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「……おい、あぶな……」
危ないぞ、と言う前にメガネ女が昇降口の壁に激突した。
「あいたたた……」
「何やってんだお前」
「えへへすみません王子、何のお話でしたっけ、佐藤さんちのおじいちゃんが本当にスズメを素手で捕まえたかどうかでしたっけ?」
「聞いてねーしそんなこと知りたくもねーし。なんだよお前さっきからボーッとして」
ボーッとなんかしてませんよ~と笑うメガネ女の目の下にはうっすらクマが出来ている。
何だか知らんが、今朝はメガネ女の様子がおかしい。
校門から昇降口へ来るだけで、三回も何かに激突した。
と言ってるそばからメガネ女がスノコに足引っかけてド派手にすっころんだ。
「だ、大丈夫か……?」
「いたた、はい大丈夫です。何のお話でしたっけ、白飯にポカリかけて食べたいんでしたっけ。あんまり美味しくないと思いますよ」
「言ってねーよ」
まあコイツの様子がおかしいのは元からか。
俺はさほど気にも留めず靴を履き替えようとして、気づいた。
俺の靴箱がやたらきれいになっている。
しかも上靴がどう見ても新品だ。
「――おい。これお前の仕業か?」
振り返ると、メガネ女がロッカーに激突していた。
「あいたた、どうしました王子、何のお話でしたっけ、ワカメちゃんの性格がとてもしっかり者なのにパンツ丸見えなのが許せないんでしたっけ?」
「……いや、何でもない」
「でも佐藤さんちのおじいちゃんは本当にスズメを素手で捕まえたらしいですよ」
「だから知りたくねーっつってんだろ」
使い物にならないメガネ女を放置して俺は教室へ向かった。
――しかし、異変は上靴だけではなかった。
ロッカーに入れてあった俺の体操着や、参考書やテキストが数冊、新品になっていた。
これも全部メガネ女の仕業だろうか?
だとして、一体何のためにこんなことをしたのだろうか。
「――あれは絶対に恋の病だね!」
合同体育とか考えたヤツ爆発しろよマジで。
今日の体育はA組B組の合同授業で、しょっぱなからずっと天坂と小池が俺の隣にベッタリひっついている。うっとうしいことこの上ない。
「ぼんやりした表情で色んなとこにぶつかっちゃってさあ、あんな真知子ちゃん見るの初めてだよね恭ちゃん!」
「知らねーよ」
「あの顔は恋の病に決まってるよ。昨日、小池君に誘われたのが原因じゃないのかなあ」
「えっ、僕ですか?!」
小池がトマトみたいに顔を赤くした。
「そうだよ小池君。映画はたまたま予定が合わなくて断わられちゃったけど、真知子ちゃんは小池君のこと意識しまくってると思うよ」
ふーん、映画は断わったのかアイツ。
と、俺が考えていたら、天坂が俺の顔を見てニヤリと笑った。
なんなんだコイツほんと腹立つ顔してんな。
「真知子ちゃんと小池君て、すごくお似合いだと思うんだよ。ねえ恭ちゃんもそう思うでしょ?」
「知らねーよ」
「二人とも純粋で誠実そうなところが似てるよね。相性バッチリって感じ。ねえ恭ちゃんもそう思うでしょ?」
「だから知らねーって言ってんだろ」
「ねえねえ小池君はさあ、真知子ちゃんのどんなところが好きになったの?」
「ええと、そうですね……天坂君の言う通り純粋で誠実そうなところとか……あと、メガネを外すととても美人なんですよ彼女」
なんだ結局顔かよ。
つーかお前、アイツのメガネ外したとこなんていつ見たんだ。
もしやあれか、一昨日の放課後にメガネ割れた時か。
チッ、と舌打ちすると、天坂がまた嬉しそうにニヤついた顔をしたので俺は目を逸らした。
「――というわけで小池君! ここはもう映画デートなんてまどろっこしいことやめて、愛の告白しちゃおうよ!」
「ええッ!! ちょ、ちょっと待って下さい天坂君!」
そんなの無理です、と顔を赤くする小池を、天坂が「僕が応援してるから」と肩をつかんで励ます。
だから一体なんなんだよこれは。
どっかよそでやってくれ。
「今日の放課後にさあ、もう一度あの校舎裏に呼び出して告白するんだよ。恭ちゃんももちろん一緒に来てくれるよね!」
「行かない」
「あれれ? どうしたの恭ちゃん何か不機嫌になってる?」
「なってない」
ちょうど授業が終了したので、俺は立ち上がった。
こいつらにつき合ってると時間がもったいない。
