1
「――氷の王子様が来たわよ!」
登校する度に女どもが群がってくる。入学してから毎朝ずっとこの調子だ。
「おはようございます王子! これ受け取って下さい!」
「クッキー作ったんです食べて下さい!」
「お弁当を作りました!」
「握手して下さい!」
「一緒に写真撮ってくれませんか?」
「これ、あたしのケータイの番号です!」
女子生徒の黄色い声に、以前なら頭痛がしているところだが、今は――
「はいはいはいはい下がって下さいお触りはナシですよ王子へのプレゼントはこの箱の中に入れて下さいね~」
女どもから受け取ったプレゼントをダンボール箱の中にひょいひょいと投げ込み、満杯になったダンボールを台車に載せてガラガラ押しながらにっこりと微笑むのは、
「本日の贈り物はいつもにも増して多いですね王子!」
従者気取りのメガネ女。
一年D組、立花真知子。
どでかい丸メガネにおさげ髪という冴えないビジュアルだが、これでも大女優と有名映画監督の娘なんだそうだ。今朝も俺の後ろにぴったりひっついて台車を押しながらにこにこ上機嫌で校舎へと向かう。
「民からの人気があるというのは、一国の王子として素晴らしいことですね!」
「王子じゃねーよ。つかお前、いつまで俺の従者やってんの?」
「はい? 何言ってるんですか王子。王子が王子である限り、私は王子の従者ですよ」
「そういうの全部こないだの舞台の役作りだったんだろ? 舞台終わったんだから、もう従者気取りはいいんじゃねーの?」
「それは誤解です王子ッ!!」
「いてーよ。台車が俺の足を轢いてるよ」
メガネ女が俺をビシッと指さした。
「私は役作りで恭一様の従者になったワケではありません!」
「痛いって。足踏んでるって」
「私は根っからの主従マニアなので舞台の役作りとは関係なく恭一様の従者になりたいと入学した時からずっと恭一様を陰から観察し続けておはようからお休みまで恭一様のことを妄想し続けて密かにチャンスを窺っていたのです!」
「そんなカミングアウト聞きたかねえよ足が痛いんだよ」
「しかし母の仕事関係の都合やら私の劇団活動やらアニメイベントやらで入学早々休みがちになり、なかなか王子にお近づきになれなかったのです」
「アニメイベント優先はだめだろ。いいから台車をどけろ」
「でもめでたくこうして王子の従者になれて私は幸せです! さあ王子! なんなりとお申しつけ下さいませ!」
「台車をどけろって言ってんじゃん」
「ああはいはいすみませんねー」
やっと台車を動かしてくれた。
従者だと豪語する割に全然俺の言うことを聞かないのはなぜなのか。
「あっ、ごめんなさい!」
突然メガネ女が誰かに謝った。どうやら台車をぶつけたらしい。
登校してくる生徒で溢れ返る昇降口で台車を押せば、当然そうなるに決まってる。ドンクセー女だな。
「――僕は大丈夫だよ。それより重そうだね。手伝おうか?」
きゃー! 優しい! 素敵! とその場が騒然となった。
爽やか笑顔で現れたのは、長身の男子生徒。
ゆるくウエーブした亜麻色の髪に、大きな瞳が印象的な男子だ。
「い、いいえ! めっそうもありません大丈夫です!」
メガネ女が一気に顔を赤くした。
男子生徒は台車をぶつけられたのに怒りもせず、穏やかな笑顔で去っていく。そいつの周りには、大勢の女子がくっついていて、「やっぱり光輝君は優しくて素敵ね!」などとはやし立てている。
「いやあ~、さすが光の王子様ですね。今朝も光り輝いていますねえ!」
メガネ女がうっとりとため息を漏らした。
「光の王子様って何だ?」
「あれ、知らないんですか。有名人なのに」
「知らねえ」
「一年B組の天坂光輝様ですよ。才色兼備でお人柄も良く、学校中から愛されてる人気者なんですよ」
「へえ」
「学業では恭一様がズバ抜けているので、光輝様は残念ながら万年二位ではありますが、光輝様は誰にでもお優しい人格者なので人間性では学校一位ですね!」
「悪かったな人間性が学校最下位で」
「やだなあ王子ってば謙遜しちゃって。いくらなんでも最下位じゃないですよ下から十番目くらいじゃないですかね?」
「うるせえよシバくぞ」
「恭一様が人を寄せつけない孤高の氷の王子様と呼ばれているのに対して、光輝様はみんなを温かく包む光の王子様と呼ばれているんですよ」
「興味ねーよ。さっさと行くぞ」
氷の王子だの光の王子だの、勝手に変な呼び名つけて騒ぎやがってバカじゃねえの。
うんざりしながら廊下を歩いていたら、メガネ女が急に後ろから俺のシャツを引っ張った。
「なんだよ」
「歩くの早いですよ王子っ!」
「お前がトロいんだろ」
「あのですね王子、今日の放課後は私、劇団の稽古があって急いで下校しないといけないので、王子のお供ができないんですよ」
「あっそ」
「私がいなくてもちゃんと一人で帰る準備して下さいね」
「当たり前だろ」
