表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
10/14

雨の日がヤバそうなんだが

 クリスマスも終わり正月も過ぎ。学校が再開した。俺達の学校は三が日(さんがにち)が終わると直ぐに学校が始まる。

 寮に荷物も運び入れ、いざ暇になってみるとする事が無い。先輩の部屋でゲームでもやるかな……なんて一人で考えていた所で、猫から着信が入った。無視するか応答するか(しばら)く悩んでから、俺は携帯を取り出す。猫の名前が表示された画面を一回触り、耳に当てた。


『凪、今いい? ベンチ』


 それだけ言って猫は通話を終了する。以前の甘えた声と態度が嘘の様な、猫と云う機械が言葉を読んでいるだけの感情の(こも)らない声。

 溜息を吐いて、俺はベッドから起き上がった。服の裾を適当に払ってから、毎度御馴染みの黒の上着を羽織る。

 俺は身内には甘いが他人がどうなろうと知った事ではない。折角の余暇を、今となっては他人の猫に使ってしまうのは少々癪だが、しょうがない。

 俺は“ベンチ”へと向かう事にした。

 ここで言うベンチとは寮の真ん前にある丘の事を指す。正確にはそこにひっそりと置いてあるベンチの事だが。簡単な屋根付きのベンチの近くには自販機もあり、一休みするには丁度良い場所だ。近くには25mプールがあり、水泳部女子の掛け声をBGMにうつらうつらと微睡(まどろ)むのも悪くない。ただし男子連中が気合を入れる為の雄叫びが五月蝿(うるさ)いのでお勧めは出来ない。

 ベンチで何するのかと近づいて行くと、もう既に猫はそこに腰掛けて俺を待っていた。

 猫の姿を見た瞬間、俺は自分の目が急速に濁っていくのを感じる。

 流石に自分でも驚いた。どうやら俺の深層心理は知らず知らずの内に猫へと嫌悪感を抱いてしまっているらしい。

 ちょっと戸惑いながら、それでも冷静に自己暗示を掛け直す。イメージするのは“凪”の偶像。過去は切り捨て前へと進む、そんな人間の偶像。

 目に光が戻るのを実感する。これで(しばら)くは大丈夫だろう。


「なんか用か?」


 俺はベンチに座る猫の隣に立つ。俺が座らないのは猫の無意識を操る為だ。勿論腕も組んでいる。更に首を鳴らしたり、左手首に付けた時計を気にする様に何度も見たりしてやる。首を鳴らすのは退屈、時計を気にするのは相手を急かすサインだ。年上相手にやると不快感しか与えないから注意が必要。


「これ、お土産。凪に」


 そう言って猫が手渡したのは、キーホルダー・ストラップの一種。

 何かの動物の牙に針金でアクセントの装飾を加え、そこから紐が伸びている。赤と黒の石を数珠の如く交互に通したその紐の先には翡翠色の硝子球。そこからも同種の紐が四本伸びていて、二本の先には小さな鈴が、残りの二本はフック型のパーツへと繋がっている。アジア系の民族装身具といった印象だ。

 そういえばコイツ冬休みに台湾行くとか何とか言っていた。その時のお土産なんだろう。

 まぁ、(ただ)ならと有り難く頂戴する。

 貸すと言うならいらないけれど、あげると言うなら遠慮無く貰うのが俺だ。貰うだけならば特にリスクが存在しないから。貰ってみてやっぱり要らなかったら誰かに売り飛ばせばいい。


「用事はこれだけか? 終わりなら俺は帰るぜ」


 まだ何か言いたげに呼び止めようとする猫へ、飯の時は呼んでくれ、とだけ吐き棄てて俺は早足に立ち去った。

 猫の目が戻ってしまっていた。何より俺の事を名前ではなく“凪”と呼んだ。

 俺は使い古したスニーカーの踵を引き摺りながら、考える。

 あそこで俺が帰ってしまったのは悪手だったかもしれない。“凪”ならそこで話を展開していって、色々と聞き出す事も出来た。でも急拵えの暗示ではあの程度が精々。最後にギリギリで猫との関係を持ち堪えただけ二重丸といった所だろう。

 取り敢えずは寮に戻って自己暗示を掛け直さなくてはならない。猫の事を直す為の話術の計算もしなくてはならない。

 冷たい風が巻き起こり、目に塵が入る。

 俺はそんな小さな事にすら舌打ちして、寮への道程を急いだ。



 俺は再び計算尽くの日々を送り始めた。

 

