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翌朝、登校すると校門の周辺がいつもと違う雰囲気だった。
人が集まる、という程ではないが、どの生徒も歩く速度を緩めて、遠巻きに何かを見つめている。
みんなの視線の先を辿ってみると、
「おはようございます恭一様!」
校門前に、一人の女子生徒が立っていた。
俺を見つけて、嬉しそうに駆け寄ってくる。
長い髪をゆるくウェーブさせた、大きな瞳の色白美人。
決して派手なメイクではないが、マスカラやファンデーション、薄ピンクのチークがきっちりと施されていて、テレビドラマの中でしか見ないような完璧な美少女だ。
花が咲いたような笑顔とはまさにこれのことだろう。
彼女がにこりと微笑むと、大きな瞳の輝きはさらに増した。
スカート丈も短く、長い足が惜しげもなくさらされている。
つるんとした、むきたてのゆで卵みたいにつややかな足が、朝日を浴びて輝いている。
いや、朝日のせいではない。
この少女は正真正銘、光っているのだ。
この少女が立っている空間そのものが、光り輝いて見えるのだ。
顔やスタイルの良さではなく、身体の内側から光る何かがみんなの視線を釘づけにしている。
それはもう、きっと、科学では証明できない超常現象みたいなもので、そうだこの女は宇宙人に違いない。
「めっちゃ美人! 誰あれ?」
「見たことないけどうちの制服着てるし」
「転校生じゃない?」
「ちょっと誰か声かけてみろよ」
周囲の生徒がざわついている。
みんなはこの美少女に見覚えがないらしいが、俺はよく知っている。
「――ちょっと来い」
少女の手を引いて学校の中へ入った。
校舎裏に連れていき、園芸部が育てている花壇の脇にある水栓のハンドルをひねった。
「ぶわああッ!」
ホースの水を顔面に思い切りぶっかけてやった。
「なにするんですか恭一様!」
「そりゃコッチの台詞だ。なんつー格好で登校してきてんだお前は」
メガネでもおさげでもないメガネ女が、顔面ずぶ濡れで俺を睨みつけてきた。
「何がいけないんですか! 恭一様の彼女としてふさわしい身なりにしてきたんですよ!」
「そんな厚化粧のいかにも頭悪そうなビッチ女を彼女にした覚えはねえんだよ今すぐメガネに戻らねえと彼女から従者に降格どころか破門だ。二度と高宮家の敷居はまたがせねえからな」
「なんてこったあーッ!!」
メガネ女が頭を抱えて雄叫びを上げた。
「もももうしわけございません! もう二度とやりません!」
「分かったらさっさとメガネに戻れ」
「ところで恭一様、身の周りで何か変わったことはございませんか?」
「お前のその格好が今年一番の変わったことだよ」
「ですよねー」
それならイイんですよー、とメガネ女がヘラヘラ笑う。
なに笑ってんだコイツ。
意味分かんねーよ。
ふざけたカッコしやがって。
ホースを片づけようと視線を下げたその時、地面に映る黒い影に気づいた俺は反射的にメガネ女の身体を突き飛ばした。
「――ふぎゃあッ!!」
メガネ女が茂みに頭から突っ込んで妙な悲鳴を上げたのとほぼ同時に、植木鉢が俺の足元で粉砕した。
すぐに見上げたが、ずらりと並ぶ校舎の窓に人の気配は既になかった。
「だ、だ、大丈夫ですか恭一様!」
全身葉っぱだらけのメガネ女がよろよろと駆け寄ってきた。
お前こそ大丈夫かよ。
「な、なんでこんな大きな植木鉢が上から……?」
「自然に落ちてきたワケじゃなさそうだな」
「こんなの当たったら大ケガするじゃないですかあっ!」
「そうだな」
「てゆうか恭一様、よく気づきましたね」
「影が見えたからな」
「いや影が見えてもフツーこんなに素早く動けないでしょう忍者ですか?!」
「お前がトロいんだろ」
えー私フツーですよ恭一様がおかしいんですよー、と文句をたれるメガネ女の横で、俺は地面に散乱した植木鉢を眺めた。結構な大きさの植木鉢なので、男の可能性が高いな。
「恭一様、もし今後も何か危険な目に遭ったら必ず私に言って下さいね!」
メガネ女がこぶしを握り、鼻息を荒くしている。
今はメガネがないので、なんか変な感じだ。
「お前に言ってもなあ」
「なんでですか。恭一様のためなら私は不可能も可能にしてみせますよ!」
「そりゃ頼もしいね」
「はい! 恭一様がピンチの時は例え地球の裏側であってもすっとんで行きます!」
メガネなしの、大きな瞳にまっすぐ見つめられて俺は思わず目を逸らした。
「……さっさとメガネかけろ」
苦し紛れにメガネ女の額にデコピンを一発かましてやった。
「高宮クーン! ボクと一緒にお昼食べようよー!」
昼休みのチャイムが鳴ると同時に、俺の席へ猫王子こと、柚木優真がやってきた。
「高宮クンは何食べるの? ボクは今日はね、E組の女子にもらったお弁当なんだ」
柚木はその辺にあったイスを俺の机に引き寄せて座り、ウキウキと嬉しそうにお弁当を広げ始めた。
いやいや、いやいやいや。
なんでお前がここに来る?
