♡05話 どんな気持ちが愛なのでしょう
あの舞踏会から三日が経ちました。あんな男に唇を奪われた事を抜かせば、まあ、無事終わったと言えるでしょう。
油断した自分の反省もしました。初めての口づけがあんなものになってしまったのは不本意ですが、『耳年増のユリリー』と呼ばれたのは伊達じゃありません。
夢見る乙女とは違います。妄想する乙女です。なぜかダメージは全く感じてません。メソメソ泣いたりしません。引きずりません。あんなものは舌の長いテクニシャンな犬に舐められたようなものです。
せっかく、バカ男との婚約がなくなったのです。あれ以下になる事はないと、次の婚約者に期待して前向きに生きようと思いました。
今は自室のソファでくつろいでいるところです。刺繍でもしようかと、道具を取りにソファから立ち上がった所で、トントンとノックの音がしました。
「失礼します、お嬢様。アンドリューズ様がお呼びです。執務室までおいでくださいとの事です」
「お兄様が? 分かりました。すぐ行きますわ」
現れたメイドの言葉を聞いて了承の返事をしました。
◇◇◇
「ユリリーサナです。お兄様」
「ああ、入れ」
トントンとノックをして入室の許可を得ると、執務室の中に入りました。ドアを締めて顔を上げたとたん、固まりました。
兄の執務机の前にもう記憶から抹消しようと思った男が立っていました。
「やあ、元気そうだね。楽しい舞踏会を君と過ごして、あの夜の君の事が忘れられなくなってしまってね」
意味深にそんな事を言われてギョッとします。「グフッ」と兄の口から変な呻き声のようなものが聞こえました。「クウッ」と部屋に控えているワースの口からも妙な声が漏れました。
二人を見ると、赤い顔で怒りのこもった目で藤色の髪の青年を睨みつけています。
「おっ、おまえの新しい婚約者だ。責任を取るそうだ……妹に手を、グフウッ」
「あっ、あれほど、ご用心をと……毒牙に、クウウッ」
青年を睨みつける目に殺意が込められています。二人の拳はブルブルと震えていました。
「せっ責任を取るなら、消すわけにはいくまい、グフウガッ」
「しっ仕方ありません。生かしておきませんと、クウウウッ」
青年を睨みつける目が血走っています。拳の震えも大きくなり、漏れる声もおかしくなっています。
「あの、何をした事になっていますの? 婚約者?」
「あっ、この場であの事は君が言う必要はないんだよ。二人でこれからの事を話し合おうか」
首を傾げるとツカツカと青年が近づいてきて、肩に腕を回してきました。クルリとドアの方に体を向けられます。
「じゃ、二人で明るい未来の事を話し合いたいから、失礼するね~」
青年が肩を抱いた手とは逆の手を後ろ向きのまま持ち上げて、ヒラヒラとふりました。明るく軽い口調です。
執務室から二人で出た所で、青年の方を見ました。
「どういう事ですの? 何をお兄様に仰いましたの? 婚約者って何ですの?」
矢継ぎ早に青年を問い詰めます。青年は神妙な顔で頷きました。
「ああ、そうだね。私もちゃんと説明したい。でも、こんな所で立ち話も出来ないだろ。君の部屋でゆっくり説明させてくれるかな?」
「分かりましたわ。ちゃんと説明していただきますからね」
強めの口調で言って、肩に回された腕を振りほどき青年の前を歩き始めました。
◇◇◇
部屋の前まで来るとドアを開け、青年に身振りで中に入るよう促しました。
「ここですわ。どうぞ」
青年は中に入ると部屋をぐるりと見渡しました。
「ふーん、普通のご令嬢の部屋だね」
「何を期待されていたのか分かりませんけど、奇抜な部屋には住んでませんわ」
青年の感想に言い返しながらドアをガチャリと閉めると、青年が面白そうに手元を見ていました。
「何ですの?」
「いや、何でもないよ」
「そこのソファに座ってくださいな。何か飲み物が欲しければ用意させますけど?」
「いや、飲み物はいらないよ。」
部屋には白い楕円のテーブルの回りに三脚のソファがありました。二つは一人掛けで、もう一つは二人掛けの大きめの物です。手をヒラヒラと振ると、青年は大きめのソファに腰掛けました。
「早く事情を聞きたいだろ? 君も座ったらどうかな」
腰掛けた青年がポンポンとソファの空いた部分を叩いて、早く座るように促してきます。頷くと青年の側まで行き、隣に座りました。座ると青年がまた面白そうに見つめているのに気がつきました。
「何ですの?」
「いや、何でもないよ」
何だか口元がにやけているような気がしてよく見ようとすると、口元を片手で覆ってしまいました。
「何か変ですわね。まあ、いいですわ。では説明してくださいな。何をお兄様に言われましたの? 婚約者ってどういう事ですの?」
質問すると、青年は口元から手を離しました。にやけていた形跡はもうありません。
「うん、まずは婚約者の事から説明しようかな。君との結婚を申し入れて君の兄上に了承してもらったから、私が君の婚約者になったと言う事だね」
