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休みの日に買い物になんて来るもんじゃない。
俺は今、心底後悔している。
「やっぱやめときゃ良かったな……」
よく晴れた日曜日の午後。
数日前から切らしていたプリンターのインクと用紙、それから他にも欲しい雑貨が色々とあった。
いつもなら近所の店で済ませるか、通販を頼むのだが、今日はやけに天気が良いのもあって、電車に乗って大型家電量販店へ一人でふらりとやってきた。だがしかし、
「人だらけじゃねーか……」
気軽に来てしまった自分の浅はかさを悔やんだ。
フロア全体を埋め尽くす人の波。
商品もまともに見れやしない。
誰が店員で、誰が客だ。精算はどっちだ。
俺は欲しい物があってここに来ているが、どう考えてもこの人混みの半分以上は用もなくここへ来てるだろ。
用のない奴はさっさと帰りやがれ。
目当ての商品をなんとか探し出し、長蛇の列に並んで、やっとこさ精算を済ませた。
だめだ帰ろう。
こういう時は一刻も早く帰るのが一番だ。
「――王子っ!!」
聞き覚えのある声に、足を止めて振り返る。
「うわあ、奇遇ですね王子! お買い物ですか?」
人混みをかき分けてメガネ女が姿を現したので、不覚にもドキリとした。
「すごいすごい! 休みの日に王子に偶然会えるなんて奇跡ですね! うわあー、休日の王子もかっこいいですねデュフフコポォwww」
「……鼻血出てんぞ」
「ああすみません私ったら。私服姿の王子があまりにもセクスィでつい」
「……一人?」
「はい、一人です! すぐ近くで人気アニメ『花と嵐の王子様育成学園レボリューション』のイベントがあったんですよー!」
「うん。見れば分かる」
そのアニメのことは全く知らないけれど。
アニメキャラが印刷された紙袋を両手にいくつも提げているので、そういう類の場所に行ってきたんだなということは一目瞭然だ。
「王子はどこへ行くんですか」
「用は済んだ。もう帰るとこだ」
「バスですか電車ですか? それともリムジンとかヘリだとか?」
「電車だよ。休みの日でも相変わらずだなお前」
「私も駅に向かってたんですよご一緒しましょう! あ、お荷物お持ちしましょうか?」
「いーよ。お前の方がよっぽど大荷物じゃねえか」
「えへへー。そうなんですよ今日はかなり散財してしまいました。ずっと欲しかったフィギュアが手に入ったんですよー」
「へえ。良かったね」
「王子はお目当ての物は入手できました?」
「まあね」
「王子もこういうお店に来るんですね~。お買い物は全部執事とかメイドにやらせるのかと思ってました」
「んなワケねーだろ」
休みの日に偶然会うってのは、なんだか妙に照れ臭い。
どんな顔していいか分からないのでひたすら駅を目指して足早に歩いていたら、
「……お、王子ぃッ!!」
「なんだよ」
ドズシャアアアアというものすごい音に振り返ってみれば、人混みの中でメガネ女が土下座をしていた。
「なにやってんだお前ッ?!」
「お願いがあります王子!!」
「はあ?!」
「私と一緒にプリクラを撮って欲しいのです!」
メガネ女の指さす方向にゲームセンターが見えた。
「プリクラ撮って下さい王子!!」
「ふざけんなとりあえず立て!!」
「王子と一緒にプリクラを撮りたいのです!!」
「とにかく土下座をやめろ!!」
「撮ったプリクラの王子の頭にらくがきペンで王冠を描くのが夢だったんです!!」
「分かったから立てって言ってんだろーが!!」
周囲の注目に耐えられなかった俺は力ずくでメガネ女を立たせてその場を走り去った。