 俺も話を聞くよ、と多少肩が触れる程度の距離で座る。言葉だけで言うのではなく実際に触れる事で精神面と肉体面の両方から“独りじゃない”という感覚に陥れる。

 表情も大げさに作ると怪しまれる所か不快感を与えかねないので、なるべく表に出さないように心がける。時々内容に合わせ一瞬だけ悲痛そうな表情を作るだけで充分だ。

 後、こういう話を聞く時に最も重要だと俺が考えている事は、相手の話に対して意見を言わない事だ。自分が必死に説明しているときに「でもそれってこうじゃない?」と話の腰を折られて茶々を入れられたら誰だって話す気失せる。それが相談事なら尚更だ。

 だから相手の言葉を鸚鵡(オウム)返しにするだけでいい。相手にとっては“自分の話を否定しないで聞いてくれる人”が欲しいのであり、“自分の話に批判をする人”が欲しいのではない。

 畢竟、そういう問題とかは自分自身で解決するのが一番手っ取り早いと云う事だ。頭がパニックに陥っているから訳が分からなくなっているだけであり、冷静に落ち着いて一つ一つゆっくり確認していけば意外と簡単に解決したりする。親や教師が癇癪起こしている子供に「もう一回ゆっくり教えて?」と言うのはこれが理由ではないかと俺は睨んでいる。

 それでも駄目な時には、「第三者の目線から言うけど……」と始めに断ってから意識を誘導する。最初に断って於かないと「他人の癖に偉そうな事言うな!」と逆切れを喰らう羽目になる。なら最初から相談とかするなよと常々思う。

 この誘導する際にも注意が必要で、“お前が悪い”という方向へ持っていくとアウトだ。忽ち脳内で敵認定されて口が重くなってしまう。どうしても否定するなら相手が間違っている理由を一から説明して相手に納得させてからでないと駄目。それが女なら尚更の事。


「っつー感じかな」

「お前ヤベえな」


 猫との久し振りの再会から寮に戻った俺は、現在狐の部屋で駄弁っていた。狐が今の俺と猫達の関係を聞き出そうとするから散々に愚痴を吐いてから長々と自論を語ってしまった。

 何やら戦慄している狐は置いておいて、俺は狐の部屋を見渡した。

 相変わらず汚ない。床には何に使ったのかも分からないプリント類が変な折れ目を付けたまま散乱しており、ベッドの上にはシャーペンが転がっている。絶対に寝ている時に刺さる。驚く事に、まだ荷物搬入から一週間しか経ってないのだ。なのにこの散らかり様は何故だ。


「まぁ、後一週間位で何とかなんだろ」


 俺はあっけらかんと笑う。

 俺が行い、そしてこれから始めるのは一種の洗脳だ。俺の存在を猫の中で重要な人物として脳内に刷り込み、半ば依存の様な状態を形成するのが目論見(もくろみ)。素人の俺では知識はあってもそこまで上手くは行かないだろうが。


「お前のよく言ってた“計算”ってそういうことだったのな」

「そゆことー。ね、簡単でしょ?」


 ここで狐の同部屋が入ってきた。ソイツは俺の姿を狐のベッドの上に認識するや、隠す気もない舌打ちをする。そのまま椅子を引いて(わざ)とらしく大きな音を立てて座った。直接見てはいないが、野球猿が俺が居る事に愚痴愚痴と文句を言っているのが聞こえる。あの野球猿、俺の事意味無く目の仇にしてくるからな……。嫌われる事こそが俺の人生に於いては普通だから気にもならない。


「まぁ、何とかなんだろ。じゃな、狐。また明日」


 陰口は聞こえない様に言うもんだぜ?

 去り際に野球猿に聞こえる様に、しかし聞かせる気は無いかの様に罵倒してから狐の部屋の扉を閉める。

 野球猿の低い沸点が頂点に達したのか、物を拳で殴り付ける様な音が部屋の中から響いてきたのが非常に愉快だった。



 それから一週間経って一月十九日。天気は雨。強いとも弱いとも言えない微妙な雨が朝からずっと降り続いている。

 俺は猫に呼び出されて寮から例のベンチまで来ていた。

 俺はトレードマークとも言える黒の上着を雨で濡らしながらベンチへと向かう。

 猫は凪ではなく“蛇”に話があるらしい。そう言われると動かざるを得ない。


「あ……、蛇」

「んで、話って?」


 猫はその言葉に俯く。雨で湿った猫の髪がペタリと額へ張り付いた。

 雨が更に強くなる。近くの道を一人の学生が急ぎ足に駆けていった。それに合わせて水音と足音が跳ねる。

 俺は所々ペンキの剥げたベンチに座った。人一人空間を開けた先には猫の体がある。


「勝手に離れてごめんなさい」


 猫は俺に謝る。小さなその声は外の雨音に掻き消されそう。でもなんとか聞き取ることができた。


「もういいって」


 許した訳ではないが怒っている訳でもない。人に対して抱くイメージと云う物は、悪い方向へは容易く変化するが、良い方向へ変化する事は絶対に無い。だから誰かを心の底から許す事は不可能だ。