後ろで何かをギャンギャン騒いでる天坂を無視して足早に校舎へ向かっていたその時、
「――ぶわ……っ?!」
上から大量の水が降ってきた。
とっさに顔を上げると、二階の窓にサッと動く人の影が見えた。今から追いかけても間に合わないか。
「だ、大丈夫?! 恭ちゃん!」
「高宮君!」
天坂と小池が俺の元へ飛んできた。
「ど、どうしよう恭ちゃん、ずぶ濡れじゃん、僕どっかでタオルとか……」
「落ち着け天坂。どうせジャージだ。制服に着替えれば済む話だ」
「あ、ああ、そっか……」
つまんねーイタズラしやがって。
ひとまず頭を振って髪についた水を振り払っていたら、
「――ちょ、見てよあれ、高宮君ずぶ濡れじゃない」
「やだ、超ダサイ」
「王子なのにちょっとゲンメツ」
「なにあれイジメ?」
「なんか悲惨~」
「哀れってカンジだよね」
周囲に女子が集まってきた。
砂糖を見つけた蟻みたいに、女はすぐ群がってきやがる。
晒し者になるのは毎度のことなので、気にせず教室へ戻ろうとしたら、
「――おおじいいぃぃぃぃぃッ!!」
ものすごい足音に驚いて振り向けば、水の入ったバケツ抱えたメガネ女が高速スピードで突進してきた。
「王子! 今日は暑くて水浴びしたいなあと私も思ってて王子だけずるいので私も水を被ることにしましたあ!」
「は? お前なに言って……」
メガネ女は何の躊躇もなく、持っていたバケツの水をザバーッ! と頭から被った。
「バッ、おまっ……、何やってんだよ!」
「ぷはあーっ! 水浴び最高ですね王子!」
全身水浸しになったメガネ女が親指を立ててニカッと笑った。
するとなぜか天坂もニヤリと笑みを浮かべて、
「真知子ちゃんと恭ちゃんだけずる~い。じゃあ僕もバケツ貸して~」
近くの水道でバケツに水を汲み、天坂も頭から水を被った。
「どお真知子ちゃん、水も滴るイイ男ってカンジ?」
「はい! 光輝様はどんな姿でも絵になりますねえ恭一様の次に!」
「ひどいな真知子ちゃんそれなにげに傷つくんだけど」
「ああごめんなさい、私ってば思ってることをすぐ口に出してしまうんですよテヘペロ」
「あはは、真知子ちゃんは恭ちゃん以外にはほんと辛辣だよね~。大丈夫僕は泣いてないからねコレ水だからね」
「……何やってんだお前ら……」
全身ずぶ濡れでキャピキャピはしゃぐ二人を見て、俺はため息を吐いた。
傍で見ていた小池が「じゃ、じゃあ僕も……」とバケツを手に取ろうとしたので、「いい、やめとけバカがうつるから」と力強く止めた。
「――じゃあ高宮、この問題を解いてくれるか」
「はい」
黒板の前に行ってチョークで公式を書きながらも頭の中は上の空だった。
さっきの体育で、ずぶ濡れになりながらもヘラヘラと笑うメガネ女の顔を思い浮かべる。
数学の問題はこんなにも分かりやすいのに、アイツのことは何も分からない。
いくら主従好きのオタクだからって、あそこまでやる必要があるか?
そこまでする価値が、俺のどこにあるって言うんだ。
なんで、俺なんだよ。
全然分からない。
「――よし、正解だ。さすが高宮だな」
高宮君ステキ! 王子すぎてヤバイ! という女子の囁き声が聞こえた。
コイツらの考えてることは大体分かる。
集団でツルんで俺をマスコット扱いして騒いで楽しんでるだけだ。
だけどメガネ女のことは、俺には何一つ分からない。
「……たまたまだ、俺はたまたまここを通りかかっただけなんだ……」
放課後、自分にそう言い聞かせながら校舎裏へとやってきた。
何やってるんだろう俺。
最近の自分は、自分でもよく分からない。
茂みの向こうに、一人で待っている小池の姿が見えて、思わず反射的に木の陰に身を隠した。
確か今日は、愛の告白をするとか天坂の野郎がたきつけていたけれど……。
「――小池君!」
メガネ女が、すごい勢いで小池の元へ走ってきた。
「悪いんだけど小池君、私ちょっと急いでて、話があるなら一分で済ませてくれないかな?!」
はあはあと息を切らしているところを見ると、よっぽど慌ててここへ来たらしい。
「あ、あの、立花さん」
「なあに?」
「僕、立花さんが好きです! 僕とつき合って下さい!」
「ごめんね小池君! 私、恭一様以外の人間はみんな石ころに見えるんだ!」
じゃあまたね! と早口で言ってメガネ女は走り去っていった。
小池は一人ぽつんと取り残されて茫然としている。
俺も、展開が早すぎて茫然となった。
今、アイツ何て言った?
