告白がヤバそうなんだが
俺が先輩と猫について話をしてから次の日の事だ。
俺は明日の学校への準備を整えていた。何と云う事は無い。時間割を見ながら明日の持ち物を合わせるだけだ。
さっくりと終わらせて、俺は布団へともぐりこむ。コンセントから延ばしたケーブルに携帯を突き刺し、ベッドから片腕を伸ばして卓上灯を消す。
時刻が十一時半になり、消灯。天井灯が強制的に切られ、部屋の中は暗闇に包まれる。
俺はその中で携帯の電源をいれ、いつもの趣味を始めた。ただのネットサーフィンだが、これが中々面白い。広大な電子の海から自分の趣味嗜好と絶妙に合う内容の物を見つけた時の興奮は誰でも一度は経験した事があると思う。
後は小説を書いたりする。俺は一応小説を書く同好会にも所属している。挿絵も自分で描く二刀流。
そんな感じで半時間位呆けていただろうか。イヤホンを付けていた俺の耳に、誰かからの着信を告げる電子音が鳴り響いた。文字のやり取りだけではなく電話も出来るとか、最近のSNSは本当に便利。
画面を見ると猫からの着信だった。
他の部屋の皆様は夢の中なので、俺は小声で電話に出る。
「……あ?」
『ごめんね。起こしちゃった?』
「いや、ずっと起きてた」
答えながらも俺の脳内には疑問符が次々に沸き起こる。メッセージ飛ばせば良いだろうに態々電話をする意味も良く分からない。
俺は部屋を抜け出し、寮の屋上へと向かう事にした。声を出さないのなら問題無いが、流石に電話となると同部屋を起こしかねない。
寝巻の上からいつもの上着を羽織る。音を立てないように気を付けながら部屋のドアを開けて、閉める。少し廊下を歩き、安っぽいアルミ製の扉を開けて屋上へ出る。
この時間は車もあまり走っていない所為か、十一月の空気は冷たく澄んでいて夜空の星が良く見える。同じ空には綺麗な月も浮かんでいた。
改めて言うが、今は夜中の十二時。蝙蝠も黙る真夜中だ。本当に何の用事か分からない。
『ちょっと相談乗って欲しいんだ。あ、その前に一つ聞いてもいい?』
「俺に答えられる事ならな」
『じゃあ、聞くよ? 何で凪は私と一緒に居るの?』
「特に理由は無いよ」
反射的にそう答える。胸中をアイツの事が過ぎるが、努めて意識から追い出す。
『あるでしょ? だって私から逃げてないもん』
思わず口を噤んでしまう。
実際問題理由はある。俺が猫とアイツを重ねて見てしまっているから。
でもそれを猫に言いたくはない。自分でも上手く言葉に出来ない何かが俺を猫の傍に居続けさせてる。
でもそれは何なんだ?
最初はただの好奇心で。
次は自分の贖罪として。
じゃあ、今は何だ?
