29 発端――綾乃の過去1
「次は、先生の、おはなしですっ」
今日一日の、私の仕事が終わった。
帰りの会の司会を済まし、私はホッと胸を撫で下ろして自分の席に戻った。
こういうのは苦手だった。
皆の前に出る行為。皆を指揮する行為。皆の注目を集める行為。
要するに目立つのが嫌だった。
とはいえ私にも自尊心はある。
目立ちたくないというのは、ある意味嘘だ。
仲良しグループの中で遊ぶ時は何の遠慮も無かった。
主導権を握るのが楽しかったし、恥ずかしいなんて思ったことも無かった。
なのに、真面目な場で、友人以外の視線が混じると、とたんに及び腰になった。
みんなが私の一挙手一投足に注目している。
みんなが期待している。
私が評価される。
そんな考えが私の心臓を急かせ、手足を震わし、顔を朱に染め、思考を消し去った。
だから、1ヶ月に1度くらい回ってくる日直の仕事なんてのは、
当時小学6年生だった私にとっては苦痛でしかなかったわけで。
だから、いつものどうでもいい先生の話の後に
「きりーつ、きょーつけ、さよーなら」
だけを言えばあと1ヶ月は緊張から逃れられることに気を緩めて、
放課後の遊びで頭をいっぱいにしていた私は、
先生がいつになく真面目な顔をしていたことに気付かなかったわけで。
「藤崎のことだが」
その一言で、教室が静まり返った。
ぼんやりと宙を見つめていた私も異変に気付き、辺りをきょろきょろと見回した。
先生の声は普段にも増して低かった。
その視線の先には、ぽっかりと空いた机。
「みんなも知っての通り、藤崎は最近学校に来ていない」
不登校。
登校拒否。
それは、学校という場を拒絶すること。
学校は、大切な勉強の場だ。
一番大切な勉強は、国語でも、算数でも、体育でも、音楽でもない。
一番大切な勉強は、私たちが一番楽しく、自然にやっていること。
友達を作ること、友達と遊ぶこと、友達と話すこと。
喜んで、怒って、悲しんで、楽しむこと。
喜ばせて、怒らせて、悲しませて、楽しませること。
そうやって、世の中を知ること。
学校は、それを一番簡単にできる場所。
学校は、とても楽しい場所。
「あいつが学校に来なくなったのは、どうしてだと思う?」
誰も、何の音もたてない。
教室の外から、騒ぎ声が聞こえる。
他のクラスはもう解散したのだろう。
でも、この教室の中だけが、時間帯が違うみたいで。
ううん、授業中よりも、もっと、もっと。
「もうすぐ行われる六送会や卒業式にはぜひ出席させたい。
みんなも、どうしたら藤崎が学校に戻ってこられるか、考えてみてくれ。
今日の先生の話は、以上だ」
実際の時間としては、いつもと大して変わらない、短い話だった。
でも、いつもと違った先生の顔つきに、私はその言葉について考えざるを得なかった。
どうして、先生は祥子の話なんかをしたんだろう。
だって、それは祥子自身の問題じゃないか。
何かすべきなのは祥子の家族や先生たちであって、私は関係無いはずなのに。
私は何も悪くない。
「ねえねえ、祥子って、なんかムカつかない?」
その年の五月頃の放課後の教室。私たちの中で、突然そんな話題が持ち上がった。
何の脈絡も無く、それなのに、ごく自然に。
小学校高学年くらいから、女子は派閥を作り始める。
私の所属していたのは、8人くらいの比較的大きな集まりだった。
「あたし掃除の時、水拭きで祥子と一緒になったんだけどさ、
雑巾洗う時になったらいなくなってさ、私一人で片付けしたんだよ。
その後ひょっこり戻ってきて、ありがとうもごめんもなし。おかしくない?」
「あー、祥子って礼儀知らずなところあるよねー」
「私も肩がぶつかったときに謝られなかったなー」
「そもそも声が小さくて聞こえないんだよね。いっつもモゴモゴしててさ」
「おどおどしてて、見てると腹立つ」
「センスも悪いよね。全然流行についていけてないし」
「何年前の服着てるの?って感じ。みんなボロボロだし」
「家が貧乏だから服買えないんだよ」
「そういえばランドセルもすっごいボロだよね。お下がりってやつ」
「髪の毛もボサボサだし」
「センスもだけど運動神経もゼロだよ」
「同じチームにはなりたくないよね。負け確定だもん」
「そのくせ勉強だけは出来るからなぁ。絶対陰であたしたちのこと見下してる」
「ムカつくよね」
「ムカつくね」
「ムカつく」
話が進むにつれて、悪口がエスカレートしていく。
それにつれて、場が盛り上がっていく。
雰囲気に乗せられて、心にもないことを言い出す。
「てか顔がキモイし」
「空気読めないし」
「よく平気でいられるよね」
「絶対何かの病原菌持ってるよ」
「うわ、うつったらどうなるんだろ」
「祥子みたいになるに決まってんじゃん」
「やだなー」
「で、それに感染した人からも他の人にうつるわけ」
「げ、ちょっと、誰か祥子菌持ってないでしょうね?」
「あ、あたしは違うよ? 持ってないよ!?」
「感染症患者はさっさと隔離するべきだよ」
「祥子だけ別の教室で勉強すればいいのに。藤崎祥子教室、みたいな」
「むしろ、学校来なければいいんじゃない?」
ガッコウニ、コナケレバ、イインダヨ。