30 自覚――綾乃の過去2
小学生のころ、雨乞いについての本を読んだ。
昔の人は日照り続きのとき、人を殺して神にささげ、雨を降らそうとしていたらしい。
私は生贄にされた人が可哀想だと思った。
「そんなのおかしいよね」と母親に言った。
母親は「綾ちゃんは優しいね」と言って私の頭を撫でてくれた。
それがとても嬉しかった。
優しく強い人でありたいと思った。
スサノオは村人たちに生贄を捧げさせていたヤマタノオロチを退治した。
そんな人間でありたいと思った。
私は道徳の授業が好きだった。
お話を読んで、良いところや悪いところを考えて、みんなで話し合う。
先生からも話を聞いて、最後に自分の考えをノートに書く。
それは「いい人」になるための授業。
――わたしは、いじめはわるいことだとおもいます。せんせいは、みんなでなかよくしようといいました。
わたしも、そのとおりだとおもいます。いじめをするひとは、わるいひとです。
みんなでなかよくできるひとは、いいひとです。わたしは、がんばって、いいひとになりたいです――
誰も「祥子を仲間外れにしよう」などとは言わなかった。
「無視しよう」とも言わなかった。
でも、暗黙の了解で、そういうことになっていた。
それが、このグループのルール。
これを遵守することが、メンバーの役割。
つまり、これを守ることで、私はメンバーとしての地位をより確固たるものにできる。
そう思えば、これはグループ内での遊びの一種。
ゲーム感覚でできる、ちょっとした活動。
だからこれは「いいこと」。
メンバーの結束を高める「いいこと」。
メンバーみんなで「なかよくできる」のに必要な「いいこと」。
でも、「仲間外れにしよう」なんて誰も言っていないから、
程度は決まっていない。
期限も決まっていない。
人数も決まっていない。
だから、それはどんどん酷くなっていって。
だから、それはいつまでも終わらなくて。
だから、それはクラス中に広まっていって。
でも、「仲間外れにしよう」なんて誰も言っていないから、
誰にも責任はない。
正直に言えば、「いい人」になるなんて大層な決意をしたにもかかわらず、私に罪悪感は全く無かった。
だって、祥子にだって落ち度があるから。
全然笑わない子だったから。愛想が悪かったから。だから目をつけられんたんだ。
当時の自分に会えたなら、顔が歪むくらいに殴りつけてやりたい。
……いや、そんなんじゃだめだ。
集まりに乗り込んで、どなりつけて、間違いを骨の髄まで叩き込んでやる。
だって、実行に移した時には、もう遅いんだから。
先生の言葉は届かなかった。
結局祥子は学校に来ないまま、六送会を迎えた。
体育館に全校生徒が集まり、下級生がそれぞれの出し物で「六」年生を「送」る「会」。
私はクラス中のみんなと同じく、祥子のことなどすっかり忘れて、
卒業式と並ぶ一大イベントに興じていた。
すべての出し物が終わり、最後に私たちの六年間のスライドショーが始まった。
1年生の入学式の写真。
6年前の私たち! 歓声が上がる。
2年生の畑仕事の写真。
ジャガイモを持ってピースをしている子がアップで映っている。
3年生の遠足の写真。
あ、一番左に写ってるの私だ。恥ずかしいなぁ。
4年生の職場体験の写真。
確か私は交番で話を聞いたんだっけ。お巡りさんがカッコ良かった。
5年生のキャンプの写真。
あるテントのメンバーが集合している。
真ん中で、祥子が満面の笑みを見せていた。
え?
私の時間が、凍りついた。
ショウコガ、ワラッテイル?
私は、祥子が仲間外れになったのは祥子のせいだと思っていた。
祥子が笑わないから、みんなを不快にさせたから、無視されるようになったんだと思っていた。
でも、5年の時の祥子は笑っていた。
祥子はもともとちゃんと笑える子だったのだ。
じゃあ、なんで祥子は仲間外れにされたの?
単純明快。
理由なんて無かったのだ。
彼女はランダムに選ばれただけ。
私たちが「生贄」を決める時に、たまたま印象が悪かっただけ。
ただ、運が悪かっただけ。
祥子の笑顔が、目に焼き付いて離れない。
その笑顔を奪ったのは、私たちだったのだ。
誰にも責任がない!? 逆だ。全員に責任がある。
何がいい人だ。何が優しくて強い人だ。何がスサノオだ!
それどころか私は、生贄を要求したヤマタノオロチの首の一つだった。
ワアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!
キャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!
6年の修学旅行の写真。
みんなが写真を見て歓声を上げる。
でも、私にはそれが、祥子の悲鳴に聞こえて仕方無かった。
私は必死で耳を押さえて目をつぶって、それでも声は聞こえてきて。
キャァァァァァ!
ワァァァァァ!
ごめんなさい。
ごめんなさい。
ごめんなさい。
多分先生は分かっていた。
私たちに気付いてほしかった。
でも、遅すぎた。
私が気付くのは、あまりにも遅かった。
今更のように、先生の声が何度も何度も頭の中を流れる。
「あいつが学校に来なかったのはどうしてだと思う?」