勿論今も、罪の償いとしての気持ちが無くなったわけではない。
だがそれだけでは【ナニカ】が俺の気持ちの中にある。
『私はね凪。亀も狐も、凪は嫌かも知れないけれど蠍も。皆が大切なんだ。でもね』
猫は一度そこで言葉を切る。ほんの少しの間。それによって次の言葉がより一層引き立つ。俺が言いたい事があるときによく使うテクニックだ。
『凪は皆と何かが違う。ううん、凪も大切だよ? でも何か違うの』
その言葉は不思議と俺の心に響いた。
少し舌足らずだからこそ、本心から言っていると信じられる、そんな感じだ。
ここで漸く俺はその【ナニカ】に気が付いた。思えば簡単な事。自分で言ってたじゃないか。
人は共に長い時間を過ごした相手に好意を覚えてしまう、と。
猫はそのまま続けて俺に聞いた。
『ねぇ……。凪はさ、今彼女って居るの?』
その言葉で俺は猫が今抱いている気持ちを理解した。
男子の場合、好意のある女子に好きな人が居るのかをよく訊ねる。
対して女子な場合はというと、好きな人の話題というのは単なる世間話でしかない。
俺の中学時代の友達の友達から聞いた。その辺勘違いした某男子は勢い余ってその子に告白して見事に玉砕。それだけならまだ良かったものの、次の日ソイツが学校行くと、教室の黒板にチョークを何色も使って描かれた侮蔑の呪詛。荒唐無稽と馬鹿にする言葉。様々な文句の落書きが黒板一面に描かれていた。教壇に一人登らされ、土下座をさせられながら聞いたクラスメイト達の囃し立てる声は今でも俺の耳に残っている。……まぁ、そういう事だ。
では女子は何て聞くのかというと、これが猫と全く同じ。今現在彼女が居るかを聞いてくるのが大半。思い切って好きな人を訪ねて「居るよ」と言われて舞い上がってから「だって俺彼女居るし」と言われて絶望の奈落に撃沈するよりは心理的負担が少ないからだと思われる。上げて落とされるよりは自由落下の方が被害は少ないというものだろう。
端的に言えば、猫は俺に亀達とは別種の好意を抱いている可能性がある。
ここまで理解して、俺は猫に問い返す。
「逆に猫はさ、今好きな人居るの?」
先に長々と推測したが、それが間違っていても困る。一人だけ真実を知らずに喜んでいるなんて、二次会があると知らされなかった時の俺みたいで悲しくなる。だからこそ、直接聞く。勘違いはもう御免だ。
『それは凪には教えられないよ……』
「何でさ? 俺は秘密は守る人種だぜ?」
話すような相手が碌々に居ませんしね。もうここまで来ると一種の自慢にすらなる。その自慢をする相手すら居ないと云うのが悲しい所。
『だって凪に教えたら秘密にならないよ……』
手に持った電話越しに聞こえたその一言心臓がとんでもない力でぶん殴られた感覚に陥った後、今までと比べ物にならない程の速度で心臓が早鐘を打つ。
猫の放った遠まわしな言葉の意味を一瞬で悟った俺は、文字通りに固まっていた。
胸が早鐘を打つ。体は吃驚して固まってしまっていて、でも頭だけが妙に冷静。
そのギャップが、今の言葉が夢でない事を証明している。
緊張した俺の唇から漏れる言の葉は、自分でも驚く程に酷く幼稚に聞こえた。
「それ、は、どういう事?」
『あーっ、もう!! 私は凪の事が好きだって言ったの!!』
改めて、今度は直接に「好きだ」と言われて、俺の心は限界に達した。
人から嫌われ憎まれ厭嫌されることには慣れきっている。寧ろそれこそが俺の日常。だからこそ、人から好かれるという事に、俺は全く耐性がない。
それでも何とか猫へと返事を返す。
「あり、がと。俺も猫の事」
好きだよ。
たった四文字。文字にすれば本当に短い。でも実際に言うと、その言葉は気が遠くなるほどに長く感じた。
その言葉を俺は精一杯の気持ちを籠めて言う。
自分で言いながら気付く。
これは好きじゃない。もっと何か別のモノ。
「なんで猫はさ、俺の事好き、になったの?」
実際それが俺には全く分からない。
人間観察で俺が見るのは人の習性や癖。後は汚点なんかだ。
そういうものは当人の無意識下に行われるもの。