なんか、とにかく断わってたっぽい?
つか、俺に向かって「もっと優しく断われ」とか説教してたくせに自分も随分とおざなりな断わり方じゃないか?
「――追いかけようよ恭ちゃん!」
「どっから出てくるんだお前は!」
突然茂みの中から現れた天坂に引っ張られて、メガネ女の後を追った。
――ドアを少しだけ開けて中を覗いてみると、誰もいない視聴覚室に、メガネ女ともう一人の女子生徒が立っていた。
「あの子は確か、C組の黒木レナちゃんだよ」
と、天坂が小声で言った。
さすが女子には詳しいな。俺は全く見覚えがなかった。
「――黒木さん、あなたですね。恭一様に水をかけたのは」
メガネ女の凛とした声が視聴覚室に響いた。
「あと、王子の靴箱を汚したのも、ロッカーの中のジャージや教科書をめちゃくちゃにしたのも黒木さんですよね?」
「はあ? 何言ってんのアンタ。証拠でもあんの?」
「証拠ならここに」
メガネ女がケータイを差し出し、黒木に画面を見せた。
「わ、私は開けただけ! 私が開けた時にはもうあんな風になってたのよ! 私はただ、高宮君のロッカーにラブレターを入れようとしただけ! 私はやってないわよ!」
あの黒木という女が俺のロッカーを開けている写真でも見せたのだろうか。黒木は明らかに動揺しているが、「私はやってない」の一点張りだ。
「昨日の深夜、恭一様の自宅の外壁に落書きしたのは、あなたの元カレですよね?」
「……はあ?」
「落書きは私がすぐに消しておきましたけど。あれは黒木さんが、中学時代の元カレに頼んでやらせたんですよね?」
「言いがかりはやめてよ。証拠あんの?」
「はい。ありますここに」
メガネ女がまたもやケータイを差し出した。
「な、なにこの写真、どうやって撮ったの?!」
「王子の自宅前で一晩中張り込んで撮影しました。あなたの元カレが落書きしてるとこ、きれいに写ってるでしょう?」
「し、知らないわよ。私カンケーないから!」
「元カレさん、元暴走族なんですってね。どうして別れちゃったんですかあなたとすごくお似合いなのに」
「だからもうカンケーないんだってば! 今はもう会ってないし!」
「元カレさんが証言してくれましたよ」
メガネ女がケータイを操作すると、男性の声が流れてきた。
『――いででででッ! そうだよレナに頼まれたんだよ! なんか弁当断わられて恥かかされたから復讐して欲しいって……や、やめろバカ、それだけはっ、た……助けてく』
プツリ、とそこで音声は途切れた。
「な……ッ、なに今の、あんたアツシに何やったの?!」
「少々手荒い方法でお話を聞いただけです。大丈夫です死んでません。入院くらいはしたかも知れませんが」
「なによそれ! あんた頭おかしいんじゃないの?!」
「それはこっちの台詞です。手作り弁当を受け取ってもらえなかったくらいでここまで嫌がらせしますかねフツー」
そこで俺はやっと思い出した。
あの黒木とかいう女は、俺に手作り弁当を押しつけてきて、断わった腹いせに弁当箱投げつけてきたあの女だ。
「黒木さん、二度と恭一様に危害を加えないと約束して下さい。でなければこの証拠を警察に持って行きます」
黒木は黙ったまま動かなくなった。
どうするか考えているのだろう。
不穏な空気になにやら危険を感じた俺は、視聴覚室に入ろうとしたが――
「――ナメんなこのメガネ!!」
黒木が突然メガネ女に飛びかかった。ケータイを奪うつもりだ。
しかしメガネ女はほんの少し身体を動かしただけでそれをかわし、ついでに黒木の足首辺りを軽く蹴ると、黒木は前のめりに勢いよく転倒した。
「――黒木さん」
倒れた黒木の元へ、メガネ女がゆっくりと近づいていく。
「私、恭一様以外の人間は老若男女問わず石ころに見えるんです。だから……」
黒木の顔近くに立ち、メガネ女は仁王立ちで見下ろした。
「だから、何のためらいもなく木っ端微塵に粉砕できます」
今まで聞いたことのない、とんでもなく威圧的な声だ。
「今度恭一様に近づいたら、あなた終わりです」
黒木はメガネ女の顔を見上げて、ガタガタと身体を震わせた。
そりゃそうだろう。
大女優の血を受け継ぎ、数々の舞台で主役を張れる天才女優の本気オーラを目の当たりにしてしまったら、一般人などひとたまりもない。
