01 撲殺――綾乃の事件1
「カノウセイ」をクリアしていることが前提となってしまっているかもしれません。
“本格”推理小説ではありませんので予めご了承ください。
※この小説はデジタルノベル「カノウセカイ」の元となった文章です。多少の改変を行っていますので、可能であればデジタルノベル版をプレイすることをお薦めします。
ゴシャッ
奇妙な音が、教室内に響き渡った。
加奈は一人座って教科書を読んでいた。
自分は親友に助けてもらってばっかりだから、
その代わりにしてあげられることは何かと考えた結果が、
親友に勉強を教えてあげることだった。
2人のテストの点数にそれほど差は無いし、
2人ともむしろ良い方だけれど、
他のパラメータは全て、自分の方がずっと劣っていると思ったから。
彼女がそんなことを聞いたら、
損得勘定で友達になったわけじゃないと笑い捨てられるだろうけど。
怒鳴られさえするかもしれない。
多くの人たちは、グループごとに固まって談笑している。
校庭からは騒ぎ声が聞こえる。授業が始まるまであと10分弱。
そんないつもの昼休み。
その、普段耳にすることのない音に気付き、加奈は顔を上げた。
その目がこれ以上ないほど見開かれた。
その場に居合わせた全員の動きが停止した。
その場に居合わせた誰かが状況を理解するより先に、次の一撃が振り下ろされた。
グシャッ
音の生まれた場にいるのは二人の少女。
一人は鉄パイプを片手に提げて息を切らしながら立ち、
もう一人は頭を砕かれ鮮血を垂れ流しながら倒れていた。
その世界から、音が消えた。
校庭の騒ぎ声も、廊下を歩く音も、誰かの叫び声も、誰かが慌てて教室を出て行く音も。
その世界から、触覚が消えた。
暖房の暖かさも、吹き込んでくる風の冷たさも、座っている椅子も、持っている教科書も。
教室の埃っぽいにおいも消えた。口に残っていた弁当の味も消えた。
残されたのは、視覚。
人間の最大の情報源であるそれを極限まで働かせて、加奈は状況を理解しようとした。
頭が理解する前に、口から言葉がこぼれ出た。
「……綾乃……ちゃん……」
口に出すまで、信じられなかった。
口に出すことで、信じざるをえなくなった。
少女が、こちらを振り向く。
殴られた側の少女は、ピクリとも動かない。
生きているのかさえ疑わしい。
だから、その名前は、殴った側の少女に与えられたもので。
ガランガラン
綾乃の手から、鉄パイプが落ちた音だった。
それ以外の音は、依然として加奈の耳には入ってこない。
まるで自分と綾乃だけが空間から切り取られて、
別の世界にでもたたずんでいるかのように。
あの時のように。
頭の中が半年前まで巻き戻される。
周りから拒絶されて、
それを打ち破ることができなくて、
そんな自分が大っ嫌いで、
生きていくのがつらかった頃。
もう終わったことのはずなんだ。
今もクラスに溶け込んでいるとは全然言えないけれど、
心の持ちようは変わった。
自分を受け入れようと思えた。
自分を大切に思ってくれる人がいることに気付けた。
彼女もまた、そのうちの一人だったじゃないか。
だからこそ、加奈はまだ、目の前の光景を受け入れられずにいる。
そう。
綾乃が、加奈の親友が、クラスメートを殴り殺した。
理解できない。
理解できるわけがない。
どうして、どうしてどうしてどうしてどうして――
加奈は、ただ、綾乃の目を見つめていた。
彼女を理解したくて。
彼女の真意が知りたくて。
びっくりした? 冗談冗談と綾乃が言うのを願って。
倒れている少女が起き上がってくるのを願って。
2人で赤い絵の具を雑巾で拭きだすのを願って。
クラスに笑い声が上がるのを願って。
そう、心から願って。
「ハハハ……」
綾乃が、嗤う。
「アハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハッ!」
けたたましい笑い声を上げる。
そんな声を聞くのは初めてだった。
そんな綾乃を見るのは初めてだった。
彼女は、狂ったように天井を見上げながら笑い続ける。
……その声が、ピタリとやんだ。
再び、静寂が戻る。
しかし、綾乃はまだ笑っている。
否、あれは綾乃じゃない。
アタシノシッテイルアヤノチャンジャナイ。
アヤノが、窓を開けた。
冷たい空気が、教室に流れ込む。
誰も、近づけなかった。
誰もが、ただただ、見ているだけだった。
アヤノが、こちら向きに手すりに腰掛ける。
彼女はまだ、別人のような不気味な笑みを浮かべていた。
そしてそのまま、鉄棒でもするかのように、
後ろへ半回転した。
アヤノの姿が教室から消えた。
そのまま、頭を下にして落下していく。
ここは4階。窓の下はコンクリートの地面。
ドシャッ
加奈の世界が、徐々に元に戻ってきた。
教室のざわめき、廊下を走る音、ドアを開ける音、程無くして救急車のサイレン。
冬の寒さに、身震いする。
自分が座っていたことを思い出す。
持っていた教科書が、いつの間にか脇に落ちていた。
立ち上がる。
倒れた少女の体を踏まないように、血を踏まないように、加奈は窓に歩み寄る。
意を決して、下を見下ろす。
目が合った。
派手に脳漿を散らし、既に亡骸となっている綾乃が、そこにいた。
綿原加奈:
丹木南高校1年 クラスに馴染めないでいる