なんで俺がお前とランチせにゃならんの?
「――あっ! 何やってんだお前! 恭ちゃんは僕とお昼食べるんだよ!」
そこへ天坂がやってきた。
いやいや、なんでお前もここに来るんだよ。
お前と約束なんかしてねーよ。
「じゃあ三人で食べようよ!」
柚木がにっこり笑顔で提案した。
いやいや、いやいやいや。
お前らどっちもこのクラスじゃねえのに何ズカズカ教室入ってきてんの?
天坂もイスを持ってきて俺の横へ座り、俺は両側から男子に挟まれるカタチになった。
――最悪なんですけど。
なんで男にぴったりくっつかれてメシ食わにゃならんの?
こういう時に限ってメガネ女はやってこない。
そう言えば今日の午前中はメガネ女を一度も見ていない。
普段なら、休み時間に何かとよくやってくるのだが。
もしかしたら、今朝水を顔面にぶっかけたことを怒っているのだろうか?
アレはさすがにやり過ぎたかな、と後になって少し反省したけど、後悔はしていない。あんなふざけた格好で登校してくるアイツが悪い。
「そうそう今朝ね、校門のトコにすごい美人がいたの、高宮クンも見た?」
柚木の発言に俺はウーロン茶を噴き出しそうになった。
「見たことない女子だから転校生じゃないかって噂なんだけど、知ってる?」
なにそれ知らない、僕も見たかったなー、と天坂が焼きそばパンを食べながら言った。
あんなモン見なくて良かったよ。
天坂ならきっと一目でメガネ女だと気づくだろうし。
俺は無言でサンドイッチを食べ続けた。
「ところで高宮クンてさあ、なんで立花さんなんかとつき合ってるの?」
机に頬杖をついて、上目遣いで柚木が俺を見つめてきた。
こうして近くで見ると、コイツの猫目はなかなかに迫力があるな。
「高宮クンなら女の子選びたい放題じゃない? なんで立花さんみたいな地味な子なのかなーと思ってさ」
にこにこと屈託のない笑顔で結構な毒を吐く猫王子。
うるせえなほっとけよ、と言ってやりたいところだが、どうしたものか。
ちらりと天坂の方を見ると、今にも噛みつきそうな顔で柚木を睨んでいる。
なんでお前がキレてんの?
