1
「知らないヤツの手作り弁当とか気持ち悪くて食えるワケねーだろ」
俺は何も間違ってない。
誰もいない校舎裏に呼び出され、見知らぬ女子生徒から「一生懸命作りました」と弁当箱を渡されたら誰だってこう言うだろう? 俺は絶対に間違ってない。
目の前の女子は俺の言葉を聞いて怒りでわなわなと身体を震わし、顔を真っ赤にして、一生懸命作ったという弁当箱を俺に向かって思い切り投げつけてきた。
ああまたか、俺は来るべき衝撃に目を閉じた。だが――
「――危ない、王子っ!!」
俺に衝撃は来なかった。
どこから飛び出してきたのか、メガネ女の顔面に弁当箱は直撃した。
「――大丈夫か……?」
「全然だいじょーぶですよ! 王子をお守りするのが従者の使命ですから!」
メガネ女は赤くなった額をさすりながらへらへらと笑った。
正しくは、今はメガネ女ではない。
投げつけられた弁当箱は、俺の前に飛び出してきたメガネ女の顔面にぶつかり、メガネをまっぷたつに砕いたのだ。
なので今は、メガネをかけずに歩いている。
「悪かったな、その、俺のせいでメガネ……割れちまって」
駅までの帰り道、俺が謝るとメガネ女は「めっそーもございません!」と首を左右に高速で振った。
「あのメガネはダテなのでお気になさらず!」
「……なんでダテメガネなんかかけてんの?」
「ああ、まあ……何と言いますか私、母親似だから、なるべくこう……顔を隠したいと言いますか……」
そうだった。こうして話してると忘れがちだが、コイツの母親は女優の沢真理子。
日本を代表する実力派女優で、もちろん顔もスタイルも抜群だ。つい最近も主演女優賞を受賞しているのをテレビで見た。
その大女優と顔が似ているなんて、女なら誰でも自慢したくなるはずだが、コイツの場合は逆らしい。
「中学の時は全然隠さず生活してたんですけど、そのおかげで色々と大変な目に遭って、最後辺りはほとんど登校しなかったんです」
何があったのかは知らないが、楽しい中学生活じゃなかったということは、コイツの沈んだ表情を見れば一目瞭然だった。
メガネなしで歩いているせいか、通行人がちらちらとメガネ女のことを見ている。中にはうちの学校の生徒もいて、こちらを指さして何か話している奴もいる。女優の沢真理子に似ている、とでも言っているのだろうか。
「もう二度とあんな思いはしたくないので、高校では絶対に目立つまいと心に誓い、ダテメガネをかけたのですよ!」
「逆高校デビューだな。でもお前かなり目立ちまくってるけど?」
「え、そうですか? いやまあ王子の隣にいたらそりゃ目立っちゃいますよね~」
「俺のせいにすんなよ。紙吹雪撒き散らしたり従者とか宣言したり、お前の行動そのものが目立ちまくってんだよ」
「そーなんですよねー。高校では地味に暮らしていくつもりだったのに、王子のピンチに居ても立っても居られなくなっちゃって」
「俺がピンチ? いつ?」
「ピンチだったじゃないですか。女子三人に囲まれてあれこれ言われて。私、王子が高校やめちゃうんじゃないかってヒヤヒヤしたんですから」
そんなこともあったか。
確かにあの時、俺は高校をやめようとしていた。
コイツが現れなければ。
「今日だってそうですよ王子、女の子にあんなヒドイこと言ってはいけません。断わるにしたってもっと優しく断わって下さい」
「いや断わる時点で優しくねーんだから。ハッキリ分からせてやった方がいいだろ」
「だめです! このままじゃ敵だらけになっちゃいますよ!」
「別にいいけど」
「よくありません!」
メガネ女が左手を腰に当てて、右手でビシッと俺を指さした。
「いいですか王子、王子には楽しい高校生活を送って欲しいのです。王子は顔も頭もバツグンなんですから、口調さえ優しくすればバラ色のスクールライフになるはずですよ?」
「やなこった」
「こら、人の話は最後まで聞いて下さい!」
「お前従者のくせに生意気」
「従者だって説教くらいします!」
「うるせえ」
