再会がヤバそうなんだが
俺達が使う食堂には二階がある。
一階が寮生専用の食堂で、二階が通学生と一部教員が使う一般食堂になっている。以前に体育祭で俺と狐が使ったのは一階の食堂だ。
食事以外の時間帯では食堂は閑散とし、二階にひっそりと置いてあるピアノを弾きたい人以外は誰一人として寄って来ない。
見た目に似合わずピアノが弾ける俺は、ある日の授業後に一人でピアノを弾いていた。左腕に付けた腕時計が言うには部活が始まるまでまだ時間がある。ちなみに曲は某弾幕STGのEXボステーマ。温故知新を全身で否定する俺のレパートリーは、クラシックよりもゲーム音楽やアニソン方面に大きく偏っている。
何回か繰り返し弾き終わると、意外そうに見ている食堂のおばちゃんに会釈をして、俺は楽譜を畳み足早に立ち去った。何って事は無いが、変な噂を立てられても困る。
リノリウムの床特有の光の反射を踏みしめつつ一階へと続く階段を降りていくと、踊り場付近で楽しげに談笑している男女二人組を見つけた。互いの携帯電話を見合わせ、互いの頬の距離近く仲睦まじ気に談笑する姿は完全に恋仲のソレ。
普段の俺なら舌打ち交じりに睨みつけて踵を返す所なのだが、今回はその場で足を止めた。その二人組に見覚えがあったからだ。誰だっけな……。
「おお、狐の」
「あー! 久しぶりだね!!」
狐の、の一言で思い出した。確か狐の友達だとかいう奴。同時に体育祭での邂逅も思い出す。
無理矢理捻じ曲げた能面の様な不気味な笑み。ぬるいドライアイスの様な背筋が寒くなる猫の眼差し……。
「あーっとスマン。男のほうは名前が飛んじまってる。猫、だよな?」
「私の事は覚えてたんだね! 嬉しいな」
そう簡単に忘れられるわけがない。第一印象があまりにも衝撃的だ。本人は隠しているつもりなのかもしれないが、俺の目は誤魔化せない。
両掌を合わせて喜ぶ猫を横目で見ながら、男子生徒は細く長い溜息を吐いた。自分の存在が忘れ去られている事に腹を立て、逆上して胸倉を掴みにきたりしないあたり、コイツはいい奴なのかもしれない。
まぁ、いい奴でなければ、この猫の傍には居続けられないと思うけれど。
男子生徒は短く息を吸うと天パの頭を持ち上げ、その下の目を俺と合わせた。
「俺の事は忘れちまったってか。俺は亀だ。確かお前は」「{ナギ}だ。そういや名前言ってなかったよな」
俺は咄嗟に嘘の名前を名乗った。
平穏な日々を過ごしたいと、俺が自分に架した名前。背負った十字架。
風が吹かない{凪}。
「あれ? でもお前の名前って」
蛇じゃなかったか?と亀は俺の名前を呼ぶ。狐が一度呼んだだけなのだが、意外にも覚えていたらしい。
「そいつは本名。俺は”凪”って呼ばれたいのさ」
「何でさ? 理由は?」
「特に無いよ。個人情報保護法というやつさ」
俺は笑う。適当な事を言って誤魔化すのは俺の常套手段だ。
本当の事を言わなければ嘘も言わない俺の話し方は逃げ道と同時に敵も大量に作る。
「なるほどまあそういう考え方もあるかー」、なんて呟いてから亀は猫を見た。猫も納得した様子だ。
「じゃあさ、凪! 連絡先交換しようよ!」
「は? 何で?」
納得したと推測していた所に予想外の問い掛けを食らって思わず聞き返してしまった。
対する猫は当たり前のように答える。
「私は凪と友達になりたいよ? 駄目?」
さりげなく俺の腕を掴みながら猫は上目遣いで聞いてきた。男とは違う女の子特有の柔らかな手に、少しだけ心臓が座喚く。
でも声は相変わらず楽しそうに聞こえる、だけだし、目も依然死んだままだ。
昔々に俺が【壊してしまった】アイツと重ねて考えてしまう。
俺はこの少女の事を見捨てられそうにない。
余計な世話だというのは勿論把握している。だがここで見て見ぬ振りをしたら、俺は確実に後悔すると直感で分かった。
亀からも目でお願いされた。俺に逃げ道は無い。
「……わぁったよ……」
「やた! ありがと!! 私のはコレね」
連絡に使うのは最近流行りのSNS。自分の携帯を操作して、猫はQRコードを画面に表示した。
俺はそれを手早く登録する。猫の携帯から通知音が鳴り、それを猫は慣れた手つきで登録する。
「一応俺のも頼むわ」
「あいよ」
猫と同様の手順で亀の連絡先も交換し終え、俺は画面に目を落とし、新しい連絡先が二件増えたことを確認した。
これが現代人の“絆”ってヤツか……。軽いなあ……。
こんな高が数KBの“絆”に縋り付いていた過去の自分が恥ずかしくなってくる。
今の時代の中学生といえば、もう大半が携帯電話を持っている。クラス替えの時になると皆挙って連絡先を交換し合う。ワイワイキャッキャと仲睦まじいその空間に俺が入ったときの静まり方。水を打った様な、と云う表現が相応しい。今思えば凄まじいモノだった。
そこでクラスの委員長気質の奴(女)がこの空気をなんとかしようと『あ……、連絡先交換……しちゃ……する?』と目線を逸らしながら聞いてきて、申し訳無さで更に肩身が狭くなる。
夜八時位にメールしても『ごめーん寝てた!』って三日後に返してくる程に早寝の女子だった。
今は俺の話はいい。