 ならばどうするのか。そのイメージが隠れてしまう程に新しい印象を上塗りすれば良い。元の悪印象を覆い隠して忘れさせてしまう程の好印象を植え付ければいい。勿論それは単なる糊塗(こと)に過ぎない。しかし、一度根付いた悪印象を人間が拭う事が不可能である以上、これ以外の方法は無い。

 許してはいないが怒ってもいない、と云うのはそういう事だ。

 俺は猫の頭を撫でる。二、三回程撫でていると、猫がまた何かを言った。


「実はね、冬休みの間に彼に逢って来たの」

「さいで」


 全くに興味が起こらない。俺がその話を聞いた所でどうしようもない。


「彼に呼び出されてね、逢ったんだ。そしたら彼、私の事抱きしめてゴメンって。またやり直せないかって言ってくれた」


 言って《《くれた》》ねぇ……。俺の耳はこう云うちょっとした言い回しの違いにも、過敏に反応してしまうから困る。


「でも、断ってきたんだ。今は蛇が居るから」

「そか」


 俺は興味が無い話だと、とことん無愛想になる悪癖がある。

 でも猫が俺の為って言って断った、言ってくれたと云うのは素直に嬉しかった。

 俺は猫の頭をぽんぽんと叩く。猫から嗚咽が漏れ出した。

 猫の顔を覗き見ると、泣いていた。大きな目から涙を零して猫は泣いていた。

 猫はそんな俺の目線に気付いたのか多少赤くなった眼をこちらへ向ける。そのまま俺へピッタリとくっついて、顔を俺の肩口へと擦りつけた。


「でもさ、私が蛇と別れた時にさ……」


 嗚咽を時々漏らして猫が言う。その揺れが俺の肩越しに伝わってきて、コイツは今泣いてるんだな、なんて漠然と考えていた。


「ちょっとぐらいはさ、引き止めて欲しかったな、ってっ」


 猫は更に強く顔を押し付ける。気付けば腕も俺の体に回されていた。

 俺はクリスマスのあの日、突然の事に茫然自失の俺は猫の事を殆ど引き止めなかった。引き止める事が出来なかった。

 去る者拒み、来る者追えず。

 それが一番傷付かずに済む方法だから。

 人を傷付けるのは人間で、

 人を苦しめるのもうやっぱり人間。

 だから俺は何か遭ったら直ぐに切れる。そんな人間関係しか今まで築かなかったし、築けなかった。

 “(きずな)”には“(ほだ)し”という読み方があるように、情というのは物事を行う際の足枷にしかなり得ない。

 故に俺は引き止めなかった。

 俺は猫へと抱擁を返す。一瞬猫の体が怯える小動物の様に跳ねたとしたが、それも一瞬。俺へ回す腕に再び力が篭る。

 十分位はそうしてたんじゃないかと思う。

 不意に猫が俺から離れた。もう泣いてはいない。猫はもう一度だけ目を擦って、そして笑った。


「勝手に別れてごめんなさい」


 まずは謝罪。


「待っててくれてありがとう」


 次に感謝。


「私と、付き合ってくれますか?」


 告白。前は俺から言った言葉を、今度は猫の口から言われる。

 俺の答えは決まっていた。


「またヨロシクだな、猫」


 俺は猫の肩を軽く叩いて、手前に思い切り抱き寄せた。

 気が付けば今の俺は計算など何もしていなかった。猫が告白してきた事で緊張の糸が切れてしまっていた。

 猫の事を抱きしめる俺の手は細かく震えていて、力の加減なんてまるで出来ない。


「怖かった」


 自分の意思では無いかの様に言葉が漏れる。


「本当に怖かったんだ」


 その声は自分でも驚く程にか細かった。

 “俺”なんてこんなものだ。気丈に振舞えるのは“凪”であって、今の俺ではない。


「猫が離れていった時、凄く怖かったんだ」


 これこそが俺の本性。一度道化で塗り固めた仮面を取ってしまえば、なんて事ない臆病な地金が露出する。

 多分猫は驚いているだろう。裏と表を切り替えるように俺がガラリと変わったから。それでも弱く、しかし確かに俺の背中へと手を回してくれている。


「ありがと。戻ってきてくれて」


 俺は恐らく泣いていた。猫に体を預けて泣いていたんだと思う。

 雨は既に土砂降りだ。人一人として外には居ない。仮に居たとしてもこの雨煙では見える物も見えないだろう。

 子供みたいに泣いている俺と、それをあやす様に頭を撫でる彼女。

 情けない、いつもと立場が逆じゃないかと自分を叱咤激励してみても、体は意思に反して動いてはくれない。

 俺は五分ぐらい、猫に抱かれて泣いていたと思う。

 猫の前で泣いたのは、後にも先にもこの一度切りだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