第3話:マスコット、参入
2018/12/10:サブタイトル変えました。
物の見事にカーバンクルに逃げ切られた後もサフィーアは街中を走り続け、遂には最初に見つけた公園まで戻ってきてしまった。人影はあれども、今度はカーバンクルの影も形もない。
ついでに言うと、先程の女性の姿も見当たらなかった。
「さってと…………」
サフィーアはそのまま暫し公園内を見渡していたが、何度か見渡した後諦めたように踵を返してその場を立ち去った。公園の出口に向かい、そのまま再び街中へ――――
「――――なんちゃって?」
公園から出そうになっていたサフィーアが、後ろも見ずにバク転するように後方へ大きく飛び退いた。彼女が着地したその目の前には、今正に公園に入ろうとしているカーバンクルの姿が。
「くぅんっ!?」
「捕まえた!!」
突然の事に反応が送れたカーバンクルを、サフィーアは真正面から捕まえて持ち上げた。
「ふっふっふ、残念だったわねぇ! さっき見失った時あたしの後ろに回り込んで逆に後をつけて見つからないようにしたのは悪くない作戦だったけど、あたしには通用しないわよ!」
このカーバンクル、サフィーアの視界から外れると共に物陰に隠れて彼女が通り過ぎるのを待っていたのだ。前を逃げれば視界に移る限り追い回されるが、逆に彼女が隙を見せるまで後を付ければ見つかることもなく安全に逃げ切る事が出来る。作戦としては悪くなかったが彼女にはお見通しだったようだ。
「くぅん、くぅんっ!?」
「は~いはいはい、暴れないでねぇ~」
必死に暴れて逃れようとするカーバンクルだったが、脇の下を完全にがっちりと掴まれてしまっているので逃れようがない。人を傷つけられるほどの爪も牙も持っていないカーバンクルには(あってもマギ・コートをしていればダメージにもならないが)、彼女の手から逃れる術がないのだ。
数分と経たずに暴れることを諦め大人しくなるカーバンクルだったが、今度は哀愁漂う目で見つめてきた。力尽くが駄目なら情に訴えると言う訳だ。
これには流石のサフィーアも思わずたじろいだ。
「くぅん?」
「うぐ…………だ、ダメダメ!! こっちだって仕事なんだから。離せと言われても離せないって、諦めなさい」
「くぅん」
彼女の言葉に今度こそ諦めたのか、カーバンクルは完全に項垂れて抵抗する素振りを見せなくなった。内心で悪いと思いつつ、これも仕事と割り切りサフィーアはギルドへと向かっていった。別に殺される訳ではないのだ、そこまで悲観することもあるまい。
まぁ、ここまで必死に逃げて抵抗したと言う事を考えると、飼い主とはそりが合わないか待遇に不満があるのだろう。そこは同情するが、生憎それとこれとは別問題だ。
そのままサフィーアがカーバンクルを抱きかかえてギルドへ向かうと、ナタリアが奥の応接室に案内してくれた。今回の件は通常の依頼とは少々異なるので、受付で済ます訳にはいかないのだそうだ。
「すぐに依頼人を呼んできますので、少し待っていてくださいね」
そう言うとナタリアはサフィーアを置いて応接室から出て行ってしまう。残されたサフィーアはソファーに座り、出された茶で喉を潤した。いくら魔力で肉体を強化したとは言っても、全速力で長時間走れば疲れるし喉も乾く。カップに口をつけて茶を啜りつつ、茶請に置かれたクッキーを齧った。
「くぅん」
「ん? 食べる?」
物欲しげな声を上げたカーバンクルに、サフィーアはクッキーを半分砕いて掌の上に乗せ口元に近づけてやった。差し出されたクッキーを前に、カーバンクルは鼻をひく付かせるとコリコリと齧り始める。
追い掛けている間は捕まえようと必死だったこともありあまりしっかり見れていなかったのだが、こうして見るとなるほどどうして可愛いではないか。これなら例え好事家でなくともペットとして近くに置きたくなるだろう。
そんな事を考えながら腕の中にカーバンクルを抱きかかえたまま待つこと数分、時々カーバンクルを撫でたりちょっと魔が差して頬擦りして嫌がられたりしながら待っていると応接室の扉が開かれた。サフィーアとカーバンクルがそちらを見ると、ナタリアと共にスーツ姿の女性が入ってくる。栗色の髪を伸ばし、メガネを掛けた女性だ。しかし知的な雰囲気ではなく、どこか道化のような印象を受ける。
「すみません、お待たせしちゃって」
「いや、それはいいんだけど…………もしかして、その人が?」
「はい。今回の依頼人の…………」
「ウイウイ、ビーネ・アーマイゼと申しま~すぅ。クロード商会の会長をしておりま~すぅ。宜しくお願いしま~すねぇ」
奇妙に間延びした話し方の女性、ビーネ・アーマイゼの自己紹介にサフィーアは思わず目を見開いた。クロード商会と言えば、ギルドと提携して様々なアイテムを取り扱っている大手の商会だった筈だ。携帯食料からテント、果ては爆薬なんかも手広く取り扱う、正に今の時代の何でも屋と言ったところか。
