過去がヤバそうなんだが
翌日の朝だ。
俺が昨日決めた場所へ行くと、亀と猫と合わせて三人が俺の到着を待っていた。昨日の連絡は夢でも嘘でもなかったらしい。
三人……?
「なぁ、そこの見たこと無い初見顔は?」
「この子は{蠍}だよ。私の友達」
「ふーん……」
チクチクと刺す様な鬱陶しさ、害悪の象徴として彼は蠍とする。
俺よりも頭半個分ぐらい背の低く、爬虫類の様な釣り上がった目付き。風で体に押し付けられた赤と白のウインドブレーカーが、蠍の身体の細さを露わにする。俺の存在が気に入らないのか、濁った三白眼をより一層強調して俺の事を睨みつけていた。
ちなみに身長は俺と亀が同じぐらい。
猫と狐と蠍が同じぐらいだ。
恐らく蠍も無意識なのだろうが、蠍は猫へと半歩ほど近寄る。
「蠍だ」
いかにも神経質そうな唇を苦々しげに歪め、蠍は名を言った。
蠍が俺に抱いているのはまず間違いなく敵意、それと恐怖だろう。
俺に話し掛ける直前に猫へと近づいたのは、猫を奪われたくないという所有欲が無意識に滲み出たもの。固く握られた右の拳と、蠍の神経質そうな顔つきを見れば大方の想像は付くというもの。
亀にいつ猫を取られやしないかと怯えて毎日を過ごしていた所へ、現れたのが俺という訳だ。まさに泣き面に蜂。
しかし理由はともあれ殺気を向けられた事に変わりは無い。
となると、俺の行動は一つ。
「蠍か! これからヨロシクな!!」
俺は態と、意図的に明るく作っていると分かる声で、蠍へと挨拶した。ついでに右手を差し出し、無言で握手を要求する。
まずは相手より怖気付かない事。相手が調子に乗って付け上がらないように出鼻を叩き潰し、杭を打ち込む。握手を求めることにより、表面上は仲良くしようとしている事を猫と亀に見せつけ、直接的に敵意を向けることが出来ないように仕向ける。蠍とて猫の目に見える所で嫉妬などと云う醜態を晒したくはあるまい。ましてや相手はその猫本人だ。
相手に対して厭嫌感を与え、コイツとは関わりたくない、と少しでも思わせることが出来れば俺の勝ち。
俺は自分の敵だと認めた相手にはまるで容赦をしない。体に傷が残らないように、精神的に追い込んで追い詰めて、燃え尽きるまで心を壊す。
蠍の反応は明らかだった。
「飯、行こう」
俺の策に見事に引っかかったらしい。この場に留まるのを嫌うかの如く踵を返し、一人食堂の方へと歩いていった。
「あ、待ってよー!」
猫は蠍を追いかけて一緒に食堂へと行ってしまう。
これは少し誤算だった。猫の行動まで計算に入れてなかった。確かに猫なら蠍に付いて行ってしまうだろう。
四人のうち二人が去り、その場に残ったのは俺と亀の二人。
「おい、蛇。さっきのはぶっちゃけどういう意味だ?」
亀が俺を攻めるように訊ねる。
何故あんなことをしたかって? それは愚問だ。俺の答えは決まっている。
「別にぃ。出会い頭に殺気投げてきたからソレ相応の対応をしただけだ。俺から手を出したわけじゃない。だから」
僕は悪くない。
キミが悪くて良いキミだ。
明らかに歪んでいるのに正当化に矛盾は無い。鏡の中の虚像の様に曖昧模糊。常に誤魔化して煙に巻く。
「早く飯行こうぜ。混み始めてきた」
「あ、ああ。そうだな」
実際、俺の言ってる事だけは間違いではないのだから、反論など出来るはずもない。
俺は唇の形を卑しく歪めながら。亀は複雑な表情をしながらも食堂へと歩いていった。
○
こんな感じで四人、朝飯を食べる日が何日か続いただろうか。
ある日、俺は亀と猫と三人で夕御飯を食べていた。
食べ終わると、猫は眠いからと言って早々に女子寮へと引き上げてしまった。
俺も寮へ戻ろうとしたところで、亀に声を掛けられる。
「蛇、ちょっといいか?」
「……何さ?」
その声がいつに無く真剣なので、俺は少し迷ってから肯定の返事をした。
明日は休日なので、寮の門限までには充分に時間がある。
「お前に話がある。猫もお前の事気に入ってるみたいだし、多分蛇は何かしら気付いてる」
あの眼の事かと聞くと、亀は天パを揺らして頷いた。
