第15話:追撃者たち
ちょっと今日から一週間ほど連続投稿になります。
イートから出発して二日目…………
出発して最初の日は特に問題なかった。道中でモンスターや盗賊の類に遭遇することも無く、寧ろ周囲の景色を楽しむ余裕すら持ちながら一日を終えた。
少しでも急ぐ為に食事と運転手の交代の時以外は夜中ですら車の中だったが、乗り合いバスに比べれば格段に乗り心地の良い座席(乗り合いバスの乗り心地は本当に悪い)に包まれ快適に過ごしていた。
このまま何事も無ければよかったのだが、当然そんなことある筈もない。案の定、トラブルは発生した。
「こぉん、のッ!?」
サフィーアが後部座席左の窓の縁に腰かけながら、右手に持った剣を振るう。言うまでも無く非常に危険な行動だが、こうでもしないと逆にこの場の全員の命が危険に晒される。
何しろ今彼女たちは、複数のモンスターによる襲撃を受けている真っ最中なのだから。
「ちぃ、ちょこまかとッ!?」
サフィーアとは反対側の窓から身を乗り出したクレアは、右手を翳しブレスレットに填められたエレメタルに魔力を流して掌から火球をモンスター――狼型モンスターの『ティンダー』――に向けて放つ。長々と溜めている余裕は無かったので即座に撃てる火力の弱い魔法だったが、あの程度のモンスターを倒すだけの威力はある。
現に今も彼女が放った火球を喰らったティンダーはもんどりうって動かなくなり、あっという間に車から離れていってしまった。
しかし安心してはいられない。ティンダーは大きな群れを作る事で有名なのだ。事実、今クレアが倒した後もすぐに別の個体がその穴を埋めるように前に出てきた。もう何度目になるか分からない光景に彼女は露骨にうんざりとした表情を浮かべた。
「あぁん、もうッ!? まだ連中のテリトリーから出ないのッ!?」
ティンダーは一定のテリトリーに入りさえしなければ襲い掛かってこない。逆を言うとテリトリーに入るとどういう訳か視界に居なくても何処からともなくやってきて、こちらがテリトリーの外に出るまで追い掛けてくる。
一番良いのはティンダーのテリトリーに入らない事なのだが、当然テリトリーの内外の境界は分からないのでティンダーの被害から逃れるには迎え撃ちながらテリトリーの外に逃げるしかない。一応その群れの全てのティンダーを討伐し切るというのも一つの手だが、大抵の場合ティンダーの群れは50匹を軽く超える。しかも足が速い上に頭も働き数の有利を生かして襲い掛かってくるので、真面に正面からやり合うのは非常に危険な相手なのだ。
特に今回の場合は非戦闘員も抱えている上に銃士がいない為、下手に相手をするよりも逃げながら相手をしテリトリーを脱するか向こうが諦めるまで逃げ続けるのがベストな方法だった。
「連中に襲い掛かられてから大分時間が経ってるわ。いい加減そろそろテリトリーの外に出る頃の筈だから頑張ってッ!」
「了解ッ!」
クレアの激励にサフィーアは返事を返しながら新たに飛び掛かって来たティンダーを切り捨てる。
とその時、一瞬の隙を突いて一匹のティンダーが車体後部に飛び乗り窓の縁に腰掛けているサフィーアに襲い掛かった。
「うわっ、くッ!?」
喰らい付いてきたティンダーの前に彼女は咄嗟に肩マントを巻き付けた左腕を翳した。防刃性にも優れた肩マントのおかげでティンダーの鋭い牙が彼女の左腕に突き刺さる事は避けられたが、万力の如き力の強い顎が彼女の左腕を圧迫した。
「ぐぅッ!?」
喰らい付かれた左腕の骨が軋みを上げる。走る痛みにサフィーアは顔を顰め、対するティンダーは追い打ちを掛けるように彼女を車の外に引き摺り出そうと喰らい付いた左腕を引っ張った。
両手が塞がっている彼女にそれに抗う術はない。精々が脚を窓の縁に引っ掛けるくらいだが、それも長くは持たないだろう。反対側を守っていたクレアが危険を承知で車体の上部に飛び乗ってサフィーアの救援に向かおうとするがそれよりも彼女が引き摺り出される方が早い。
正に絶体絶命のピンチ。そんな窮地を、彼女の相棒は見逃さなかった。
「くぅんッ!!」
今にも外に引き摺り出されそうになるサフィーアの体の上を伝ってティンダーの顔に飛び乗ったウォールは、その鼻っ柱に思いっ切り噛み付いた。
