10 回想――半年前の事件2
「――そうですよね、常磐さん?」
僕の発したその言葉に、この事件を起こした張本人は強く反応した。
その顔に浮かぶのは、驚き。
周りのみんなも、きょとんとしている。
当然かもしれない。
目の前にいる化け物は、常磐さんとは程遠い。
肉片をつなぎ合わせてかろうじて人に見えるようにしているような、そんな怪物。
そもそも、常磐さんは窓ガラスを破ろうとして感電死したはずだ。
その死体は、今もそこにある。
だから、目の前に突然現れ、自分が僕達をここに閉じ込めたと言った怪物が
常磐さんであるなんて到底考えられない。
でも。
あれから僕たちは外に出ようと、色々なことを試みた。
運転席から扉を開けようとした。でも動かなかった。
携帯電話で助けを呼ぼうとした。でも繋がらなかった。
非常時のドアを手動で開ける装置を操作した。でも変わらなかった。
他に何か方法が無いか車内を調べた。でも駄目だった。
万策尽きて、僕たちは椅子に腰を下ろした。
ありえない。
常識が通じない。
こんな状況だったら、誰もがパニックになる。
現実から目を遠ざけて、夢だと思い込みたがる。
僕だって現状を拒絶したくなった。
現実から逃げたくなった。
そんな中で、綾乃さんは受け入れていた。
この出来事とは一切関係ない、全く別のことだけれど、
それでも同じように辛くて、逃げたくなることを。
綾乃さんは、加奈さんをいじめから救うために、
クラスに不幸の手紙をばら撒いた。
それは本人の予想を超えて爆発的に広まり、歯止めが利かなくなった。
逃げればそれで済む。忘れればそれで済む。楽になる。
でも、綾乃さんは敢えてそれを受け入れようとしていた。
それを偶然聞いて、やっぱり綾乃さんはすごいなと思った。
いつだってそうだった。
綾乃さんはいつも頑張っていた。
学校のことを、クラスのことを、いつも一生懸命に考えていた。
3年生のときは生徒会長にもなって、熱心に取り組んでいた。
そのことを考えると、何故か僕も頑張る気になったものだ。
高校受験の時だって、幾度となく放り出したくなった。
でもその度に、綾乃さんのことを思い出した。
彼女は頑張っているのに、僕も頑張らなくちゃ申し訳ない。
彼女はもっと頑張っているんだから、僕だってやれるはずだ。
そうやって、自分を勇気付けてきた。
今だって、僕に出来ることがあるはずだ。
だから、僕もこの状況を受け入れることにした。
僕たちがここにいるのは、紛れも無い事実。現実。
それを認める、そんな単純なこと。
でもただそれだけのことで、今まで見えなかったことが見えてくるようになった。
最初に違和感を覚えたはずだったんだ、
でも、そのあとのショックがあまりにも強くて忘れていた。
常盤さんが、何故いきなり、窓ガラスを破るという行動に出たのか。
僕らはあの後、結局駄目ではあったけれど、いろいろな常識的な方法を試した。
窓ガラスを破るなんて、最後の最後にとっておくべき手段だ。
しかも常盤さんは鉄道会社の社員で、
僕たちよりたくさんの脱出方法を知っているはずだった。
なのに、なぜ?
そしてもうひとつ。
あれは本当に感電死体なのか。
最初に亜深さんが言った。
黒焦げになるなら焼死か感電死だと。
でもその後にこうも言った。
感電して一瞬で全身が真っ黒焦げになるなんて考えられないと。
ならば、なぜ?
死体は偽物。
常盤さんは死んでいない。
それが僕の結論だった。
そんなのありえないと否定するのは簡単だ。
でも、だったら他に説明できる?
ここは僕たちの常識の通じない世界。
でも、法則はあるはずだ。
そして常盤さんが人間なら、
僕たちにもその心理を多少なりとも推測できるはずだ。
目の前の彼は話してくれた。
自分は正義が大好きだったこと。
常に真面目に生きてきたこと。
同僚の横領を目撃し、それを咎めたこと。
そのことで逆恨みされ、殺されたこと。
不条理に憤ったこと。
悪のはびこる社会に嘆いたこと。
そして、この世を少しでも良くしようと蘇ったこと。
それを聞いて、僕は確信を得た。
常盤さんがわざとガラスを割る目的は?
ガラスを割る必要があったのか、他の方法をとれなかったのか。
答えは、両方。
ガラスを割って死んだフリをしたのは、僕たちに警告するため。
何もしなかったのは、僕たちの行動を観察するため。
僕たちを閉じ込めて、善か悪か判断するため。
「……私一人の力では……これが限界だった……」
常盤さんが話を続ける。
「たった5人を隔離することしか出来ず、
それすらも効果が無くなるのは時間の問題だ……
じきに君達は元の世界へ戻れるだろう……
結局……私は何も出来なかった……
ただの一人として悪を裁くことが出来なかった……」
悔しそうに、無念そうに、足元を見つめ、そう呟く。
それが僕には、痛いほど理解できた。
世の中を良くしたいのに、何も出来ない、無力感。
しかしふと、思い直したように、僕たちに顔を向けた。
「……いや、ここはむしろ、喜ぶべきところか。
少なくとも君たち5人は悪ではないということが分かったのだからな……」
間違えることは、悪じゃない。
努力した結果間違えてしまったとしても、それは悪じゃない。
間違いを直そうと努力すれば、それは悪じゃない。
だから、綾乃さんは悪じゃない。
それを常盤さんも、僕も、何より本人も、分かったと思う。
もしかしたらこの体験を通して、初めて理解できたのかもしれない。
「……私はもうすぐ消えるだろう……
しかし……どうしてもやらなくてはならないことがまだ残っている。
改められる過ちもある。許される罪もある。
だがな……決して許されない罪もまた存在するのだよ。
それを忘れるな」
「……あっ、待っ――」
僕がその言葉を発したときには、既に常盤さんは姿を消していた。
いつの間にか、眠っていた。
あたりを見渡す。
電車は走り出していた。
僕たち5人以外にも、乗客が何人かいた。
窓の外に、いつもの夜景が見えた。
僕たちは、日常に戻っていた。
みんなと別れてから、僕は一人夜空を見上げた。
あの時常盤さんにしようと思っていた質問を、
誰に言うとでもなしに呟いた。
それはきっと、愚問。
常盤さんが言っていた「やらなくてはならないこと」。
大体察しはつく。
自分を殺した殺人犯を、「裁く」こと。
絶対的な善悪なんて、恐らく存在しない。
だから裁きなんてものは主観に頼ったもので。
絶対に正しいなんてことはありえない。
分かってはいるけれど。
僕はそれを口にせずにはいられなかった。
「あなたが今からやろうとしていることは、正義のためですか? それとも――」
常磐正志:
「半年前の事件」の張本人