柚木をライバル視しすぎなんだよお前は。
「それとも立花さんて、ボクの知らないすごい魅力があったりするの? 興味あるなあ!」
教えて教えてー! と、柚木が俺の腕にすり寄ってきた。
天坂が「恭ちゃんにお触りは禁止だよ!」と怒り出したその時、なんだか廊下が騒がしいことに気づいた。
「――お前が高宮か」
俺の席へ、見知らぬ男子生徒が三人やってきた。
一人は、手に竹刀を持っている。
ネクタイのラインが緑色なので、全員三年生なのだろうけど、お世辞にも優等生とは言えない見た目の三人組だ。
「お前、最近チョーシこいてるらしいじゃん。全校集会でも目立ちやがって」
真ん中の、鼻ピアスしてる金髪男が言った。
あとの二人は一歩下がったところでニヤニヤしているので、おそらくこの鼻ピアスの舎弟なのだろう。
鼻ピアスが、持っている竹刀を俺に向けた。
「高宮、今すぐ屋上まで来いや」
「暑いから嫌です」
まだまだ残暑が厳しいこの季節のこの時間帯に屋上とかあり得ないから。
だからこうして涼しい教室で昼メシ食ってんのにわざわざ屋上行くとかマジあり得ないから。
「ナメてんじゃねえぞコルァッ!!」
鼻ピアスが近くの机を蹴り飛ばした。
廊下で見ている生徒たちから「キャー!」という悲鳴が上がった。
「俺の命令が聞けねえってんなら今すぐここで半殺しにすんぞ!」
そう言えば最近はこの手の輩に絡まれることが少なくなった。
こういう展開は久しぶりだなあとちょっぴり懐かしんでいたら、
「高宮クン高宮クン」
柚木が、俺の肩を指でトントンと叩いた。
「このヒト、三年の竜崎って言うんだけど逆らわない方がいいよ。中学の時に剣道やっててすんごい強いらしいから」
どうでもいいけど嬉しそうだなお前。
口調は俺を心配してるっポイ感じにしてるけど、目の奥がキラキラしてんだよ。
まあそれはいいとして。
「へえー。奇遇ですね俺も剣道やってたんですよ」
俺は立ち上がり、竜崎という奴の隙だらけの手首をつかんで竹刀をあっさり奪い取った。竜崎が「え?」という顔で驚いてる間に素早く間合いを取る。
「全国大会で優勝したこともあります」
そのまま思い切り踏み込んで竜崎の脳天に面を打ち込んだ。
「竜崎センパイーッ!!」
竜崎が白目を向いて真後ろにぶっ倒れたので舎弟どもが絶叫した。
かなり手加減したつもりだったんだけどな。
「てめえ竜崎センパイに何しやがんだ!」
「ぶっ殺すぞテメエ!」
残りの子分二人がうるさいので、
「じゃあ、やります?」
と竹刀を突きつけて聞いたら、子分二人は竜崎の身体を引きずって退散した。
竹刀も一緒に持って帰って欲しかったんだけどまあいいか。
「――王子カッコイイー!!」
ドッと教室に雪崩れ込んできた女子の集団にもみくちゃにされた。
女ども全員のドタマに面をぶち込んでやりたかったがそれは一応我慢した。
「今日すごかったらしいじゃないですかああああ!!」
放課後、昇降口で靴を履き替えていたら、メガネ女がすっとんできた。
ちゃんといつものおさげメガネスタイルに戻っていたので少しほっとした。
「昼休みに三年の強豪たちを恭一様が竹刀でコテンパンにしたって聞きましたよおお!」
「別に強豪ではなかったと思うけど」
「悔しい! 私の知らない間にそんなかっこいいパフォーマンスが開催されてたなんて!」
「パフォーマンスじゃねえよ」
「私も恭一様の剣さばきを見たかった! てゆうか剣道もやってらしたんですね!」
「小学校の時にな」
「見たかった! 写真撮りたかった! その写真を引き伸ばして特大ポスターにしたかった! さらにその写真を使ってラミカードを作成して、あとはマグカップとコースターとTシャツと……」
よく分からないことをブツブツつぶやいているメガネ女を置いて校舎を出た。すると「待って下さいよー!」と叫びながら慌てて追いかけてきた。
「つかお前、今日一日ずっと見なかったな。何やってたの」
「んまあッ!!」
突如、メガネ女が目を輝かせた。
「ほんの少し姿が見えないだけで不安になってしまうというアレですか?! 恭一様を不安にさせてごめんなさい! ずっとおそばにいるべきでしたね!」
「いや快適な一日を過ごせたよ。これからもぜひ姿を見せないで欲しいよ」
「んもうッ、照れなくてもいいですよ! そうだこの後何か美味しい物でも食べに行きませんか!」
「お前、今日バイトは?」
「今日はシフト入ってないんです」
