♡03話 美青年に会いました
青年の巧みなリードで無事にダンスは終わりました。情熱的なリードでした。腰で押されて体を運ばれる時に、いけない気持ちになるというか何というか、体が触れた部分に妙な熱さを感じる時間でした。
「何か飲み物でもどうかな?」
ダンスを終えた青年が、こちらを見て尋ねてきます。髪が少し乱れて額の方に何筋か散っています。動いたせいでしょう、頬もうっすらと上気してほんのり紅く染まっています。息遣いも少し早めになっていて、かけられた声にいけない妄想をかきたてられます。
なぜ、この青年はこんなにエロくなるのでしょう。ちょっと、ダンスを踊っただけで、元々エロかったものが、倍増しのエロさです。エロエロです。
「あら、エセル。お久しぶりね」
青年に返事を返そうとしたところで少し年上の女性の声がかかりました。胸元が大きく開きボンボンと二つの実が存在を主張している、真っ赤なドレスを来た色っぽい女性でした。
「やあ、ボンボーンド夫人、お久しぶりですね。お元気そうで何よりです」
「もうっ、チョチョリーナと呼んでって言ってるでしょ。ホントにいけない人なんだから」
青年が笑顔で挨拶すると、色っぽい女性はスッと青年に近寄り、人指し指で青年の胸にクルクルと円の様なものを描きます。
目の前の光景にユリリーサナはパチパチと瞬きしました。
本当に男性の胸に円を描くような女性がいるとは思いませんでした。人前で堂々とやっているのがまたすごいです。人妻でしょうか。羞恥心?何それ、大昔過ぎて忘れたわ。状態です。
何やら二人で妖しい関係を匂わせるやり取りをしていましたが、青年がユリリーサナの方に視線を向けました。
「ごめんね。友達が何人か来てるようだから、ちょっと、挨拶してくるよ。少し待っててもらえるかな」
「はあ……」
青年の言葉にユリリーサナは、気の抜けた返事を返しました。何人も色っぽいご婦人のお友達が来ているようです。やっぱりと納得する気持ちとがっかりするような気持ちがしましたが、直ぐに消えました。
「ごめんなさいね。少し彼をお借りするわね」
色っぽい女性もユリリーサナに声をかけてきます。少しと言わず、全部どうぞというつもりでユリリーサナは頷きました。
「じゃ、ちょっと待っててね」
青年はもう一度ユリリーサナに声をかけると、色っぽい女性と腕を組んでここから離れていきました。
その後ろ姿を少しだけ見送った後、ユリリーサナは飲食物が用意されたテーブルの方に向かいました。戻ってくるかどうかも分からない人を待って、ボーッと立っている気はありません。
挨拶もダンスも済みました。彼は役目を果たしたと言えるでしょう。
後は好きに過ごしてもらっても大丈夫です。色っぽいご婦人達に、よってたかって全身にクルクルと円を描いて貰えばいいと思います。
広間の端の方に設置されたテーブルには、色々なご馳走が載せられていました。さすが王宮です。
給仕役と思われる青年達がトレイに飲み物を載せて行き交っていましたが、ユリリーサナは彼らに声をかける事もなく、直接テーブルの上に用意された琥珀色の飲物が入ったグラスを手に取りました。
一口飲んで、息をフウとついた所で、人が脇からトンとぶつかってきました。
「あっ、すみません。大丈夫でしたか?」
甘い響きのある声です。ぶつかった人物を見て、ユリリーサナはピシリと固まりました。銀の髪のそれはそれは麗しい青年でした。こんな美しい人がこの世にいるとは!と感動に胸が高鳴ります。
「あの、平気ですか?」
心配そうにこちらにかけられる声も、艶やかな銀の髪も、きらめく紫の目も、ああ、眉も鼻も口もなんて麗しいのでしょう。極上です。極上の美青年です。青年の背後に薔薇が咲き乱れ、キラキラと光が舞っているような錯覚におちいります。
感嘆し、目を見張りながら、ユリリーサナは強ばった指で何とかグラスをテーブルの上に置きました。
「……え、ええ、だ大丈夫です……わ」
何とか声を絞り出すようにして、返事をしました。
「でしたら、良かったです。ぶつかって、失礼しました」
甘やかな声、優雅な一礼と輝くような笑顔──ドキドキと心臓が脈打ち、頬がカーッと熱くなります。青年が立ち去る後ろ姿をつい目で追ってしまいます。後ろ姿も何と麗しい青年でしょうか。
「ここにいたんだね。ごめんね」
夢見心地でボーッと美青年の後ろ姿を見送っていると、何かに声をかけられました。
「おーい、大丈夫かい?」
目の前の視界を遮るように手の平が上下しているのに気がつきました。兄の友人の青年でした。青年はユリリーサナが見ていた方に視線を走らせます。
「ああ、『麗しの銀の侯爵』様か」
納得したように頷くと、ユリリーサナの方に視線を戻しました。
「まあ、見とれるのは分かるけど、あの人はもう結婚しているからね。奥方にベタ惚れな有名な愛妻家だよ」
ユリリーサナに言い聞かせるようにそう言うと、またあの美青年の行った方に視線を向けました。