俺は亀に連れられて夜のグラウンドへと降りた。時は既に十月も後半。気の早い太陽は沈み切り、校庭と寮を繋ぐ道の端に建てられた電燈が辺りを照らす。しかしその光もグラウンドまでは届かず、辛うじて顔の輪郭が分かる程度の明るさしかない。夜の風は冷たく、俺は着ていた黒色の上着を羽織り直した。
俺達はグラウンドを囲む石垣の階段に座る。周りには俺と亀の二人だけ。尻から伝わる張り付くような冷たさに、俺は上着のポケットに手を入れながら小さく身震いした。
しかしいつまで待っても亀は口を開かない。
「んで、話って?」
「猫の昔の話。狐から蛇の事は聞いた。お前になら話してもいいと思う」
トラックが爆音を上げながら、何処か近くの道を走り過ぎる。赤ん坊の悲鳴の様に聞こえるのは猫の鳴き声だろうか。それら全ての音が止むのを待ってから、亀は語りだす。
「猫には中三の頃に彼氏が居た。その頃の猫はクラスの皆に嫌われていて、同じようにクラスからハブにされていた男子と仲良くなったんだ。それが猫の彼氏。
『私達が付き合ったとき、皆でおめでとうって言ってくれたけど、裏で陰口言われてるの、知ってた。嫌われ者同士でお似合いだ、なんて言われて』って猫は言ってたよ。
そりゃ、最初はその彼氏さんも優しかったんだけどね、だんだんと変わってきて。いや本性を現したと言うべきなのかな。
猫に助けを求める友達が居ないのをいいことに、ドメスティックバイオレンス、平たく言えばDVだな。これをするようになったらしい。
携帯から俺以外の連絡先を消せ、とか、俺以外の男とは喋るな、とか。でも、猫はそれも彼氏の愛なんだと思って、受け止めてたんだ」
ここで亀は一旦話すのをやめた。そんな事など知りもしなかった俺が、ここで口を挟む権利は無い。俺の目を睨み付けるかの様に真っ直ぐ見る亀を見れば、先の話が冗談の類では無い事は火を見るより明らかだった。
俺は吐く事さえ忘れていた空気を肺から吐き出し、再びゆっくりと吸う。喉に貼り付く様な冷たさすら感じる空気を飲み込み、話の続きを目線で促すと、亀は重い口を開いて再開した。
「そんな生活が半年も続いたかな。ある日猫は彼氏に呼び出されて、彼氏の家まで行ったんだ。部屋に入るとそこには彼氏と、その男友達。そこで猫が何されたと思う?」
受身で質問されて、俺も回答が分かってしまった。
何より、これだけの事実を淡々と話していく亀にある種の恐怖すら覚える。怒りの感情など疾うに通り越しているのだろう。
俺は黙ったまま目を伏せた。視界の端に亀の膝の上で握り締められた彼の握り拳が映る。
しかし声だけは変わらず、絵本に書かれた物語を読む様な淡々とした語り口。それが何より恐ろしい。
「レイプされたんだよ。その二人に。嫌がるのを無理に押さえ込まれて、彼氏と男に輪姦されたんだ。
体中を無遠慮に弄繰り回されて、獣のように何度も何度も。泣いて叫んでも止まらない。何分か何時間かも分からない。
ようやく使われ終わった自分の体から流れ出るものを見て、猫は泣き崩れたんだってさ。
それから、この学校に来るまでに数回レイプされてる。ある時はもっと長く、またある時はもっと大勢に。その彼氏達がちゃんと避妊をしてた、なんてのは猫の口から一度も聞いた事がない。妊娠していなかったのは本当に運が良かったとしか言いようが無いんだ。
その彼氏も今は別に女を作ってトンズラ。心も体も捧げた彼氏に裏切られて、猫の心はおかしくなっちゃったのさ。
その所為か、入学当初は極度の男性恐怖症で、クラスの奴に触れられただけで泣き出しちゃったり、部活の顧問の男性教師が指導しようと手を触っただけで嘔吐したりしてたんだ」
今は大分良くなったけどな、なんて言いながら亀は真剣な表情を俺へ向ける。
「だから、頼む。猫が蛇の事気に入ってるんだ」
「勝手に居なくなるのは勘弁だ。傍に居てやって欲しい、と?」
「そうだ。頼めるか?」
亀は真剣だ。それに、俺も傷ついてしまうと分かっていて姿を晦ましたりはしない。居てやるだけでいいなら、とことん居てやる。
目の前で誰かを傷付けはしないと、決めたんだ。
「分かった。出来るだけの事はやってみる。そのトラウマも無くせるように、俺からもちょっと動いてみるよ」
何をするかなんて決めていない。
でも、やれるだけ猫の望みは叶えてやろうと、俺は思った。