「お腹を冷やさないようにして寝るんですよ」
「お母さんか。なんで寝る時の心配までされなくちゃなんねーんだよ」
「来月また舞台に出るんですが、この間みたいに赤いバラの花束抱えて出待ちしてくれますよね!」
「しねーよ」
「ええー!! なんでですか! じゃあ代わりにコスプレして下さい!」
「意味分かんねーよ。絶対しねーよ」
「今私がハマりまくっている乙女ゲーム『召しませ☆食べごろプリンス』が漫画化アニメ化実写ドラマ化される超人気作品なのですが、これに登場するキャラクターに恭一様がクリソツなんですよハアハア!」
「気持ち悪いからあんまり近寄るな」
漫画本を握りしめて鼻息荒くするメガネ女はどっから見てもただの変態で、著名人の一人娘だという事実を疑いたくなる。
メガネ女の両親のことは、入学早々、一部の生徒の間で話題になったらしいが、コイツの残念な見た目とキャラクターのせいで今はすっかり忘れ去られているようだ。
「――では王子、そろそろ一時間目が始まってしまいますので本日のランチを私に命令して下さいさあ早く!」
「サンドイッチとコーヒー」
「きゃーかっこいい! 命令する王子って素敵です! ジャムドーナツとお汁粉ですねかしこまりましたあっ!」
「いっぺん頭カチ割ったろか」
ではまた後ほどー! と手を振って走り去っていくメガネ女にため息吐きながら教室へと向かう。
あの調子だとあいつマジでお汁粉買ってきやがるな。
お汁粉をどうやって回避しようかと悩みながらも、心の隅で昼休みが待ち遠しいと思ってしまう俺は頭がどうかしてしまったに違いない。
だから、背後からの陰湿な視線にも全く気づいていなかった。
「――やあ、偶然だね高宮恭一君」
帰り道、一人で大通りを歩いていたら光の王子様こと、天坂光輝と出くわした。
今朝と同じく、周りに何十人もの女子をはべらせている。ハーレム気取りか。
「ごめんねみんな、今日は高宮君と帰るからここまでね」
えーひどぉーい、と文句を言う女子をなだめて順番に帰らせている。
いやいや、俺と帰るって何だ?
そんな約束してないから。
嫌な予感がする俺は急いでその場を離れた。こういう時は逃げるが勝ちだ。
「――高宮君は放課後って何してるの? みんなでカラオケ行ったりしないの? 休みの日はどこで遊んでるの?」
くそ、全然振り切れない。
かなりのハイスピードで歩いているのに天坂光輝は俺の隣にぴったりくっついて離れない。
しかもずっと無視してるのに延々と笑顔で話しかけてくる。どんな鋼の精神力だよ。
「見て! 氷の王子と光の王子が歩いてる!」
「ほんとだ! 超レアコンビ!」
「ダブル王子よ!」
「やだ眼福すぎて失神しそう!」
周りの女子たちが騒ぎ始めたので、適当なところで角を曲がり、俺は足を止めた。
「……ちょっと離れてもらっていいかな」
「どうしたの高宮君」
「お前といると周囲の視線が痛い」
「ああ、みんな高宮君に見惚れてるからね」
「いやお前だろ」
「違うよ高宮君だよ。高宮君はイケメンだしスタイルもいいし声もいいし勉強もスポーツも学年トップだし家は資産家だし、まさに本物の王子様だもんね。みんなが憧れるのも当然だよ」
ん? なんかすげートゲがあるんだけど。
目の前にいる天坂光輝はさっきまでと同じ爽やかな笑顔だったが、その目は明らかに敵意を含んでいる。
「――あのメガネの女子、高宮君の従者なんだって?」
突然の話題に俺は思わず眉間に皺を寄せた。
メガネの女子、というのはあいつのことか?
「あの子、僕にくれないかな?」
天坂光輝が笑いながら言った。
どういう意味なのか分からない。
というか、貼りつけたみたいな笑顔がだんだん怖くなってきた。
「聞いてる高宮君? あのメガネ女子、僕にちょーだい?」
「……どういう意味だ」
「だって従者とかすごく便利そうだし」
「はあ?」
「高宮君は孤高の氷の王子でしょ。今までずっと取り巻きを作らなかったし。なのに今さら従者とか似合わないよ。どうして気が変わったの? 高宮君は氷の王子様でいてくれなくちゃダメだよ。高宮君は孤独でいるべきだよ」
早口でまくしたてる天坂光輝はもう笑顔ではなかった。
これ以上ないくらいの敵意と嫌悪を剥き出しにした目で睨みつけてくる。
「高宮君は何でも持ってるじゃない。だから従者くらい僕にくれてもいいでしょ」
「何言ってんだお前」
「従者ってパシリみたいな感じ? 何でも言うこと聞いてくれるの? エッチな命令とかも聞いてくれちゃうの?」
「……そういやうちの従者がお前のこと、万年二位って言ってたな」
天坂光輝の目がギラリと光った。
周囲の温度も、何度か下がったような気がする。
「――僕を甘く見てると後悔するよ」
それだけを言い残し、不敵な笑みを浮かべて去って行った。
なんだか妙なヤツだな、くらいに思っていたこの時の俺は、確かに天坂光輝を甘く見ていたかも知れない。