第16話:月下の襲撃
ティンダーの群れから逃れた日の夜。
その日も一行は休憩を兼ねた夕食の為に、街道を外れた場所に車を止めて野営していた。車から離れすぎていない場所で火を起こし、適当に夕食を摂る。
サフィーアも何時もの如く携帯食料を齧りつつ、クロード商会から分けてもらったパウチのシチューを口に運ぶ。湯で温めてあるシチューが腹だけでなく心も満たしてくれる。
「サフィ」
ちょうどパウチの中身が空になり、携帯食糧の最後の一欠けらを口に放り込んだところでクレアが声を掛けてきた。サフィーアがそちらを見ると、クレアが水の入ったコップを差し出してきたのでありがたく受け取った。
「ありがとうございます」
「ん」
受け取ったコップの水で喉を潤すサフィーアだったが、ふと飲みながらクレアの方を見ると彼女はコップに口を付けながら明後日の方を神妙な面持ちで睨んでいる。
クレアの様子から只ならぬものを感じ取ったサフィーアはそっと彼女に声を掛けてみた。
「あの、どうかしたんですか?」
「え? あぁ~……」
サフィーアに声を掛けられて我に返ったクレアは、どう答えるべきか悩んでいるのか何とも言えない表情で頬をかいている。
何かまずい事でも聞いたのだろうか? サフィーアが少し不安を感じつつ怪訝な表情でクレアの事を見つめていると、彼女は意を決したかのように小さく溜め息を吐くとその胸の内を明かした。
「何かさっきからね、いや~な予感がするのよ」
「嫌な予感……ですか?」
「うん。胸騒ぎって言うか、ね」
傍から聞けば何を馬鹿な事をと思うかもしれないが、クレアはベテランの傭兵としてこれまでに何度も危険を潜り抜けてきた。数多くの危険と戦いの中で鍛えられた第6感が彼女の本能に警告を促しているのだとしたら、それは決して無視はできない。きっと何かがある筈だ。
サフィーアがそう考え気を引き締めたその時――――
とても鋭い思念が彼女を貫いた。
「ッ!?!?」
「サフィ?」
反射的にサフィーアは立ち上がり、遠い夜空の彼方に目を向けた。文明の灯りに満たされた街ならともかく、人気のない平原では見えるものなど夜空に輝く星位のものだ。それ以外に見える物等ある筈がない。
しかし、サフィーアは明らかに何かを感じ取っていた。その豹変っぷりに今度はクレアの方が首を傾げるが、直後に彼女もサフィーアが見ているのと同じ方角に目を向けた。それは試しに自分も同じ方角を見てみようと言うものではなく、彼女自身も異変を感じ取ったからだった。
クレアの耳は感じ取ったのだ。遠くから響く風切り音…………ヘリのローターが風を切る音を。
「…………偶々通り掛かっただけだと思う?」
彼女がそう問いかける頃には、サフィーアの耳にもローター音が届くくらいになっていた。
サフィーアは段々と大きくなるヘリのローター音に、険しい表情を浮かべながら首を左右に振った。
「明らかにこっちに敵意を向けてます。足の速さから言っても戦闘は避けられないですね」
「そっか…………そうよね。よっし!」
クレアは気合を入れ直して立ち上がると、アイラを始めとしたクロード商会の連中に向け即座に動き出すよう指示を出した。
「お客が来るわ、急いでここから離れるわよ!」
「て、敵ですか!?」
「そうだって言ってんの。多分あんたらの競争相手よ。分かったらさっさと動いて、早くッ!!」
突然の事に狼狽えるアイラ達だったが、クレアの檄に急いで荷物を纏めて車に乗り込んでいく。
全員が車に乗ったのを見たクレアが、ふと背後を振り返るとサフィーアがその場に目を閉じて佇んでいるのに気付いた。
「サフィ何やってんの?」
まさか立ったまま寝ている訳ではないだろうが、もたもたしていたら直ぐにでもヘリが一行の頭上に陣取ってしまう。もしヘリが武装していた場合こちらはほぼ一方的にやられるのを待つだけになってしまうので、例えそう間を置かず追い付かれるとしてもできる限りの事はするべきであった。
だがサフィーアはクレアの言葉にまたも首を左右に振って答えた。
「アイラさん達を逃がす必要、無いかもしれません」
「何で?」
「敵意が三つ…………それも強さから言って、多分ヘリから降りての直接戦闘を望んでるかも」
「サフィ…………あなたそんな事まで分かるの?」
