クリスマスがヤバそうなんだが
「お前、最近変わったな」
「何だ唐突に。気持ち悪い」
俺が寮でゴロゴロしていると、蟻が話しかけてきた。ちなみに、アレから数日後の事だ。
蟻の言葉に、俺はベッドで横にしていた体を起こし、ベッドへと座りなおす。蟻も俺の机へと腰掛けた。今の蟻の行動から推測出来る事は、この話は長くなりそうだという事。立ち話で済む内容なら一々座ったりしないし、何よりも今話す必要も無いだろう。俺半分寝てたんだし。折角の休日なのに。
俺は腕と脚を組んでから蟻に目線だけで会話を促す。自分を守るように交差させた腕と脚は、心理学的には拒絶のサインとして知られる。ついでに気怠げな雰囲気も出しておく。こういう時にだけは無類の演技力を発揮するのが俺という人間だ。
無意識を有意識に行い、相手の無意識に影響を与える。これはもう無意識を操る程度の能力とか名乗ってもいいかもしれない。グリコのポーズはしない。
「蛇はさ、何か上手く言えないけど楽しそうになったんだよ。前はもっと取っ付き難そうな奴だった」
「そりゃそうだろうよ。俺は人と仲良く出来る様な人種じゃない」
皆の中心に立つ奴と云うのは確かに居る。何もしてないのに人を惹きつけて、何時でも何処でも皆の人気者。あの様な人種と俺はどうにも反りが合わない。
俺達みたいな毒男はそこらに羽虫の如く湧いている輩とは違って、寡黙で一途でひたむきなのだ。おまけに軽々しく馴れ馴れしく話しかけたりしないと云う紳士っぷり。おいおい、俺良い奴過ぎるじゃん。何でモテないんでしょうね。
「亀達と一緒に居るからか?」
「さーな。そうかもしれねぇな」
俺は適当にはぐらかして誤魔化した。追求されると面倒だ。
「きっとそうだろ猫可愛いし」
「手ぇ出したらシバかれるぞ、蠍に」
「蠍って……。あー。あの陰険そうな奴ね」
実際今の所、蠍に何の動きも無い事が多少気に掛かっている。そろそろ暴発してくれても良い頃なのに。暴発してくれたら大義名分が立ったって事で容赦無く殺処分に出来るのに。一番嫌なのが嵐の前の静けさと云う可能性。
どちらにせよ警戒を怠るつもりは微塵も無いけれど。
ポケットの中の携帯が震えて誰かからの通知が来た事を俺に教える。
そういえばそろそろ飯の時間だ。
『蛇ー。ご飯いこー』
メッセージが届いたようだ。猫から飯の誘い。見れば窓の外は既に薄暗い。
「誰から?」
「猫からだ。ちょいと行って来る」
俺は携帯を仕舞いながら答える。
さて、晩餐の時間だ。
○
俺は猫に対しての人間観察をしだいに解いていった。自惚れかもしれないけど、猫の闇も病みも結構治まってきていると思ったからだ。
そうこうしている内に冬休みが始まった。寮生が銘銘に荷物を運び出していく。その荷物は迎えに来た親達の車へと詰め込まれ、そのまま自宅へと運ばれる。
俺もそんな寮生の一人。荷物を親のワンボックスに詰め終え辺りを見回すと、同じように荷物運搬が終わったのか汗を袖で拭っている猫を見つけた。
お前も今から行くのか?
そうだよ。また来年だね。
また、来年だな。
あえて“帰る”という言葉は使わない。それは猫には使ってはいけない言葉だから。
俺は猫と軽くキスをして。そこで別れた。
○
十二月二十五日。世は既にクリスマス。
耳を澄ませば聞こえるクリスマスソング。何時もより二割増で五月蝿い喧騒。十二月真っ只中も良い所で、時々吹き荒ぶ風は氷のように冷たい。
そんな寒さを家に籠って退け、親と妹と四人でテーブル囲んでケーキを突っ突くのが今までのクリスマスとクリスマスイブ。
毒男にとっては一年で、どんな学校行事よりも難易度の高い悪魔の夢。通常は参加権すら与えられない。罰ゲームのみの参加形式だ。
しかしそれは毒男の話だ。
今の俺には友達が居る。猫が居てくれる。今年の俺はいつもとは違う。
それに、友達が居たとしても男の場合は、クリスマス系のイベントに参加するというのは結構難易度が高い。
女同士ならまだしも、男同士でクリスマスを共に過ごすなんて大惨事だけは誰もが避ける。
『蛇ー。起きてる?』
『んな? どうした?』
猫から急にメッセージが届いた。時間は既に夜十一時少し前。指を画面に表示されたキーボードに滑らせ文字を打つ。
『ちょっと言いたい事あるんだけど』
『ん? どした』
『前に言ったよね? 私の事。あんな彼氏でも私の初めての彼なんだ』
携帯を持つ手が一瞬震える。その話の切り出し方は猛烈に嫌な予感しか感じない。
『私は今、蛇の彼女だけど、彼の事も忘れられない』
『おい』
『今のままじゃ駄目なんだ。ちゃんとケジメ付けなきゃ駄目なんだって。中途半端じゃ』
『おい、何が言いたい?』
分かってしまった。次に猫が何を言い出すかを。
それは先輩の言っていた通り、本当に俺には理解出来ない理由だった。
『必ず。必ず凪の所に戻るから』
『おい、おいって!』
猫からのメッセージ。文字で伝えられるそれは、ただ淡々と事実だけを俺に突きつけてくる。スマートフォンの画面に表示された文字は、何度瞬きをしても変わる事はなかった。
『私と別れてください』
十二月二十五日、クリスマス。
「俺じゃねぇよ。俺の友達。ソイツもそういう女の事好きになって、一緒に居たんだけど、最終的に訳わからん理由でフラれて、泣いてたな」
俺もまた、泣いてたかもしれない。
失恋、を経験した事になるのだろうか。