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「大変そうだね真知子ちゃん。僕が運んであげるよ」
まただ。
今日は一体これで何回目だろう。
メガネ女が抱えている大量のプリントを、天坂光輝がひょいと取り上げた。
「うわあ、ありがとうございます光輝様!」
「お礼なんていいよ。女の子に重たい荷物運ばせるわけにはいかないからね」
「光輝様は王子というより紳士ですね!」
「真知子ちゃんにそう言ってもらえて嬉しいよ」
あれ以来、ずっとこうだ。
学校の至る所で、天坂光輝がメガネ女に話しかけている。
メガネ女が黒板を消そうとすると天坂が代わりに手伝い、メガネ女が教材を運んでいると天坂が代わりに運び、メガネ女がグラウンドに白線を引いていると天坂が飛んできて一緒に作業する。
たぶん俺に見せつけたいのだろうけど、いくら何でもあからさますぎないか?
ていうか別に俺はメガネ女とつき合っているわけじゃないし、ちょっかい出されたところで痛くも痒くもないんだけどなあ。天坂の勘違いを誰か何とかしてやってくれ。
「見て下さい王子ー! 激レアグッズを入手しましたあ!」
天坂がメガネ女にちょっかいを出し始めて数日経ったある日の放課後、俺のところへメガネ女が満面の笑みでやってきた。手に持っているのは小さなぬいぐるみ。
「なんだその人形」
「これはですね、『召しませ☆食べごろプリンス』に登場するキャラクターのぬいぐるみです!」
「ああそう」
「何がすごいって、このぬいぐるみは『召しませ☆食べごろプリンス』をテーマにした期間限定コラボカフェでしか手に入らないんですよ!」
「へえ」
「しかもカップルで来店した人しかもらえないんですよ!」
「ふーん」
「私、男友達とかいないので、一緒につき合ってくれた光輝様に感謝感激ですよ!」
「……は?」
なんか今、理解できない単語があった気がする。
何て言った?
誰に感謝感激?
「どうしたんですか王子」
「……今、何て言った?」
「ええと、どうしたんですか王子?」
「いやそうじゃなくて。誰かに感謝がどうのとか」
「ああ、光輝様とね、『召しませ☆食べごろプリンス』期間限定カフェに行ってきたんですよ。それでこのぬいぐるみをゲットできましたエヘヘ」
「いやいやいや、なんで天坂と行ったの?」
「行ったというか……たまたま偶然、カフェの前でばったり会ったんです。本当は私一人で入ろうと思ってたんですが」
「一人で入ればいいじゃん」
「光輝様が『一緒に入ろうか』って言って下さったので」
「だからってなんで一緒に入るんだよ」
「だってカップルじゃないともらえないんですよこのぬいぐるみは」
「だからってなんで天坂と入るんだよ」
「いやですから、カップルで入らないともらえないんですってば!」
「だからってなんで天坂と入るんだよ」
「でーすーかーら! このぬいぐるみゲットするためには男性と入らないといけないんですってば!」
「なんで俺じゃねーの?」
自分の言葉に自分で驚いた。
ものすごく自然に口から出たので、何を言ったのか自分でも一瞬分からなかった。
俺と同じく、ぽかんとした顔で固まってるメガネ女を見て、盛大に後悔した。
「……ちょ、ちょっと王子……」
メガネ女の制止も聞かず、無言できびすを返してその場を立ち去った。
何を口走ってるんだ俺は。
どうかしてしまったのか俺は。
きっとどうかしてしまったんだ。
こういう時はどうすればいいんだ。
「――やあ高宮君。ちょっと顔貸してくれる?」
階段のところで天坂光輝に捕まった。
どうして嫌なことってのはこうも重なるのか。
「どうだい? あっという間に真知子ちゃんも僕の物になったでしょ?」
今は使われてない、古い放送室に連れ込まれた。
人が最悪な気分だというのに天坂はいつもにも増してキラキラと眩しい笑顔を見せる。
「高宮君、自分の負けを素直に認めなよ」
「負けって何のことだ」
「高宮君は優秀かも知れないけれど、人の上に立つ才能がない。人の心をつかんで扇動するカリスマ性がないんだよ」
「お前は政治家にでもなりたいの?」
「そんなもんじゃない。もっと上だ。もっと上を目指しているんだよ僕は」
天坂がニヤリと不気味な笑みを浮かべた。
お前が何を目指そうが知ったこっちゃない。好きにやってくれ。頼むから俺を巻き込んでくれるな。とにかく俺は今頭が混乱してるんだ放っておいてくれ。
「だから高宮君も僕の家来になりなよ。そうしたら許してあげる」
「お前に許しを請う必要がないんだけど」
「あっそう。じゃあしばらくここで頭を冷やすといいよ」
天坂光輝がくるりと背を向けてドアに手をかけようとした途端、
「……しまったあああああああ!!」
突然、天坂が頭を抱えて雄叫びを上げた。