サフィーアの言葉にクレアは驚愕に目を見開いた。クレア自身思念関知能力者は自分に向けられた思念を感じ取る能力がある事は知っていたが、今サフィーアがした事は思念どころか心の内を読み取るに等しい行為である。
彼女がそこまで強い力を持っていたことは、クレアをしても予想外の事だった。
「かなりの集中力を使うんで、易々と出来る事じゃないんですけどね」
そう口にするサフィーアをよく見ると、成程確かに先程よりも息が上がっているように見える。彼女の言う通りおいそれと使えるものでは無いらしいが、それにしたってなかなか強力な切り札と言えるだろう。
クレアは額から一筋の汗を流しつつ、自分に向けて小さく笑みを浮かべるサフィーアの姿に若干呆れの混じった溜め息を吐いた。その瞬間彼女から何かを感じ取ったのか、サフィーアが少し表情を暗くしたがクレアはそんな彼女の頭をやや乱暴に撫でた。
「だ~いじょうぶよ。別にビビった訳じゃないって。ただちょっと驚いただけよ」
「ほ、本当ですか?」
「あら、嘘吐いてるかくらい分かるでしょ?」
言われれば確かに、クレアから感じられる思念に嘘はない。彼女は今本心でそう思っている。別にサフィーアの事を恐れている訳ではないし、不安を感じる要素などどこにもなかった。
自然と、サフィーアの表情も和らいでいく。
「すみません、疑っちゃって」
「いいのいいの、こっちも悪かったわ」
そう言ってお互い微笑み合う頃には、既にヘリは大分近付いていた。もうシルエットだけなら見えるくらいだ。
突如として急激に降下してくるヘリ。恐らく乗っている傭兵か何かを降ろすためだろう。いよいよもって二人は気を引き締めると、サフィーアはサニーブレイズを構えクレアは拳を握り締める。
襲撃者を待ち構える二人。その時サフィーアはヘリから感じられる敵意――いやこれは闘志か――の一つが大きく膨れ上がったのを感じた。
「ッ!? 来ますッ!!」
警告を発しながらその場を右に飛びのくサフィーアに続き、クレアもその場を左に飛び退いた。直後、ヘリの右側から連続して発砲音が轟き、二人が居た場所を薙ぎ払った。
左右に大きく引き離された二人の間を飛び去るヘリだったが、その際に左右の扉から合計三人の人影が飛び降りた。クレアの方に二人、サフィーアの方に一人だ。
月が雲に隠れ、火も片付けてしまった為相手の姿はシルエットでしか分からないがそれでも数少ない光源が、相手が左手に一本の剣を持っていることを教えてくれる。相手は既に準備万端の様だ。
「やぁぁぁぁっ!」
先手必勝とばかりに相手が構える前に斬りかかるサフィーアだったが、相手は彼女の剣を容易く弾くとお返しとばかりに鋭い突きを放ってきた。
「おらッ!」
「くッ!?」
突き出された刃を横から弾くことで逸らしたサフィーアは、体勢を整えるべく一旦その場を下がろうとした。
しかし男性と思しき相手は、彼女に下がる事を許さずそのまま体当たりするかの如く彼女に追随し剣を振るったのだ。
「オラオラッ!! 逃げてばっかじゃ勝ち目ねえぞッ!!」
「グッ!? くぁっ?!」
更に二度、三度と振るわれる刃を何とか受け流すサフィーアだったが、怒涛の攻めに反撃に転じるどころか防御の為の踏ん張りすら利かせる事が出来ずとうとう大きく弾き飛ばされてしまった。
強かに体を打ち付けるサフィーア。それでも剣を手放さなかった事は大したものだが、体勢は完全に崩れてしまっている為今の彼女は無防備だ。
そして相手の男はそれを見逃すほどお人好しではなかった。
「こいつでぇッ!」
トドメとばかりにサフィーアの物と同じ空破漸を放つ男。魔力で形成された飛ぶ斬撃はまだ体勢を崩したままの彼女に真っ直ぐ飛んでいき――――
「くぅんッ!」
寸でのところで間に割って入ったウォールの障壁に阻まれ弾けて消えた。
必殺のつもりで放った一撃が突如として防がれたことに、彼が驚いたのが気配で分かる。その間にサフィーアは何とか体勢を立て直した。
「ありがと、ウォール。今のはやばかったわ」
流れる冷や汗をジャケットの袖で拭いながら、漸くサフィーアは体勢を立て直した。その間剣士の男は様子を窺うかのように佇んでいた。空破漸を防ぐほどの障壁を生み出せる、ウォールの事を警戒しているのだろう。
常識的に考えれば、ここはウォールと連携して彼女が攻撃、ウォールが防御を担当するのがベストだ。そうすれば彼女は攻撃に専念でき相手との間に開いているだろう実力差を少しは補う事も出来るかもしれない。