「ほら、見てごらんよ。あそこに座っている茶色の髪のご婦人が奥方だよ」
促されて、青年の言う方向に目を向けると、壁際に設置された何脚かの椅子の一つに茶色の髪の可愛い女性が座っていました。
あの美青年が近付くのが見えます。驚く事に彼は女性の前に跪くと、その手を握りました。笑顔で会話している様子からは甘い雰囲気がうかがえます。
何だか鳩尾が痛くなって、苦しいような気持ちがしました。
話していた青年は突然立ち上がると、屈んで女性に口づけをしました。女性も青年の首に手を回して口づけに応えています。長い口づけでした。ギョッと目を見張って、ついつい情熱的な口づけを見守ってしまいました。口づけが終わると、二人で額を合わせて幸せそうに微笑み合っています。
──バカップルでした。羞恥心のない、二人だけの世界に入り込めるバカップルでした。
ああ、でもメチャメチャ羨ましいと感じてしまいます。あの美青年はもう手に入らないという失望感と、幸せそうな二人に羨望を感じました。(注・元婚約者バカップルには石をぶつけたくなっても、羨望を感じる事は永遠にないです)
「ねっ、熱々だろ。まだ、新婚だし、あんな顔なのに彼は奥方以外目に入らない感じだからね。あれは惚れても無駄だよ」
青年のおちゃらけた声と言葉に、何に羨望を感じたのか腑に落ちました。そう、愛し愛される関係というものに羨望を抱いたのです。お互いしか見えないような熱い関係に憧れました。(注・元婚約者バカップルは除く)
「さっきは悪かったね。よかったら王宮の庭園を見に行かないか? ここの庭園はとても素晴らしいんだよ」
チャラ男が色気過剰の声と視線で誘ってきます。断ろうと口を開く前に、サッと手を握られました。
「初めての王宮舞踏会だものね。庭園を見ないなんて勿体ない。きっと、いい思い出になると思うよ。さあ、行こう」
否定的な気配を感じ取ったのでしょうか。返事をする前に連れ出す手際は見事です。さもそれらしい理由を紡ぐ口先も、熟練者の技を感じさせます。一体何人の女性がこうやって連れ出されたのでしょう。
まあ、いいかとユリリーサナは青年と庭園を見る事にしました。青年は兄の友人であり、王宮舞踏会に出席できる程の紳士のはずです。エロエロですが、紳士のはずです。エロ魔神紳士です。
広間から庭園へと出ました。庭園の小道にはあちこちに明かりが置かれ、夜でも庭園の花々を堪能できました。
夏の花々は見事に咲き誇り、色鮮やかに目を楽しませてくれます。
「夜になって涼しくなってきたけど、私の体は何だか火照っているんだ」
「はあ、お大事に」
「あそこの青い花の色は君の目のように美しいね」
「はあ、ちょっと、違う色だと思います。兄の目ですね」
「あっ、あの赤い花は君の唇のように綺麗だね」
「はあ、あそこまで大きくはないです」
「あの薄いピンクの花は君のように初々しくて可愛いね」
「はあ、何だかバカっぽいです」
「…………」
「…………」
歩きながら頻りに話しかけてきていた青年が、何だか無口になりました。早足になり手を引く力も強くなっています。
薄暗い一角にある休憩用のベンチの前で足を止めました。
「ここに座ろう。疲れただろう?」
「いえ、全然」
「……私が疲れたんだよ」
手でパタパタとベンチの上の埃を払った後、ドサリと座ります。
「座らないの?」
「はあ、疲れたら座ります」
そう返事をすると、青年は右手を前髪に差し込んでハアと大きなため息をつきました。
「舞踏会が始まる前はいけると思ったのにな……。夫人と消えたのは確かにまずかった……。あの侯爵に会ったのもいけなかったよな……。相乗効果か?ああ、ここまで反応が悪いのは初めてだ……」
何やらぶつぶつ言っています。独り言をいう癖がある青年のようです。ひとしきり独り言を言った後、背もたれに両腕をかけ、空を見るように顔を上に向けます。気だるそうな格好に、首もとがのぞけて何だか退廃的な雰囲気を醸し出していました。
「フウッ……君は私の事を節操のない人間だと思ってるんだろうね」
「はあ、節操のない紳士ですね」
青年の問いかけに頷きます。エロ魔神とは言ってはいけないでしょう。ちょうどよい言葉を青年が申告してくれました。
青年が上向けていた顔を戻してこちらを見ます。驚いたように何度か瞬きした後、表情を引き締めます。次に眉を寄せて表情を悲しそうなものにしました。
「……うん、こうなってしまったのには、ちゃんと理由があるんだよ。私の両親は仲が悪くてね。母は私を産むと義務は果たしたと屋敷を出て別居してしまった。父には何人もの愛人がいて多くの女性が屋敷に出入りしていたんだ。彼女達は父にはいい顔をするけれど、陰で私はずいぶん苛められた。父は私に全然関心がなかったからね。でもね、成長して大きくなってからは彼女達の私の扱いが変わったんだ……ねえ、何をしてるのかな?」
しゃがんで足元の葉っぱにくっついている青虫を、拾った小枝でつついていると青年の訝しげな声がかかりました。