「わーい嬉しいです! 王子が私とプリクラ撮って下さるなんて! やっぱり王子はお優しいですよね!」
「土下座って脅迫にも使えるんだな……」
「でもゲーセン通り過ぎちゃいましたね。あ、あっちにもゲーセンありますよあそこ行きましょう!」
上機嫌のメガネ女に手を引かれてゲーセンへと向かう。
なんか今ので大半の生命力を失った気がする。
なんでプリクラごときで土下座とかやらかすんだこのバカは。
「――いってーなオイ! どこ見て歩いてんだ!」
いやぶつかってきたのはお前の方だろ、という台詞はひとまず我慢した。
「いてーわコレ骨折れちゃったんじゃねーかな、慰謝料もらわねーとなあ」
明らかにわざと俺にぶつかってきた金髪の色黒男が絡んできた。
怪我が本当なら慰謝料じゃなくてまずは救急車だろ、というツッコミも我慢した。一応、今の俺は女連れだし。メガネオタクの従者だけど。
当のメガネ女は俺の隣でおろおろとしている。
珍しく普通の女っぽい反応だったので少し安心した。
俺にとっては目の前の金髪男よりも、隣のメガネ女が妙なことを言い出すんじゃないかという恐怖の方が大きかった。
「うわイケメン! カッコイイね~お兄さん」
「いいねー、俺こういう男を土下座させんの超好き」
「どうするお兄さん? そのカッコイイ顔ボッコボコにされたくなかったら早めに財布出しといた方がいいと思うけど?」
金髪男の後ろから、さらに二人の男が出てきて俺に絡み始めた。どちらも鼻や顎にピアスをつけた頭の悪そうな男だった。
「……王子」
メガネ女が、俺の耳元で囁いた。
「私が真ん中の金髪野郎に鼻フックをかましますから、その隙に王子はサラブレッドダッシュで逃げて下さい」
「何ひとつ理解できねーよ。お前の鼻フックにどれほどの威力があるんだよ」
「結構すごいんですよ私の鼻フック。以前、劇団仲間にふざけてやったら翌日入院してました」
「傷害事件じゃねえか! 治療費とかその他色々ちゃんとしたんだろーな?!」
「ものすごく大きな声で謝ったから大丈夫ですよ」
「――おい!」
金髪男が、ずいと前に出て凄んできた。
「お前らなにごちゃごちゃしゃべってんだよ。さっさと金出しやがれ!」
「えッ! あなたたちお金がないんですか?!」
メガネ女が自分の鞄をごそごそと漁り、五百円玉を差し出した。
「かわいそうに、この五百円をあげますから三人で仲良く一杯の牛丼でも食べて下さい。そうだ道行く人々にも募金を募ってみましょう。みなさあーん! この三人組がお金がなくてお腹を空かせているそうなのでお金を恵んであげて下さーい!」
どうかこの哀れな三人にお恵みをー! と叫ぶメガネ女の隣で俺は頭痛が止まらなくなってきた。
「ふざけんじゃねえぞこのメガネ女!」
金髪がメガネ女の胸ぐらを思い切りつかんだ。その腕を俺がつかむよりも早く、メガネ女が金髪の手首をひねり上げた。
「――ふざけてんのはあんたらの方やろ」
まるで別人の声だった。
金髪の腕をひねったままで、メガネ女がゆっくりと自分のメガネを外した。
メガネの下から現れた鋭い眼光は、全く知らない人間に見えた。
「わての顔を知らんちゅーことは、あんたらどこの盃ももろうとらんゴロツキやな?」
腹の底から響くような低い声は、まさにその筋の人間を思わせた。腕を捻じ曲げられて痛い痛いと喚く金髪男をよそに残りの二人は「え、この女誰? 知ってる? いや知らない、でもまさか、マジで? もしかして……」と動揺し始めた。その二人めがけてメガネ女が金髪男の身体をドンと突き飛ばした。
「わてに喧嘩売ったらうちの若い衆が黙っとりゃせん。あんたらこの界隈歩けんようなる覚悟あるんやろうな!!」
