39 憎悪――綾乃の真相4
冬休みが明けて、約束通り隼人君と会った。
借りたビデオを返して、喫茶店で話をした。
正直、何を話したかあまり覚えていない。
誠が携帯を買ったらしい。
でも隼人君は持っていないから、その連絡先は分からない。
中学の連絡網から自宅に電話をかけて聞くこともできるけど、
それは不躾な気がしてはばかられた。
それで誠も私から離れてしまうのが嫌だったから。
帰り際に、また会えないかと聞かれて、すごく嬉しかった。
私もまだ必要とされている。
そんな人の期待には、答えてあげなきゃいけないと思った。
裏サイトの中でだけじゃなくて、
実際に陰口を囁かれている気がする。
ひそひそ、ひそひそ。
誰かが小声で話していると、つい耳をそばだててしまう。
その中から悪意で染まった単語が漏れ出てくるたびに、
それが私に向けられたものだと感じて、心が痛む。
周囲の視線が怖い。
みんなが私を見ている。
軽蔑の眼差しを浴びせてくる。
嘲りの眼差しを投げかけてくる。
私は悪意という大洋の真ん中に浮かんでいて。
泳いでも泳いでも、一向に岸が見えてこない。
そのうちに疲れ果てて溺れ死ぬだろう。
私は必死になってつかめるものを探す。
加奈という浮き輪を見つけて、慌ててそれにしがみつく。
隼人君という流木を見つけて、慌ててそれにしがみつく。
でも。
カナモワタシヲイジメテイルッテ、ドウシテカンガエナイノ?
実は加奈もあの掲示板に書き込んでいて。
仲の良い振りをしていて、陰では一緒に私のことを嘲笑っていて。
だって、麻衣もそうだったじゃないか。
加奈がそうじゃないって、どうして言えるわけ?
浮き輪は毒クラゲかもしれない。
そんなわけない。
そんなわけない。
そんなわけないッ!
ドウシテソンナコトイエルノ?
だって……加奈に限って……
ソウオモッテキテ、ウラギラレタジャナイカ。
違う違う違う違う!
ゲンジツヲ、ウケイレタクナイダケダロウ?
やめろやめろやめろ!
ミトメロヨ!
浮き輪を放り出す。
でも隼人君にはなかなか会えない。
流木はあまりにも小さくて、私を浮かべる力は無くて。
それにばっかりしがみついていたら、一緒に沈んでしまうだろう。
私の手から逃げて行ってしまうかもしれない。
だったら、一人で沈んでいこう。
わざわざ巻き込む必要なんてない。
私一人が海の底へ沈めばみんな助かるのなら。
ヤマタノオロチに喰われよう。
あの掲示板を見つけて、何ヵ月経ったのだろう。
数えてみるとまだ1月半くらいだった。
祥子が学校に来なくなったのはいつからだったっけ。
こんなもんじゃなかった。
祥子はこんなにつらい目にあっていたのに、半年も耐えたんだ。
祥子は強かった。私なんかよりずっと。
当時私は、どうしてこんなに楽しい学校に来ないんだろうと思っていた。
当たり前じゃないか。
これのどこが、楽しい学校なんだ。
楽しむための学校が楽しくないんじゃ、学校たる意味が無いじゃないか。
そんなところに、どうしてわざわざ来ようと思えるものか。
学校が、つまらない。
登校するのが怖い。
教室のドアを開ける手に力が入らない。
教室と廊下の境をまたぐ足に力が入らない。
教室を見渡す首が言うことをきかない。
目は、ただ床にだけ注がれていて。
小学生の頃、日直の日は足が重かった。
でも今は毎日足が重い。しかも、何倍も重い。
朝起きるとこれから学校に行かなくてはならないことに憂鬱になる。
家に帰ると遊び相手がいないことに憂鬱になる。
布団に入ると明日も同じ生活が繰り返されることに憂鬱になる。
でも弱音を吐けなくて。
両親に涙を見せられなくて。
私がまいた種だから。
収穫を親に手伝わせるのは自分勝手。
「――で、それに感染した人からも他の人にうつるわけ」
ある日の昼休み、私の耳がそんな言葉を聞きつけた。
私はハッとする。どこかで聞いたことのあるセリフ。
「げ、ちょっと、誰か病原菌持ってないでしょうね?」
美沙の声だった。さっきのセリフは真希だろう。
「あ、あたしは違うよ? 持ってないよ!?」
麻利亜の慌てた声。
「感染症患者はさっさと隔離するべきだよね」
カンセンショウカンジャハサッサトカクリスルベキダヨ
それを言ったのは、「4年半前の私」だった。
「私」が、そこにいた。
そうだ。
4年半前、私はそう言った。
祥子のことを、隔離すべきだと言った。
祥子を仲間外れにしようと言った。
その言葉は、そういう意味だったじゃないか。
明らかに、そう言っていたじゃないか。
「私」が、発起人だったんだ。
「私」があんなことを言わなければ。
祥子はいじめられずに済んだかもしれない。
私は罪を犯さずに済んだ。
私は悩まなくて済んだ。
私は苦しまなくて済んだ。
私はいじめられなくて済んだ!
私は独りぼっちにならなくて済んだのに!
「私」がいなければよかったんだ。
「私」がいなければ、こんな未来にはならなかったんだ。
「私」のせいだ。
私が苦しんでいるのは、「私」のせいなんだ。
「私」がいなければ、私は苦しまずに済んだんだ。
「私」を消せば、私はもう苦しまなくていいんだ。
「私」さえいなければ。
「私」が憎い。
消してやる消してやる消してやる消してやる消してやる消してやる消してやる
消してやる消してやる消してやる消してやる消してやる消してやる消してやる
消してやる消してやる消してやる消してやる消してやる消してやる消してやる
消してやる消してやる消してやる消してやる消してやる消してやる消――
ゴシャッ
奇妙な音が、教室内に響き渡った。