「――さっきの真知子ちゃん、超かっこ良かったああー!!」
バレないように視聴覚室を後にして、渡り廊下まで歩いてきたところで天坂が興奮気味に叫んだ。
「すんごい迫力だったよね! なんかもう別人みたいだったよね!」
「そうだな」
「やっぱアレかな? 愛の力ってやつかな!」
「知らねえよ」
「そう言えば真知子ちゃんてさ、あの沢真理子の娘だって知ってた?!」
「お前うるさい」
「あ、小池君だ」
前から小池が歩いてきた。
そう言えばコイツさっきフラれたんだっけか。
「小池君、残念だったよね。でもまた次の恋があるよ!」
天坂がそう言って小池の背中をぽんぽん叩いたら、意外にも小池はにこりと嬉しそうに微笑んだ。
「僕、立花さんのこと、もう少し頑張ってみようかなと思うんです」
「え?」
俺と天坂は互いに顔を見合わせた。
「だって、なんか、石ころとか言われてよく分からなかったし、僕と立花さんてまだあまり話したことなかったから、これからもっと仲良くなったら恋愛対象として見てもらえるかも知れないと思って。だから僕……」
「――小池君」
楽しそうに話す小池の肩に、俺はそっと優しく手をかけた。
「小池君、悪いけど、アイツのことはあきらめてくれるかな?」
「え、ど、どうしてですか高宮君……」
「それはね――」
誰にも見せたことのないくらい極上のスマイルを作って小池に微笑みかけた。
「――俺が不愉快だから?」
小池はみるみる青い顔になって、そのまま走って逃げて行った。
メガネ女の忠告も踏まえてなるべく穏便に優しく言ったつもりだったのだが。俺の笑顔ってそんなに怖いのか。
「……びっくりした。恭ちゃんて、笑いながら怒れる人だったんだね」
「お前が言うなよ。ハッキリ言ってお前の笑顔の方がよっぽど胡散臭いからな」
「あ、見て恭ちゃん、校門のとこで真知子ちゃんが待ってるよ」
言われて見てみると、校門前でメガネ女がこちらに向かって手を振っている。
「うふふふふふどうすんの恭ちゃん」
「は? なにが?」
「いやだってさ、真知子ちゃんが今回色々頑張ってくれたワケでしょ。今から熱烈にお礼を言ったり熱烈に愛を叫んだりするんじゃないの? 僕あっち行ってようか?」
「言わねーよ礼なんて」
「え、言わないの?!」
「言わない」
「なんでッ?! 一晩中張り込んだり、すごい頑張ってくれたのに?!」
「だってアイツ、俺の従者だろ。従者が王子に尽くすのは当たり前だろーが」
「うわ、すごい俺様発言」
「俺様じゃなくて王子様だろ」
「自分で言っちゃう?」
「本当のことだからな」
あの女の嫌がらせを俺に気づかせないようにやってくれたんだから。
俺は何も知らないままでいるのが礼儀だろう。
「――恭一様っ!」
メガネ女が嬉しそうに俺の元へ走ってきた。
「駅前に美味しいたい焼き屋さんが出来たんですよ、帰りに食べませんか?」
「甘いモン嫌いだって言ってんだろ」
「ええー、たい焼きもダメなんですか」
「砂糖なしなら食う」
「砂糖なしのたい焼きなんて存在しませんよー」
「じゃあお前が作ればいいだろ」
「え」
メガネ女がマヌケ顔でフリーズした。
「え、わ、私の手作りとか、王子はそういうのアリなんですか?」
「アリも何も、お前は俺の従者なんだろ。だったら王子のために身を粉にして尽くせ」
コイツのことは分からないことだらけだけれど、ウダウダ悩むのは性に合わない。
視聴覚室で、黒木と対峙していたメガネ女を思い出す。
あれほどの覚悟で従者をやっているのだから、俺もそれに応えるまでだ。
「わ、わわわ分かりましたあ! 王子の命を受けて砂糖なしのたい焼きを作ってみせますであります!」
メガネ女がビシッと敬礼した。
ほんとワケ分かんねー女だな。
俺は思わず噴き出した。
お前がそこまで徹底しているなら、俺だって徹底的にやってやるよ。
「……でもさあ、恭ちゃん」
天坂が俺にすり寄ってきた。
「なんだよ気持ち悪いな」
「たい焼き作れっていうのはさ、どっちかっつーと王子様っていうより旦那様ってカンジだよね?」
天坂がニヤリとほくそ笑んだ。
「うるせえなほっとけよ」
俺は何も間違っていない。
……たぶん。
第3話「メガネの本気」end