結末がヤバそうなんだが
俺は狐と誘い合わせて晩飯を食べた。右手は寮に戻った時、水で軽く洗って於いた。傷口が割と小さかった事と、既に血が止まっていたので特に処置とかはせずそのままだ。
「どうしたんだ蛇」
「いんや……、別に……」
狐にまで気付かれる程に、今の俺は目に見えて不機嫌らしい。
上手く言語化出来ない何かが俺の中に渦を巻いている。諦めと嫉妬と疑念とをミキサーで掻き混ぜたような、そんな感じだ。
今まで食べてきた中で最高級に不味い飯を食い終わり寮へと戻る。鉛の様な飯と云うのはあの様な物を指すのだろう。そのままベッドへと倒れこんだ。
時間は既に夜だ。雲が掛かっていて星は見るべくも望めない。街灯の白い明かりや窓から漏れる黄色の光。人工の照明だけが暗闇を照らす。
何となく溜息を吐いて寝返りを打つと、首に何かが引っ掛かった。ネックレス。猫から貰ったキーホルダーに少し細工をして首から掛けられるようにしたソレが、寝返りをした時に首に絡まったらしい。
俺は貰ったその日からずっとコレを身に着けている。これが最後の猫との繋がりになるかも、なんて馬鹿な空絵事を思い描きながら。
俺はネックレスの先に付いたキーホルダーを握り締める。壊れて砕けそうな程に強く。
それから、急に力を抜く。
「馬鹿みたいだな……」
俺は寝転がったまま呟いた。俺がこんなにも精神的に参ってしまっていると云う事実があまりにも情けない。
猫と一緒に居て、本当に助けられていたのは俺の方だったのかもしれない。友達になってくれて、彼女になってくれて、居場所になってくれた。
初めて告白した。
初めて告白された。
初めてキスした。
初めて泣いた。
思い返していても仕方が無い。
後悔は先に立たず、役にも立ちはしない。
人間には表裏があるのが当たり前。
信じるものがスクワレルのは足元だけ。
楽しい事には必ず代償を払わねばならない。
俺は善い事をしたんだろうか。それはただの偽善だったのか。
携帯が不意に震えだす。音と長さからして多分電話だ。
死に掛けの蛞蝓の様にベッドの上を這って携帯に手を伸ばす。着信は亀からだった。
「どした」
何で俺の声はこんなにも欝々としているんだろうか。
『ちょっと来てくれ! 猫が暴走してるんだ!』
暴走って事は文字通りに意味無く闇雲に走り回っているだけなんだろう。よく猫はそういった行動を取る。理由は分からないがこんな暗い夜の中?二人で追いかけっこか。
気分がまた落ちる。底の見えない泥の中へブズブズと沈み込んでゆく。
「行って、どうしろと?」
言葉に棘が混じる。亀が俺に何をして欲しいか分かっているはずなのに。まるで少しでも時間稼ぎをするかのように答えの分かり切った質問を返す。
『猫を止めてくれ』
亀は通話を終了する。その声には俺に有無を言わせない強い意志が籠められていた。反論しようと携帯を耳に当てるも、聞こえてくるのは無情な電子音ばかり。
俺は何度目になるか分からない溜息を吐いて、部屋を出た。
俺は薄暗いリノリウムの廊下を上履きでペタペタ鳴らして歩く。天井灯が床に反射し、そこだけが不自然に白く輝いていた。そんな廊下を暫く歩き、靴を履き替えて寮の外へと出る。
誰も居ない。こんな時間、こんな寒い中、好き好んで出歩くのは気違いか気狂いぐらいなものだ。肩を竦め、更に足を踏み出す。
特に当てもなく寮の外を歩き出す。体が揺れるに合わせて、首から下げたネックレスから場違いなほどに澄んだ鈴の音が聞こえてくる。猫から貰ったキーホルダー。その音は綺麗に澄んでいるが故に一層寒々しい。
俺は鈴の音を鳴らし、黒い上着を半ば闇と一体化させながら歩く。辺りには風の音と鈴の音だけ。
心にその気が無くとも、俺の五感は意思に関係なく情報を集めだす。十分程歩いたり止まったりを繰り返せば、場所など直ぐに特定出来る。
「……左」
左手方向から荒々しい足音。遠くには女性らしきシルエットがぼんやりと見える。
その影が近づき、目の前を通ろうとする時、俺は彼女の左腕を掴んだ。
いつかの自殺未遂を思い出し、腕を握る手に必要以上に力が籠る。
急ブレーキを掛けた車のような衝撃と共に彼女は動きを止めた。
「……猫」
「えっ……、あ、凪……」
凪か。猫の中で俺は既に凪へと戻ってしまってるらしい。
