流されるあなたへ
芥川龍之介の自殺は、実はかまってちゃん説をやや採用しています。
家族の思い出の残る、小さな古い一軒家。この家に、今は私だけが住んでいる。
庭の紫陽花に残った露が、その身を削りながら午前の光を優しく反射している。梅雨にしては珍しく、今日はよく晴れていた。
数年前に父は寿命で、母は長の闘病の末、先週逝った。兄弟は結婚して、今は別々に円満な家庭を営んでいる。
私はといえば、もう五十近いが、結婚することもなく、今こうして、部屋に張りだした、濃茶の太い梁に縄を掛けている。
幼少より、私は流されて生きてきた。別に夢を持たなかったわけでもないし、決断できなかったわけでもなかった。友人も多くはないが存在した。
ただただ、精神が脆弱であったのだ。
私は、画家になりたいとか、スポーツ選手になりたいとか、そういう類いの夢を、誰もがするように両親に語ったことがある。四、五歳児には珍しくないことだと思う。
その時、父は絶対にそれらになってはいけないと、私の夢を完膚なきまでに叩き潰してくれた。ひとつ残らず。
同様の暴力が、中学、高校、大学の卒業に近い時期に――つまり、人生の岐路、と言えるだろう時期に振るわれたのである。
パティシエを否定され、俳優を否定され、またそれに関して勉強できる可能性すら隠匿され、民間企業への就職すら否定されたのだ。それらによって身を立てている人がいるにも関わらず、である。
特に頑固な父の反発がひどく、私は大いに傷ついた。私の全てが否定されたような絶望に思考が停止し、抗弁することもできなかった。
私は、幸か不幸か、感受性が豊かで器用な人間だったため、両親の望みを理解し、その通りに振る舞えた。
学校では優秀な成績を出し、国立大学医学部を卒業し、両親の強い希望通りに医者になった。そして老後の面倒さえ、平均以上には見たと思う。
要するに我を通すことに疲れて、真剣に悩んだり、考えることを諦めたのである。
両親は、私の幸せのためという綺麗な言葉に包んで、彼らの夢を私に投影していた。私は、不幸なことに、なかなか性能の良いスクリーンだった。
とうに二人ともあの世にいるが、今でも恨んでいる。両親は、私が意気地なしなのだと詰るだろうが、構うものか。私には耐えられない苦痛であったことには違いなかったのだから。
私が恨んでいることを自覚したのは、多分大学生の時だった。父に、雑誌編集者になることを頭ごなしに否定され、悔し涙を飲みつつ寝転んでいた時だと思う。
その時、同時に、一つの計画が、脳裏で頭をもたげたのだ。
復讐してやる。
私が自立した一人前の社会人になることを望んだ両親に対する最上の復讐とは、私が他人の指示に従わねば生きていけない奴隷になることではないか。
私の幸せを願った両親に対する極上の復讐とは、私が不幸になることではないか。
それは最高に皮肉が利いていて、我ながら素晴らしい案だと、内心拍手喝采した。
どうせ、最高の幸せは得られない。
自我の奥深くに両親の存在が濃く、私は自我の崩壊をひどく怖れて、その影響下から出奔する勇気は持てなかった。認められない自分はいつだって縮こまり、頼りなく震えていた。
両親に対して、従順で客観的に恵まれている息子を演じきった今、目的は達成された。
仕事を辞め、遺言も弁護士立会いのもと作成した。多分、相続問題も、そう複雑にはなっていないと思う。兄弟には、ちょっと悪いとは思っている。実家をこれからいわくつきにしてしまうから。
友人には、時代遅れの味気ない手紙を出した。数日後には届くだろう。驚くかもしれないし、納得してくれるかもしれない。想像して、少し笑った。
身辺整理を終えた今、最後の仕上げといこう。
やや震える手で、輪にした縄を手に取る。
「私は幸せではなかった!ざまあみろ!!」
※これは自殺を教唆するものではありません。もしあなたに悩みがあるなら、友人や家族に相談しましょう。それが嫌なら専門家に相談しましょう。泣くだけでも案外スッキリしますよ。
すべからくお子さんを持つ方へ。夢を追えば、いつか壁に当たるはずです。その時まで見守ってあげてください。無気力な子供は可能性を潰すことでもできあがると思います。