「高宮君だけをこの部屋におびき寄せて閉じ込めて吠え面かかせる予定で内側からドアが開かないように細工しておいたのに僕まで入ってドアを閉めてしまったああああああ!!」
苦渋の表情で叫びながらなんかものすごい説明してくれてる。
よく分かんねーけどコイツの変顔がとにかく面白い。
「どうしよう高宮君! どどどうしよう高宮君! 部屋から出れなくなったよどうしよう!」
「いや、どうしようって言われても……」
ドアを見てみれば、本来あるはずのドアノブがなく、その部分にセメントが塗り込まれている。天坂がやったのだろう。ドアは鉄製で、ちょっとやそっとじゃぶち破れそうにない。ちなみに窓もない。
「……無理だなこれは。向こう側から開けてくれるのを待つしかないな」
「こんなとこ誰もこねーよ! ああそうだ、ケータイだ、ケータイで誰かに連絡を……あ、あれ……?」
「どうした?」
「……圏外だ」
天坂が自分のケータイ画面を見て顔面蒼白になった。
もしやと思って確かめてみたが、やはり俺のケータイも圏外だった。
「どどどうしよう、どうしよう高宮君! なんとかしてよ!」
「んなこと言われてもなあ……」
「このまま誰にも気づかれなかったら、夜になっちゃうんじゃないのか?!」
「かもな」
「明日は休みだから発見されるのは月曜日……いや、こんな使わない放送室なんていつまで経っても誰も来ないんじゃ……」
「かもな」
「うわあああああ誰か助けてくれええええええ!!」
天坂がドアを叩きながら叫び声を上げる。
ここ防音だから叫んでも無駄だよと言いかけて俺は思いついた。
「放送室なんだから、放送すればいいんじゃね?」
その辺にあるスイッチを手あたり次第に入れてみた。
しかし何の反応もない。
部屋の電気だけは点くが、放送用の機材には電気が一切通っていないようだ。これは残念。
他に手立てはないかと考えていたら、床に項垂れていた天坂が急に何かを思いついたように顔を上げた。
「――そうだ、僕の従者たちが見つけてくれるに違いない!」
「だといいな」
「きっとそうだ、あいつらはいつでもどこでも朝から晩まで僕のことだけを見つめて僕のことだけを考えているから、僕の緊急事態にすぐ気がつくはずだ!」
「だといいな」
「僕のように華のある輝かしく眩しい目立つ存在がいなくなったらみんな探し回るに決まってる!」
「だといいな」
――軽く三時間が過ぎた。
おそらくほとんどの生徒が下校してしまっただろう。
「ちっきしょおおお! あのメスブタどもめ! 常日頃優しくしてやってんのに恩を仇で返しやがってクソが!」
天坂が地団駄踏みながら喚き散らした。
「なーにが光輝君の家来にして下さいだ! なあーにが私たちは光輝様の従者ですだ! 肝心な時に役に立たねえ従者はいらねえんだよ! あのブスども全員ぶっ殺す!」
「口悪いねお前」
「すましてんじゃねーよ高宮お前もだよ! お前のあのメガネ従者も全然探しにこねーじゃねえか! 餌づけに失敗したな! 大損だったなご愁傷様だ!」
「別に餌づけした覚えはねーよ」
「はあ? じゃあなんだよ、何のメリットがあってあんなダサイ女つれて歩いてたんだよ!」
「メリットなんて特にねーよ」
「なにそれ。お前あの女に惚れてんの?」
――はあ?
今、何て言った?
俺がメガネ女に惚れてる?
なんで?
そんなことあるはずがない。
だって、
だって……
あれおかしいな。
何にも言い訳が思い浮かばない。
どうしてだろう。
俺があいつに惚れていないという証拠は山ほどあるはずなのになんで一つも思いつかないんだ。
思いつかないというこはアレか、
もしかしたら、
ないのか、
言えないのか、
惚れてるのかと聞かれて、
惚れていないと断言することが、
俺にはできないのか。
「……は、ははっ、……あははははははははははっ!」
いったん笑い出すと、ケイレンみたいに止まらなくなった。
天坂が怪訝な顔で俺を見ているがお構いなしに俺は笑い続けた。
だっておかしいじゃないか。
おかしいに決まってる。
この俺が、
自分で言うのもなんだがこの俺様が、
あんなメガネ女がタイプだったなんて、
そんなこと俺も知らなかったんだから。
「――ごめんね高宮君。僕のせいでこんなことになって」
あれからさらに二時間ほど経ち、まもなく午後九時になろうかという頃。
放送室の隅で膝を抱えていた天坂がしおらしい声で謝ってきた。浮き沈みの激しいヤツだな。
「高宮君、僕のこと怒ってるでしょ」
「いやー、まあー、怒ってるというよりお前のマヌケっぷりに呆れてるというか……」
「え、怒ってないの?」
天坂が急に大きな瞳をキラキラと輝かせて近づいてきた。
「高宮君て優しいんだね!」
「ちょ、あんま近づくなキモイ」
「高宮君のこと、これから恭一君て呼んでもいいかな?」