「んじゃ、俺はさいならだな」
「おう。じゃな」
「バイバーイ」
適当に挨拶して俺はその場を離れた。後は二人での時間をどうぞお楽しみくださいといった所。何より部活の時間が迫っている。一年の分際で遅刻なんてしようもんなら、先輩達と顧問からの無言の圧力と竹刀の打撃割り増しの刑が待っている。簡単に遅れてやるわけにはいかない。
今更だが俺は剣道部だ。似合わないってよく言われる。
俺は黒い上着を羽織り直し、学校の敷地の角、丁度食堂とは対角にあたる我等が武道場へと全力で走った。
冷たい風が音を鳴らして吹き頻る中、空は青一色に澄み渡っていた。
○
結局、部活には遅刻しました。
「痛ぇ……」
「まあ、遅れてきたお前が悪いわな。何してたん?」
今は部活も終わり、部活のメンバーと食堂で飯を食べてる所。竹刀で叩かれ続けた頭が痛い。
他の部員が好き好きに長机から自分の場所を確保する中、俺は毎度のように長机の端に座って晩御飯を食べている。今日は隣に狐が来た。
俺は口に含んでいた白飯を飲み込み、口を開いた。
「んで、何だって?」
「何で遅れたのさって」
「あーね。それは」
俺は部活に行く前に亀と猫に出逢った事。その時に連絡先を交換した事を話した。
それを聞いて、狐は急に真面目な表情になる。あのお調子者の狐が、だ。
「蛇」
「あん?」
「あんまりアイツらに深入りしないほうがいい。いや、蛇なら寧ろ逆に踏み込んだほうがいいのかもな……」
狐はそこに人の命でも関わっているかのように真剣だ。
「まさしくその通りだ。アイツら、表面はただの仲良しだけど、内情は色々と複雑だ。でもお前の目ならなんとかなるかもしれねぇ」
狐が俺の人間観察の事を指しているのはすぐに分かった。猫が持っていた【俺側の人間】にしか出来ない、死んだ魚のような目。俺はそれを”別の俺”だと無理やり認識することで隠しているが、並大抵の人間にはどうやっても隠せない。一人で抱え込みやすい、自虐的な人間ならなおさらだ。
「まあ、軽く踏み込んでみて、ちょっと見てみるよ。興味が無いわけじゃないしね」
実際、興味が無いわけではない。寧ろあるといえる。
目の前で人間が壊れる様なんて何度も繰り返していい物じゃない。手が届く範囲にあるならば、それは必ず止めなくちゃいけない。俺にはかつての加害者として、それだけの責任がある。
狐には俺の過去をある程度話してある。それを知ってか知らないでか、狐は俺の考えを見抜いたようだ。
「お前、真面目にやることやれば内面はいいのになー」
「うるせ。世の中見た目が九割なんだよ。悲しい事にな」
俺は飲みかけていたお茶を一息に呷った。他の部員も箸を置いてコップに手を付けたり、雑談に興じている者も居る。食が細い奴もそろそろ食べ終わる頃だ。
「まぁ、やるだけやるよ。面白そうだしな」
○
飯を食べ終わってから適当に風呂に入り、宿題を片付けると自由時間になった。寮における自由時間とは、消灯までの残り時間を指す。具体的には後一時間程度。
まあ、消灯だからといって別に何って事は無い。今の時代、携帯があれば割と何でも出来る。
俺もその一人。この時間に部屋に備え付けの年季の入ったベッドの上で寝そべりながら携帯を触っているのは寮で俺一人ではないはず。
ネットで知り合った友達とSNSで駄弁っていると、見覚えの無いアイコンからの通知が来た。初めて見る名前だったが、こういう“闇”とか“黒”とかいう中学生が好みそうな文字をわざわざ難しく書き換えたものをネットネームにする人種に、俺は心当たりがある。それもつい最近知り合った奴にだ。ちなみに例えを挙げるなら、【玖呂】といった具合だ。
『凪ー。起きてる?』
やっぱりな。
『猫か?』
『そうだよ。ところで凪って朝ごはん食べる人?』
俺達の寮では朝飯を食うのは義務ではなく任意だ。しかし事前に食費を払っているので食べない方が損。
食堂で朝食をいつも一緒に食べている男女を、俺は何度か見たことがある。目を閉じて頭に浮かべた映像から考えるに、多分亀と猫だ。
俺は次に猫が何を聞くかを概ね悟った。
猫はこういう返事を期待しているはずだ。そうでないなら一々こんな事を聞いてくるはずがない。
俺は画面に指を滑らせ、返信を書く。
『食べるけど、いつも一人で食べちゃうな』
多分、猫の質問は飯の誘い。それも訊ね方からしてこれから暫くずっとの間だ。
仲良くなって、色々聞き出すにはいい足掛かりかもしれない。
人間というのは、共に長い時間を過ごせば過ごす程、それに比例して好感を得る。勿論、前提として嫌われていない、というのが条件になるが。
今回は少なくとも嫌われてはいないだろう。向こうから声掛けてきたのに嫌われているとか中学での罰ゲームを思い出す。
猫からの返事はというと、案の定飯の誘いだった。特に断る理由も無いので快く承諾する。
集合時間と場所を聞いて、俺は猫との会話を打ち切った。
仕事を兼ねるとはいえ、猫みたいな可愛い女子と朝食を共に出来るとは、この学校に来た時には想像もしていなかった。思わず、と云った具合に頬が緩む。
俺はベッドの上を輾転反側しながら、明日に向けての計画を練っていた。