俺へ話しかける猫の歯は処々が赤黒い、潮風で錆びた鉄骨のような色をしていた。また自分の血を飲んでいたんだろう。
俺は努めて明るく声を掛けた。その程度の事すら意識しなければ出来なくなっている自分に気付き、少しだけ怯えてしまう。
「何してたんだ?」
猫は答えない。ただ繋いだ手が弱弱しく握られる。俺も無意識にその手を握り返す。
その一瞬で猫と出逢った最近の出来事が映画を早送りにした時の様に脳内で再生された。
『猫、です。あなた■狐の友達?』
『私は■と友達になり■いよ駄目?』
『必要と■れてるって、思わ■てよ……』
『あーっ、もうっ!! 私は■の事が■きって言ったの!!』
『名前■呼んで■、い■かな?』
『私と■れて下さい』
『■と、付き■ってくれま■か?』
『蠍■傷付■たら、■れるよ』
テレビの砂嵐のような雑音と共に途切れ途切れに思い出す。たちまち過去の記憶がありありと目の前に展開せられ、楽しかったな、何てふと懐かしんでしまった。それらを俺が既に過去の事として考え始めてしまっている事実に気が付いてしまう。
後懐、コウカイ、後悔。
果たしてイツ間違えたのか。ドコで道を踏み外してしまったのか。
猫が俺の顔を見上げている。俺よりも身長の低い猫は俺の方を見ると自然と上目遣いになる。少しだけ潤んだ瞳、先ほどまで走っていたからか桃色に上気した頬。夜風に吹かれて流れる髪。俺はやっぱり猫の事が愛おしかった。
ゴメン。って一言言ってから猫に口付ける。もうすっかり慣れてしまったキス。多分これが最後になるかもしれないから。
俺の方から舌を入れる。今まではずっと猫から先に入れてきていたのだが、今回だけだ。
十秒程の短いキス。
俺は唇を離した。手の甲で口元を拭う。直ぐに
「猫! 蛇も! やっと見つけたよ」
亀が建物の影から姿を現した。現れたタイミングから察するに、きっと亀は見ていたんだろう。そして余計な邪魔を入れないで静かに待っていてくれたんだろう。
俺もその程度の事に気が付かないはずが無い。それでも亀のその優しさが今の俺には嬉しくて、嫌だった。
ごめん、ありがと、ごめんなさい。
口の中で呟いてから、俺は今気付いたとばかりに亀へ片手を上げる。
猫との最後の接吻は、少しだけ血の味がした。
○
次の日、俺は猫達と朝飯を食べなかった。俺は狐に頼んで、狐も俺の急な変化に戸惑いながらも朝飯に付き合ってくれた。
数日して二月十二日。猫から届いたメッセージには“彼が死んだってのは実は誤報だった”みたいな内容の文章が明らかに喜びを隠し切れない文体で書かれていて、また絶望すると同時に幽かな希望を感じた。
猫が亀へ靡き出したのはあの日の自殺未遂からだ。その理由が雲散霧消した以上、再び俺の所に戻ってきてくれるのではないかと云う淡い期待。
その次の日の朝、俺は再び猫達と一緒に朝飯を食べて、俺の望みは泡沫の様に呆気無く散った事を覚った。
猫は相変わらず所か、以前にも増して亀にべったりになっていた。遂に俺は猫と一言も話さずに朝食を食べ終える。蠍はあの日の暴力以来、一度も顔を見ていない。別に見たくも無いのだが。
焼け死ねる様な思い、声にならない叫び、恐怖。
ガス室に送られた犬は死の道で。穢れ無きまま少女を待てり。
恋? 愛? 好意? 思い? みんな嘘だった。
闇夜に蠢く声を聞け。そして君は何をした。
俺は、出逢って、愛して、哀に堕ちた。
I,逢愛哀
離れれば歩み寄り、近付けば逃げる。女なんて蜃気楼だ。幻にしか過ぎない。
此処に日本一の馬鹿が居る。貴方は幸せだ、幸福なんだ、と見たことも無い誰かを憐れむ愛情。
不良品で無い人間が居たならそれこそが不良品。
出る杭は打たれるのではない。抜いて棄てられる。棄てられた杭集う掃き溜めで再び醜い蹴落とし合い。
居場所が欲しいと願ったのはいつの事だったか。
分からない。ワカラナイ。
思考の坩堝へと堕ちていく。
明日はバレンタインだ。
○
猫からはチョコを貰えた。俺は嬉しくて笑った。まだ笑うことが出来た。聞いてみた。
「本命ですか?」
答えた。
「違うんだ」
俺は理解した。納得出来てしまった。笑みが消えた。
絶望と愛惜を同時に感じた。
冗談だよね?
冗談じゃないよ。
嘘だよね?
嘘じゃないよ。
本当に?
