその後の結末は抵抗して捕まった後とそう大差無いであろう。あの口振りからすると、嬲り者にされることは確実だ。
ならば選択肢は二つ。この場の全員を叩きのめすか、或いは上手いこと逃げおおせるか、だ。彼女個人としては、こう言う女を舐めてかかっている連中を相手にするなら前者を選択したい。是非とも全員ぶちのめして鼻を明かしてやりたいが、ここは後者を選ぶのが懸命か。幸い煙玉は有用だろうし、いざとなればウォールの障壁もある。へまをしなければ何とかなるだろう。
思考する間にも傭兵3人と帝国兵達は徐々に彼女を包囲しつつ距離を詰めてくる。サフィーアはそれを油断なく見据えながら、左肩から伸びる肩マントの下でこっそりと煙玉を掴んでいた。ハイテクはアナログに弱い。いくら高性能のカメラと言えども、単純な煙幕を前にしては手も足も出まい。
男達の包囲が完了する直前、タイミングを見計らって左手に握った煙玉を地面に叩き付けようと腕に力を込めた。
その時だ。
「…………ん?」
突然サフィーアが明後日の方向を向いた。まるで何かに気付いたような、そんな感じだ。
彼女のその様子を見て周囲の者達は絶好の隙と見て取ったのだろう。グリフとウィンディが彼女に向け同時に飛び掛かり…………
突然横合いから1人の女性が飛び出してきた。