しかし彼女は、ここで思いも寄らぬ指示をウォールに下した。
「ウォール、アイラさん達の所に行って」
「くぅんっ!?」
サフィーアの指示に、ウォールは突然何を言い出すんだと言いたげに驚いた声を上げた。只でさえ彼女と相手との間には小さくない実力差があるというのに、この上更に防御を捨てるとは何を考えているのか。
「言いたい事は分かるけど、ここは言う事を聞いて。今一番大事なのはあたしの身の安全じゃなくて、アイラさん達の安全なのよ。あたしがここで生き残っても、流れ弾や別動隊にアイラさん達がやられたらその時点でお終いだわ。だからお願い」
ウォールは暫し思案するように俯いていたが、彼女の言う事にも一理あると納得してくれたのかその場を離れてアイラ達が乗り込んでいる二台の車の方へ向かっていった。
ちょうどそれを見送ったところで、月を覆い隠していた雲が移動し月明かりが辺りを照らした。太陽に比べれば弱々しい光だが、夜の闇に慣れた彼女にはそれだけで相手の姿を捉えるには十分だった。
そこに居るのは、そんなに歳の離れていないだろう一人の青年だった。長く伸びた茶髪をゴムか何かで適当に首の所で纏めている。目立つ装備としては、胸部や各部関節に装着したプロテクターと左腰に差した二本の剣だろう。
内一本は今彼が“左手”に持っている訳だが。
油断なく相手を観察するサフィーアだったが、対する相手は彼女に向けて呆れとも納得がいかないとも言った感じの顔を向けていた。
「良いのか? あいつが居ればお前少なくとも俺に負けることは無いんだぜ?」
「言ったでしょ? 今一番大事なのは依頼人の安全を確保する事。あの子の能力は最適だわ」
「その結果、お前が負けてもか?」
この場合の負けるとは、イコール死ぬと同義語である。人によってはまた別の意味を持つ場合もあるが、今この場では少なくとも敗北=死であることがサフィーアには分かった。
正直、彼女は自分が勝てるとは思っていなかった。決して弱気になったとか臆病風に吹かれたとか言う訳ではない。今し方の僅かな打ち合いだけで双方の実力の差を実感してしまったのだ。この相手は強い。少なくとも、クレアを除いて今までで一番の強敵だった。
そんな相手に、出し惜しみをするかの如くウォールを下がらせると言うのは、この場において悪手に他ならない。
では何故彼女は、敢えてそんな悪手を選択したのかと言うと――――
「勝てはしなくても、死なない程度に頑張れる自信はあるわ」
「ほぅっ! さっき一方的にやられてたくせして、随分とデカい口叩くじゃねぇか」
強気なサフィーアの言葉に彼は関心半分挑発半分と言った感じの声を上げた。彼女の言葉を不利な状況下でもめげない強がりとでも思っているのだろう。
実際、強がっているという見方も間違ってはいなかった。彼の傭兵ランクは恐らくA-前後、彼女とは積み上げてきた経験が圧倒的に違う。そんな相手に勝てると思えるほど彼女は身の程知らずではなかった。
だが『勝つ』ではなく『負けない』であれば話は別だ。彼女は相手が向けてくる攻撃の思念を感じ取る事が出来る。それを利用して、相手の攻撃を上手く防ぎ続ける事が出来ればそれだけでも十分に足止めになるだろう。
そして時間が経てば、残りの二人を叩きのめしたクレアがこちらに救援に来てくれる筈。
サフィーアの狙いはそこにあった。
「大方、クレアがポール達をぶちのめしてこっち来るのを待ってるんだろうが、果たしてお前がそれまで持ち堪えられるかねぇ?」
「やってみる? こう見えてあたし、有言実行するタイプなのよ」
「はっはっはっ、そいつはいいや! そんじゃ、遠慮なく――――」
彼は一頻り笑うと、左手に握った剣を構え直した。サフィーアもそれに応えるかのように構えを取る。
気付けば、彼の口からは笑い声が聞こえなくなっていた。おかげで離れた場所でクレアと残りの傭兵二人が戦っている音がよく聞こえてくる。そんな中、サフィーアと彼はお互い黙って相手を見据えていた。それはまるで、レースカーがスタートの時を待ってエンジンを吹かしているようであった。
とその時、二人の間を一陣の風が通り抜けた。強めの風が一瞬二人の間の草を押し倒し、即座に治まると草は再び元の形に戻った。
「はぁぁぁぁぁっ!!」
「おぉぉぉぉぉっ!!」
次の瞬間、二人はほぼ同時に相手に向かい、そして手にした剣を互いにぶつけ合うのだった。