本当に。
チョコレートは全部食べた。場違いな程に甘くって、吐き出しそうになった。
それでも全部食べた。
決めた。
月曜日、全てを決めようと思う。
○
二月十七日。天気は確か晴れだった気がする。風は全く感じられない。にもかかわらず、遥か彼方の上空では雲が異常な速さで流れている。その差が面白くて、俺は呼び出してから猫が来るまでの間、ずっと空ばかり眺めていた。
十分ほどして猫が来る。
俺が呼び出したのは例の図書館。その建物の二階にある新聞読者用スペースだ。この時間帯に人が居ない事を俺は経験上知っている。昔、といっても猫と知り合う前だが、学校中を歩き回ってマッピングする事が無性に楽しかった時期があった。
実際、俺達の学校は文化祭で迷子が出る程迷路なので、マッピングしておいて何も損は無い。その時にこの場所も見つけた。
今時新聞を定期的に読む健全な学生が俺達の学校に居るはずも無く、基本的にこの場所には閑古鳥が鳴いている。故に人目の心配をする必要は無い。
「何? どうしたの、かな」
猫はおずおずといった感じで俺の隣に座る。男女で長椅子に腰掛ける、傍から見ればさぞ羨ましい限りだろう、何てどうでもいい思考が頭に浮かぶ。
「ちょっと聞きたい事がある」
俺は紙切れのような薄っぺらい笑みを浮かべる。今の俺は完全に素だ。故に本音で話し合えるし、本音で傷付ける事も出来てしまう。誤魔化しの嘘を、俺は今吐く事が出来ない。
「何でそんなに元彼が大切なの?」
敢えて猫が用いた単語を使う。俺も亀も蠍も、皆が大切だと言った猫。
猫は何も答えない。ただ俯いて、膝の上に置いた手の甲を眺めているだけ。
「何で最近亀とばっかり喋ってるの?」
「それはっ!」
大きな声で俺の発言を遮る。一旦俺の顔を見てから、猫は再び目線を下げる。
「いつも蛇が不機嫌だから……」
「そりゃあ、他の男に一々一喜一憂する自分の彼女を見れば誰でもそうなるでしょうねぇ」
謝罪すらない。私が悪いんじゃない、お前が悪いんだとでも言いたげな返答に俺は覚悟を決めた。
息を吸い込んで、吐く。自分でも瞼を閉じて、ゆっくりと開く。
自分でも分かるくらい醒めた眼で彼女を見ながら、俺は滔々と言葉を紡ぐ。
「俺がずっと前から思ってた事を話そうか?」
「何でそんなに彼が大切なら、俺の事を好きだ何て言ったのさ」
「信じてたよ、本気で。疑うなんて嫌だったからね。離れていく様な気がした」
「だけど、俺に居て欲しいって言ってくれた数少ない人だから」
「でも、結局の所はその彼とやらの替わりでしかなかったんでしょ?」
「愛してるって、そう伝えたのは」
聞き覚えのある言葉。猫が昔歌った曲の歌詞。俺の肩に頭を預け、彼氏との過去を思い出しながら悲しげに歌った猫の姿は今でも覚えている。
だからこそ、俺の言葉は猫の胸に刺さるはず。
「そんな軽いフレーズだったんだね。便利な道具だったんだね。近くに居てくれればそれこそ誰だってよかったんでしょ?」
「さみしい、なんて言葉吐いてさ」
「両親が離婚して、その娘は浮気をする。血は脈々と受け継がれていくんだ。素敵だねぇ」
「それでまた次の男を見つけて”君しか居ないんだ”って言うんでしょ?」
「嘘だらけの言葉で惑わすのはもう止めてくれよ」
別に俺は天邪鬼ではない。潔癖症でもない。ただ繰り返したくないだけなのだ。疫病神を縛り付けた鎖の少女は何を思う?
「今でこそこんなに大人しく聞いてっけど、内心何でそれがダメなの? とか考えてんだろ?」
「本気だったんだぜ? 初めての彼女になってくれて。でも」
「分かり合えたフリしてるだけで本当は、何も、分かっちゃいなかった」
「あんなに舞い上がって馬鹿みたいだ。こんなに踊らされて馬鹿みたいだ」
俺は自分の敵だと認めてしまった相手にはまるで手加減というものが出来無い。
口から吐き出すナイフが猫に何を考えさせているかは分からない。
それでも言い切る。
「どんなに後悔したって、もう元には戻れない」
「お前に取っては遊びみたいな事なのかも知れねぇけど、俺は本気だったんだ」
「今更何言ってもだ。居ると邪魔なんだなってのは、直接言われやしてねぇけど聞こえてる」
「思い悩んで、夢を見ては、俺は手を伸ばした。この気持ちが理解できますか?」
「代わりはいくらでも作れるんだろ? その事気付いちまった俺は退場するよ」
「じゃな、猫。今までは本当に楽しかったよ」
俺は猫をフッた。
ちょっと待ってよ、と縋り付こうとする猫を振り払って、俺は一階へと続く階段に向かう。叫び出したい気持ちを圧し殺して、絶対に歩く調子を崩さない様にゆっくりと立ち去る。
暫く無言で座っていた猫が、そこから立ち上がったのはそれからまもなくの事だ。
猫は呟く様に二、三言聞こえない声で何かを言って、蛇と同じ道を寮へと引き返す。外には木枯らしが吹くばかり。
こうして俺と猫は二月十七日、最悪の別れ方で終止符を打った。
その後猫は別の彼氏を新しく拵えて何事も無かったかのように生活している。まぁ自分が悪くないと思い込んで居るんだから、それが当たり前と言えば当たり前なのだが。