正直、予想を大幅に外れていた。モンスターをペットにするあたり見栄っ張りなオッサンかそこいらが依頼人だろうと思っていたのだが、まさかこんな女性だとは思ってもみなかった。それも二重の意味で。
「くぅん! くぅん!?」
「わっ!?」
サフィーアがビーネに驚いていると再びカーバンクルが暴れ始め、彼女の手をするりと抜けるとそのまま彼女の陰に隠れてしまった。逃げだすのは無理そうだからせめて隠れようと言う事だろうか。そこまで帰りたくないのか。
「こらこら、あたしに隠れてどうするのよ!?」
「くぅん!? くぅぅん!?」
「だぁぁ、もうっ!? 諦めてご主人様のところに帰りなさいっての!?」
「くぅぅんッ!?」
「そこまで嫌かッ!?」
全力で嫌がり、終いには障壁まで張り出すカーバンクルを必死に宥めるサフィーア。その様子を困った様子でナタリアが見つめている一方で、ビーネはクスクスと笑みを浮かべていた。
「やれや~れぇ、大分嫌われてしまったみたいで~すねぇ」
「あの、不躾かもしれませんけどこの子との間に何があったんですか? 嫌がり方が尋常じゃないんですけど?」
全力で逃げようとしたり、逃げられないからと言って隠れたり障壁を張るのはいくらなんでも拒絶し過ぎだ。彼女とこのカーバンクルの間には絶対何かあった。それこそ深い溝ができるくらいの何かが。
確信をもって訊ねると、ビーネは何故か楽し気な笑みを浮かべて答えた。
「別に大したことはありませ~んよぉ? ただ頭の先から爪先まで満遍なく愛して可愛がっただけで~すぅ」
それを聞いてサフィーアは確信した。原因はそれだ、愛が重すぎたのだろう。ペットを可愛がること自体はご自由にと言いたいところだが、何事にも限度はある。これだけ拒絶すると言う事は、多分傍から見たら引くほどの溺愛っぷりだったに違いない。
「あの、差し出がましいかもしれませんけど、もうちょっと接し方を考えた方が良いですよ?」
「ん~、フフ~フゥ。まぁそれは頭の片隅にでも置いておきま~すよぉ。それより報酬の話に移りましょ~かぁ」
「いや、あの――――」
「首尾良く捕まえることがで~きたらぁ、追加報酬を払う約束で~したよねぇ」
「は、はぁ…………」
何と言うか、こちらの話を聞いてくれないと言うかマイペースな人だ。サフィーアの苦手なタイプの人間である。
若干精神的な疲れでげんなりするサフィーアを余所に、ビーネは彼女に払う追加報酬を口にした。
「追加報酬は…………そうで~すねぇ、ウォールちゃんをあげちゃいましょ~かねぇ」
「ウォールちゃん?」
「今貴女の後ろに隠れてるその子の事で~すよぉ」
ビーネの言葉にサフィーアはこの日何度目になるか分からない驚愕に目を見開いた。
あげる? このカーバンクルを? 溺愛する程大事ではなかったのか? サフィーアの頭の中を様々な疑問が駆け抜けた。
「え、いや、いいんですか!? この子大事だったんじゃ?」
「大事は大事で~すけどぉ、また逃げたりして心無い人に捕まってろくでなしに売られる方がよっぽど悲しいで~すからぁ。ウォールちゃんは貴女に懐いている様で~すしぃ、貴女と一緒に居た方がウォールちゃんにとっても幸せでしょうか~らねぇ。よろしくお願いしま~すねぇ」
「よ、よろしくって…………」
「あぁ、心配しなくても基本報酬の方もちゃんとギルドに振り込んでおきま~したからぁ。“今後とも”よろしくお願いしま~すぅ」
そう言うとビーネはナタリアにも挨拶して応接室を出て行った。後には困ったように笑みを浮かべるナタリアと、状況についていけず唖然としたサフィーア。そして…………
「くぅん!」
脅威が去って上機嫌となりサフィーアに頬擦りするカーバンクル、もといウォールだけが残されていた。
***
一方その頃………………
イートの近くにある森の中に、複数人の人影があった。数は全部で8、全員が同じ装甲服に身を包んでいる事から傭兵の類ではないことが伺える。
頭の先から爪先までヘルメットと装甲服で統一された装備、そして統率されたような動きは傭兵と言うよりは軍隊のそれだった。オブラの軍隊ではない。左肩のアーマーに施された恐らくは所属する国家を示すペイントが、イートのゲート等に掲げられたオブラを示す国旗とは異なっている。
その一行の内の一人、恐らくは指揮官だろう者が何者かとヘルメットに内蔵された通信機で連絡を取っていた。
「こちらαチーム、現在『収穫場』近くで待機中。『猟犬』、応答せよ」
『こちら猟犬。もう街に入ってる』
指揮官は通信機の向こうからの応答に満足そうに頷く。
「了解した。手筈はいつも通りに頼む」
『任された。精々手頃な奴を誘い込むとするよ。首尾よく事が運んだら、報酬の上乗せも考えてくれよ?』
「そこは働き次第だな。精々しっかり成果を挙げる事だ」
その言葉を最後に指揮官は通信を切り、部下を伴って森の奥へと消えていく。明らかに不審なその集団の存在を知る者は、通信機の向こうに居た者達を除いて、誰も居なかった。