「ギャンッ!?」
元々攻撃的な性質を持たないウォールの噛み付きではあったが、どう頑張っても鍛えようがない生物としての弱点である鼻っ柱への攻撃は無視できなかったのか堪らずティンダーはその口を離した。すると当然その体を繋ぎ止める物が無くなるので、ティンダーは置いて行かれるようにサフィーアと車から離れていった。
「ウォールッ!!」
そのままでは当然ウォールもティンダーと一緒に車から引き離されてしまうが、それよりも前にウォールはティンダーの顔を踏み台にしてサフィーアに向けて飛び掛かった。彼女も次にウォールが取るだろう行動を予測していたので、即座にその体を左腕で抱きしめた。
「くぅん!」
「もぅ、危ないことして! でも助かったわ、ありがと」
「くぅんっ!!」
サフィーアが礼を口にすると、ウォールはどんなもんだとでも言いたげに鼻を鳴らした。
直後、突然ティンダーの群れが彼女達の乗る車から離れていった。サフィーアもティンダーの敵意が急速に衰えていくのを感じた。どうやら漸くテリトリーの外へと出られたようだ。
瞬間、車内には安堵の空気が広がった。
「ぬ、抜けたぁ」
「いやぁ、今回はちょいとやばかったかもね。何はともあれ、お疲れ様サフィ。ウォールもね」
「クレアさんこそ」
「くぅん」
一応の警戒は続けるが、見たところティンダーは追撃を完全に諦めたらしい。追ってくる様子はなく、また他のモンスターが迫ってくるという事もなさそうだ。
サフィーアは一先ず剣を鞘に納めると、そのままするりと車内に戻り座席の背もたれに思いっきり凭れ掛かった。彼女も傭兵の端くれなので体力には並み以上の自信があったが、流石に車の窓の縁に長時間座りながらの戦闘は体力の消耗が激しかったようだ。座席に沈み込まんばかりに体重を預け、筋肉の緊張を解す様に車内で出来る限り体を伸ばす。
その彼女の隣では、クレアも頻りに首と肩を回して凝りを解している。更に前の助手席に目を向ければ、アイラもアイラで背凭れに体重を掛けながら大きく息を吐いている。戦闘中は基本何もしていない彼女ではあったが、それでも戦闘の只中に置かれれば精神的な疲労が溜まるのだろう。それを責める事は出来ない。
もし責めるような輩が居れば、そいつは頭と言わず体中にリンゴを乗せて射撃の的にしても許されるだろう。
しかし…………
「ねぇクレアさん、あたし思うんですけど」
「うん、言いたいことは分かってるわ」
「二人とも近接戦闘スタイルだと厳しいですよね」
サフィーアは兎も角、ベテランのクレアと言えども射程と言う避けようのない壁を前にしてはどうしても出来る事が限られてしまう。一応魔法で遠距離の相手に対抗する事は出来るが、魔法の使用は当然魔力を消費する。自然回復するとは言え戦闘しながらだと収支は確実にマイナスに傾くだろう。唯でさえ近接戦闘スタイルはマギ・コートの為に魔力を消耗しているのに、それに加えて遠距離攻撃魔法など使いまくればあっという間に魔力は底を尽きてしまう。
マギ・コートの使用を止め遠距離攻撃魔法のみに魔力を費やすのも一つの手だが、そもそもの話普段の間合いを大きく離れた相手にどれだけの命中率が見込めるだろうか。それを考えると、今回の様に護衛対象が多い場合は剣士・闘士だけでなく銃士か術士の存在が必要不可欠である。
「ねぇ、遺跡着く前に一度街に寄ってくのよね? その時に追加で傭兵雇ったりできないの?」
聞きようによってはクレアの言葉は自身の力足らずを露呈させる弱気な発言であるが、失敗して信頼どころか命まで失っては元も子もない。命あっての物種とも言うし、大変だが苦労すれば取り戻せる信頼とは異なり失われた命は絶対戻ってこないのだ。
死んだり依頼失敗するくらいなら、信頼を犠牲にして傭兵を追加させた方が良い。クレアもサフィーアもそう考えていた。
そしてそれは、クロード商会側も理解していたらしい。
「そうですね、会長には後程こちらから話をつけておきます」
「お願いね」
アイラとクレアが話を纏めている中、サフィーアは一人窓から外の景色を眺めて周囲の警戒に努めるのだった。