「はあっ?! 結婚?! 婚約者?!」
思わず驚いて叫んでしまいました。この青年からそんな言葉が出てくるとは意外でした。結婚なんてこの青年には全く関係ない言葉だと思っていました。
「どっどうしたんですの?! あなたはたくさんの女性をタラシまくり、ヤリチ〇道を極めようとしてたんじゃありませんの?! チョチョリーナとか、アレヤコレヤ、あはんうふんな関係のご婦人方はどうするつもりですの?!アウッ」
ビシッと脳天にチョップを貰いました。
「そんな道はないし、極めようとはしてないから! もちろん、他の女性とは関係を絶つよ。ちゃんと身綺麗にするからね。君だけにする」
両手でチョップを貰った頭をさすります。何やら奇妙な事を言った青年の顔を窺いました。
「わたくしだけ……一人で満足できると? ハッ、あの時、ぶっ叩いたショックでもしや不能に?! ダメになった責任をわたくしに取らせようと……ハウッ」
ピシッとデコピンを額にくらいました。
「ダメになってないから! まったく、ご令嬢なのに不能なんて言葉を言っちゃうんだから。そんな理由じゃないからね」
今度はサスサスと打たれた額を手で撫でていると、顔を覗きこまれました。
「他の女性はどうでもよくなったんだ。こんなに女性に心惹かれたのは初めてだよ。これっきりで縁が切れて、君が私以外の他の男と色々な事をするかと思うとムカついてね。」
「はあ……」
おでこを撫ながら、返事をします。青年の言うことは分かるような分からないような、やはりよく分かりません。
「分からないって顔だね。自分だけのものにしたいと、私の独占欲を掻き立てる女性が初めて現れたんだよ。それが君で、君が手に入るなら他の女なんかいらなくなったってこと。分かった?」
「ええ、でもあなたは愛情を与えてくれる女性を求めてらしたんですよね? わたくし、別にあなたを愛してませんけど……」
痛みの引いた額から手を離して、青年の顔を見つめます。青年は驚いたように瞬きしました。
「あんな態度でも、ホントにちゃんと聞いて覚えてたんだ。うん、確かに君は私が口説こうとした女性の中でも、最低最悪の反応だったよ。平手打ちはされた事あるけど、キスであんな暴力を受けた事はないからね。君は私を好きじゃないだろうと思ってた」
そこまで言うと、青年は視線を反らして床の方を見つめました。
「……君の反応はひどかったけど、本当だと思ってくれたんだ。うん、あの話は本当なんだよ。今じゃ、女性を口説く時に使ってる話だけどね。あの話をするとみんな『可哀想な人、私が愛してあげる』って体で慰めてくれるからね。
でも、同情だけで本気で愛しては貰えないんだけどね。本当に愛してくれる女性を探してたけど、みんな作り話だろうけど、のってあげるという態度だった。愛してる振りをする遊びなんだよね。
女なんかそんなものだとヤケになって、女性を口説いて、駆け引きを楽しんでいた。私を弄んだ女性達に復讐しているような気持ちもあったのかな……。私はどこか欠けておかしくなった人間なんだろうね。いつも何か足りなくて、満たされなくて飢えた感じがつきまとう。
遊びの関係でも一時飢えを忘れられればいいとたくさんの女性と関係を持ったよ。
でも、君と出会って考えが変わったんだ。与えられるのを待つんじゃなくて、愛してくれるようにすればいいんだって。最初は好きじゃなくても好きにさせればいいんだって思った。
本当に愛されたい人に出会って、本当に愛される努力をしてなかった事に気づいたよ。
君と出会って君に興味を持った自分に驚いた。君を私だけのものにしたいと思う気持ちに戸惑った。
私自身が今まで誰も愛してなかった事に気づいたよ。遊びには遊びで返されるよね。
ああ、もしかしたら、本気で愛してくれた人もいたのかな。私には分からなかっただけで……」
そこまで話すと青年はフウッとため息をつきました。
「まあ、正直に言うとね。君に愛されたいと思うこの気持ちが愛なのか、初めて興味を持った女性に対するただの独占欲なのか、よく分からないんだ。愛するとか、愛されるとか、愛なんて言葉をたくさん使ったけどね。本当はよく分からないんだ。君はどんな気持ちが愛なんだと思う? どんな気持ちが愛してるって事になるんだと思う?」
青年がこちらを見て、問いかけてきました。
「それは難しい質問ですわね。書物での知識ですが愛には様々な形や種類があるようですし、価値観は人それぞれですし、一概にこれが愛ですとは申し上げられませわね。わたくしもまだ、人を愛した事はありませんし……あっ、惹かれる男性には会ったような気が」
「はい、飴をあげる」
話の途中で青年が手の平に、飴を載せて差し出してきました。キラキラと七色に光る包み紙に包まれた飴でした。
「大丈夫。変なものは入ってないし、『一緒に舐めませんか』なんて意味もないし、ただの美味しい飴だよ」
「はあ……」