ドスの効いた声というのを間近で聞いたのは初めてかも知れない。
腹のど真ん中をブスリと突き刺すような凄まじい怒号に、男三人は転がるようにして逃げて行った。
「わーい大成功! 悪漢を追い払えましたよ王子!」
メガネをかけ直してあっという間にいつものオタク女に戻った。
しかし今にも警察が飛んできて俺たちが逮捕されそうなほど辺りが騒然となっていたので、メガネ女の手を引いてダッシュでその場から逃げた。なんで今日はこんなに逃げなくちゃいけないんだ。
「――以前、舞台でヤクザの女房役を演じたことがあるんですよ私」
数分走ったところに小さな公園があったので、そこで一息ついた。
俺の隣で「あの時の演技が役に立って良かったです~」と、へらへら笑うメガネ女を、じとりと睨んだ。
「……お前さ、もうああいうのやめろよ」
「え?」
「危ねーだろ」
「あはは大丈夫ですよ。私、逃げ足だけは速いので」
「俺がやめろっつってんだからやめろ」
能天気に笑うメガネ女に異様に腹が立ち、口調がきつくなるのを自分でも止められなかった。
「いくらお前が演技の天才だろーとな、あんなもんただのハッタリじゃねえか。今日はたまたま上手くいっただけでいつも成功するとは限らねえんだよ世の中ナメてんじゃねえよ芝居で何でもカタがつくと思ったら大間違いなんだよ。ああいう時はとにかく逃げりゃーいいんだよ自分で何とかしようとか思うな。お前が護身術とか何かやってんのかは知らねえけど男が本気出したらお前みたいなチビが敵うワケねえだろ何様のつもりなんだよお前は」
そこまで言って、はたと気がついた。
何をそんなに怒っているんだろう俺は。
周りから「なにアレ超怖い」「あれってデートDV?」という声が聞こえてきた。
「……すみませんでした……」
メガネ女が、しゅんと項垂れた。
ここまで言われたらそりゃそうなるわな。自分で言っといて何だけど。
そこからは無言で歩き続けた。
こいつのことだからすぐにまたアホみたいな会話を始めるかと思ったが、意外にも大人しく黙ったままで、とぼとぼと俺の後ろについて歩いている。
まいったな。
俺だって別にあんなに怒りたかったわけじゃないんだ。
なんであそこまで頭に血が上ったのか自分でもよく分からない。
よく考えたらこいつのおかげでカツアゲから逃れられたんだから、お礼を言うべきだったんじゃないか。
自分が自分で嫌になる。
こんなことは初めてだ。
小さい頃から、大体のことはそつなくこなしてきた。
だから、自己嫌悪に陥るなんて滅多になかった。
こういう時はどうしたらいいんだ。
「……おい。あったぞ」
ある物を見つけて、俺は足を止めた。
「おい、聞いてんのか」
「え、あ、はい」
「あったぞ」
「何がですか?」
「アレだ、アレ」
「はい?」
きょとんと首を傾げるメガネ女に、俺はゴホンと咳ばらいをする。
「……プリクラ。撮るんだろ」
メガネ女のしょげた顔が、みるみる笑顔になった。
万歳をしながら大声で歓喜の雄叫びを上げるメガネ女の口を慌てて手で押さえた。
「――いい加減にしろ! 何枚撮ったら気が済むんだ!!」
「だってここ最新機種が揃ってるんですもの! 楽園ですねここはハアハア!!」
「知るかそんなの! もう出るぞ!」
「あああああ待って下さい王子! あと一枚! あと一枚だけ!」
「もう六枚も撮っただろーが!!」
「あっちに燕尾服のコスチュームがあるので私がアレを着てもう一枚ッ!!」
「一人でやれ!!」
「ええ~!」
ぶちぶち文句たれるメガネ女を放置してゲーセンを出た。