「ふーん」
じゃあ今からどっか行くか、と言おうとした時、
「――恭一さん!」
校門のところで、声をかけられた。
「ここで待っていれば必ず恭一さんに会えると思っていました」
「舞花さん……」
振り返ると、制服姿の水原舞花さんがそこに立っていた。
「うわ、スゲー美人」
「あの制服知ってる、超お嬢様学校のだよ」
「氷王子の知り合いなんだ」
「王子とお似合いじゃね?」
「まさに王子様とお姫様ってカンジ!」
下校中の生徒たちが物珍しそうに舞花さんを見ている。
確かに、こうして一般校の生徒と並ぶと、舞花さんの育ちの良さが浮き彫りになっている。
「この間はありがとうございました。おかげ様で、つきまとわれることもなくなりました」
舞花さんが丁寧に頭を下げた。
夏休みに入ってすぐの頃、舞花さんにしつこくしている男をあきらめさせるために、彼氏のふりをすることになった。
でも結局、男をやっつけたのは俺ではなく、ファミレスのメガネウェイトレスなのだが。
「これも全て恭一さんのおかげです。本当にありがとうございました」
「いや、俺は何もしてないですよ」
「ぜひお礼をさせて欲しいのです。この後ご予定ありますか?」
「ああ……」
俺はちらりとメガネ女の方を見て、
「彼女と、予定があるので」
と言うと、舞花さんは不思議そうにメガネ女を見つめた。
「……あ、ごめんなさい、え? 彼女って……彼女?!」
舞花さんはメガネ女を二度見、三度見した後、驚いた顔をした。
「こちら、恭一さんの彼女……ですか?」
「ええ、まあ」
俺が答えると、
「そ、そうだったんですね、びっくりした、ごめんなさい、全然そんな風に見えなくて」
おそらく他意は全くないのだろう。
舞花さんの口から出たその言葉はごく自然で、本当に心底そう思っているらしかった。
メガネ女がまた劇画タッチの愕然とした表情になった。後ろに稲妻も見える。ような気がする。
「あはは、立花さんはカノジョに見えないんだってさ」
どこからともなく、柚木がひょっこりと姿を現した。
なんでお前がここにいるんだ。
今日の昼休みといい、一体何なんだ。馴れ馴れしいのもいい加減にしろよ。
柚木は舞花さんを間近で見つめて、「うわあ、すごくきれいな人!」と感嘆の声を上げた。
「こっちの人の方が高宮君のカノジョって感じするもんね。お二人ともすごいお似合い。つき合えばいいのに」
柚木がそう言うと、舞花さんは「いえ、そんな……」と、頬を赤らめて嬉しそうに微笑んだ。
いやだから喜んでる場合じゃないですよここ。
「高宮君、コッチは気にしないで。そちらのカノジョとどうぞごゆっくり。立花さん、これからボクと一緒にカラオケでもどお?」
柚木がメガネ女の肩に手をかけた。
なに言ってんだコイツ。
なんでお前とメガネ女がカラオケに行かなきゃなんねーんだよ。
俺が口を開きかけたその時、
「分かりました。カラオケに行きましょう柚木君」
メガネ女が、きっぱりとした口調で言い放った。
――はあ?
なに言ってんだお前?
「では恭一様、また明日!」
きりりとした表情でメガネ女が敬礼し、「では行きましょう」と、柚木と連れ立って歩き出した。
なんだコレは。
何が起こっている?
遠くで柚木が「バイバーイ」と手を振っている。
突然すぎて何が何だか分からない俺は、二人の後ろ姿をただ黙って見送った。
「――なんで電話に出ないんだよ」
メガネ女とやっと電話が繋がったのは、夜の十時過ぎだった。
「ずっとかけてたんだけど」
『すみません、気がつかなくて』
受話器の向こうの声は、どことなく元気がなかった。
「なにお前、あの後マジで柚木とカラオケ行ったの?」
『はい、まあ、でも二人きりじゃなくて、途中で学校の女子がわんさか来ましたよ』
「途中でってことは、途中までは二人きりだったんだな?」
『恭一様は、あれからどうしたんですか? あの美人さんとどこか行ったんですか?』
「……行って欲しいのかよ」
メガネ女が黙り込んだ。
なんでここで無言なんだよ。
さっさと切り返せよ。
悩むトコじゃねーだろ。
『――私にもよく分かりません』
なにその答え。
ワケ分かんねーよ。
突然メガネなしで登校してきたと思ったら、他の男とカラオケ行ったり。
ほんとコイツは何考えてるのか分かんねえ。
じゃあおやすみなさい、と一方的に電話を切られた。
腹が立った俺はケータイをベッドに投げつけた。