ぎゃあぎゃあ喚くメガネ女を無視して俺は歩き続けた。
何が優しく断われだ。
無理におべんちゃら並べて楽しい生活なんか送れるか。
俺は何も間違っていない。
たぶん。
「――というわけだからさ恭ちゃん、協力してあげてよ」
「何がというわけなんだ? 全然分からんしなぜお前はここにいるんだ?」
翌日の放課後、光の王子様こと天坂光輝が俺の席までやってきた。見知らぬ男子生徒を一人つれて。
「だからね、彼が好きな女の子を映画に誘いたいんだけど勇気が出ないんだって。こちら僕と同じクラスの小池君でーす」
「は、はじめまして、B組の小池優太です」
小池とやらが俺に向かって頭を下げた。丸いメガネをかけて、いかにも内気そうな小柄な男子だ。
いや突然挨拶されても俺こんなヤツ知らねーし。
「女の子の誘い方とか恭ちゃん得意でしょ? 小池君に伝授してあげてよ」
「得意じゃねーよ」
「同じ学校の仲間が困ってるんだから、力になってあげようよ」
光輝様ってば優しい~! さすが光の王子様! かっこいい! と、廊下で叫んでいる女子生徒の集団に向かって天坂が笑顔で手を振ると、女子の悲鳴がさらに大きくなった。
一体なんなんだこれは。
何の罰ゲームだよ。
この小池ってヤツの恋路なんか俺に全く関係ないだろ知るかよ。
〝王子には楽しい高校生活を送って欲しいのです。王子は顔も頭もバツグンなんですから、口調さえ優しくすればバラ色のスクールライフになるはずですよ?〟
昨日のメガネ女の言葉を思い出した。
優しくってどうすりゃいいんだ。
俺には全然分かんねーよ。
「……直球で行くのが一番なんじゃねーの」
ぽつりとそれだけ言って、立ち上がった。
これで充分だろ。俺の精一杯の優しさだ有り難く受け取れ。
鞄を手に取って立ち去ろうとしたが、
「良かったね小池君! 恭ちゃんがアドバイスくれたよ!」
「は、はい、高宮君にそう言ってもらえたらなんか勇気が出てきました!」
「だよねー! 氷の王子様直々のアドバイスだもん嬉しくなっちゃうよね!」
「はいもちろん! あの高宮君に応援してもらえるなんて千人力ですね!」
「よし! じゃあ有言実行しよう! 恭ちゃんも早くこっち来て!」
ハイテンションな天坂に腕を捕まれ、強引に引きずられた。
「……なんで俺まで」
「ちょっと恭ちゃん、もうちょっとしゃがんでよ。君はただでさえ目立つんだからさ」
校舎裏の茂みに、天坂と一緒に隠れるハメになった。
今から、あの小池というヤツの想い人がここへ来るらしい。
小池がそわそわと待っている姿を茂みの陰から見守る。
なんで俺までこんなことにつき合わなくちゃならねーんだ。だから嫌なんだよ。ちょっと優しくするとコイツらすぐつけあがるから。
「――小池君? どうしたのこんなとこに呼び出したりして」
驚いた。
小池の元へやって来たのはなんと、メガネ女だった。
どういうことだこれは。
メガネ女が来た途端、小池が真っ赤な顔になったところを見ると、これはあれか、小池の好きな女ってのは、メガネ女だったのか。
「あれあれ? どうしたの恭ちゃんコワイ顔になっちゃって」
「……お前、ワザとだろ」
「え? なになに? なんのこと? どうしたの? 何か不都合でもあった?」
きらきらと嬉しそうに笑う天坂の憎たらしい顔は後でボコることに決めた。
しかし今はそれよりも――
「あ、あの、立花さん、今度の日曜日に僕と……」
小池が二枚のチケットを差し出したのを見た瞬間、腹の底から何かがものすごい勢いで込み上げてきた。
「――ちょっ……ちょっと恭ちゃん何やってんの!」
天坂の声に、はっと我に返った。
気がつけば俺は茂みの中から立ち上がっていた。
「……王子?」
メガネ女も、突然現れた俺に驚いている。
「突然飛び出してどうしたの恭ちゃん!」
足元で天坂が俺のズボンを引っ張っている。
どうしたのと言われても、俺だってどうしたのか分からない。
不思議そうに俺を見つめるメガネ女の視線に耐えられず、俺は何も言わずにその場を立ち去った。