一枚だけ撮るつもりで入ったのに、「こっちの機種でもお願いします!」とメガネ女に懇願されて結局六台ものプリクラ機をはしごした。まさかこんな目に遭うなんて。
「うふふー。たくさん撮れて最高に幸せです! ありがとうございます!」
「……そりゃ良かったな」
完成したプリクラを眺めながらほくほく笑顔で歩くメガネ女の横で、俺は一生分のプリクラを撮ったような気がしていた。もう死ぬまでプリクラは撮らねえ。
「――んじゃ、そろそろ帰るか」
なんだかんだで随分と時間を食ってしまった。
すっかり体力ゲージがゼロだ。
さっさと帰ろう。
駅に向かって歩いていたら、ふと、後ろのメガネ女の気配が消えた。
「なにやってんだ?」
振り返ると、数メートル後ろでメガネ女がぼんやりと突っ立っている。
「あ、すみません、なんでもないです」
慌てて駆け寄ってきたが、表情がこわばっている。
「……なんだよ」
「いえ、お気になさらず。さあ駅へ向かいましょうか」
「言えよ。気になるだろ」
「ほんとに、大したことじゃないんで」
「お前、俺の従者なんだろ」
「は、はい! もちろんです」
「言えよ」
「え、ええーと、あのお店が……」
メガネ女がおずおずと指をさした先に、ピンクを基調としたいかにも女性向けのカフェがあった。
「あのパフェ専門店はテレビや雑誌で紹介されるほどの超人気店で常に長蛇の列で数時間並ばないと入れないのが当たり前なのになぜか今日は店先に二組しか並んでいないという奇跡的現象に偶然巡り合わせてしまって今なら数分で店内に入ることが出来ますが恭一様は甘い物がお嫌いですもんね今日のところはあきらめます」
ものすごく目をきらきらと輝かせて全身から期待オーラを放つその姿はどう見てもあきらめますってカンジじゃねえだろ。お前女優なんだからそれワザとやってんだろ。
「……別に入ってもいいけど……」
「えッ!! マジですか! やったあ! 王子ってば超優しいですね!」
再び盛大に万歳をして喜ぶメガネ女と一緒にパフェ専門店の列に並んだ。
なんかもう、ここまで来たら、色々とあきらめよう。
あれだ、もう、悟りの境地だ。
店内から漂う甘い香りに耐えながら待っていたら、メガネ女の予想通り、ものの数分で店内に入ることができた。
「私はスーパーいちごパフェにします! 王子はどれにしますか?」
見ただけで胸やけしそうなやつをメガネ女は嬉しそうに指さした。
俺だけ注文しないというのもアレなので、なるべく甘くなさそうな、コーヒーアフォガードというやつを頼んだ。店員がメニューを下げると、メガネ女がにこにこと満面の笑みを向けてきた。
「王子はコーヒーがお好きですね!」
「あー、まあな」
「食べてみて甘くて無理だったら、私食べますよ!」
「うーん。無理だったら頼むわ」
「了解です!!」
「でも写真見たら下の部分がコーヒーゼリーだったし、イケそうな気もする」
「コーヒーゼリーは大丈夫なんですか?」
「うん。コーヒーゼリーと、プリンは食べられる」
「へえ、プリンも大丈夫なんですね!」
「黄色いとこだけな。茶色いとこはムリ」
「あはは、カラメルソースのとこですね。一番美味しい部分なのに」
「ムリ。なんか喉がイガイガするし」
「あー、そう言われるとなんとなく分かる気もします」
「だろ? あれうがい薬みたいじゃね?」
「それは言い過ぎですよー」
「いや絶対アレ薬みたいな味するって」
「うふふふ。なんか嬉しいです」
「何が」
「王子のことまた一つ知ることができました。王子観察日記に書いておかないと」
宝物を発見したみたいな目で見つめられ、なんだかむず痒くなった俺は「アサガオじゃねーんだよ」と言いながら水をがぶ飲みした。