「好きにしろよ」
「じゃあ恭ちゃんって呼んでいいかな」
「気持ち悪いからやめろ」
「恭ちゃんて冷静だね。こんなとこに閉じ込められてるのに」
「気持ち悪いからやめろって言ってんだろ」
「僕なんか怖くて仕方がないのに。どうして恭ちゃんはそんなに落ち着いてるの?」
「どうしてって……」
そう言えばどうしてだろう。
自分でもよく分からないが、きっと、たぶん、心のどこかで、信じているんだ。
信じたいんだ。
だから落ち着いているんだ。
信じたいから。
信じているから。
だから堂々としていなくちゃいけない。
俺はいつでも毅然としてなくちゃいけない。
だってアイツは言ったから。
〝王子が王子である限り、私は王子の従者ですよ〟
確かにアイツはそう言って笑った。
だから俺も笑っていられる。
「俺の従者はな、一味違うんだよ」
俺がそう言ったと同時に、ガコンと重いドアが開いた。
「ここにおられましたか王子ーっ!!」
開いたドアの向こうに、全身泥だらけでずぶ濡れのメガネ女が立っていた。
「遅せぇよ従者のくせに」
俺はそれだけ言って放送室から廊下へと出た。
天坂は嬉し涙と鼻水でぐしゃぐしゃになりながら廊下に這いずるように出てきた。
「遅くなって申し訳ございません! 王子の鞄が自席にあるしスニーカーも靴箱にあるから絶対校内にいるはずだと思ってあちこち隈なく探し回っていたら思いの外時間がかかってしまいました! この学校広いですねー!」
「つか、お前なんで全身ずぶ濡れなの?」
「王子がプールの底に沈んでたら大変だと思って潜水してみました!」
バカじゃねーのお前、と言おうとしたが、なぜだか言葉にならなかった。
「ところで僕の家来たちはどこ? みんな僕のこと心配して探し回ってるんでしょ?」
天坂が期待に満ち溢れた瞳で辺りを見渡したが、メガネ女の「校内にはもう誰もいませんよ」の一言でガクリと床に崩れ落ちた。
「さあ帰りましょう王子」
ずぶ濡れのメガネ女が俺の鞄を差し出してきた。
しかし俺はそれを受け取ることができなかった。
「……どうしました王子? 早く帰らないとおうちの方も心配されますよ」
こういう時はどうしたらいいんだ。
お礼を言えばいいのか。
謝罪をすればいいのか。
ひとまず上着でも貸すべきか。
いやそれよりタオルか何かで身体を拭いた方がいいんじゃないか。
しかしタオルなんて持っていない。
ちくしょうこんな時にまるで役立たずじゃないか俺。
「そうだ私、王子に謝らなくてはいけません」
俺が何もできずに突っ立っていたら、急にメガネ女がぺこりと頭を下げた。
「ごめんなさい!」
「え、な、なんでお前が謝るんだよ」
「だって、だって私……王子の気持ちに全然気づいていませんでした」
泣きそうな表情をされて心臓がドキリと跳ねた。
俺の気持ちって何だ。
何のことだ。
気づいていませんでしたって、そんなもん俺だって気づいていなかったんだ。
「王子の気持ちに気がついてなくて、それで私、王子を傷つけるようなことを……」
「いや、ちょ、ちょっと待て」
「気づかなくてごめんなさい王子」
「いや、謝られても……」
「これを差し上げますから許して下さい!」
メガネ女が突然ぬいぐるみを差し出してきた。
これはあの、カップルじゃないと入手できないという、なんとかってキャラクターの。
「まさか王子が『召しませ☆食べごろプリンス』の隠れファンだったなんて全然気づいていませんでした! 限定カフェに王子をお誘いせず、自慢ばっかりしてごめんなさい、このぬいぐるみをあげますから許して下さい! あとアニメイト限定ティッシュボックスもセットで差し上げますどうぞお納め下さい!」
ぬいぐるみとティッシュボックスを押しつけられた。
なんだこれ。
全然いらねえんですけど。
「見て下さい王子! ついに手に入れましたよ~!」
良く晴れた昼休みに、メガネ女がチケット片手に教室に飛び込んできた。
「王子のためにゲットしました! 実写映画公開記念『召しませ☆食べごろプリンス』原画展のチケットです! 今度の休みに一緒に行きましょうね! 映画ももちろん観ましょうね!」
「……いや、あのさ、そのことなんだけどさ」
「恭ちゃんと僕の初デートか楽しみだなあ~!」
「なんで天坂も来るんだよ。てかなんで当然のようにここにいるんだよ」
メガネ女と天坂がキラキラした表情で「待ち合わせどこにします?」「なに着ていく?」などと嬉しそうに相談を始めた。全然人の話を聞かないところはコイツら共通してるな。
「原画展の入場者は全員オリジナルポストカードがもらえるんですよ! 楽しみですよね王子!」
嬉しそうにはしゃぐメガネ女を見て、まあこういうのもアリかなと笑ってしまう俺は、やっぱり頭がどうかしているに違いない。
第2話「光の来襲」end