故に俺は人間の倫理的思考回路についてはある程度理解しているつもりだ。
しかし感情、というものはよく分からない。
俺が全てを損得と機械的に考えてしまう性格からか、そういったものに俺はかなり疎い。
『凪はさ、私の事真剣に考えてくれたじゃん。一緒に考えて悩んでくれた。自分には何も言えないって思ったら、適当な事言わないで聞き役になってくれた。それがね、とっても嬉しかった』
猫の言葉で俺の疑問は氷解する。
狐も言っていたじゃないか。俺は真面目にやることやれば内面は良いって。
俺は自分の昔故に、よく考えてから自分の意見を言うように努めていた。
猫はその過去故に、人の心に重みを置いて人と接する。
自分の事をちゃんと考えてくれているか。自分の事を見ているのか。
それこそが、猫にとっては大事な事の様だ。
『凪はさ、何で私の事好きになったの?』
「そのうちに話すよ。ちょっと長くなりそう」
俺が理由を話すとなれば、やっぱりあの『昔話』から始めなくてはならない。
今の猫の前でその話をするのは、何故かは分からないが嫌だった。
「そっか、分かった。そのうちに、ね」
ここで一旦会話が途切れ、屋上に再び元の静寂が訪れる。
時刻は草木も眠る丑三時。月も前よりやや西へと動いている。
眼下に映る電燈は線が切れ掛けているのか消えたり点いたりを繰り返し、吹き抜ける風が連絡通路のトタン屋根を揺らす。
○
『あの、さ。ここまで来たら告白してほしい、かな』
吐息交じりに猫は俺に言う。
告白。
全てを犠牲にした覚悟の代償。答えが肯定であろうと否定であろうと、その後の関係に決定的な変化を齎してしまう心の楔。
それでも今までより深い関係になりたいと猫は望む。その勇気に俺の心臓は、何者かに握り潰されたかの様な痛みを覚える。俺は頬が赤らむのを暗闇の中で自覚した。
嬉しい。素直にそう思う。こんな俺に対してそれだけの反応を示す少女に俺はある種の愛おしさの様なものを感じた。
それが友情なのか愛情なのか。それははっきりとは分からない。俺が持っている判断能力では断定することは不可能だが、いずれにせよ好意的なものだろう。
「何て言えばいいんだ? 俺にはよく分からん」
『普通にそのままでいいよ。「付き合ってください」って』
俺の間の抜けた返答にも猫は大真面目に答える。
俺も覚悟を決めなくてはならない。俺の答えは決まった。
「俺と、付き合って」
『っ……』
猫が息を呑む声が聞こえる。ここで格好良く締めればいいのだろうが、そんな事、蚤の心臓を持つ俺には出来ない。好きだと言われた事だって生まれて初めてなのだ。慣れない事をしている恐怖からか、俺は反射的に保険を打ってしまう。
「ください、……か。言葉で言うだけなら、こんなに簡単なのにな」
『ふわぁ……。吃驚したぁ』
慌てて取り消す。あくまでも練習。
こんな経験は生まれてこの方初めてなのだ。彼女居ない歴が年齢だった俺にはさっぱり縁の無い事だっただけに、変な汗が止まらない。足だって震えている。原因は勿論寒さからではない。
「因みに俺が言ったら猫はどうするの?」
『ちゃんと返事するよ。多分凪の嫌じゃない返事』
「分かった。俺も言う」
平静を装ってはいるが、誰がどう見ても今の俺は緊張している事だろう。体だって小刻みに震えているし、硬く握った左手の汗も酷い。
唇を舐めて湿らせ、深呼吸。
「俺と、付き合ってください」
『……。うん。よろしくお願いします。かな』
照れた様に猫は笑ったのが電話のスピーカー越しに伝わった。それを聞いて、俺も自分の仕出かした事を自覚し直す。心の楔は打ち込まれた。俺から抜く事は恐らく無い。これは希望だが抜ける事も無いだろう。
さっきまでは冷たいだけだった北風も、火照った自分の頬には涼しく感じられる。
俺は猫と笑い合ってから、また明日、と電話を切った。
○
十一月二十五日、午前二時半過ぎ現在。
俺は猫の彼氏として。
猫は俺の彼女として。
「まぁ、やるだけやるよ。おもしろそうだしね」
付き合う、事になった。